偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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過去編

12 懸命に -Chapter ミレーユ 【回想】

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 ミレーユは、邸の中を歩き始めた。

 初夜から数日が経ち、朝ごとに侍女の支度を受けながら、彼女は邸のあらゆる場所に、目配りをするようになった。

 食堂の窓を見つめる。昼間なのに薄暗い。ミレーユは傍にいた執事長に声をかけた。

「お忙しい所ごめんなさいね。この食堂だけれども、窓の近くの棚が光を塞いでしまっているように見えるの。この棚は、いつもここにあるのかしら?」

 執事長はミレーユを見つめ返す。ミレーユの声音には責めるような色は無く、ただ確認するだけの質問だと汲み取れた。

「左様でございます。昔からこの位置にございます」

「そうなのね。もしよろしければ、昼間はこの棚を別の場所に移し、夜間だけここに戻すというのは駄目かしら。冬の朝の光も活かせますし、暖房の効き具合も良くなるかもしれないわ」

 執事長はその言葉を聞いて、ゆっくり頷いた。

「畏まりました。一度、試してみましょう」

 翌日、棚が移動され食堂は明るくなった。ヴァルターは、その変化に気づいた。

「食堂が随分と明るくなったな」

 執事長は慇懃に短く、ヴァルターへ答えた。

「奥様のご提案でございます」



 また違う日には厨房で、料理人達に声をかけた。

「いつも美味しいお食事をありがとう。ところで、単なる興味なんだけれどもね。お仕事の流れや、手順はどのようになっているのかしら? 教えて下さる?」

 料理人達は、ミレーユを見た。ミレーユは、そんな彼らに臆することなく、話を続ける。

「水場から火場まで、かなり移動があるように見えるの。これは、大変じゃないかしら? 導線をもう少し意識して、配置を変えると楽になるかもしれないわ。どうかしら。何かご意見があれば、教えて頂けると勉強になるんだけれども」

 料理人達は、ミレーユと共に厨房内を歩いた。調理台、食材の保管場所、作業の流れ。

「確かに、奥様の仰られるように、こうした方が楽かもしれません」

 料理人達の顔に初めて、ほんの僅かな柔らかさが浮かんだ。



 そんな風に邸の隅々まで、ミレーユは目を配り、その都度使用人たちと会話をした。決して高圧的ではなく、共に改善案を考えたり、時には教えて貰ったり、教えたり。

 そうしているうちに、ミレーユに対する使用人たちの態度が、少しずつ変わり始めた。

 ある朝の支度の時、ミレーユは侍女に聞いた。

「ところで、旦那様は最近、とてもお忙しいみたいね。何かあるのかしら?」

 侍女は、鏡越しにミレーユを見た。その瞳には、当初の頃の機械的な冷淡さが、随分と薄れていた。

「以前は、国境の紛争でお忙しかったのです。ですが、それもようやく落ち着きました。ですが今度は、領地の穀物が不作だとか。旦那様は、その対策で毎日奔走されていると、執事長が話しておられました」

