耽溺 ~堕ちたのはお前か、それとも俺か?~

寺原しんまる

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 時貞は集中治療室におり、家族以外は中には入れないと山田が言う。しかし病室内が見える窓から様子が窺えるからと、山田はヒロトをその場所へと連れて行った。


 ヒロトがガラス張りのはめ殺しの窓から病室を見ると、ベッドに横たわる時貞には沢山の管が装着されている。その横でピーピーと無機質な機械音を流す装置があり、その状況から時貞が重篤なのだと理解出来た。


 圧倒的なオーラを纏い、身体が大きく迫力がある時貞が、意識無く包帯を巻かれてベッドに横たわる姿は衝撃的だった。ヒロトはグッと唇を噛みしめて涙を堪える。


「誰にやられたんだ……?」

「あんまり大きな声じゃ言えねえがな。敵対勢力と見せかけての身内の犯行だ……。組内で大きな勢力争いが起きてる。組長は若頭補佐側についてるからな。きっと……若頭側の犯行だ!」


 怒りに震える山田は「クソッ」と声を上げてしまい、近くで片付けをしていた看護婦に睨まれる。ヒロトはガラス越しに時貞をジッと見つめ、その場から暫く離れる事をしなかったのだった。


****


「ねえ、啓二けいじはXXの歌が大好きね……。どうしてかしら? 私があの歌を歌うと嬉しそうな顔をして眠るのよ」

「さあ……。お前の声が良い声だからじゃないか?」


 幸せそうな夫婦の声が時貞の耳に届く。


 時貞は身体を動かそうとするが鉛の様に重く、一ミリも動かない。しかし情景は目の前に広がっており、そこには若い男女が笑顔で自分を上から見下ろしている。


(母さん……! 父さん!)


 もちろん、時貞は声を出せない。そんな時貞は身体を震わせて泣くのだ、小さな赤子のように。


「あらあら。啓二けいじが泣いちゃった。ふふふ、じゃあ、あの歌を歌ってあげる」


 時貞の母が時貞を抱き上げて気持ちよさそうに歌を歌い出す。母の腕の中にすっぽりと収まる時貞は、どうやら赤子のようだった。


 大声で泣いていた筈の時貞は、スッと泣き止み落ち着いた顔をして眠りに落ちる。そんな時貞をベビーベッドに戻す母は、「生きなさい……」と時貞に向かって囁くのだった。


****

  
 ピクリと動く時貞の手。その手の上に白くて長い指が絡められる。その指には厳ついシルバーの指輪が何個も嵌められていた。


 ビクビクと震える時貞の瞼は、ゆっくりと開いていく。


 時貞の耳が徐々に機能し、美しい歌声を脳に届け始める。


「……ひ、ひろ……と?」

「おはよう、時貞……」


 美しい歌声を奏でていた唇は歌を歌うのを止め、少し震えた声を出している。時貞がヒロトの方に視線を向けると、ヒロトが歯を食いしばるように嗚咽を堪えているのが見えたのだった。 


 弾丸の摘出手術後、時貞の意識は戻らなかったが、容態が少し安定していたので個室に移されていたのだ。個室になってからはヒロトも病室内に入れたので、ヒロトは時貞にずっと付き添っていた。世間ではヒロトは失踪扱いになり、大々的にワイドショーで報じられていたが、病院にいる限りプライバシーは守られていた。


 一部の病院関係者しかヒロトが時貞の病室に居ることを知らない。ヒロトは時貞の側に付いて離れなかったので、時貞の個室にて付き添い入院を許可してもらっていたのだ。もちろん、病院としても病院を出たり入ったりたりされて、マスコミに騒がれるのを避けたかったのが大きい。


 意識の戻らない時貞の側に付いてずっと歌を歌うヒロトに、医師も看護婦も文句を言えなかった。寧ろ時貞の容態が更に安定してくるので、止めることはしなかったのだ。


「ど、どれぐらい……、俺は入院して……る」

「二週間ちょっとぐらいかな……」

「そうか……」


 時貞は何度力を込めても身体が動かせない。ようやくヒロトが触っている指を少し動かせるぐらいだった。その少しの動きでヒロトの指の感触を何度も確かめる時貞。ヒロトは「くすぐったい」と静かに笑い出す。


 時貞の意識が戻った事をヒロトは看護婦に告げ、医師が慌てて飛んでくる。時貞は医師と看護婦に囲まれて検査を始められた。ヒロトは買い物に出ていた山田に電話を掛け、時貞の意識が戻った事を泣きながら伝えるのだ。


 医師の検査の結果、時貞の足は後遺症をもたらす可能性があるという。過去の古傷の悪化と今回の狙撃の銃弾が神経に傷を付けており、リハビリをすれば自力で歩けるようにはなるが、以前の様には動かないだろうというものだった。


 その説明を受けている間、時貞はショックを受けるでもなく無表情で聞いていた。反対にヒロトの方がショックを受けて唖然としていたのだ。


「杖が必要になるかもしれません……。もちろん、リハビリによって随分と回復する見込みも無くはないですよ」


 時貞を慰めるように説明する医師だったが、表情は暗かったのだった。それが意味するのは決して明るい未来ではない。


「そうですか……。まあ、自分の身体ですから、どうなっているのかは理解出来ています。これも業です……」


 時貞の落ち着いた声は病室に響き、医師達は何も言えないのだった。
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