最強Fランク冒険者の気ままな辺境生活?

紅月シン

文字の大きさ
表紙へ
3 / 48
1巻

1-3

しおりを挟む
『が、あっ……!? 死ぬ……我が死ぬ……!? そんな、馬鹿なことが……馬鹿なぁ……!?』

 そんな叫びを残しながら、魔物の声は途絶とだえた。
 真っ二つにされながらも僅かに動こうとしていた身体も、最早微動だにしない。
 そしてそんなものに挟まれながら、ロイは振り向いた。

「さて……終わったみたいだし、アモールの花を採って、帰ろうか」

 何事もなかったかのように微笑む少年に、セリアは咄嗟とっさに言葉を返せなかった。
 この少年は、一体何者なのか――そんなことを思いながら、セリアはただ呆然と、ロイの姿を眺め続けるのであった。


 ◆◆◆


 その日の昼過ぎ、冒険者ギルドの建物に一人の少年が入ってきた。
 その瞬間、数人の視線が集中し、ギルドに流れる空気の質が僅かに変わった。
 少年に注目した一人でもある冒険者のフルールが、グレン達の隣でポツリと呟き、驚愕を滲ませる。

「……本当に無事に帰ってきたっすね」

 グレン達はそら見たことかと、ただ肩をすくめて返すのみ。
 フルールは何も言えずに、その少年――ロイの姿をジッと見つめた。
 だがそんな視線に気付いていないのか、ロイは周囲を気にもせず、まっすぐに受付へと向かっていく。
 一緒に出て行った少女の姿が見えないが、彼女は冒険者ではなくて、ただの依頼者である。ギルドに足を運ぶ理由はない。
 さて、ロイが向かった先にいるのは、今朝応対した女性だ。
 ロイがこの場に現れたということが何を意味するかを理解していないわけがないだろうに、女性の顔に動揺の一つも見当たらないのはさすがである。
 いつも通りの笑みを浮かべたまま、彼女は口を開く。

「いらっしゃいませ、ロイさん。どうされましたか? あなたが今回お受けなさった依頼は、ギルドを介していませんから、結果を報告する義務はありませんけれど……」
「ああ、いえ、その件ではなくてですね……いえ、まったく無関係ってわけでもないんですが、ちょっと鑑定をお願い出来ないかと思いまして」
「鑑定、ですか?」

 冒険者がギルドに鑑定を依頼するのは、日常的な光景の一つである。
 依頼の途中で珍しそうなものを見つけたり、拾ったりすることは、割とよくあるからだ。
 高価な品は滅多めったに出ないが、鑑定に必要な料金は安いため、もし価値があればもうけもの、といった感覚で頼む者も多い。
 他にも、珍しい魔物を倒した時などにも利用されるが、こちらは大分まれである。
 そもそも、そんな魔物に遭遇する機会など、ほぼ存在しないからだ。
 あるとすれば、Aランクの冒険者が未踏みとうの地に行った時くらいで、Aランク冒険者のフルールもまだ経験したことはない。
 だから普通に考えればこの場合の鑑定とは前者を意味するのだが……受付の女性はまるで何かを予感しているかのように、僅かに表情を硬くした。

「……分かりました。どちらを鑑定なさりたいのでしょうか?」
「これなんですが――」

 そう言ってロイが腰にくくり付けられた袋から取り出したのは、一見すると〝よく分からない何か〟としか表現しようがないものであった。
 色は白に近く、太さはロイの腕とほぼ同じくらいで、長さも同様。
 先端がするどとがっているので、一瞬武器か何かのようにも思えたが――

「……あれってまさか、爪っすか?」
「だろうな。一瞬牙かとも思ったが、牙にしちゃ形状がおかしい。ともかく、あれが爪だとすっと……持ち主はどれだけでけえやつなんだ……」
「あれを見るだけでも、相当に強い魔物だろうと予測できるわねー」

 そんな会話をフルール達が交わしている間に、受付の女性もそれが何なのか気付いたようだ。
 相変わらず笑みを浮かべたままだが、口元は僅かに引きつっている。

「これは、爪、でしょうか? これほどの大きさのものは私も初めて目にしましたけれど……」
「そうなんですか? 確かに図体ずうたいは無駄に大きかったですが……」
「無駄に大きい、ですか……もしよろしければ、どんな魔物だったのかをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「別にいいですが……見た目自体は普通でしたよ? 虎みたいな感じでしたね」
「虎のような魔物ですか……なるほど、確かにそれだけでは珍しいとは言えませんね」
「ええ、それで大きさは……そうですね。全高で二十メートルくらいだったでしょうか」
「なるほど、二十メートル……二十メートル?」

 女性は同じ言葉を繰り返しながら、思わず、といった様子でロイを二度見していた。
 どんな時でも笑みをやさないこの女性があそこまであからさまに動揺を見せるなど、相当珍しい。
 受付でのやり取りを見て、フルール達が苦笑する。

「まあ、ああなるのは分かるっすけど……」
「あの爪の大きさからすりゃ、そのくらいはあんだろうって推測は出来るがな……」
「あの娘も予想は出来ていたと思うけど、実際にその大きさを言われたら、平静ではいられなかったんでしょうねー」

 それでも、すぐに取りつくろった笑みを浮かべたのはさすがプロといったところか。
 とはいえ、動揺は明らかで、傍目はためにも目が泳いでいた。それでも彼女は、何とかさらなる情報を得ようと会話を続ける。

「ええと……他には何かありませんでしょうか?」
「他、と言われましても、割とあっさり倒せちゃったので、相手の攻撃方法とかもろくに分かりませんでした。……何かあったかなぁ」
「二十メートルの魔物を……あっさりと……?」

 いよいよ受付の女性の笑みが顔からがれつつあるが、仕方があるまい。
 ギルドの受付職員は冒険者のようには戦えないが、色々な情報を知っている。だからこそ、少年がどれだけ非常識なことを言っているのか、余計に分かるのだろう。
 だが、それすらどうでもよくなるような言葉を、ロイが呟く。

「うーん、他には何か……ああそういえば、西方の支配者とか言ってたけど……。いや、どうせただの自称だろうしなぁ。魔物の特徴を説明するのに役には立たないか」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってください。西方の支配者って……いえ、それよりも……まさか、その魔物は〝喋った〟んですか? 人の言葉を?」
「え? あ、はい。僕は魔物の言葉なんて分かりませんしね」

 平然とそう口にしたロイの言葉を聞き、ついに女性の顔から笑みが消えた。
 彼女の反応は当然のものであった。むしろ叫ばなかっただけマシとすら言える。
 女性は隣にいた同僚と顔を見合わせ、真顔で頷き合う。
 支部長あたりに報告するつもりか、そのまま同僚の女性は席を立ち、奥へと向かった。
 既に受付職員だけで判断出来るレベルではない。

「……その可能性は高いって思っていたっすけど……実際に聞くと、中々の衝撃を受けるっすね」

 受付でのやり取りを見てあきれ笑いを浮かべるフルールに、グレンが頷く。

「まあな。つーか、さっき言ったこと、訂正するぜ」
「え?」
「やっぱ驚かねえなんてことはねえわ」
「ああ……まあ、そっすね」

 西方の支配者の名は、フルールにも聞き覚えがあった。
 魔の大森林を支配しているとされているモノだが、その実在は疑われてもいた。
 何しろ、誰もその姿を目にしたことがないからだ。声だけは聞いたという者がいて、その時に〝西方の支配者〟を名乗っていたという話から、そういった噂が流れてはいたのだが――

「……実在したんすね、西方の支配者」
「あら、素直に信じるのねー? 彼が嘘を言っているかもしれないわよー?」
「いや、さすがにあんなの見ちゃったら信じる以外ないじゃないっすか」

 あの爪には、はっきりとした力の残滓ざんしがあった。それも、持ち主がどれほど強大だったか分かるほどに強烈きょうれつなものが。
 さらに、喋ったというのもポイントの一つだ。
 確かに、魔物の中には知能が高いものもいるが、人語を操る存在として明確に知られているのは一体――魔王だけであった。
 そして噂によれば、西方の支配者はその魔王と同格だとされている。

