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過去編
10 婚姻 -Chapter ミレーユ 【回想:2年半前】
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澄み渡る空に吸い込まれるように、鐘の音が響き渡る。
ステンドグラスから差し込む虹彩を浴びて煌めく、白いドレスを纏ったミレーユ・ラフォード侯爵令嬢は、父親の腕に寄り添い大聖堂の正面扉に立っていた。
艶やかな黒髪が、虹彩を受けて深い輝きを放つ。濃い黒の瞳は冷静さと知性を映し、顔立ちは理知的で気品に満ちている。優雅な立ち振る舞いは、長年の王太子妃教育の成果そのものだった。
大理石の床の上に敷かれた赤絨毯は長く、天井は高く、その先には朧げにしか見えない祭壇が、その周りにいくつも並べられてある蝋燭の橙色に照らされ、彼女の鼓動と息遣いに重ってゆく。
荘厳な空気の中、扉が開くと同時に参列者たちの目がミレーユの方へ向く。王太子妃になるはずだった、その婚約が解消された令嬢。彼らの瞳は、好奇と憐憫が複雑に混ざった色でミレーユを追う。誰もが彼女の表情を窺い、その反応に何かを読み取ろうとしていた。だがミレーユの表情は、貼り付けられた微笑みのまま。幼い頃から受けてきた王太子妃教育は、こうした場面で感情を顔に出さないことを徹底させてきた。それが王太子妃、ゆくゆくは王妃としての嗜みだと教えられてきたのだ。
ミレーユとそれに付き添う父は、衣擦れが赤絨毯と擦れ合う音を微かに聴きながら、作法通りに歩を進めて行く。祭壇が近づいてくるにつれ、歩む足には力が入ってゆく。
ミレーユの手が父の腕の中で、小さく震えていることに気づく者は、ここにはいない。
祭壇の前に立つ男が、漸くミレーユの視界に入った。ヴァルター・グレイストン公爵。国境付近に広大な領地を持ち、外交でも知られた格式高い名家門の貴族。肩幅の広いその背中と、サラリとした明るい茶髪。眉目秀麗という言葉がふさわしい顔立ち。既に父君から領地の統治を一任されている若き当主だ。だが、その琥珀色の瞳は、ミレーユを見ているのに、心ここにあらずということがありありと見て取れる。
ミレーユと彼は、夜会や公式行事などで数度、顔を合わせたことがある程度。丁寧な挨拶を交わしたことはあるが、親しく言葉を交わしたことはなかった。ほぼ初対面に等しい状態で彼女は今、この男の妻になろうとしていた。
父が、ミレーユを公爵の前に進ませた。彼女は、深く一礼をする。その時初めて彼の目が、ミレーユに焦点を合わせた。が、すぐに視線は逸らされた。
儀式は滞りなく進む。神父の言葉が響き指輪が交わされる。
ミレーユは、彼の指に指輪を嵌める。ミレーユの指には既に、ヴァルターが嵌めてくれた銀の指輪が光る。夫婦としての証。だがそこに温もりは無く、あるのは義務として結ばれた鎖だけ。
儀式が粛々と終わり、二人は祭壇から歩き始める。今、生まれたばかりの新婚夫婦の姿。本来ならば、幸せの絶頂でもあっていいはずだ。なのにその歩み方は、他人同士のようだった。彼の腕に寄り添いながら、ミレーユは彼から伝わる硬さを感じていた。彼は自身を女としては見ていない。妻として、受け入れたくはないのだろう。
ミレーユは想う。
私たちは貴族なのだ。政略としての婚姻はあってしかり。
そういう元に生まれたのだから。
再び、鐘が鳴る。
花弁が風に舞い、光が二人を包み込む。
人々の拍手が響く中、彼女は裾を整え、ゆっくりと歩いて行く。
