狂乱令嬢ニア・リストン

南野海風

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400.ハーバルヘイムと交渉する 四日目 向こう側

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「もはやこれまでか」

 この城で一番堅牢な宝物庫に閉じ込めたニア・リストンは、あたりまえのように宝物庫を破壊して脱出した。

 その確認作業をして、事実であることが判明。
 兵士数人がかりでようやく動かせる金属製の扉はひどくひしゃげ、扉がまるごと外されていた。

 一体何をしたらこんなことになるのか。
 道具一つ持っていなかった子供が、一体どうやったらこんなことができるのか。

 疑問は尽きないが――今はそんなことを考えている場合ではない。

 ――「もはやこれまでか」

 力なく床に座り込んでいた国王ルジェリオンが、ポツリとこの世に落とした言葉に、宰相ナーバルや高官たちは顔を青ざめた。

「まさかアレですか!?」

 常に冷静・冷徹だったはずの宰相ナーバルも顔色が悪くなっているが、その聞き逃せない言葉に絶望を感じた。

「それ以外あるまい」

 感情の見えない横顔で床を見詰める……こうして見ると財産も家も家族も、すべてを失った人間の抜け殻のようになっているルジェリオンが、感情のないまま答える。

「――王子と王女こどもたちを呼べ。それと明日の準備だ……とにかく人を集めろ」

 止めるべきだ。
 絶対に止めるべきだ。

 頭ではわかっているナーバルと高官らだが……しかし、決断に踏み切ったルジェリオンに代案の提示ができない。

 兵士たちでは駄目。
 騎士たちでも駄目。
 暗殺も駄目、毒物も駄目。
 神鳥アルヴィエタでも駄目。
 建国の魔剣ジタンテでも駄目。
 そして、宝物庫でも閉じ込めることができなかった。

 もうニア・リストンを葬る手段が思いつかない。

「損切りだ」

 ルジェリオンはまだ抜け殻のように座り込んでいるが……声だけは力を取り戻していた。

「できるだけ代償を払わずアレをしようとしていたが、もういい。安くない損害を出してでもアレを殺す。
 ハーバルヘイムを救うため、そしてハーバルヘイムの威信に賭けてだ」

 ナーバルでは踏み込み切れない決断を、国王は下した。

 優秀かどうか、またそれが正しいか否かはさておき、王としての決断ができる分だけ、ルジェリオンは王の器を持っているという証拠だ。

 ――己の決断で人が死ぬ……それを「損切り」などと言えるのだから、明らかに常人とは一線を画した存在であるのは、間違いないだろう。




 ニア・リストン襲来の報は、まだハーバルヘイムの一部にしか知られていない。

 常に王城の動きに気を払っている高位貴族はすでに情報を掴んでいるし、お偉いさん方に気を向けている商人は「何かが起こっている」くらいは察しがついている。

 だが、今度のルジェリオンの決定は、少々秘匿しづらい。
 何せ人を集めねばならない。

 恐らくニア・リストンも、この騒動についても、周囲に漏れてしまうだろう。
 もちろんルジェリオンは、それも承知で命を下したのだ。

 どの道、ここでニア・リストンをどうにかできなければ、何を盗られるかわからないのだから。
 ありえないとは思うが、そんな言葉はこの三日で嫌というほど頼りにならないと思い知った。

