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47.俺が悪役令嬢になってメイドを誘惑した日……

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47.俺が悪役令嬢になってメイドを誘惑した日……





「結構だ」

 返却手続きをしていた教師――ベルヴェルド・ギルムレード先生が、低く通る声で囁く。静かな環境ってのもあるんだろうが、驚くほど小声なのに、本当によく聞こえる。

 俺を圧倒する本棚から視線を移す。
 アンティーク調のテーブルカウンターの向こうで、ベルヴェルド先生がほのかに輝く赤い瞳で俺を見ていた。

 ベルヴェルド・ギルムレード。
 黒く長い髪を後ろで一つにまとめ、暗がりに浮かぶ肌はとんでもなく白い。正直血が通ってないんじゃないかと思えるくらいに。そして一目見たら忘れられない、輝くような赤い瞳。年齢はよくわからない……二十代くらいだとは思うが、もっと若いかもしれないし、もっと年上だと言われても納得できる。
 格好はフリルのついた白いYシャツにループタイ、そしてベストに細身のズボンと、中世ヨーロッパの紳士のようである。座っているところしか見てないが、恐らく長身だろう。

 いやあ……なんつーか、相変わらず、絵に描いたような美形だ。男の俺が見てもぞくっとするほどの色気を感じる。……いや、もしかしたら本能的な恐怖かもしれないが。この人が普通じゃないのはすぐにわかったからな。

 しかし、驚きである。
 こんなにも存在感があるキャラなのに、攻略キャラじゃないんだよな。いわゆるモブなんだよな。ゲーム中では図書館に常駐するキャラはいなかったからな。俺は見たことがない。

 ベルヴェルド先生と会うのは、これが二度目だ。初対面の時に簡単に自己紹介したが、それ以上のことはわからない。あと名前の発音が若干難しい。

「先生」
「なんだ」
「たまには陽に当たった方がいいですわよ? 本当に顔色が悪いわ」
「――フッ」

 一応親切で言ったつもりなんだが、彼奴は「余計なお世話だ」と言わんばかりに鼻で笑うと、俺が来たことで中断していた読書に戻った。
 何事にも我関せずという雰囲気で本を開くその姿は既視感が強い。前見た時も同じポーズだったよな。偉そうに長い足を組んでるんだぜ。ほんとに絵になるな……これで紅茶だかコーヒーだかの香りが漂えば完璧だろうな。

 まあ、先生のことはいいか。
 この学校に丸七年いるアクロディリアの記憶にもないし、これだけの美形だから女生徒の間で噂が広まっていてもおかしくないが、それもないみたいだ。そんな感じで謎は多いし気にもなるが、今はどうでもいい。……結構マジで幽霊っぽいんだけど、ちゃんと実体があるっぽいしな。
 仮に俺が女子なら見とれたり好きになったりするのかもしれないが、俺は男だからな! イケメンなんて嫌いだね! ああ嫌いだね!! 何だよ赤目の美形男子って!! 絵に描いたようなイケてるメンズが出てきやがって!!

 ちょっとこのままここにいるとイライラが止まらなくなりそうだから、とにかく本探しに行こう。そのために来たんだしな。
 ――おっと、そうだ。

「先生、『ドラゴンの谷』に関しての書籍はどこにあるかしら?」
「……」

 ポーズは変わらないが、赤い瞳だけがこちらに向けられた。

「『ドラゴンの谷』の何についての本だ。生物か? 植物か? 鉱物か? それ以外となれば、水脈に関してや、かつての地形に関してという本もある」

 お、おう……必要なこと以外ほとんどしゃべらないのに、本については饒舌だな……

「うーん……」

 俺は考える。
 何についての本を読めば、禁呪『天龍の息吹エンジェルブレス』にたどり着けるのか……

 とりあえず、昔のことだな。確かドラゴンの谷の谷底……ゲームでは「ドラゴンの巣」と言われる場所の近くに、石碑があるんだよな。そこに刻み込まれている魔法が『天龍の息吹エンジェルブレス』だ。

 誰がなんのためにそこに残したのか――その辺のことを考えると、歴史……か? 地名の由来とか、当時の周囲の様子とか、その時代に生きた有名な魔法使いだとか賢者だとか……か?

