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長年被った殻を破るのは難しい2

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 東京本社へ向かう道はスーツ姿の会社員で埋め尽くされている。カツカツと革靴の音が響く通りで、時々スマートフォンで電話をしている者の声が聞こえるだけだ。浮田はそれを横目でチラッとみて、次は小さく溜め息をついた。



 ――朝から御機嫌な関西人が恋しいなあ。最初は大阪赴任にガッカリしたけれど、今ではあのノリが恋しい。



 大手商社に入社し、直ぐに大阪勤務になった。そして大阪は浮田にとって重要な出来事が起こった街だ。



 ある日の飲み会の後に、酔っ払った浮田は同僚達と、心斎橋のSMバーへと興味本位で入店する。きっと学生時代は勉強勉強の日々で、押さえつけられていた欲望が、少し自由にできるお金が増えたことで爆発したのかもしれない。そして少し別な方へと開花していく。



 SMバーは浮田の心のオアシスになった。同僚達は一回だけ行ったらもう行かなくなったが、何度も通い店の子とも仲良くなっていく。



 自分の本能を曝け出している者達を、本当に羨ましいと思いながらいつも見ていた。そのうち、SMに興味を持ち、自分が責められる姿を想像して興奮を覚える。勝手に付けられた王子様キャラが崩壊していく様は、固い殻からの脱皮でもあり解放だった。



 そして、いつもステージ上で虐められている男が、自分ならばと想像し股間を膨らませる。自分を指名してくれと目を輝かせていたが、そこに浮田が立つことは一度もなかった。



 後で知ることになったが、そこでは仕込みの客と店員のSMプレイしかしなく、安全面のために客が飛び入りで入ることはないとのこと。だからどんなに下半身を膨らませていようが、出番はなかったことになる。



 その内、SMバーのバーテンの女の子と仲良くなり、浮田は付き合うことになったのだが、彼女は偽S女王様で、私生活ではむしろMだった。それを知ったときの絶望は凄まじく、暫くは放心状態になってしまう。己をようやく解放できると思い、家には彼女に責めてもらおうと通販で用意しておいた様々なSMグッズがあったのだが、それらは全てクローゼットの奥に封印するしかなかったのだから。



 その彼女とは何せ性癖が違うのだから長くは続かない。彼女とは半年もしないうちに別れることになる。しかし自分の性癖には目覚めてしまっていたので、自宅でSMの探求は続けていく。SMバーへは仕事帰りに寄り、自分を解放する者たちを横目にする日々。



 心はいつも何処か満たされなく、ポッカリと隙間ができていた。この穴を埋めてくれる女王様に出会いたいと思いながら、ネットのSMサイトを眺めることが日課だ。



 そんなとき、東京本社への栄転が決まった。



「浮田君、今日から君は営業二部二課に配属されるのだが、若くてなかなか良いアシスタントがいてねえ。君に付けるからね」

「そうですか……。有り難いです」



 浮田は部長の言葉を聞いても特に嬉しくはなかった。最近では年頃の女性は苦手で、大阪では、上司に頼んでかなり年上の女性をアシスタントに付けてもらっていたからだ。



 それに社会人になっても女性と真面に付き合うことができていない。自分の性癖を理解してくれる女性に出会えないのが一番大きいが、女慣れしているだろうと、先入観で近寄ってこられて幻滅されるのが怖かった。王子様キャラで人生の大半を生きてきたのだから、それ以外をどうすれば良いのか分からない。偽りの殻を破りたいと思っていても、実行に移す勇気はなかった。その為に自然と女性を遠ざけていく。



 大学生のときに何度か女性と付き合ってみるが、皆一概に浮田をイケメン扱いして有り難がる。その所為で自分を曝け出すこともできずに、ぎこちない付き合いになっていた。女性と付き合っても満たされない。寧ろ期待されるイケメンキャラを演じきらなくてはいけないのは疲れる一方で、女性とは距離を置いていくことになる。側に寄られると緊張してしまうので、なるべく距離も取るようにし、会話も少なめにと心得る。



「ぶ、部長……。年配の女性か男性のアシスタントはいませんか?」

「はあ? 浮田君何を言っているんだい? 面白いねえ、君は!」



 部長に背中をバンバンと叩かれて、浮田は新しい部署の扉を潜る。



「今日から東京本社に移動になりました浮田です。これから皆さんとともに頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いします」



 浮田が挨拶したときに視界の端で、赤い眼鏡を光らせて鋭い視線を投げかけてくる女性がいた。それは正に自分が求めている女王様の佇まい。腕を前で組んで指をポンポンと動かし腕を叩いている。脚は少し開いて仁王立ち……。足元は七センチ黒ヒール!



「西浦さん。君が浮田課長のアシスタントになるから。頼んだよ!」



 部長の声でハッと我に返った浮田は、彼女の名前が西浦だと知った。多分、嬉しくて笑みが溢れていたかもしれない。すると彼女が少し間を開けて「……はい」と不機嫌に言う。



 ――ああ、もう駄目だ……。彼女は理想の女王様の容姿にドンピシャじゃないか!



 浮田は勃ちそうになる下半身に「待て」と信号を送るのだった。
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