狂乱令嬢ニア・リストン

南野海風

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351.虎尾の始末

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「老い先短い爺の頼み、聞いてくれんか? ――この通りだ」

 ふむ、頼み事か。
 老人のこの雰囲気からして、内容は荒事っぽいな。

 ――というか、なんとなく、聞く前からわかる気がするが。

 でもまあ、一応聞いておくか。

「空賊列島の件ではお世話になったから、何事だろうと前向きに考えるけど。でも内容を聞かないとなんとも答えられないわね」

 あの件で、外交官であるリントン・オーロンとこのウェイバァ・シェンに借りができた。それが理由でこうしてウーハイトンに来ているわけだが。

 意外と、思ったより生活が楽しいんだよな。
 この時代の武にはもう一切期待していなかったのだが、意外や意外、武勇国の面でも悪くない。

 きっと私は、弟子を育てるのが基本的に好きなのだろう。
 この国で出会う者出会う者、ほぼ全員を弟子候補として見てしまっている。

 もちろん、実際に弟子に取るかどうかは別問題だ。
 ジンキョウだけでも結構せっつかれることがある現状、また弟子が増えたらいろんな人に文句を言われてしまうだろう。

 皇帝ジンジもよくしてくれているし配慮もしてくれているのだ、無駄な混乱を招くような真似はできない。

 ――まあ要するに、この国に招かれたことが貸し借りの解消となるなら、少しばかり釣り・・を渡してもいい気分なのだ。

 何より、ミトが学校に行くことになったのは、紛れもなく土地柄のせいもあるだろうから。

「内容か……」

 ひたりと、ウェイバァ老の双眸が私を見据える。

「――おまえさんくらいの境地に至る者なら、わかりそうじゃがの?」

 …………

「まさか『虎尾の始末』でもつけろと?」

 真っ先に脳裏を過った予想を口にすると、爺は瞳に殺意に似た色を宿してニヤリと笑った。

「やはりわかるか」

 やはりか。

 ならば、さっきリノキスは「漲っている」と言っていたが、それは間違いではないということになる。

 私が見た感じでも、相当仕上がっている。
 少し大きくなった肉体は、恐らくは鍛えなおしてきたのだろう。

 そしてまとう気配は、はっきり言うなら常在戦場。
 少しばかり戦場に身を置いて、ほんのすぐそばに生死の境を感じていれば、これくらい感覚が鋭敏になるだろう。

 ――つまり、今できる最大の準備を整えてきた、ということだ。

「おまえさん、英霊じゃろう?」

 おっと、急に来たな。

「追及するつもりはない。おまえさんが過去の誰で、何者であったかも聞かんよ。
 ただ――ここまで強ければ、人の百人や二百人は殺して来たじゃろう。よもや千人二千人でも足りんかもしれん。
 その中に、この爺を入れてほしいんじゃよ」

 ……ふうん。

「わしはな、わしより強い者を探すために外交使をやっておったんじゃよ。この国にわしより強い者はもうおらん。だから外国に求めるようになったんじゃ」

 それで、私を見つけたと。
 確実に自分より強い存在を見つけてしまった、と。

 …………

 虎尾の始末、か。

「武勇国ウーハイトンでも、今では珍しいんでしょう?」

 その「虎尾の始末」にしたって、ここウーハイトンでいろんな武にまつわる話を聞いた上で知り、そういえば昔もそういうのがあったなと思い出したくらいだ。

 そう、それは前の私・・・の時代にもあった、古いやり方なのだ。

「そうじゃな。滅多にないじゃろうな。――だが、わしはどうしても一つの武人として死にたい」

 と、ウェイバァ老はもう一度、深々と頭を下げた。

「後生じゃ。わしを虎として死なせてくれ」




 虎尾の始末。
 簡単に言えば、「死ぬための試合」のことだ。

 人は衰える。
 人は老いる。
 人は朽ちる。

 それは人間じゃなくとも、生物にとっては当たり前に存在する生死の宿命というものだ。どんなに抗おうと逃れられないものである。

 そしてこれらは、二重や三重の意味になっていることが多い。

 一つは肉体の衰え。
 もう一つは、魂の衰え。

 あとは個々の生き方や生き様で、いくつもあるかもしれない。

 ――武闘家にとっては、長い長い年月を掛けて身に着けてきた武そのものが対象となる。

 肉体の衰えに比例して、力も技も衰えていく。
 身体が自由に動かなくなり、あれだけ必死になって習得した奥義は二度と使用できない。爪先から砂となり散っていくように、自分の努力が亡くなっていくのだ。