「っと、買取り所の方に移動するっぽいっすね」

 フルールはロイ達の動きを目で追いながら会話を続ける。

「まあ、持ち帰った素材があの爪だけっていうことはないでしょうからねー」
「ギルドとしちゃ、他の素材を逃がしたくはねえはずだ。かといって、あの場で広げられても困るだろうしな」
「とはいえ、あっちも早速大変なことになってるみたいだけどー?」

 見ると、買取り所に先回りしていた支部長が、次々と出される品を見て慌てふためいていた。

「あ、ついに完全に真顔になったっす。驚きが振り切れたっすかね?」

 買取り所でも駄目だと判断されたのか、ロイはそのままギルドの奥へと連れて行かれた。
 おそらくは応接室にでも行ったのだろう。
 フルール達のパーティーも、依頼を受ける時には必ず行く場所だ。
 要するに、ロイも〝そういう〟扱いになった、ということである。
 まあ、そんなの、あの爪を出した時点で分かるだろうに……と、そこまで考えたところで、ふとフルールはある事実に思い当たった。

「……そういえば、あの人『魔法まほうかばん』持ってるんすね」

 爪のインパクトのせいで自然に流していたが、彼が次々と出す素材達は、腰に括りつけている袋に入る大きさと量ではない。
 ならば、あの袋はまず間違いなく魔法の鞄と呼ばれている魔導具だ。
 見た目の数十倍の物を入れることが出来る便利なもので、大体Cランク以上の冒険者には必須とされる。しかし、相応の値段がするため、逆に言えば、それより下のランクでは手が出せない。
 駆け出しのFランクだというのならば、手に入れようとすら思わないだろう。
 そんな品を持っているということは、誰かが入れ知恵した可能性が高い。

「……グレンさんが教えたんすか?」
「……何でそう思うんだ?」
「なんか、あの人がここにきた時から知ってるっぽいこと言ってたっすからね」

 グレンは何も応えなかったが、否定もしなかった。
 とはいえ、もしそうだとしても、フルールに驚きはない。グレンはこう見えて面倒見が良いところがあるのを知っているからだ。
 彼が駆け出し冒険者のロイに、それとなく何か助言していても不思議はない。
 ……そんなことを考えるフルールに、何故かグレンがにやりと笑いかけた。

「な、なんすか……?」
「いやなに、これからはテメエも大変だろうと思ってな」
「確かにそうねー」

 グレンとアニエスが意地悪な笑みを浮かべる。

「……どういう意味っすか、それ?」
「何でだかは知らねえが、アイツはどうも自分の力ってのを理解してないらしくてな」
「ええ。いいところEランク程度の力しかないと思ってるらしいのよねー」
「……何すかそれ? 一体何がどうなったらそんなことになるんすか?」

 西方の支配者がどれだけの力を持っていたのかはフルールにも分からない。だが少なくとも、マッドベアーよりも弱いわけはないだろう。
 そんな相手にあっさり勝ったらしいというのに、どうしてEランク程度の力しかないなどと思えるのか。

「さあな。ま、何か事情があるんだろうが、冒険者やってる以上は当たり前だ。で、どんな事情があろうが、アイツがそう思ってるってのは事実だ」
「そして……私達のランクはー?」
「そりゃ、Aっすけど……って、まさか……?」

 そこでフルールは、グレンがあの少年に対してどんな態度を取っていたか思い出した。
 グレンは確かに普段から粗暴そぼうな言動が多いが、何の理由もなく他人を見下すような人物ではない。
 そして、彼のロイへの接し方は、一般的なAランクの冒険者がFランクの冒険者に取る態度としては決しておかしなものではなかった。
 つまり……あえてそういう態度を取っていたとしたら……

「……もしかして、あちしにもあんな態度取れってことっすか?」

 思わずほおを引きつらせるフルール。

「オレ達Aランクには相応の態度が求められるってのは、いつものことだろ?」
「それは周囲の目を気にしろって意味であって、横柄おうへいな態度を取れって話じゃないと思うんすけど……」
「求められている態度という意味では、大差ないでしょうー?」
「絶対違うと思うっす……」