 ――よし、これで行こう。地名が決まった頃を中心に調べていこう。

「珍しいもので『ドラゴンの食べ方』に関しての本もあるが」
「何それ気になる!」

 食えるの!? ドラゴンって食えんのか!?




 図書館に通い始めて三日目で、ようやく目当ての本を発掘することができた。

 誰がなんのために、そこに石碑を残したのか。
 そんなことは特に調べる気もなかったのだが、禁呪に辿りつくには、通らなければならない道だった。

 暦もはっきりしないような大昔、年老いた天龍が死期を悟り、死ぬ場所として選んだのが、後に「ドラゴンの谷」と呼ばれる巨大な谷の底だった。
 あとは死を待つだけの天龍は、谷底で、病に侵された旅人と出会う。
 天龍は、気まぐれに旅人を助けた――この時に使用した魔法が『天龍の息吹エンジェルブレス』だったってわけだ。
 で、元気になった旅人は精一杯人生を歩み、老いて、己の死ぬ場所として選んだのが天龍のいる谷底だったそうだ。
 石碑は、天龍と旅人の出会いと友情の証で、また二人の墓標として、旅人が運び込んだんだとか。

 「ドラゴンの谷」の歴史をざっくり述べると、こんな感じである。
 ちなみにその旅人こそが、子供でも知っているような歴史上の偉人、「光の大賢者」と呼ばれる人である。

 本には「『光の大賢者』を救い、また『光の大賢者』が多くの人を救った天龍の魔法は、彼女の死とともに永遠に失われた」とある。弟子だのなんだのたくさんいたらしいが、誰にも伝えなかったんだとさ。伝えなかった理由もなんかあるのかな? 

 しかし禁呪と呼ばれるだけあって、ちゃんとそれなりのストーリーがあるんだな。でもこれ制作の仕事か? 制作の作り込みの甘さは半端じゃないからな。勝手に世界が補完した後付けストーリーなんじゃねえの? そうでもないか? 

 まあいいや。これで「ドラゴンの巣」に行くだけの理由はできた。「『光の大賢者』が残したという石碑を見たい」と言えばいいのだ。
 俺は目当てだった本を本棚に戻し、出入り口まで移動する。

「先生、これまでありがとうございました。おかげで知りたいことはわかりました」

 これだけの蔵書から、たった三日で答えに到達できたのは、この無愛想な先生の力があってこそだ。「何年のどこ地方の本は?」だの「この生物の生体について」だとか、質問したことは全て的確に答えてくれた。よっ、図書館の先生! 司書っぽいぞ!

「ならば早く去れ。読書の邪魔だ」

 うわ、本読みながらで見向きもしねーわ。本については結構教えてくれるのに、それ以外はこんなんですよ。まったくイケメンはいいですね! 無愛想でも女子が寄ってくるんだろ? 羨ましい限りですな!

「ささやかなお礼などしたいのですが、どうです?」

 これはずっと考えていたことだ。だって本当に世話になったからな。これだけの蔵書の中、聞くだけで目当ての本がある場所を的確に教えてくれるんだから、もうコンピュータ検索と同じだ。よっ、コンピュータ先生! CPU先生!
 だがこの調子じゃ「いらん。帰れ」と言われるのがオチだな。

 ……と、思ったのだが。

「礼だと? おまえが考える礼とはなんだ? どの程度のことをどの程度のレベルでしてくれるのだ?」

 おや? 食いついたな。意外だ。

「甘いお菓子はどうです? わたしにできるのは少々お金を使えるくらいですから」

 これもずっと考えていたことだ。調べ物が済んだらアルカに会う予定だったからな。その時アルカに、これまでの諸々のお礼としてお菓子を渡そうと思っていた。
 アクロディリアの記憶に、よく利用していた高級菓子店があったからな。これでいいだろう、と。
 で、先生には、アルカの分を買うついでに買ってきてもいいな、と思った次第である。

