偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

文字の大きさ
10 / 107
過去編

10 婚姻 -Chapter ミレーユ 【回想:2年半前】

しおりを挟む
 澄み渡る空に吸い込まれるように、鐘の音が響き渡る。

 ステンドグラスから差し込む虹彩を浴びて煌めく、白いドレスを纏ったミレーユ・ラフォード侯爵令嬢は、父親の腕に寄り添い大聖堂の正面扉に立っていた。

 艶やかな黒髪が、虹彩を受けて深い輝きを放つ。濃い黒の瞳は冷静さと知性を映し、顔立ちは理知的で気品に満ちている。優雅な立ち振る舞いは、長年の王太子妃教育の成果そのものだった。

 大理石の床の上に敷かれた赤絨毯は長く、天井は高く、その先には朧げにしか見えない祭壇が、その周りにいくつも並べられてある蝋燭の橙色に照らされ、彼女の鼓動と息遣いに重ってゆく。

 荘厳な空気の中、扉が開くと同時に参列者たちの目がミレーユの方へ向く。王太子妃になるはずだった、その婚約が解消された令嬢。彼らの瞳は、好奇と憐憫が複雑に混ざった色でミレーユを追う。誰もが彼女の表情を窺い、その反応に何かを読み取ろうとしていた。だがミレーユの表情は、貼り付けられた微笑みのまま。幼い頃から受けてきた王太子妃教育は、こうした場面で感情を顔に出さないことを徹底させてきた。それが王太子妃、ゆくゆくは王妃としての嗜みだと教えられてきたのだ。
 
 ミレーユとそれに付き添う父は、衣擦れが赤絨毯と擦れ合う音を微かに聴きながら、作法通りに歩を進めて行く。祭壇が近づいてくるにつれ、歩む足には力が入ってゆく。
 
 ミレーユの手が父の腕の中で、小さく震えていることに気づく者は、ここにはいない。

 祭壇の前に立つ男が、漸くミレーユの視界に入った。ヴァルター・グレイストン公爵。国境付近に広大な領地を持ち、外交でも知られた格式高い名家門の貴族。肩幅の広いその背中と、サラリとした明るい茶髪。眉目秀麗という言葉がふさわしい顔立ち。既に父君から領地の統治を一任されている若き当主だ。だが、その琥珀色の瞳は、ミレーユを見ているのに、心ここにあらずということがありありと見て取れる。

 ミレーユと彼は、夜会や公式行事などで数度、顔を合わせたことがある程度。丁寧な挨拶を交わしたことはあるが、親しく言葉を交わしたことはなかった。ほぼ初対面に等しい状態で彼女は今、この男の妻になろうとしていた。


 父が、ミレーユを公爵の前に進ませた。彼女は、深く一礼をする。その時初めて彼の目が、ミレーユに焦点を合わせた。が、すぐに視線は逸らされた。

 儀式は滞りなく進む。神父の言葉が響き指輪が交わされる。

 ミレーユは、彼の指に指輪を嵌める。ミレーユの指には既に、ヴァルターが嵌めてくれた銀の指輪が光る。夫婦としての証。だがそこに温もりは無く、あるのは義務として結ばれた鎖だけ。

 儀式が粛々と終わり、二人は祭壇から歩き始める。今、生まれたばかりの新婚夫婦の姿。本来ならば、幸せの絶頂でもあっていいはずだ。なのにその歩み方は、他人同士のようだった。彼の腕に寄り添いながら、ミレーユは彼から伝わる硬さを感じていた。彼は自身を女としては見ていない。妻として、受け入れたくはないのだろう。

 ミレーユは想う。

 私たちは貴族なのだ。政略としての婚姻はあってしかり。
 そういう元に生まれたのだから。

 

 再び、鐘が鳴る。
 
 花弁が風に舞い、光が二人を包み込む。
 
 人々の拍手が響く中、彼女は裾を整え、ゆっくりと歩いて行く。
 
 隣に並ぶ男と視線を交わすことはない。言葉もないまま、赤絨毯の上を進んでいく。

 この華やかな舞台で、ミレーユの心だけが静かだった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

【完結】さよならのかわりに

たろ
恋愛
大好きな婚約者に最後のプレゼントを用意した。それは婚約解消すること。 だからわたしは悪女になります。 彼を自由にさせてあげたかった。 彼には愛する人と幸せになって欲しかった。 わたくしのことなど忘れて欲しかった。 だってわたくしはもうすぐ死ぬのだから。 さよならのかわりに……

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【3月中――完結!】 積み上がった伏線の回収目前!! 夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。 長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。 待っていたのは、凍てつく絶望。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。 「夫は愛人と生きればいい。  今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」 それでも私は誓う―― 「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」 歪で、完全な幸福――それとも、破滅。 “石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

完結 殿下、婚姻前から愛人ですか? 

ヴァンドール
恋愛
婚姻前から愛人のいる王子に嫁げと王命が降る、執務は全て私達皆んなに押し付け、王子は今日も愛人と観劇ですか? どうぞお好きに。

処理中です...