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CURTAIN CALL 3

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 12月半ばの陸奥大学・青葉山キャンパスは大学祭が終わり、後期日程を飾るイベントも一段落。27日から始まる冬休み前の慌ただしい時期だ。

 昼の学食など、いつもに増して学生達で埋まっている。

 クリスマスやら、冬のバカンスやら、何かとお金が入用な頃合いであり、殆どの学生にランチで凝る余裕は無い。勢い、安い学内食堂が大流行りとなるのだ。

 一月半ばからの後期試験も控えている分、単位ギリギリの学生には夏休み後のようなノンビリした気配は無い。

 そんな中、一つのテーブルを囲む学生四人の周囲には一味違う穏やかな安堵の気配が漂っていた。





 ソースかつ丼の大盛りにきつねうどん、焼きそばパンも添えた伊東正雄が、せわしなく口へ放り込みつつ、正面で手作り弁当を広げる友へ話しかける。

「ま、色々あったけど、年明け前に大学へ戻れて良かったやないか、守人」

 以前と同じ、繊細で気の弱そうな笑みを守人は浮かべ、隣の席に座る臨がさり気なく彼の様子を伺った。

「ねぇ、結局、どれくらい拘置所にいたの?」

 正雄の隣で、ミックスフライにアボガドサラダがつくB定食へ箸をつけつつ、文恵が訊く。

「大体、一月半くらいかな?」

「おつとめ、ごくろ~さんでした」

「もう、からかわないの!」

 正雄の肩口をぴしゃりと叩く文恵の声に、心なしか甘い感触がある。命がけの攻防をラボで共にして以来、二人の関係に若干の変化が生じたようだ。

「それにしても拘置所生活、長かったよなぁ」

「宮城や福島で起きた連続殺人は来栖先生が犯人と判って、一時は大学の中も大騒ぎだったけどさ。落ち着いてからも高槻君、しばらく戻ってこれなかったもんね」

「ホント……長かった」

 呟く臨に守人が答え、

「仕方ないよ。連続殺人じゃ無実としても、僕は……僕の中にいたもう一人は、五十嵐さんと富岡刑事を刺しているんだ。そっちは間違いなく有罪だから」

 言い終えて溜息をつく。

 拘置されていた期間は、彼にとって相当に辛い時間であったらしい。
 
「でも、それもお咎めなしになったんでしょ?」

 文恵の問いは、質問と言うより励ますニュアンスが強い。

「お咎めなしと言うのも違う。僕、いわば紐付きの監視対象なんだよ」

 又、守人は溜息をつき、正雄まで少し心配そうな表情になる。

「お前、今はすっかり元通りに見えるけど、一時はその……何ちゅうか、お前の中のもう一人と気持ちが混ざり合って、別人みたいになったんやろ?」

「うん、僕と別人格の間で統合ってのが起きた筈なんだけど、自分では何とも……」

「別の人格は昔、隅って奴につけられた心的外傷が原因なんだよね。だったら、もうトラウマごと治癒したって事じゃないの?」

 文恵が思案顔で言った。

「心の傷が治るのと一緒に、おっかない人格も消えたってか?」

「その説明が、僕の中では一番しっくり来る。何せ、事件中の記憶が、その……」

 戸惑い気味の守人に代わり、臨が答えた。

「仙台市郊外のホテルで『赤い影』一味に捕まった後の事、殆ど忘れてしまったのよ、高槻君」

「また?」

「子供の時に起きたのと同じ、解離性健忘と警察病院のお医者さんは診断した。全部忘れちゃった訳じゃなく、部分的には残ってるみたいだけど」

 臨の言葉を、守人は何処か他人事のような表情で聞いていた。事件全体について現実と思えない感覚があるらしく、解離性健忘の診断は間違っていないと臨も思う。

「だったらさ、あの日、あたしと伊藤君、笠松さんが赤い仮面の奴らに囲まれた時、助けてくれた記憶も無いの?」

 文恵の問いに、守人は首を傾げる。

