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CURTAIN CALL 4
しおりを挟む「高槻君、これからどうする?」
学食を出て、キャンパスを歩き始めた臨が守人へ訊ねる。
「午後はロシア文学史の講義があるんだ」
「あたし、今日はもう講義が無いから、途中まで一緒に行こうか?」
頷いて守人は少し先を行く。
二人になると、特に話す事も無い。
元々、学部も違うし、接点など無かった二人だ。このまま自然に距離が離れて、ろくに会う事も無くなるのが自然な成り行きだろう。
寂しさの棘がふと臨の胸を刺したが……いや、違う、と思い返す。
前を行く守人の背中を見つめる内、臨にとってどうしても無視できない気掛かりが疼き出した。
それは半月前、昏睡から意識を回復した五十嵐との面会が許可され、連絡をくれた富岡と一緒に、入院している病院を訪ねた時の事である。
「実はな、嬢ちゃん、わしがマンションで高槻に刺された日、あんたに話したかったのはパスワードや隅の生死に関する情報だけじゃない。本命のネタは別にあったのよ」
五十嵐は、セキュリティ上の配慮からVIP用の個室へ入れられており、ベッドで身を起こした顔は頬がすっかりこけていた。富岡と一緒でなければ、臨も見舞いになど来られない状況だ。
「FBIでの研修時代、隅は美術館へ行くと言いながら、実際はアメリカの心理学研究施設を訪ね歩いていた」
「確か、1990年代初めの事でしたっけ?」
「ああ、当時、わしゃ奴と同じ寮で暮らし、とんでもない顔の広さ、人脈を見せつけられておったが……なぁ、嬢ちゃん、非国家アクターって聞いた事あるか?」
「確かNGOとかを指す言葉ですよね」
「いや、もっとずっと幅広い概念じゃ。世界を股にかける大規模な法人主体の内、国家を除外した物と考えれば大体、正しい。中には巨大な利益を生む為に手段を選ばない奴らがおってな。若き日の奴は、そこへ目を……」
熱が籠ってきた矢先、五十嵐は咳き込んだ。体力の低下が激しく、まだ長い会話が辛い様だ。
見兼ねた様子の富岡が代りに口を開く。
「隅亮二が生前に行っていた幾つかの試みは、どれも金が掛かるだろ。サイコパスのコミュニティ、豪勢な診療所を作り上げた事、広く各地から患者を集めて回った事」
「あたしが監禁された屋敷も立派な造りでしたし」
「あの洋館は古くからある施設を隅が買い、患者の保養所として使っていたそうだ。隅も資産家だったが、それにしても金回りが良過ぎるよな。つまり……」
少し気力が戻った様子の五十嵐が、富岡の話へ割り込んだ。
「奴に資金援助していた賛同者がおるんじゃ。わしは隅がダークウェブを介し、クラウドファンディングへ挑んでいた事実を掴んだ」
「クラウドファンディング?」
「やや神経質な傾向はあるものの、穏やかで安定した少年の心に、強いトラウマを契機とする特殊な解離性人格障害が発生した事例……」
「幼い高槻君が殺人を目撃した件ですね」
「隅にとっても偶然遭遇した稀有な状況だったが、奴は解離した人格をシリアルキラーへ育て上げる実験の資金提供を呼び掛けた」
「つまり、人体実験の告知!?」
「呼びかけが行われた所までは確かじゃよ。実際、資金提供を検討したアメリカの研究者に、わしは直接話を聞いたからな」
臨は絶句した。
心理学の進化の過程で、被験者が残酷な実験に晒された不幸な過去は確かにある。しかし、それは許されざる行為として永遠に葬り去られた筈なのに。
「本音じゃリスクのある人体実験を行いたいと考える学者、研究機関は幾らでもあるじゃろう。路を踏み外した例も枚挙に暇がない。1971年にアメリカ・スタンフォード大学で行われた模擬監獄の実験とかな」
「でも21世紀の今、そんな酷い真似は……」
「確かにアメリカ心理学協会は1972年に一切の人体実験を禁止した。だが、強い探求心は常に暗い誘惑へ晒されるもんじゃ」
来栖晶子の怜悧な美貌が、ふと臨の脳裏に浮かんだ。
