352 / 405
351.虎尾の始末
しおりを挟む「老い先短い爺の頼み、聞いてくれんか? ――この通りだ」
ふむ、頼み事か。
老人のこの雰囲気からして、内容は荒事っぽいな。
――というか、なんとなく、聞く前からわかる気がするが。
でもまあ、一応聞いておくか。
「空賊列島の件ではお世話になったから、何事だろうと前向きに考えるけど。でも内容を聞かないとなんとも答えられないわね」
あの件で、外交官であるリントン・オーロンとこのウェイバァ・シェンに借りができた。それが理由でこうしてウーハイトンに来ているわけだが。
意外と、思ったより生活が楽しいんだよな。
この時代の武にはもう一切期待していなかったのだが、意外や意外、武勇国の面でも悪くない。
きっと私は、弟子を育てるのが基本的に好きなのだろう。
この国で出会う者出会う者、ほぼ全員を弟子候補として見てしまっている。
もちろん、実際に弟子に取るかどうかは別問題だ。
ジンキョウだけでも結構せっつかれることがある現状、また弟子が増えたらいろんな人に文句を言われてしまうだろう。
皇帝ジンジもよくしてくれているし配慮もしてくれているのだ、無駄な混乱を招くような真似はできない。
――まあ要するに、この国に招かれたことが貸し借りの解消となるなら、少しばかり釣りを渡してもいい気分なのだ。
何より、ミトが学校に行くことになったのは、紛れもなく土地柄のせいもあるだろうから。
「内容か……」
ひたりと、ウェイバァ老の双眸が私を見据える。
「――おまえさんくらいの境地に至る者なら、わかりそうじゃがの?」
…………
「まさか『虎尾の始末』でもつけろと?」
真っ先に脳裏を過った予想を口にすると、爺は瞳に殺意に似た色を宿してニヤリと笑った。
「やはりわかるか」
やはりか。
ならば、さっきリノキスは「漲っている」と言っていたが、それは間違いではないということになる。
私が見た感じでも、相当仕上がっている。
少し大きくなった肉体は、恐らくは鍛えなおしてきたのだろう。
そしてまとう気配は、はっきり言うなら常在戦場。
少しばかり戦場に身を置いて、ほんのすぐそばに生死の境を感じていれば、これくらい感覚が鋭敏になるだろう。
――つまり、今できる最大の準備を整えてきた、ということだ。
「おまえさん、英霊じゃろう?」
おっと、急に来たな。
「追及するつもりはない。おまえさんが過去の誰で、何者であったかも聞かんよ。
ただ――ここまで強ければ、人の百人や二百人は殺して来たじゃろう。よもや千人二千人でも足りんかもしれん。
その中に、この爺を入れてほしいんじゃよ」
……ふうん。
「わしはな、わしより強い者を探すために外交使をやっておったんじゃよ。この国にわしより強い者はもうおらん。だから外国に求めるようになったんじゃ」
それで、私を見つけたと。
確実に自分より強い存在を見つけてしまった、と。
…………
虎尾の始末、か。
「武勇国ウーハイトンでも、今では珍しいんでしょう?」
その「虎尾の始末」にしたって、ここウーハイトンでいろんな武にまつわる話を聞いた上で知り、そういえば昔もそういうのがあったなと思い出したくらいだ。
そう、それは前の私の時代にもあった、古いやり方なのだ。
「そうじゃな。滅多にないじゃろうな。――だが、わしはどうしても一つの武人として死にたい」
と、ウェイバァ老はもう一度、深々と頭を下げた。
「後生じゃ。わしを虎として死なせてくれ」
虎尾の始末。
簡単に言えば、「死ぬための試合」のことだ。
人は衰える。
人は老いる。
人は朽ちる。
それは人間じゃなくとも、生物にとっては当たり前に存在する生死の宿命というものだ。どんなに抗おうと逃れられないものである。
そしてこれらは、二重や三重の意味になっていることが多い。
一つは肉体の衰え。
もう一つは、魂の衰え。
あとは個々の生き方や生き様で、いくつもあるかもしれない。
――武闘家にとっては、長い長い年月を掛けて身に着けてきた武そのものが対象となる。
肉体の衰えに比例して、力も技も衰えていく。
身体が自由に動かなくなり、あれだけ必死になって習得した奥義は二度と使用できない。爪先から砂となり散っていくように、自分の努力が亡くなっていくのだ。