 武に入れ込み、武しかない者にとっては、恐怖以外でしかない。

 強者が強者ではなくなっていく。
 どんなに努力しようとそれを止めることはできない。

 ならばいっそ――そう考えたのは、弱さゆえなのか強さゆえなのか。

 老いさらばえて衰えた虎であろうと、もはや虎の尻尾程度の強さしかなかろうと、虎として死にたい。

 虎が虎である内に――武闘家が武闘家である内に、武闘家として死にたい。
 
 そうして生まれたのが、虎尾の始末だ。




 確かにウェイバァ・シェンは、もう高齢だ。
 きっと今は、全盛期の強さとは比べ物にならないほど弱いはず。

 このまま老衰で武闘家ではなくなるくらいなら、武闘家として……と、そういう気持ちなのだろう。

 ――その気持ちがわからないわけがない。
 ――前世・・では、私もそれを望んだからだ。

 ただ、私は結局老衰で死んだんじゃなかろうか。
 誰も殺してくれなかったはずだから。

 ベッドの上で、ゆっくりと死んでいったのは覚えている。
 老人としても、武闘家としても。

 あの頃の私を何を思っていたのか……ただ、私も武闘家として死にたかったと思ったのは、間違いない、はずだ。

「気持ちはとてもよく理解できるんだけど」

「では、立ち会ってくれるか?」

「あなたがそれを望むなら。武闘家として死にたいという意気は理解できるし、私は特に拒む理由はないわ」

 ウェイバァ老はきっと、思いっきり戦って死にたいのだろう。
 そのために身体も感覚も仕上げて、できるだけ全盛期に近づけてきたに違いない。前に見た時よりは確かに強いと思うし。

 ただ――ただ、なぁ。

「ウェイバァ老は、今年でいくつ?」

「六十九。来年の頭には七十になる。長生きじゃろ?」

 うーん。

「死を望むにはちょっと早くない? 百二十歳前後までは伸びるでしょ?」

「……は?」

 そもそもだ。

「あなたはまだ、死を望むほど強くないと思うんだけど。そんな吹けば飛ぶ程度の武しかないなら、わざわざ武に入れ込んで死ぬことないじゃない。これから楽しいことだけしてしっかり楽しんで逝くといいわ。私だって好きで人を殺したいわけじゃないし」

 ざわ、とウェイバァ老の全身から殺気が放たれる。

「わしは弱いか?」

「あなた個人が弱いんじゃなくて、この時代・・・・が弱いのよ」

 そこまで言って、私の我慢が限界に達した。

 ――そう、この時代・・・・だ。

 私はこの時代・・・・に対して、もう、言いたいことがたくさんあるのだ。鬱憤が溜まりまくっているのだ。全員弱すぎて反吐が出るのだ。

「あなたは『氣』を身に着けて何年経つの? なぜそんなに弱いの? 師から何を学んだの? 師を馬鹿にしてるの? この程度習得すればそれでいいやとか半端に満足したの? それともちゃんと教えられる前に師から見放されたとか? ねえ、なぜそんなに弱いの?」

「…………」

 ウェイバァ老の殺気が消えた。
 呆然として、私の問いに、何も答えられないでいる。

「お……お、お……」

 お? なんだ?

「おまえさんがウーハイトンに『気』を伝えたんじゃろうが! 武神リュト・ビリアン! わしの師はおまえさんの弟子の弟子で、師はちゃんと免許皆伝したと言っておったぞ!」

 …………お?

 …………

 え?

「リュト・ビリアンって誰?」

「おまえさんじゃろうが!」

 え?

 ……いや。

「人違いというか、英霊違いだと思うけど」

 まあ私も、前の私・・・の名前なんて思い出せないけど。

 でも、その名前じゃないことはわかる。響くものがないから。
 この心の素通り感は完全に他人の名前だと思う。しかも全然知らない人だ。誰だ。武神? 気になる二つ名じゃないか。

「……ち、違うのか!? だったらおまえさん誰じゃ!?」

 誰と言われても。

「さっき追及はしないって」

「さっきとは事情が違うわい!」

 …………

 確かにちょっと、事情じゃなくて話の論点が違ってきているな。
 私も少しばかり気になることがある。



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