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6本目 女子バスケットボール部員の告白
がけっぷち 73-11
しおりを挟む「小暮っちは、香織ちゃんのお母さんに会ったことある?」
「うん。家にお邪魔した時に一度」
「あのお母さん、昔から香織ちゃんを、うちやミニバスに預けて出掛けてることが多かった。今もあんな感じだし」
確かに、バスケットボールを始めさせ、そして続けさせてきたのは、預かってもらえる場所だからということもあったのだろう。
「でもね、香織ちゃんのことを嫌ったり虐待してるっていうわけでもないと思う。香織ちゃんの方も、お母さんのこと嫌いじゃないし」
それは確かにそうだった。
香織さんのアパートは、部活で忙しいわりに掃除が行き届いている。「ほとんど帰って来ない」と香織さんは言っていたが、それは顔を合わせないという意味で、日中などに立ち寄って家事をしていることはありそうだ。
進学の費用についてはともかく、日々の食費や部活に必要な物に困窮していることまではない。
また香織さんは、連れてくる男性には怯えていても、お母さん自身に怯える様子は全くなかった。
そしてあのお母さんは酒に酔っていてもなお、口は回るものの暴力に訴える気配は見受けられなかったのだ。
「実はあたし、子供だった頃にね、香織ちゃんを引き取っちゃダメなの? って、うちのお母さんにきいたことがあるんだ」
僕は黙って頷いた。
「そうしたらお母さんは言ったの。ご本人たちがそうしてほしいって言ったら、いくらでも手伝うから安心して。でも香織ちゃんとお母さんとの時間を他人が勝手に奪うことは、できないんだよ――って」
「うん……」
そうだ。伶果さんに引き取られている僕を、他人が「かわいそう」とか「血の繋がっている父親の元で生活しなきゃいけない」とか言って引き離しにきたら、それはとんでもなく大きなお世話だ。本人たちにしか分からない安らぎや幸せというものはあるのだから。
「意地悪でやっているわけじゃなくて、お母さんは今、引っ越すことが最善だって思ってるんだと思う」
そして保護者にも保護者自身の人生がある。自分の再婚と、娘の部活動。その優先順位について他人が評価できるものでは、確かにない。
「それに昔からあのお母さん、予定を変えることがよくあったんだ。香織ちゃんをうちに泊まりで預かる予定だったのに、夕食の頃に来て急に連れ帰ったり。逆に迎えに来られなくなったり。だからあたしは、県大会についても考えを変えてくれる可能性はあると思ってる」
そうだ。あのお母さんは、口に出していることの筋は通っているように見える。
でも本当に人生で幾度もない大切なことならば、娘の予定も確認せず勝手に日程まで決めてから、他の男を連れ込むついでに伝えたりするだろうか。その段取りまで考えると、一貫性のない行動のようにも思えてくる。
学校へ乗り込むことも前日には何も言っていなかったし、いきなり校長室を訪ねる前に電話でアポイントメントを取ったっていいはずだ。思い付きで動いている節もある。
「香織さんが県大会に行くことの方が大切だって、お母さんが思ってくれれば、手の平を返すかもしれないね」
「うん。ただもちろん、そのためには香織ちゃん自身が、そっちを優先してほしいって決断することが前提になるじゃない?」
「あ、そうか……再婚問題の方が大切だって香織さん自身が信じていたら、いくら外野が大会に出させろって騒いでも、誰のためにもならないもんね」
「あたしね……」
成美さんは、ジャージの太腿の上で指を組み合わせて、そこへ視線を落とした。
「健一と付き合い始めてしばらくした頃、何を優先したらいいか分からなくなっちゃった時があったでしょ」
「うん……」
僕は、カーテンの引かれた窓、おそらく健一の部屋のある方へと目を向けた。
前回この部屋に来た時のことについて、彼の方からの反応は今のところない。窓が開いていたのは偶然で、何も聞いていなかったのか。知っていながら成美さんの自由にさせているのか。あるいは何も言えずにいるのか。それは分からない。
「保健室に行った時だよね……」
貧血を起こした成美さんを連れていって、話を聴かせてもらった頃だ。
「その時、女バスのみんなは『チームスポーツなんだから部活はちゃんとやってくれなきゃ困る』なんて言わなかった。何を優先するかは自分で決めていいよってスタンスでいてくれた。それをフォローするのがチームだから、頼っていいんだって。ずっと一緒にバスケをしてきた香織ちゃんも、監督の千華子先生までも」
「ステキな人たちだよね。僕も、入部することになったのは思わぬきっかけだったけどさ。今では心から、部のみんなのことを尊敬できると思ってるよ」
窓の方から視線を戻す。
「それもこれも、あたしの相談に乗ってくれた上、周りのみんなにアドバイスしてくれた人のおかげなんだけどね」
成美さんは、じっと僕を見つめながら話していた。
「ともかく、そのおかげで……あたしはそこを乗り越えて、バランスを取れるようになって、ここまで続けてこられた。仲間を信頼できるようになったし、自信も付いた。だから……」
彼女は両手を膝の上でしっかりと握った。
「今度は、あたしが香織ちゃんに信頼してもらう番。お母さんの好きなようにさせるのか、大会に出られるようにお願いするのか。あたしたちが考えるんじゃなくて……どっちを選んでも大丈夫だよ、フォローするからって、そういう環境を整えてあげることが、あたしたちにできる役割だと思う」
小学生の頃から香織さんと一緒に続けてきたバスケットボール。この先は、もう同じチームでプレーすることは難しいだろうということは、成美さんも言っていた。一生に一度の大切な機会にかける思いは、彼女にもあるはずだ。
「香織ちゃんが、お母さんとの時間を大切にするために大会には行けないっていうなら、『それでいいんだ』って、あたしは全力で部のみんなに訴える。キャプテン不在でも立派に試合をやってみせる」
それでも成美さんは本気だった。彼女は、きっとその通りにするだろう。
「うん。僕も成美さんの考えに賛成する。香織さんが自分の意思で選べるように環境を整えよう。そしてその結果を、僕も全力で支える」
「今日は小暮っちに会って、それをお願いしたかったんだ。ありがとう……」
成美さんは嬉しそうな顔をして、僕の座る椅子の方に身を寄せた。
「それで、そのためにも必要だと思うから言うんだけど」
そうして一度、視線をカーペットに落としてから、また僕の目を見て言った。
「小暮っち。香織ちゃんのこと好きだって、伝えてあげて」
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