武に入れ込み、武しかない者にとっては、恐怖以外でしかない。
強者が強者ではなくなっていく。
どんなに努力しようとそれを止めることはできない。
ならばいっそ――そう考えたのは、弱さゆえなのか強さゆえなのか。
老いさらばえて衰えた虎であろうと、もはや虎の尻尾程度の強さしかなかろうと、虎として死にたい。
虎が虎である内に――武闘家が武闘家である内に、武闘家として死にたい。
そうして生まれたのが、虎尾の始末だ。
確かにウェイバァ・シェンは、もう高齢だ。
きっと今は、全盛期の強さとは比べ物にならないほど弱いはず。
このまま老衰で武闘家ではなくなるくらいなら、武闘家として……と、そういう気持ちなのだろう。
――その気持ちがわからないわけがない。
――前世では、私もそれを望んだからだ。
ただ、私は結局老衰で死んだんじゃなかろうか。
誰も殺してくれなかったはずだから。
ベッドの上で、ゆっくりと死んでいったのは覚えている。
老人としても、武闘家としても。
あの頃の私を何を思っていたのか……ただ、私も武闘家として死にたかったと思ったのは、間違いない、はずだ。
「気持ちはとてもよく理解できるんだけど」
「では、立ち会ってくれるか?」
「あなたがそれを望むなら。武闘家として死にたいという意気は理解できるし、私は特に拒む理由はないわ」
ウェイバァ老はきっと、思いっきり戦って死にたいのだろう。
そのために身体も感覚も仕上げて、できるだけ全盛期に近づけてきたに違いない。前に見た時よりは確かに強いと思うし。
ただ――ただ、なぁ。
「ウェイバァ老は、今年でいくつ?」
「六十九。来年の頭には七十になる。長生きじゃろ?」
うーん。
「死を望むにはちょっと早くない? 百二十歳前後までは伸びるでしょ?」
「……は?」
そもそもだ。
「あなたはまだ、死を望むほど強くないと思うんだけど。そんな吹けば飛ぶ程度の武しかないなら、わざわざ武に入れ込んで死ぬことないじゃない。これから楽しいことだけしてしっかり楽しんで逝くといいわ。私だって好きで人を殺したいわけじゃないし」
ざわ、とウェイバァ老の全身から殺気が放たれる。
「わしは弱いか?」
「あなた個人が弱いんじゃなくて、この時代が弱いのよ」
そこまで言って、私の我慢が限界に達した。
――そう、この時代だ。
私はこの時代に対して、もう、言いたいことがたくさんあるのだ。鬱憤が溜まりまくっているのだ。全員弱すぎて反吐が出るのだ。
「あなたは『氣』を身に着けて何年経つの? なぜそんなに弱いの? 師から何を学んだの? 師を馬鹿にしてるの? この程度習得すればそれでいいやとか半端に満足したの? それともちゃんと教えられる前に師から見放されたとか? ねえ、なぜそんなに弱いの?」
「…………」
ウェイバァ老の殺気が消えた。
呆然として、私の問いに、何も答えられないでいる。
「お……お、お……」
お? なんだ?
「おまえさんがウーハイトンに『気』を伝えたんじゃろうが! 武神リュト・ビリアン! わしの師はおまえさんの弟子の弟子で、師はちゃんと免許皆伝したと言っておったぞ!」
…………お?
…………
え?
「リュト・ビリアンって誰?」
「おまえさんじゃろうが!」
え?
……いや。
「人違いというか、英霊違いだと思うけど」
まあ私も、前の私の名前なんて思い出せないけど。
でも、その名前じゃないことはわかる。響くものがないから。
この心の素通り感は完全に他人の名前だと思う。しかも全然知らない人だ。誰だ。武神? 気になる二つ名じゃないか。
「……ち、違うのか!? だったらおまえさん誰じゃ!?」
誰と言われても。
「さっき追及はしないって」
「さっきとは事情が違うわい!」
…………
確かにちょっと、事情じゃなくて話の論点が違ってきているな。
私も少しばかり気になることがある。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
464
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる