72 / 103
祈りの先に
しおりを挟む
果てしない暗闇。
そこには星ひとつ瞬かず、風もない、音すら存在しない世界が広がっていた。
スカーレットは、ただ無意識に歩いていた。
足音は虚空に吸い込まれ、果てしなく続く闇が心を締め付ける。
「……ここは黄泉の国かしら?」
ふとそう呟いた。
何もかもから逃げるように必死に生きようとしてきたのに――結局は死に飲み込まれてしまった。
その理不尽さに、乾いた笑いすら漏れる。
胸の奥でそう願った瞬間、漆黒の闇の中に、一筋の光が差し込んだ。
「……光?」
思わず駆け出す。
無我夢中で走る。
そして――光の中に立つ、ひとりの人影を見つけた。
その人影は、眩いほどの輝きを放つ美しい女性だった。
長い髪は月光を編んだように白く輝き、纏う衣は夜空の星屑を縫い込んだようにきらめいている。
「あなたは……?」
声をかけると、女性は静かに微笑んだ。
「――聖女、スカーレットよ。こんなところで彷徨い、死を待つなど許されぬことだ」
「聖女……? 私は聖女ではありません。それに……あなたは?」
「私はオスベリア王国、初代聖女セレフィーネ。
そなたもまた、私と同じ“月の力”を持つ者であろう」
「月の力……ノクシアのことですか?」
「そうだ。お主は、その月の力で……一人の男を救ったはずだ」
胸が締めつけられる。
自然とその名を口にしていた。
「……ラファエル様……。今、彼はどうしているのでしょう……」
セレフィーネの瞳が優しく細められた。
「知りたいか?」
「もちろんです。たとえ魂だけになっても……私は彼を守りたいのです」
「……それも愛だな。ならば、見せてやろう」
女性の周囲に白い光があふれ出し、暗闇を切り裂く。
光に包まれた景色の中に――スカーレットは、驚愕の光景を見た。
ベッドに横たわる自分の姿。
そして、その傍らで手を握り、涙を流し続けるラファエル。
「――ラ、ラファエル様……!」
必死の声が届いた気がした。
その耳に、彼の声が響く。
『……お前を愛している。だから、目を覚ましてくれ……』
「ラファエル様……!」
溢れる涙が止まらない。
「……私も……愛していますわ……」
けれど、その声は届かない。
手を伸ばしても、彼には届かない。
「……あやつのそばにいたいか?」
セレフィーネが問う。
「……はい。たとえどんな苦難が待っていようとも……彼のそばにいたいのです」
すると、初代聖女はふっと優しく微笑んだ。
「ならば、私の力をそなたに授けよう」
その言葉と共に、あたりが一面の光の粒に包まれる。
冷たく淀んだ暗闇は消え、暖かく、心地よい光の海に変わっていった。
光に抱かれながら、スカーレットはそっと目を閉じる。
その耳に、柔らかく響く声が残された。
『――愛と祈りを司る聖女、スカーレットよ。
これからも力を正しく使い、幸せに生きるのだ』
その言葉と共に、セレフィーネの姿は光の粒となって散り、黄泉の国の奥へと消えていった。
***
ラファエルは、スカーレットの手を握ったまま動かなかった。
指先に伝わる冷たさは、彼の心臓を締めつける氷鎖のようだった。
「……どうか、どうか戻ってきてくれ……」
祈りは何度も繰り返され、声はかすれ、目は充血していた。
まともに食事もとらず、彼の世界はただ彼女の寝顔を見つめることだけで満たされていた。
見かねたジルベールが重い口を開いた。
「……交代しろ、ラファエル。少しでいい、食事をとれ」
「……俺は……」
「いいか、食事は生きるための糧だ。
看病する者が倒れてどうする。スカーレットが目を覚ました時、一番に心配するのは誰だと思っている」
その言葉にラファエルは唇を噛みしめた。
頭では分かっている。だが、喉が拒絶する。
――スカーレットと過ごしたあの何気ない日常。
セレスタイン城の長い食卓で、いつも向かいに座る彼女がいた。
会話は多くなかった。それでも、互いに同じ食卓を囲むだけで十分だった。
その時間は、ラファエルにとって唯一の安らぎだった。
だが今、目の前には空席しかない。
向かいには、誰も座っていない。
その現実が、余計に心を締めつけていた。
――彼女と共に食べる食事でなければ、何の意味もない。
