緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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君が深淵を覗く時 5

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 大学の研究室では臨と晶子が唖然としていた。

「気をしっかり持って、高槻君。本当に幻覚や気のせいじゃないのね?」

「はい! 捕まえます、あいつ」

 守人の興奮した声が聞こえ、臨は叫んだ。

「ダメッ、絶対!」

「でも、身柄を押さえれば、僕の別人格なんかじゃなく、生身の真犯人がいるって決定的な証拠になる。ヒッチハイカーもそいつが殺したと証明できる」

「そりゃ、そうかもしれないけど……」

「もしかして、能代さんも疑ってるの? 僕が罪を逃れる為、いもしない人殺しをでっちあげてるって」

 臨は言葉を失った。

 確かに、守人にとってあまりに不利な状況であり、これを一変させるには真犯人を捕えるしかない。
 
「罠よ。何か狙いがあって、あなたを誘いだそうとしてるのよ」

 晶子も声を張り上げる。





 守人は駐車場で逡巡した。その視線の先、『赤い影』は尚もおどけた素振りで、車のキーを弄んでいる。

 武器が必要だ。

 ポケットに手を突っ込み、木製容器のメスを取り出して、右手に握りしめる。
 
「能代さん、ちょっと待ってて」

「高槻君、ダメッ!」

 臨の制止を無視し、携帯電話を切らないまま守人は走り出した。

 赤い服の男は悠然と身を翻す。背後に鬱蒼と広がる林へ飛び込み、敏捷な動きで樹木の間を駆け巡る。
 
 何時の間にか見失い、守人は焦った。

 闇雲に走る内、前方から口笛の代りに耳障りな歌声が流れてくるのに気づく。

 てるてる坊主、てる坊主、あした天気にしておくれ。
 
 小学校の運動会で使う古い拡声器を通したような歪んだ音声ながら口調は軽く、楽しげだった。

 聞いているだけで苛々する。彼方此方にある伐採された切り株の横を抜けながら、強烈なデジャブを感じる。

 これとそっくりな状況を守人は知っていた。

 膝を痛めた女性を追い、歌声で恐怖を煽り、追いつめて……

 でもあれは悪夢の中の出来事。その中で歌っていたのは守人自身だった筈。
 
 それでも曇って泣いてたら、そなたの首をチョンと切るぞ。
 
「歌うな、畜生!」

 つい大声で喚いてしまう。

 その声が木々の間でこだまし、電子音が混じる歌声と溶け合い、一層耳障りな不協和音を作り出す。





 大学の研究室で、携帯電話のスピーカーから流れる音声を聞き、臨の気持ちは千々に乱れた。

「先生、これって」

 晶子も重苦しい表情で頷く。

 今の所、はっきり聞こえるのは守人の声だけで、彼の一人芝居と取れない事も無い。

「高槻君、本当に犯人を追いかけてるんでしょうか?」

「錯乱状態に陥っているかも知れない。半ば覚醒、半ば夢の中にいて、幻を追跡している可能性がある」

「高槻君、私の声、聞こえてる? 頼むから追うのは止めて!」





 守人の足は止まったが、それは臨の願いを受け入れたからでは無い。鬱蒼とした山林の中に場違いな光を感じた為だ。

 その光の方へ進む。すると伐採所らしき開けた場所に出た。荒生岳の殺害現場とそっくりなシチュエーションだ。

 取り囲む木々の枝に高出力タイプのペンライトが数本固定されており、その全てがある一点へ向け、細い光の筋を集中させている。

 舞台のスポットライトみたい、と守人は思った。

 但し、その中心で喝采を浴びるべき演者は既に死んでいる。

 あのヒッチハイカー二人分の遺体が幾つかに分断された状態で切り株へ凭れており、四本の腕に一個の頭部が抱えられていた。

 二つの体が一つの頭を共有する姿にも見え、それは分裂した心に苦しむ守人への皮肉にも感じられる。

「馬鹿にしやがって!」

 無性に怒りがこみ上げ、死体へ駆け寄ろうとする守人の背後、大きな樹の裏側から声がした。

「さぁ、ショータイムの始まりだ」

 振り向いた途端、金槌の殴打が右の肩口を襲う。

 何時の間にか、『赤い影』は守人の背後に回っていたらしい。そして気付かれない程度の距離を保ち、並走していたのだろう。

 いつでも攻撃できるのに敢えて弄っていたのだ。

 痛みに呻き、倒れる。携帯電話は握ったままだが、メスは衝撃で何処かへ飛んでしまった。

 笑い顔を摸す赤い仮面は、ノイズ交じりの含み笑いを漏らしながら守人を追いつめ、ある位置へ誘導していく。

 二つの遺体のすぐ近く、スポットライトの中央へと……





 激しい打撃音が電話の向うから聞こえ、臨の全身は竦んだ。殺人鬼は妄想では無く、実際に守人を襲っている。

「先生、あたし、どうしたら!?」

「警察に通報しましょう。もう冤罪を恐れている場合じゃない」

 晶子が自分のスマホを取り出すが、警察へ掛ける前に新たな異変が生じた。

 長時間の無操作によりスリープモードに入っていたラボのパソコンが突然立ち上がり、画面へ『タナトスの使徒』のサイトが表示される。

 しかも現れた動画のウィンドウは、リアルタイムのストリーミング配信だ。
 
 地べたを這いずる守人が映り、殴打されて朦朧としたまま、古い木の切り株へ投げ出される光景が流れた。

「これ……何?」

「インターネットを使って、実況してるみたいね。おそらく特殊なアクセス権を持つ会員だけの為に」

「あたしが高槻君の部屋で『タナトスの使徒』の殺人動画を見た時と似てる」

「うん、同じシステムかも」

「でも『タナトスの使徒』の管理人は、あの志賀って男の筈です。もう死んだのに……更新も止まってたのに、誰が?」

「十年前に消えた元凶がいるでしょう。志賀の死で、自分の手を汚すしか無くなったんじゃない?」

 臨は息を呑んだ。

 生死も定かで無い過去の快楽殺人犯=隅亮二の存在が、彼女の中で大きく膨らんでいく。
 
 そして、臨達が言葉を交わす間にも画面の映像は流れていた。

 二人分の死体による血肉のモニュメントの傍ら、引きずられ、転がされる守人へスポットライトが移動し、照らす。
 
 視点が目まぐるしく揺れ動いている所を見ると、襲撃者の仮面に内蔵されたビデオカメラの映像と思われるが、途中で素早く切り替わった。

 木の枝に照明器具と一緒に固定されているカメラの映像となり、仮面の男に抗う守人が少し引いた俯瞰の視点で現れる。

 微かに二人の会話が聞こえた。

 動画からではなく、守人の手に握られたままのスマホが音声を拾い、臨の電話へ届けているのだ。

「統合を受け入れろ。私に喰われて、一つになれ」

「嫌だっ!」

 死に物狂いで仮面の男に組み付く守人が、殴られ、地に伏せる様子が映る。

 逃げて。

 逃げて。
 
 臨には、そう呟き続ける事しかできない。
 
「あなたは、隅亮二博士ですか?」

 晶子は電話に口を寄せ、赤い仮面の男へ呼びかけた。

 その声は届いたのだろうか?

 男は守人のスマホを奪い、ノイズ交じりの声で笑った。

「十年以上前に消息を絶ちながら、何故、今になって殺人を繰り返し、その若者を追いつめるのですか?」

 答えの代りに赤い仮面の男は電話を投げ捨て、蹲った守人へ金槌を振り上げる。
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