恩師である隅亮二への愛情が最大の動機だとして、犯罪心理学者としての彼女が、特異な実験の行く末へ強い好奇心を抱いていたのも又、事実だろう。
晶子は、本来の意味でのサイコパスではない。
だが、世界で繰り広げられる凶悪犯罪はサイコパス以外の手で行われる方が遥かに多く、何らかの欲望、情熱に駆り立てられる『普通の人』は時にサイコパスより恐ろしい。
学者達の学術的興味も又、行き過ぎれば十分に狂気の範疇へ入りうるのかもしれない。
「2014年、ニュージーランドで計画され、実施寸前で中止になった実験など、その典型でしょうね」
「六万人もの人間を調査対象にし、幼少時から暴力に晒されてトラウマを蓄積させた人間がどれ位の確率で凶悪犯罪を犯すか、調べようとした件じゃな」
富岡が渋面で頷いた。
「調査結果の精度を高めるというだけの理由で、公的機関へ子供の虐待が報告された場合にも何ら対処せず、つまり見殺しにした上、追跡調査のみ続行すると言う方針が決まりかけたんだよ」
えっ、と思わず声を上げた臨に、富岡が苦笑し、
「実際、無茶苦茶だよな。でも殺人のハードルを下げるニーズは、徴兵に窮する紛争多発地帯で常に存在し、今は認知戦と言う、更に有望な市場も生じている」
「認知戦? それ、何です?」
「国際紛争に於いて、陸、海、空、宇宙、サイバー空間に続き、人間の脳が第六の戦場になるって話、聞いた事あるかい?」
臨が首を横に振ると、富岡がいつもの呑気な口調で言葉を継ぐ。しかし、その内容は物騒極まりない。
「認知戦の定義は難しいんだけど、対象に意識させる事無く、精神の形を歪め、最終的に支配するのが主な目的と言って良い。しかも、それは自国の世論操作にも有効でさ」
その後、富岡は具体的な認知戦の手口を幾つか紹介した。
端的にまとめるなら、マスコミ支配、有力なインフルエンサーの確保、匿名投稿者によるネットの情報操作など、複数の手段を組み合わせて、敵国、或いは自国に於ける世論の風向きを変える心理学上のノウハウが存在するのだと言う。
その実行の際、国家予算レベルの金が動く事さえ有り得る。だとすれば、人間の精神を操る技術は莫大な利益を生む訳だ。
勿論、非人道的な研究開発を行わないのが民主国家の建前だから、其々の国家機関と密接な関係を保つ非国家アクターが代行する仕組みらしいが……
「そいつらへ隅は近づいたんですね」
「巨額の投資者を隅は己の研究の為に利用し、投資者も又、隅の遺産を活用しようと企んだ。どちらの罪が重いかは兎に角、わしは投資した連中こそ今回の真犯人……少なくとも責任を負うべき輩だと思っとる」
インターネットに潜む、文字通りの黒幕。
血塗られた『SHOW』を呼び水に、一人一人の心の闇を果てしないネットワークが結び、世界に跨る巨大な力が監視、支配していく。
それを世界の構図と呼ぶなら、余りにも暗く、出口の見えない迷宮の深淵へ彷徨いこんでいるのに等しい。
想像を超える五十嵐の推理に臨が当惑していると、富岡がポツリと言った。
「それに笠松君達が大学で襲撃を受けた時、素顔の『隅』がライブ動画で現れたって話、あれも不気味なんだよね」
「それ、あたしも文恵に聞きました。でも、襲ってきた奴らはお祭り騒ぎのハイテンションだったから、誰かネットで悪戯したんじゃないかと」
「例えば、ディープフェイクの類と増田さんは考えた訳か?」
「はい」
「だが、伊東君の証言によると、悪戯にしてはリアル過ぎ、画面の『隅』が見せた邪悪さは他の連中と段違いだったらしい」
「つまり、本物?」
「福島で爆発、炎上した施設から来栖晶子ともう一人分の遺体が回収された。かなり痛んでいたが、だいぶ前に亡くなったらしいと言う点は検死で確認してる」
「わしゃ、そっちが本物の隅だと思っとるよ」
「じゃ……笠松さんや文恵がパソコンの画面で見た『隅』は幽霊?」
溜らず臨が顔を顰める。
彼女も又、あの『イベント』の場で、動画ウィンドウに現れた『隅』の顔を垣間見ているのだ。
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