だが。
それでも食べなければ。
スカーレットのために生きると誓ったのだから。
ラファエルは、震える手でスプーンを取り、無理やり喉に押し込んだ。
味もわからない。苦い。吐き出しそうになる。
それでも、彼は最後まで食べきった。
「……これでいい。目が覚めた時に……彼女に余計な心配をかけずに済む」
そう呟き、再びジルベールと交代する。
スカーレットのもとへ戻り、その細い手を握った。
――その時。
「あ……」
彼は息を呑んだ。
冷たかった指先に、わずかな温もりが戻っている。
その微かな変化に、胸の奥が熱くなる。
「……スカーレット……?」
囁いた瞬間、スカーレットの長い睫毛が震え、瞼がほんのわずかに持ち上がった。
「……っ!」
ラファエルの心臓が大きく跳ねる。
奇跡が、確かに始まろうとしていた。
そこには星ひとつ瞬かず、風もない、音すら存在しない世界が広がっていた。
スカーレットは、ただ無意識に歩いていた。
足音は虚空に吸い込まれ、果てしなく続く闇が心を締め付ける。
「……ここは黄泉の国かしら?」
ふとそう呟いた。
何もかもから逃げるように必死に生きようとしてきたのに――結局は死に飲み込まれてしまった。
その理不尽さに、乾いた笑いすら漏れる。
胸の奥でそう願った瞬間、漆黒の闇の中に、一筋の光が差し込んだ。
「……光?」
思わず駆け出す。
無我夢中で走る。
そして――光の中に立つ、ひとりの人影を見つけた。
その人影は、眩いほどの輝きを放つ美しい女性だった。
長い髪は月光を編んだように白く輝き、纏う衣は夜空の星屑を縫い込んだようにきらめいている。
「あなたは……?」
声をかけると、女性は静かに微笑んだ。
「――聖女、スカーレットよ。こんなところで彷徨い、死を待つなど許されぬことだ」
「聖女……? 私は聖女ではありません。それに……あなたは?」
「私はオスベリア王国、初代聖女セレフィーネ。
そなたもまた、私と同じ“月の力”を持つ者であろう」
「月の力……ノクシアのことですか?」
「そうだ。お主は、その月の力で……一人の男を救ったはずだ」
胸が締めつけられる。
自然とその名を口にしていた。
「……ラファエル様……。今、彼はどうしているのでしょう……」
セレフィーネの瞳が優しく細められた。
「知りたいか?」
「もちろんです。たとえ魂だけになっても……私は彼を守りたいのです」
「……それも愛だな。ならば、見せてやろう」
女性の周囲に白い光があふれ出し、暗闇を切り裂く。
光に包まれた景色の中に――スカーレットは、驚愕の光景を見た。
ベッドに横たわる自分の姿。
そして、その傍らで手を握り、涙を流し続けるラファエル。
「――ラ、ラファエル様……!」
必死の声が届いた気がした。
その耳に、彼の声が響く。
『……お前を愛している。だから、目を覚ましてくれ……』
「ラファエル様……!」
溢れる涙が止まらない。
「……私も……愛していますわ……」
けれど、その声は届かない。
手を伸ばしても、彼には届かない。
「……あやつのそばにいたいか?」
セレフィーネが問う。
「……はい。たとえどんな苦難が待っていようとも……彼のそばにいたいのです」
すると、初代聖女はふっと優しく微笑んだ。
「ならば、私の力をそなたに授けよう」
その言葉と共に、あたりが一面の光の粒に包まれる。
冷たく淀んだ暗闇は消え、暖かく、心地よい光の海に変わっていった。
光に抱かれながら、スカーレットはそっと目を閉じる。
その耳に、柔らかく響く声が残された。
『――愛と祈りを司る聖女、スカーレットよ。
これからも力を正しく使い、幸せに生きるのだ』
その言葉と共に、セレフィーネの姿は光の粒となって散り、黄泉の国の奥へと消えていった。
***
ラファエルは、スカーレットの手を握ったまま動かなかった。
指先に伝わる冷たさは、彼の心臓を締めつける氷鎖のようだった。
「……どうか、どうか戻ってきてくれ……」
祈りは何度も繰り返され、声はかすれ、目は充血していた。
まともに食事もとらず、彼の世界はただ彼女の寝顔を見つめることだけで満たされていた。
見かねたジルベールが重い口を開いた。
「……交代しろ、ラファエル。少しでいい、食事をとれ」