 ランクはともかく、間違いなく自分を上回る力を持つ人物に対して、偉そうに振る舞うなど、フルールには出来る気がしなかった。

「ていうか……結局あの人は何者なんすか?」
「ふふ……もしかしたら、噂の勇者様かもしれないわよー?」
「冗談になってないっすよ……」

 勇者がどんな人物であるかは、一般にはまるで知られていない。容姿や年齢はおろか、名前すら分かってはいないのだ。
 ただ物凄い力を持っていて、魔王を倒して世界を平和に導いたということのみが伝わっている。
 そしてあの少年は、魔王に匹敵するかもしれない存在を倒したらしい。
 勇者だと言われて、否定する理由はなかった。

「ま、勇者はどっかからふらっと現れたって話だし、アイツもつい一週間前にふらっとここに現れやがったんだ。本当にそうなのかもしれねえぜ?」
「だから冗談になってないっすって……」

 そんなことを言いながら、彼らは遠ざかるロイの背中を見つめる。
 彼が何者であれ、あの調子では、何事もなく平穏な日々を過ごすということはあるまい。
 そしてその影響が自分達にも降り注いでくる可能性は高そうである。
 果たしてこの先どんな運命が待ち受けているのか。
 それを想像して、フルールは思わず溜息を吐き出すのであった。



 第二章 薬の真実



 青く晴れ渡った空を眺めながら、男はこみ上げてきた欠伸あくびころした。
 心地ここちのよい陽気に、遠くから届く僅かな喧騒。
 平和で、のどかで……その男の望みとは程遠いところにあるはずの光景であった。

「ちっ……暇すぎんだろ、ったく。人類の最前線とも呼ばれるような場所で、俺は一体何してんだかな……」

 ぼやいても現状が変わるわけではない。
 背後にある家の扉に寄りかかりながら何となくその場を見回すものの、人の流れは皆無である。
 とはいえ、場所を考えれば当然とも言える。
 基本的には常に熱病に浮かされたかのような喧騒の中にあるルーメンではあるが、その中心となっているのは街の大通りだ。
 西門と東門を一直線に繋ぐ道と、これと直角に交わる、北門と南門をつなぐ道。街の中央を走っているその二つの大通りが、ここで最も賑わいのある場所だ。
 そして、そこから離れるごとに、喧騒は少しずつ遠ざかっていく。
 路地裏を一本中に入るくらいならばまだしも、奥まった場所にまで行けば、さすがに静かになる。
 その代わりとばかりに、後ろ暗い連中が集まるようになったりはするが。
 あとは、冒険者達が利用する宿が密集している住宅街に関しても、例外的に喧騒からは遠い。
 いくら荒くれ者達でも、休んでいるそばで騒がれたらさすがに腹を立てるというものだ。
 そして、男がいるこの場所は、住宅街かつ路地裏の奥まった場所にあった。

「ルーメンとは思えないくらいに静まり返ってやがる。本当に退屈にも程がある場所だぜ、ここは」

 静寂せいじゃくと平穏を望む者にとっては良い場所なのかもしれないが、そもそもそんなものを望む人物がこの街に来るかという話でもある。少なくとも、男は御免ごめんであった。

「つっても、依頼を受けちまってる以上は勝手に抜け出すわけにもいかねえしな。ったく、面倒な話だ」

 依頼を受けた当初は、物珍しさからこういうのも面白いと思ったし、楽で良いと思ってもいたのだが、そんな感情は三日もすれば尽きた。今はどうにか暇潰しになるようなことを探している有様ありさまで、このまま手に持つ槍ごとちていくのではないかと想像し、男は溜息を吐き出した。

「シャレにならないぜ。これじゃ腕がなまる一方だし、一度魔の大森林にでも行かせてもらうかね? どうせ、まだ何かが起こるようなことはねえだろうしな。……とはいえ、それには俺の代わりを見つけてくる必要があるのか。本当に面倒な話だぜ……。いっそ、そこら辺から魔物でも飛び出してきてくれれば面白いんだがな」

 しかし、生憎そんなことは起こりえない。
 ここは辺境の地にして人類の最前線、魔境とも呼ばれるルーメンだ。簡単に街に魔物の侵入を許すはずがない。

「ま、もし魔物が出たところで、臨時収入だとばかりにあっという間に狩られるだけだろうしな。……いや、この辺りならそうとも限らねえが、人も少ない分大した混乱にはならねえかもな」