「菓子か」

 何を考えているのかさっぱりわからないが、先生は少し間を置いて、言った。

「最近、貴族街に新しい菓子屋ができたそうだ。ショコラが一味違うらしい。それを買ってこい。20個入りだ」

 嘘だろ……意外に甘党かよ。しかも流行に敏感かよ。更には偉そうに注文まで付けやがったよ。

「……場所はどこです?」

 色々言いたいことはあったが、本気で世話になった身として、そして辺境伯令嬢として、一度言ったことを反故するわけにもいかない。
 その、ショコラ? チョコレートのことだよな? 禁呪の情報と、チョコレートが美味しい店の情報と、ドラゴンの食べ方の情報も入手して、俺は図書館を出た。




 寮に戻ると、レンさんがお茶していた。

「――ただの休憩中ですよ。サボっているわけではないですからね」

 別に疑ってないが。

「やることやってれば、休憩しようがサボろうがなんでもいいわよ」

 アクロディリアじゃあるまいし、不眠不休で仕え続けろーなんて無茶は言わない。
 俺もレンの向かいに座り、紅茶を淹れようとしてくれたレンを手で制した。――ちなみに彼女はマイカップを使っている。主人と同じ食器を使うという意識はまずないようだ。

「今日はお早いですね」

 うん、ここ数日は夕方まで戻らなかったからな。レンが図書館まで迎えに来ていたんだが。

「調べ物が済んだのよ。それより休憩中悪いんだけど、出かけない?」
「どちらまで?」
「なんでもチョコレートが美味しいお菓子屋さんが新しくできたんですって」
「貴族街四丁目のあそこですか?」

 なんだ知ってんのかよ。そう、そこだ。先生もその辺だって言ってた。

「じゃあ、レンさんを誘惑して遊ぼうかな」
「はい? ……誘惑?」

 そう。甘いものの誘惑。
 俺は今から、この無愛想なメイドさんを誘惑するぞ!

「何を馬鹿なことを言っているんですか。私が誘惑なんかされると思いますか?」

 思わないね。だから挑戦するのだ!

「そのお店ね、あの料理大国ナッツゼルで三十年も修行したお菓子職人が、美食家の貴族たちの投資でお店を開いたんですって。ナッツゼルで店を出すのかタットファウスで店を出すのかすごく揉めたらしいわよ」
「へえ」
「なんでも、ナッツゼルとタットファウスの王族同士でも取り合いがあって。それくらい美味しいお菓子を作るんですって」
「へえ……」
「お菓子全般得意なんだけど、チョコレート関係は強いらしくてね。特に、お店に行かないと食べられない『黒豆ショコラソフト』という、ほろ苦さと甘さが絶妙の組み合わせで作られたソフトクリームが絶品で、毎日通っている貴族もいるんだとか」
「…………」
「贈答用は誰でも食べられるけれど、ソフトクリーム関係はお店に行かないと絶対に食べられないらしいわよ? アイスだったら氷入れたりで多少持つけど、ソフトは持ち運びできないものねぇ」
「…………もうやめてください」
「え?」

 ニヤリとしてチラリと見れば、レンさんは目を伏せてブルブル震えていた。まるで雨に濡れ寒さに震える一匹の子犬のように! たぶん屈辱に震えているんだろう。日曜日に土下座関係で有名になったあの人のようにね!

「私の負けです。誘惑されました。だからもうやめてください」

 勝った! 意外とチョロイ!
 ……というか、まあ、アレだよね。

「行くって時点で、すでに食べる気だったけどね」

 せっかく行くんだから。そりゃ食うさ。語ってたら俺も食べたくなってきたし。
 それにしても、あの美形先生の甘党も大概だな。あの先生が語ったからね。さっき俺が言ったこと全部。









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