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決別の手紙
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王都の夜は静かだった。
風の音すら、彼女の罪を聞くのを恐れるように、遠くでかすかに鳴っているだけ。
机の上には、一通の手紙。
その封筒に震える指で名前を書き記す。
カリーナは深く息を吸い、ペン先を握りしめた。
震える手を抑えようとしても、胸の奥が痛くて仕方ない。
「ごめんなさい……殿下。」
小さく呟く声が、紙の上に落ちた。
そして、彼女は静かに書き始める。
ノルヴィス・ノア殿下へ
私たちの婚約契約は、ここで終わりにしましょう。
ごめんなさい……。もう私は、貴方のそばにはいられません。
どうか、他に愛する人を見つけて、幸せになってください。
貴方は、どんな時も私の生きる希望でした。
そして、私の秘密を――ずっと守ってくださってありがとうございました。
もう、私たちの運命は分たれたのです。
ラービス・カリーナ
⸻
ペンを置いた瞬間、指先が震えた。
インクの匂いが胸を締めつけるように重たく感じる。
「……私は処刑されてもいい。
でも、ノア殿下だけは、絶対に守ってみせる。」
その言葉は、誰に聞かせるでもなく、祈りのように漏れた。
この手紙が彼を傷つけてもいい。
自分が嫌われても、恨まれても構わない。
彼の未来が守られるのなら、それでいい。
「私に“生きる希望”をくれたのは、貴方だから。」
ノアがいなければ、ここまで強くなれなかった。
あの婚約式の約束――“ドレスはノアが選ぶ”――
それすら叶えられなかったけれど。
それでも。
「大好きで、好きで、愛しています……ノア殿下。」
そう呟いた瞬間、
カリーナの涙が一粒、便箋に落ちた。
滲んだ文字の上で、光がゆらりと揺れる。
その一滴が、彼女の最後の“愛の証”だった。
***
公務に追われる日々。
朝から晩まで机に積み重なった書類を捌く。
だが、頭の片隅にはいつも、彼女の笑顔があった。
――カリーナ。
いや、今は“カリス”として。
僕の代わりにザンジス宰相の行方を追ってくれている。
あの細い肩で、危険を背負いながら。
彼女にはいつも助けられてばかりだ。
(ザンジスを早く見つけ出して、婚姻の儀を挙げたい。もう、彼女を不安にさせたくない。)
契約で始まった婚約。
でもあれは、政治ではなく、僕の――焦りと欲の産物だった。
“彼女を他の誰にも取られたくなかった”。
それだけだ。
(素直に言えばよかったんだ。ずっと前から好きだったって。)
そんな思いが胸をかすめた時だった。
書類の山の向こうから、ラスタが姿を現した。
「殿下、ラービス嬢からお手紙が届いております。」
「……カリーナから?」
思わず顔を上げた。
てっきり、近況報告かと思っていた。
軽い期待を胸に封を切る。
――そして。
手紙を開いた瞬間、胸の奥に冷たい刃が突き立った。
『ノルヴィス・ノア殿下へ
私たちの婚約契約は、ここで終わりにしましょう。
ごめんなさい…。もう私は貴方のそばにはいられません。
どうか他に愛する人を見つけて、幸せになってください……。』
……え?
目が文字を追うたび、視界が滲んでいく。
何を読んでいるのか、わからなくなった。
『貴方はどんな時も、私の生きる希望でした。』
紅い瞳から、ぽとりと涙が落ちた。
僕の指先を濡らすその雫は、熱いのに、胸の奥は氷のように冷たかった。
「僕との婚約契約を終わりにしたい……?
もう僕のそばにいられないって……何、どういうこと……?」
声が震える。
息が苦しい。
この手紙の意味を、心が拒絶している。
「他の人を愛して……?