「それ、『タナトスの使徒』のメンバーに僕がパソコンを使って命令し、言う事を聞かせたって奴だよね」

「そうそう」

「その時、富岡って刑事さんに後で事情を話すと約束したそうだし、他の警察の人にも質問された事なんだけど」

「やっぱり、思い出せないンだ?」

「知っていた筈の事情、みんな忘れてしまったみたい」

「ん~、そりゃちょっと都合良過ぎる感じやな。警察だって見張りたいやろ、まだ当分の間は」

「何で?」

「だって今の守人は覚えてなくても、守人の中にいる危ない奴、もう一人ってのが目ぇ覚ましたら」

「トラウマと一緒に消えたんじゃないの?」

「だから、もしもの話よ。一度命令できたんだからな。又、インターネットのサイトを使って、数も居場所も良く判らん物騒な奴らを動かせるかも、って事やろ?」

 臨は、二人に『タナトスの使徒』のHP自体が閉鎖された現状を説明したが、それで全ての不安が解消された訳ではない。

 表層のネット空間におけるHPは確かに無くなったが、ダークウェブ版のサイトには手を付けられないままだ。

 多国間に跨る問題である為、日本警察には単独で干渉する権限が無く、FBIでも動かない限り、こっそり生き延びて、いずれ活動を再開するかもしれない。

「僕はもう誰にも操られない自信、あるけど……」

 自信があると言う割に守人は俯きっぱなしで、むしろ事件の前より弱気な雰囲気が漂っている。

「まぁ、良いじゃない。来栖先生が犯人で世間的には一件落着。高槻君の事なんてスクープ狙いの週刊誌さえ取り上げてないんだもん」

「そや、誰も気にしとらん。匂わない透かしっ屁みたいなもんや」

 あまりフォローになっていない言葉で、正雄と文恵は彼らなりに守人を励まそうとしているらしい。

「オシャカにした大学生活三月分、これから取り返せや」

「それが……出席日数ヤバいし、後期試験でよほどいい点とらないと、僕は……」

「留年?」

「お前さ、入試の成績が凄くて実はムチャクチャ頭が良いの、隠してるんじゃなかったっけ?」

「それ、もう一人の人格が消えるとパーだから」

「パー?」

 情けなさそうに守人は頷く。

「何かとうまくいかんなぁ、その弁当にせよ、前よりまずそうやし、料理の腕まで落ちたんと違う?」

「あ、それは……」

「今日はあたしが作ったんですけど、何か?」

 臨が上目遣いで正雄を睨む。

「え? 能代さん、そんな料理がアレだったの?」

「……アレって何?」

 臨が弁当箱の中を見下ろすと、確かに卵焼きが焦げ気味で、おにぎりの形も不揃い。タコさんウィンナーなど限りなくヒトデに近く、見た目の良さと程遠い。

 およそ料理などやった事がない自分の腕前を改めて自覚し、落ち込む臨を見兼ねて、文恵が正雄の胸をチョコンと肘で突っついた。

「まぁ、ドンマイ、やな。じゃ、俺と姉さんはちょい野暮用があるから」

「あ、もしかしてクリスマスの予定を二人で立てるとか?」

 同時に立ち上がる正雄と文恵を、臨がからかう。

「言っときますけど、私は、この大阪から来た太閤殿下と付き合う気なんか有りませんから、今の所」

「姉さん、そりゃつれないわ」

「だから、その姉さん、止めろって何度言ったら……」

 じゃれ合いながら学食を出て行く二人を見送り、臨は内心うらやましいと思った。

 一度は近づいた守人との距離が、今は遠く感じる。

 警察に拘留され、解放された後の彼は、出会った頃の引っ込み思案で人見知りな彼に戻ってしまっていた。

 事件中は以前の守人を取り戻す事が目標だったのに、いざそうなると危険な香りを撒き散らす守人とも会ってみたくなる。

 あの『赤い影』だった守人と。

 これも来栖晶子が長い時間を掛けて仕込んだと言う臨への暗示が、未だ効果を残している証しなのだろうか?
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