「そうなのね。そのお話、詳しく教えてもらえる?」

 侍女は耳にした範囲ではあるが、穀物の不作と、それが領民たちにもたらす苦しさについて話した。

 その日の午後、ミレーユは図書室へ向かった。

 王太子妃教育で学んだ領地経営の知識が、頭を過ぎったのだ。干ばつ対策。土壌改善。作物の切り替え。

 ページをめくる手が、止まらなかった。

 日が傾き始めた頃、ヴァルターが、図書室に入ってきた。

「まだ、読んでいるのか」

 彼の声には、驚きが含まれていた。どうやら、午後からミレーユがこの場所にいたことは、承知していたらしい。

「はい。穀物の不作について何か出来ればと思いまして。領民の皆さんが今、大変な状況にあると聞きました」

 ミレーユは、静かに答えた。

「そうか。何か見つけたか?」

「いくつか、対策になりそうなことがあります。もし、よろしければ、明日の朝食の時にお話しさせていただけますでしょうか」

 ヴァルターは、彼女が広げた書籍を見た。複雑な内容だ。

「君が、これを?」

「ええ。王太子妃教育で、領地経営についても学びましたし、土地の農作についても、多少は知識がございます」

 ヴァルターは、彼女をじっと見つめる。その目には、何かを探るような、試すようなそんな色が滲んでいる。

「わかった。明日の朝食の時に、聞かせてほしい」

「喜んで。提案を受け入れてくださいまして、感謝いたします」



 翌朝、ミレーユは朝食時に、穀物不作への対策案を説明した。

 新しい灌漑の方法。作物の種類の変更。土壌改善のやり方。不作の時期を見据えた備蓄戦略。

 ミレーユの説明は、論理的で、実現出来る可能性に満ちていた。彼女の漆黒の瞳は、真摯に輝いていた。ヴァルターは、ミレーユの説明を聞き終えた後、感嘆の溜息を吐くと、少し高揚した声色で言葉を掛けた。

「これは良い案だ。領民たちを説得できると思う。早速、領地の者たちに話を聞こう。君も一緒に来てくれないか? 君の説明の方が、彼らも理解しやすいはずだ」

 ミレーユは、ゆっくりと頷いた。自分の提案が受け入れられたことで、仄かな自信が芽生えていた。



 その日から、ミレーユはヴァルターの政務に関わるようになった。夕食時に彼は、領地の問題について彼女に相談するようになった。

「ミレーユ。この件について、どう思う?」

 彼女はいつも落ち着いて、的確なアドバイスをした。その意見は単なる提案ではなく、彼女自身の分析と判断に基づいたものだった。

 その夜ヴァルターは、ミレーユを褒めた。

「君は本当に聡明だな。俺は心から感謝しているんだ。君がこの邸に来てくれて」

 その言葉でミレーユの胸に初めて、本当に暖かいものが生まれた。彼女はこの邸で必要とされている。その確かな手ごたえが、彼女の矜持を支えた。



 時が経つにつれ二人の距離は、言葉によって、そして行動によって、確実に縮まっていた。

 夕食時の会話は、政務や領地の話だけではなく、個人的な思い出や考えについても交わされるようになった。

 ある日の夜のこと。

 ヴァルターが、不意にミレーユに問いかけて来た。

「ミレーユ。王太子妃教育で、音楽も習ったのか?」

「はい。ハープと歌唱を習いました。妃は国賓を招いた時に、その文化を代表する存在として楽器を演奏したり、歌唱をすることを求められることもありますので」

「もしよかったら弾いてはくれないか? 君の演奏を聴いてみたいんだ」

 ミレーユは少し照れながらも、僅かに頬を染めつつその申し出を受け入れた。そして、音楽室に置いてあるハープを奏でた。

 古い貴族の歌を。彼女が子どもの頃に好きだった子守唄を。

 彼女の指が、弦を優雅に撫でていく。その動きは、何年も修行を積んだ者のそれ。彼女の声が、暗い夜に溶け込むように響く。その歌声は、どこか哀愁を感じずにはいられない、切なさと胸の痛みを湧き立てた。

 ヴァルターは、ミレーユから視線を動かすことなく、静かに耳を傾けていた。

 歌い終わったとき、ヴァルターは思わずと言ったようにに彼女に近づいてきた。

「今の曲は何と言う歌だ? とても、素晴らしい演奏と歌声だった。心に響くものがある」

「子どもの頃、産みの母が歌ってくれました。その母は亡くなってしまいましたが、この歌を聞くといつもそのことを思い出します」

 そう話したミレーユの肩に、ヴァルターの指が優しく触れた。その温かさが、布越しに伝わってくる。そして、彼女の髪が初めて、彼の大きな手に包まれた。

 その瞳には、ミレーユに向けられた確かな感情が宿っていた。

「そうだったのか。君の思い出の籠った歌だったのだな。とても美しい。君の歌声も、君自身も」

 その言葉は、音楽への褒め言葉ではなく、彼女そのものへの賞賛だった。

 ミレーユの心臓は、大きく鼓動した。その時に彼女は、自分の心が彼に向かっていることを、ハッキリと意識させられた。

 ヴァルターは彼女の顔を両手で優しく包み、唇を寄せる。

 それは儀礼的なキスではなく、彼の全ての感情を込めた、愛情のキス。

 ミレーユはその唇の温かさに身を委ね、二人はそのまま抗うこともなく寝室へと向かった。

 初めて共に、寝室で過ごす夜。

 二人は漸く本当の意味で、夫婦となった。
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