僕は……君しか、愛せないのに……。」
机の上に手をつき、額を押さえる。
(僕だって、君が生きる希望だったんだ。
君がいたから、僕は王族として立てた。
君がいなければ、僕はただの無能に戻ってしまう。)
「ねぇ、どうして僕を置いていくの?」
声が掠れる。
風が吹いて、机の上の封筒が揺れた。
運命が分かたれる――そんな言葉、受け入れられるはずがない。
僕の婚約者は、未来の妻は、君だけなのに。
(誰が何を言おうと、僕の心は君のものだ。
僕が君を“選んだ”んだ。君以外、何も求めない。)
最後の行を見つめた。
そこだけ、インクが滲んでいた。
「……カリーナ。君も泣いてたんだね。」
震える指でその文字をなぞる。
その滲みが、まるで彼女の涙の跡のようで。
(これは――君が望んだ別れじゃない。
僕を遠ざけるための、優しい嘘だ。)
「……僕、約束したよね。
君のすべてを守るって。
だから――」
ノアは静かに立ち上がった。
封筒を胸に抱きしめ、その香りを確かめる。
まだ、彼女の気配が残っていた。
「この手紙が、君の“終わり”の言葉だとしても。僕にとっては、君を取り戻すための“始まり”だよ。」
紅い瞳が、涙をたたえながらも決意の色を宿す。
外では、夜の風が静かに窓を叩いていた。
それはまるで――
遠く離れた彼女が、泣きながら「ごめんなさい」と囁く声のように。
風の音すら、彼女の罪を聞くのを恐れるように、遠くでかすかに鳴っているだけ。
机の上には、一通の手紙。
その封筒に震える指で名前を書き記す。
カリーナは深く息を吸い、ペン先を握りしめた。
震える手を抑えようとしても、胸の奥が痛くて仕方ない。
「ごめんなさい……殿下。」
小さく呟く声が、紙の上に落ちた。
そして、彼女は静かに書き始める。
ノルヴィス・ノア殿下へ
私たちの婚約契約は、ここで終わりにしましょう。
ごめんなさい……。もう私は、貴方のそばにはいられません。
どうか、他に愛する人を見つけて、幸せになってください。
貴方は、どんな時も私の生きる希望でした。
そして、私の秘密を――ずっと守ってくださってありがとうございました。
もう、私たちの運命は分たれたのです。
ラービス・カリーナ
⸻
ペンを置いた瞬間、指先が震えた。
インクの匂いが胸を締めつけるように重たく感じる。
「……私は処刑されてもいい。
でも、ノア殿下だけは、絶対に守ってみせる。」
その言葉は、誰に聞かせるでもなく、祈りのように漏れた。
この手紙が彼を傷つけてもいい。
自分が嫌われても、恨まれても構わない。
彼の未来が守られるのなら、それでいい。
「私に“生きる希望”をくれたのは、貴方だから。」
ノアがいなければ、ここまで強くなれなかった。
あの婚約式の約束――“ドレスはノアが選ぶ”――
それすら叶えられなかったけれど。
それでも。
「大好きで、好きで、愛しています……ノア殿下。」
そう呟いた瞬間、
カリーナの涙が一粒、便箋に落ちた。
滲んだ文字の上で、光がゆらりと揺れる。
その一滴が、彼女の最後の“愛の証”だった。
***
公務に追われる日々。
朝から晩まで机に積み重なった書類を捌く。
だが、頭の片隅にはいつも、彼女の笑顔があった。
――カリーナ。
いや、今は“カリス”として。
僕の代わりにザンジス宰相の行方を追ってくれている。
あの細い肩で、危険を背負いながら。
彼女にはいつも助けられてばかりだ。
(ザンジスを早く見つけ出して、婚姻の儀を挙げたい。もう、彼女を不安にさせたくない。)
契約で始まった婚約。
でもあれは、政治ではなく、僕の――焦りと欲の産物だった。
“彼女を他の誰にも取られたくなかった”。
それだけだ。
(素直に言えばよかったんだ。ずっと前から好きだったって。)
そんな思いが胸をかすめた時だった。
書類の山の向こうから、ラスタが姿を現した。
「殿下、ラービス嬢からお手紙が届いております。」
「……カリーナから?」
思わず顔を上げた。
てっきり、近況報告かと思っていた。
軽い期待を胸に封を切る。
――そして。
手紙を開いた瞬間、胸の奥に冷たい刃が突き立った。
『ノルヴィス・ノア殿下へ
私たちの婚約契約は、ここで終わりにしましょう。
ごめんなさい…。もう私は貴方のそばにはいられません。
どうか他に愛する人を見つけて、幸せになってください……。』
……え?
目が文字を追うたび、視界が滲んでいく。
何を読んでいるのか、わからなくなった。
『貴方はどんな時も、私の生きる希望でした。』
紅い瞳から、ぽとりと涙が落ちた。
僕の指先を濡らすその雫は、熱いのに、胸の奥は氷のように冷たかった。
「僕との婚約契約を終わりにしたい……?
もう僕のそばにいられないって……何、どういうこと……?」
声が震える。
息が苦しい。
この手紙の意味を、心が拒絶している。
「他の人を愛して……?
僕は……君しか、愛せないのに……。」
机の上に手をつき、額を押さえる。
(僕だって、君が生きる希望だったんだ。
君がいたから、僕は王族として立てた。
君がいなければ、僕はただの無能に戻ってしまう。)
「ねぇ、どうして僕を置いていくの?」
声が掠れる。
風が吹いて、机の上の封筒が揺れた。
運命が分かたれる――そんな言葉、受け入れられるはずがない。
僕の婚約者は、未来の妻は、君だけなのに。
(誰が何を言おうと、僕の心は君のものだ。
僕が君を“選んだ”んだ。君以外、何も求めない。)
最後の行を見つめた。
そこだけ、インクが滲んでいた。
「……カリーナ。君も泣いてたんだね。」
震える指でその文字をなぞる。
その滲みが、まるで彼女の涙の跡のようで。
(これは――君が望んだ別れじゃない。
僕を遠ざけるための、優しい嘘だ。)
「……僕、約束したよね。
君のすべてを守るって。
だから――」
ノアは静かに立ち上がった。
封筒を胸に抱きしめ、その香りを確かめる。
まだ、彼女の気配が残っていた。
「この手紙が、君の“終わり”の言葉だとしても。僕にとっては、君を取り戻すための“始まり”だよ。」
紅い瞳が、涙をたたえながらも決意の色を宿す。
外では、夜の風が静かに窓を叩いていた。
それはまるで――
遠く離れた彼女が、泣きながら「ごめんなさい」と囁く声のように。
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