 ありえないことは、何事もないという平気な顔で、平然と目の前に現れる。
 それくらいありふれたものでもあると、思い知った。

 ニア・リストンはありえないの塊だ。
 もう先入観や常識で推し量れる存在ではない。

 だから、国を盗られる心配だって、当然するべきなのである。
 ありえないとは思っていても。

 そして、それを阻止する最後の手段を、国王は選んだ。
 国を守るために代償を払う覚悟をしたのだ。

 ――国王がやると言えば、臣下はそれに従い動くまでだ。

 高官たちも覚悟を決め、準備のために走り回る。

 明日の朝までに間に合う距離の近隣島に派遣している兵士たちを呼び戻し。
 騎士たちに何をするかを伝え。
 高位貴族たちの力……魔力が必要なので、招集を掛ける。

 そして、明日のカギとなる、ルジェリオンを始めとした王族・王子と王女たち。

 彼らにもニア・リストンの存在は伏せていたが、いよいよ黙っていられない状況になってしまった。
 急ぎ事情を話し、明日のための準備をさせる。

 慌ただしい一日はあっという間に過ぎ去り。

 四日目の交渉が始まる。




「――今日は別の場所で頼む」

 朝、いつもの時間に謁見の間にやってきたニア・リストンに告げたのは、一人の騎士である。

 騎士団長グレオロスだ。
 彼はだだっ広い謁見の間に一人佇み、白髪の少女を待っていた。

「別の場所? どこ?」

「外だ。兵や騎士の演習場で、歓迎・・の準備をして待っている」

「あら。今日は雨なのに大変ね。冬場の雨はつらいでしょ」

「何、小雨だ。少しくらい我慢するさ」

「ふうん」

 ニア・リストンは笑う。
 邪気も裏も感じさせない、ただただ何かを楽しみにしている子供のような笑顔だった。
 
「わざわざ準備してくれたなら、ぜひ顔を出さないとね」
 
 二人と見張りのキトンは、演習場へと向かう。

 正面の城門から外へ出て、少し距離があるというので屋根付き馬車に乗り込んで移動となった。

 そして、演習場へ到着する。
 一万人の兵士と騎士、そして召喚獣が待ち構えている演習場へ。




「……ねえ、あれはさすがに逃げた方がよくない?」

「ああ、あなたは離れてなさいよ」

 馬車で運ばれてきたニアは、待ち構えるハーバルヘイム軍の正面で降ろされた。彼女が降りると馬車はグレオロスだけ連れて行ってしまった。

「というか一緒に行かなかったのね」

 なぜか、ニアと一緒にキトンまで下車していたが。

「私のことはいいのよ。あの数どうするの? 見渡す限りの敵よ? さすがにあんたでも無理でしょ。召喚獣までいるし」

「ん? 全然問題ないけど?」

「え?」

「一定以上強くないと、数を集めたって意味がないのよね。単純な足し算引き算で勝敗が決するなら、兵法も軍師も必要ないでしょ」

 ――などという会話をしているとは思っていない国王ルジェリオンは、いよいよ気が昂ってきていた。

 必ず殺す。
 必ずニア・リストンを殺す。

 昨日から、それだけを考えて、今ここにいる。
 国宝の神杖ハンブラムを手に、かつてないほど本気で、魔力を杖に集中する。

 そして、ニア・リストンを連れてきてこちらへやってきた騎士団長グレオロスに目配せする。

「――開戦! 一番隊から十番隊、前へ! 騎士隊は所定の位置につけ!」

 魔法で拡声したグレオロスの指示が飛ぶ。

 隊列の一番前の兵士隊が、ざっと地面を蹴って前に出る。そして騎士隊はぐるりと兵士たちの周辺を囲んだ。

「――召喚隊、構えよ」

 そんな軍を目の前に、自ら指揮を執るルジェリオンが、自分の子供である王子・王女と高位貴族たちに言う。

「よいか、とにかく魔力を捧げよ。では始める――」

 ルジェリオンは詠唱を始めた。

 それは、建国から伝わる古い詩。
 この地を支配していた大白蛇オロジメラ大咆鬼オロホロジと言った、後に特級魔獣と言われる強大な相手と戦った時に詠まれたものだ。
 戦乱時代は何度か詠まれたことがあるというが、ここ二百年は誰も触れることはなかった。

 神杖ハンブラムの先端についている、神零石が青い光を放ち出す。――魔力の増幅器であるそれを通せば、ルジェリオンらの放つ魔力は一時的に何倍もの効果を得られる。まさに神の杖の為せる技である。