「……俺は……」
「いいか、食事は生きるための糧だ。
看病する者が倒れてどうする。スカーレットが目を覚ました時、一番に心配するのは誰だと思っている」
その言葉にラファエルは唇を噛みしめた。
頭では分かっている。だが、喉が拒絶する。
――スカーレットと過ごしたあの何気ない日常。
セレスタイン城の長い食卓で、いつも向かいに座る彼女がいた。
会話は多くなかった。それでも、互いに同じ食卓を囲むだけで十分だった。
その時間は、ラファエルにとって唯一の安らぎだった。
だが今、目の前には空席しかない。
向かいには、誰も座っていない。
その現実が、余計に心を締めつけていた。
――彼女と共に食べる食事でなければ、何の意味もない。
だが。
それでも食べなければ。
スカーレットのために生きると誓ったのだから。
ラファエルは、震える手でスプーンを取り、無理やり喉に押し込んだ。
味もわからない。苦い。吐き出しそうになる。
それでも、彼は最後まで食べきった。
「……これでいい。目が覚めた時に……彼女に余計な心配をかけずに済む」
そう呟き、再びジルベールと交代する。
スカーレットのもとへ戻り、その細い手を握った。
――その時。
「あ……」
彼は息を呑んだ。
冷たかった指先に、わずかな温もりが戻っている。
その微かな変化に、胸の奥が熱くなる。
「……スカーレット……?」
囁いた瞬間、スカーレットの長い睫毛が震え、瞼がほんのわずかに持ち上がった。
「……っ!」
ラファエルの心臓が大きく跳ねる。
奇跡が、確かに始まろうとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
大人になったオフェーリア。
ぽんぽこ狸
恋愛
婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。
生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。
けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。
それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。
その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。
その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。
虐げられた出戻り姫は、こじらせ騎士の執愛に甘く捕らわれる
無憂
恋愛
旧題:水面に映る月影は――出戻り姫と銀の騎士
和平のために、隣国の大公に嫁いでいた末姫が、未亡人になって帰国した。わずか十二歳の妹を四十も年上の大公に嫁がせ、国のために犠牲を強いたことに自責の念を抱く王太子は、今度こそ幸福な結婚をと、信頼する側近の騎士に降嫁させようと考える。だが、騎士にはすでに生涯を誓った相手がいた。
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
第四王子の運命の相手は私です
光城 朱純
恋愛
闇の魔力の持ち主が世界を滅ぼすと、見下される国カイート王国。
生まれてきた者は隠され、貶められ、蔑まれ、まともな生活を送ることは許されなかった。
圧倒的なその力に、いつ呑み込まれるかわからない闇の魔力の持ち主を救えるのは、聖の魔力の持ち主のみ。
そんな国に生まれ落ちた第四王子は闇の魔力を持つ。
聖の魔力を持って生まれた相手に恋をして、側にいることが叶えば、その愛はとどまることを知らない。
やがて運命の相手との力は国を守り、民を助ける。
聖と闇。その二つの魔力を持つ者がお互いを信じ結ばれた時、その力は何倍もの大きさになって国に繁栄をもたらすだろう。
闇魔法の使い手である第四王子。聖魔法の使い手の侍女エラ。運命の相手との立場を超えた恋愛のいく末はーー。
表紙はイラストAC様からお借りしました
「今とっても幸せですの。ごめんあそばせ♡」 捨てられ者同士、溺れちゃうほど愛し合ってますのでお構いなく!