隣に並ぶ男と視線を交わすことはない。言葉もないまま、赤絨毯の上を進んでいく。
この華やかな舞台で、ミレーユの心だけが静かだった。
ステンドグラスから差し込む虹彩を浴びて煌めく、白いドレスを纏ったミレーユ・ラフォード侯爵令嬢は、父親の腕に寄り添い大聖堂の正面扉に立っていた。
艶やかな黒髪が、虹彩を受けて深い輝きを放つ。濃い黒の瞳は冷静さと知性を映し、顔立ちは理知的で気品に満ちている。優雅な立ち振る舞いは、長年の王太子妃教育の成果そのものだった。
大理石の床の上に敷かれた赤絨毯は長く、天井は高く、その先には朧げにしか見えない祭壇が、その周りにいくつも並べられてある蝋燭の橙色に照らされ、彼女の鼓動と息遣いに重ってゆく。
荘厳な空気の中、扉が開くと同時に参列者たちの目がミレーユの方へ向く。王太子妃になるはずだった、その婚約が解消された令嬢。彼らの瞳は、好奇と憐憫が複雑に混ざった色でミレーユを追う。誰もが彼女の表情を窺い、その反応に何かを読み取ろうとしていた。だがミレーユの表情は、貼り付けられた微笑みのまま。幼い頃から受けてきた王太子妃教育は、こうした場面で感情を顔に出さないことを徹底させてきた。それが王太子妃、ゆくゆくは王妃としての嗜みだと教えられてきたのだ。
ミレーユとそれに付き添う父は、衣擦れが赤絨毯と擦れ合う音を微かに聴きながら、作法通りに歩を進めて行く。祭壇が近づいてくるにつれ、歩む足には力が入ってゆく。
ミレーユの手が父の腕の中で、小さく震えていることに気づく者は、ここにはいない。
祭壇の前に立つ男が、漸くミレーユの視界に入った。ヴァルター・グレイストン公爵。国境付近に広大な領地を持ち、外交でも知られた格式高い名家門の貴族。肩幅の広いその背中と、サラリとした明るい茶髪。眉目秀麗という言葉がふさわしい顔立ち。既に父君から領地の統治を一任されている若き当主だ。だが、その琥珀色の瞳は、ミレーユを見ているのに、心ここにあらずということがありありと見て取れる。
ミレーユと彼は、夜会や公式行事などで数度、顔を合わせたことがある程度。丁寧な挨拶を交わしたことはあるが、親しく言葉を交わしたことはなかった。ほぼ初対面に等しい状態で彼女は今、この男の妻になろうとしていた。
父が、ミレーユを公爵の前に進ませた。彼女は、深く一礼をする。その時初めて彼の目が、ミレーユに焦点を合わせた。が、すぐに視線は逸らされた。
儀式は滞りなく進む。神父の言葉が響き指輪が交わされる。
ミレーユは、彼の指に指輪を嵌める。ミレーユの指には既に、ヴァルターが嵌めてくれた銀の指輪が光る。夫婦としての証。だがそこに温もりは無く、あるのは義務として結ばれた鎖だけ。
儀式が粛々と終わり、二人は祭壇から歩き始める。今、生まれたばかりの新婚夫婦の姿。本来ならば、幸せの絶頂でもあっていいはずだ。なのにその歩み方は、他人同士のようだった。彼の腕に寄り添いながら、ミレーユは彼から伝わる硬さを感じていた。彼は自身を女としては見ていない。妻として、受け入れたくはないのだろう。
ミレーユは想う。
私たちは貴族なのだ。政略としての婚姻はあってしかり。
そういう元に生まれたのだから。
再び、鐘が鳴る。
花弁が風に舞い、光が二人を包み込む。
人々の拍手が響く中、彼女は裾を整え、ゆっくりと歩いて行く。
隣に並ぶ男と視線を交わすことはない。言葉もないまま、赤絨毯の上を進んでいく。
この華やかな舞台で、ミレーユの心だけが静かだった。
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