 古い詩が終わる頃には、直視できないほどの光を放っていた。

「……チッ、やはり足りんか……」

 必要な魔力分に満たないせいでぐんぐん魔力を吸われ、召喚隊の何人かが倒れている。
 ルジェリオンも、まだ何もしていないのに、眩暈がするほど消耗している。

 だが、踏みとどまる。
 ニア・リストンを殺すという強い意志だけで、そして王としてのプライドで、意地でも膝は付かない。

 そして、それでもまだ届かない。
 必要な魔力が満たない。

 文献通り、ということだ。

「致し方ない!」

 元々そのために集めた兵だ。

 犠牲になってもらうしかない。

「――護国獣バルヘルム! 千の生贄を以てこの地に参られい!」

  ブン

 耳元を飛ぶ羽虫のような音がした、と同時に……先の号令で前に出た兵士たちの足元に、巨大な魔法陣が発生した。

 









「……あーあー。ひどいことをするわね」

 ニア・リストンは笑いながら他人事のように呟く。

 キトンが離れ、兵士たちが動いた。
 いよいよ交渉が始まるかと思えば――青い魔法陣が発生し、そして兵士たちがバタバタと倒れていく。

 戦う前から悲鳴が上がっている。
 逃げようとする兵士を、囲んでいる騎士たちが威嚇して逃がさないようにしている。

 具体的に何をしているかはわからない。
 だが、あれは生贄を使用した悪魔召喚のようなものだろうと当たりを付ける。

「悪魔か……強い奴いたっけなぁ」

 心当たりがない。
 印象深いことは思い出せる失った記憶からも浮かばない。

 つまり――その程度ということだ。
 
「お、アレか」

 上空に魔法陣が発生した。

 そして、その中からゆっくりとそれが現れる。

 ――青黒い鱗を持つ、特大級のドラゴンだ。

「黒龍の一種かな? 大きさは悪くないけど……まあ、それだけか」

 威圧感はある。
 見た目も強そうだし、恐らく強いだろう。

 ただ、己の方が強いだけで。

「えっと……」

 と、ニア・リストンはこめかみを指でぐりぐり捻り、何かを思い出そうとする。

「……確か、完全に召喚するまでは、召喚魔法は成立してないんだっけ……?」
















 ここ数日、国王ルジェリオンを始めとしたハーバルヘイムの重鎮たちは、いろんな悪夢を見てきた。

 明日が来るのが怖くなった。
 明日の交渉というものが、心配で心配で、夜が眠れなくなった。
 仮に寝られたとしても、実際に見た悪夢を夢の中でも見せられて、起きてしまうのだ。

 ただ、今日の悪夢はとびっきりだった。

 悪夢でもいいから、これは悪い夢であってほしいと願う。

 だが願い空しく、目の前で起こったことは、ただのありえない現実である。




 神獣バルヘルムが、呼ばれる前に死んだ。

 魔法陣からにょきっと出てきた首をへし折られて死んだ。
 死んだ状態で残りの全身がせり出てきて、そのまま地面に落ちた。

 いや、落ちながら青い光となり飛び散ったので、地面には落ちていない。綺麗に、跡形もなく、何事もなかったかのように、消え失せた。 




 飛び上がったニア・リストンの飛び蹴りのせいである。
 たった一撃で、国防の切り札が、死んだ。

 これが悪夢じゃなくてなんだというのか。
 ありえないにも程があるだろう。

 あまりの光景に、全員が唖然としていた。
 動く者はない。

 いや。

 ニア・リストンが、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
 生贄として魂を取られたはずの兵士たちがむくむくと起き上がるのを避けながら、国王ルジェリオンを目指してまっすぐ向かってくる。

 でも、誰も動けない。
 ニア・リストンのを止めようとする者はなく、またルジェリオンも少女をどうにかする命令が下せない。

 さっきのドラゴン殺しを見せられたら、もう何をしても無駄だ。

 そうして、ついにニア・リストンはルジェリオンの前に立つ。
 いつもの笑みを浮かべて、彼女は言った。




「今日はこれで終わりでいい? 明日が最後だけど」



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