若松だんご
恋愛
「キサマとはやっていけない。婚約破棄だ。俺が愛してるのは、このマリアルナだ!」
婚約者である王子が開いたパーティ会場で。妹、マリアルナを伴って現れた王子。てっきり結婚の日取りなどを発表するのかと思っていたリューリアは、突然の婚約破棄、妹への婚約変更に驚き戸惑う。
「姉から妹への婚約変更。外聞も悪い。お前も噂に晒されて辛かろう。修道院で余生を過ごせ」
リューリアを慰めたり、憤慨することもない父。マリアルナが王子妃になることを手放しで喜んだ母。
二人は、これまでのリューリアの人生を振り回しただけでなく、これからの未来も勝手に決めて命じる。
四つ違いの妹。母によく似たかわいらしい妹が生まれ、母は姉であ、リューリアの育児を放棄した。
そんなリューリアを不憫に思ったのか、ただの厄介払いだったのか。田舎で暮らしていた祖母の元に預けられて育った。
両親から離れたことは寂しかったけれど、祖母は大切にしてくれたし、祖母の家のお隣、幼なじみのシオンと仲良く遊んで、それなりに楽しい幼少期だったのだけど。
「第二王子と結婚せよ」
十年前、またも家族の都合に振り回され、故郷となった町を離れ、祖母ともシオンとも別れ、未来の王子妃として厳しい教育を受けることになった。
好きになれそうにない相手だったけれど、未来の夫となる王子のために、王子に代わって政務をこなしていた。王子が遊び呆けていても、「男の人はそういうものだ」と文句すら言わせてもらえなかった。
そして、20歳のこの日。またも周囲の都合によって振り回され、周囲の都合によって未来まで決定されてしまった。
冗談じゃないわ。どれだけ人を振り回したら気が済むのよ、この人たち。
腹が立つけれど、どうしたらいいのかわからずに、従う道しか選べなかったリューリア。
せめて。せめて修道女として生きるなら、故郷で生きたい。
自分を大事にしてくれた祖母もいない、思い出だけが残る町。けど、そこで幼なじみのシオンに再会する。
シオンは、結婚していたけれど、奥さんが「真実の愛を見つけた」とかで、行方をくらましていて、最近ようやく離婚が成立したのだという。
真実の愛って、そんなゴロゴロ転がってるものなのかしら。そして、誰かを不幸に、悲しませないと得られないものなのかしら。
というか。真実もニセモノも、愛に真贋なんてあるのかしら。
捨てられた者同士。傷ついたもの同士。
いっしょにいて、いっしょに楽しんで。昔を思い出して。
傷を舐めあってるんじゃない。今を楽しみ、愛を、想いを育んでいるの。だって、わたしも彼も、幼い頃から相手が好きだったってこと、思い出したんだもの。
だから。
わたしたちの見つけた「真実の愛(笑)」、邪魔をしないでくださいな♡
カラダからはじめる溺愛結婚~婚約破棄されたら極上スパダリに捕まりました~
結祈みのり
恋愛
結婚間近の婚約者から、突然婚約破棄された二十八歳の美弦。略奪女には生き方を全否定されるし、会社ではあることないこと噂されるしで、女としての自尊心はボロボロ。自棄になった美弦は、酔った勢いで会ったばかりの男性と結婚の約束をしてしまう。ところが翌朝、彼が自社の御曹司・御影恭平と気がついて!? 一気に青くなる美弦だけれど、これは利害の一致による契約と説明されて結婚を了承する。しかし「俺は紙切れ上だけの結婚をするつもりはないよ」と、溺れるほどの優しさと淫らな雄の激しさで、彼は美弦の心と体を甘く満たしていき――。紳士な肉食スパダリに愛され尽くす、極甘新婚生活!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる