偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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過去編

9 孤立する日々 -Chapter セレイナ 【回想】

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 側妃となってから、セレイナの日々は予想以上に厳しいものになっていった。

 最初の頃は、隣国から嫁いできた王太子妃・リージェリアはセレイナに対し、丁寧な態度を取っていた。



 ある朝、リージェリアは政務の書類を持ってセレイナを訪ねて来た。その表情には、困ったような不安の色がある。

「セレイナ。この書類、どうしたらいいかしら?」

 その時のリージェリアの声は、まだ柔らかかった。セレイナは書類を受け取り、丁寧に説明した。この国の租税制度、地方領主との取り決め、王家の収支の仕組み。

 学生時代に学んだことを基礎に、ここにきて官吏に聞いたり自ら調べたりして、学び直した。その知識を使い、セレイナはゆっくりと要点を伝えた。

 リージェリアは最初、熱心に聞いていた。だが次第に、肩が強張り眉を顰める。

 そして、突然声の調子が変わった。

「セレイナ。弁えて」

 その声には、威圧の色があった。

「私は王太子妃よ。貴方は何のために側妃になったの? 私の政務の補佐をするためだわ。これは貴方がすべきことよね? 貴方が言うべき言葉は『こちらでお受けいたします』ではないの?」

 セレイナはその言葉に驚いたが、ただ黙って頷いた。それ以来、リージェリアの口からその言葉が繰り返されるようになった。

「弁えなさい。あなたは側妃に過ぎない」

 そのたびに、セレイナの心は少しずつ蝕まれていった。

 ただ、唯一の救いは、意外なことに王太子・セラフィムの存在だった。
 
 この頃はまだ、彼女の意見に耳を向け、それを聞いてくれていた。セレイナの政務に向き合う姿勢も、時々ではあったが、褒めてくれていた。

 セレイナはそれに応えようと、必死に政務をこなした。せめて求められる事は全うしようと。リージェリアからの指示も守り、支えようと努めた。

 だが、状況はどんどん変わって行った。

 リージェリアが、セレイナの行うこと全て覆すのだ。

 セレイナが官吏に指示を与えれば、リージェリアが別の命を出す。セレイナが書類を整えれば、リージェリアが新しい案を持ち出した。そして不備が起きれば全て、セレイナの責となった。

 侍女たちもリージェリアに従い、セレイナを見る目は次第に厳しくなっていった。そこに敬意はなく、ただ侮蔑だけがあった。


 やがてリージェリアはセレイナに、日中は執務室から出ることを禁じた。自室と執務室の往復だけが許された。

 理由は、側妃という立場にありながら、男性官吏に色目を使うと奏上があったから。という名目。
 セレイナにとっては、全く身に覚えのないことだった。反論すれば「弁えて」と返される。実際にそうでなくとも、周囲の目にそう映れば、それだけで奏上が成される。そう告げられた。

『政務もろくに出来ない側妃』

『男性官吏に言い寄る、ふしだらな側妃』

 そのうちに、そんな風に言われるようになった。

 そしてセラフィムとも、顔を合わせることが無くなった。いや、セラフィムだけではなく、人との交流がほぼ途絶えたのだ。

 会うのは、書類を運ぶ官吏だけ。彼らも言葉少なく、書類を置いて去るだけだった。セレイナは、彼らのその沈黙に、拒絶を感じていた。彼らもセレイナと関わることで、謂れの無いことに巻き込まれるのを嫌ったのだろう。

 辛いことはそれだけでは無かった。

 食事は毎朝、パンとスープだけになった。それが一日の唯一の食事だった。

 官女が運んでくるその簡素な膳を、セレイナは感謝の言葉と共に受け取った。

「ありがとうございます」

 その言葉のみを口にした。そんな日々であったから、とうとう体が限界を訴えた。めまい、脱力感、視界の暗転。
 
 耐えかねたセレイナは、ある朝、ついに言葉が零れた。

「申し訳ありませんが、この量では……」

 その一言はすぐさま、官女によってリージェリアの耳に届いた。いや、リージェリアによって、セラフィムに告げられた。

「セレイナが食事に不満を言っているそうです。皆が困っておりますわ」

 翌日、ようやく姿を見せたセラフィムが放った言葉は冷たかった。

「セレイナ。食事のことで文句を言っているそうだな。皆が困っている。我儘は慎んで欲しい」

 その声に、セレイナは息を呑んだ。自分は何をしても許されないのだと悟った。

 もう……反論する気力さえ湧いてこなかった。



 そんな日々が続いたある日。

 セレイナが鏡に映る自身の顔を久しぶりに凝視した。
 
 そこには頬がこけ、髪は艶を失い、瞳には光はなく、肌は荒れて皺がよる、まるで老婆のような姿があった。かつて「美しい」と言われた姿は、もうそこにはない。

 セレイナは鏡から目を逸らした。もう、容姿などどうでもいい。ただ涙が一粒だけ、流れ落ちてゆく。だがそこには何の感情もない。

 唯一あったのは、生き残ること。そしていつか、両親に会いたい。

 それだけが、彼女を支えていた。



 かつては愛したひとと切り裂かれ、また自分をこの城に縛り付けた『王命』という名の鎖。  
 
 その連鎖の中に居たのは、セレイナだけではなかった。

 
 それは数年前、セレイナがヴァルターからの残酷な手紙をもらった日から数か月後のこと。
 
 王都の大聖堂に、婚礼の鐘が鳴り響いた日まで遡る。
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