 それはそれでつまらないと、襲ってきた眠気に再び欠伸を噛み殺す。
 その時、男の優れた聴覚が、足音を捉えた。
 しかも、その者は歩いているわけではなく、走っているようだ。荒い息も聞こえ、大分急いでいるらしい。
 何か面白いことでもあったのかと、男は音が聞こえる方へと視線を向け……目を細めた。
 遠目に見えたその人影に、見覚えがあったからだ。
 誰かに追われている様子などなく、その人物――桃色の髪を持つ少女は、男の姿を捉えるとパッと顔を輝かせる。
 そのまま速度を緩めずに、男から数歩分離れたところまで来てようやく足を止めた。
 彼女は呼吸を整える間も惜しいとばかりに口を開く。

「あ、あのっ! お、お医者様はいらっしゃいますか!?」

 この少女が今朝もここを訪れ、後ろの家にいる医者に何を言われたのかは、男も知っている。
 それがこうして再び来たということは……アレが用意出来たとでもいうのだろうか。一瞬そう考えて、男はまさかとかぶりを振る。

「あー、まあ、いるっちゃあいるが……どうした? 嬢ちゃんは確か、今朝も来たよな?」
「あ、は、はいっ。その……その時にお医者様に必要だって言われたものを、何とか用意することが出来たんですが……」
「……へえ?」

 ここで彼女が嘘をく理由はない。ということは、本当に用意出来たのか。
 ――絶対不可能だと思っていたのだが……用意出来たというのならば、それはそれで〝あり〟だ。
 男は自然と口元が緩みそうになるのを何とかこらえ、気の毒そうな顔を作って口を開く。

「そうか……そりゃよかったな。だが生憎今は忙しくてな。手が放せねえんだとよ」
「えっ……そうなんですか?」
「ああ。明日の朝になればさすがに大丈夫だと思うんだがな……」
「そう、ですか……分かりました。では、明日の朝に、また来ます」
「おう。一応後で嬢ちゃんが来たことは伝えといてやるからよ」
「はい、ありがとうございます。……それでは」

 希望に満ちた顔から一転、落胆らくたんあらわにする少女は、男に背を向けるとそのままとぼとぼと歩き出した。
 男は少女を見送り続け……その姿が見えなくなった瞬間、背後の扉を振り返る。

「はっ……暇で仕方ねえって思ってたが……どうやらようやく暇じゃなくなりそうだな」

 男は扉へと手を伸ばしながら、唇の端を吊り上げる。
 眠気はもうすっかり飛んでいた。
 上機嫌な男は狭くて散らかった室内に、無造作むぞうさに足を踏み入れる。
 誰の姿もなかったが、彼は構わずそのまま奥の部屋へと入っていく。
 そこには、四十代から五十代といったところの、初老の男の姿があった。
 訪問者に気付いた初老の男が軽く目を見張みはる中、表にいた冒険者の男は気楽な調子で声をかけた。

「おう、邪魔するぜ」
「おや……どうしたのですかな? あなたがここに来るのは随分珍しいですが、何かありましたかな?」

 この初老の男が、先ほどの少女が言っていた〝医者〟である。
 だが、別に忙しそうではない。
 手元の様子などから考えるに調合か何かをしていたようだが、少なくとも手を放せないほど忙しいということはなさそうだ。
 しかしそれも当然だ。冒険者の男は嘘をついて少女を追い返したのだから。
 彼は楽しげに口元をゆがめ、首を傾げる医者に告げる。

「ああ、あったぜ。飛び切りのがな。……さっき、今朝の嬢ちゃんが来たぜ」
「――っ!?」

 それを聞き、医者は驚愕の表情を浮かべて立ち上がった。
 勢いよく立ち上がったため、手元にあった容器やら何やらがその場にぶちまけられたが、彼がそれを気にしている様子はない。

「それは……もしやっ!?」
「あの嬢ちゃんはこう言ってたぜ。必要だって言われたもんを、何とか用意することが出来た、ってな」

 その瞬間、医者の顔が歓喜で彩られる。
 待ちに待った瞬間が訪れたとでも言わんばかりの様子で、彼は満面の笑みを浮かべる。

「そうですか……そうですか! まさか本当に用意出来るとは思いませんでしたが……しかしこれで何とかなりそうですな」
「ああ。これでようやく、俺の退屈な日々も終わるってわけだ。ま、さすがにすぐにってわけにゃいかねえだろうけど……なに、ここまできたら、あと少しくらいは誤差だろうよ」

 冒険者の男の言葉に、医者は笑みを浮かべたまま頷く。
 まるで何かを噛み締めるような、達成感の滲む息を吐き出した。

「ええ、そうですな……本当にようやくですな。そういえば、彼女はどうしたのですかな?」
「あん? そりゃ忙しいっつって追い返したさ。色々準備とかもいるんだろ?」
「おお、さすがですな。ええ、本当に持ってくるとは思っていませんでしたからな……」
「明日の朝なら大丈夫だっつっといたが、問題ねえよな?」
「ええ、それまでに準備も終わるでしょう」

 となれば、自分もそろそろ準備を進めるべきか……冒険者の男がそんなことを考えていると、ふと医者が首を傾げた。

「それにしても、今更ですが、あなたも物好きですな。せっかくBランクにまで上り詰めたというのに」
「……なに、面白そうだと思ったから乗っただけさ。そもそも、俺は最初からやりたいことをやってただけで、そうしてるうちに勝手にランクが上がってったっつーわけだ。だいたい、それを言ったら、テメエもだろ」
「確かに。まあ、望むところは一緒なのですから、もう少し共に頑張るといたしましょうか」

 医者の言葉に異論はなかったので、冒険者の男は肩をすくめて返す。
 だが、出来るならば――

「……障害とかあった方が、個人的には好みなんだがな。あっさり完遂かんすいしちまっても、達成感が足りねえ」
「……? 何かおっしゃいましたかな?」
「ただの独り言だ。気にすんな」

 何にせよ、とりあえずは明日だ。
 さて、どうなるやらと、その先のことも含めて考えながら、冒険者の男は口元を歪めるのであった。


しおりを挟む
表紙へ
感想 56

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】魔王を倒してスキルを失ったら「用済み」と国を追放された勇者、数年後に里帰りしてみると既に祖国が滅んでいた

きなこもちこ
ファンタジー
🌟某小説投稿サイトにて月間3位(異ファン)獲得しました! 「勇者カナタよ、お前はもう用済みだ。この国から追放する」 魔王討伐後一年振りに目を覚ますと、突然王にそう告げられた。 魔王を倒したことで、俺は「勇者」のスキルを失っていた。 信頼していたパーティメンバーには蔑まれ、二度と国の土を踏まないように察知魔法までかけられた。 悔しさをバネに隣国で再起すること十数年……俺は結婚して妻子を持ち、大臣にまで昇り詰めた。 かつてのパーティメンバー達に「スキルが無くても幸せになった姿」を見せるため、里帰りした俺は……祖国の惨状を目にすることになる。 ※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。 ※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

後日譚追加【完結】冤罪で追放された俺、真実の魔法で無実を証明したら手のひら返しの嵐!! でももう遅い、王都ごと見捨てて自由に生きます

なみゆき
ファンタジー
魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。 だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。 ……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。 これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

収納魔法を極めた魔術師ですが、勇者パーティを追放されました。ところで俺の追放理由って “どれ” ですか?

木塚麻弥
ファンタジー
収納魔法を活かして勇者パーティーの荷物持ちをしていたケイトはある日、パーティーを追放されてしまった。 追放される理由はよく分からなかった。 彼はパーティーを追放されても文句の言えない理由を無数に抱えていたからだ。 結局どれが本当の追放理由なのかはよく分からなかったが、勇者から追放すると強く言われたのでケイトはそれに従う。 しかし彼は、追放されてもなお仲間たちのことが好きだった。 たった四人で強大な魔王軍に立ち向かおうとするかつての仲間たち。 ケイトは彼らを失いたくなかった。 勇者たちとまた一緒に食事がしたかった。 しばらくひとりで悩んでいたケイトは気づいてしまう。 「追放されたってことは、俺の行動を制限する奴もいないってことだよな?」 これは収納魔法しか使えない魔術師が、仲間のために陰で奮闘する物語。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。