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76 密談の前 ーChapter セラフィム
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執務室の机の上に、一通の書簡が届いていた。
封蝋にはグレイストン公爵家の紋章。差出人はヴァルター・グレイストン。
封を切り、中の便箋に一通り目を通したセラフィムは、傍目にもわかるほど、眉間深く皺を寄せていた。
暫くそうしたあと、横に控えるチャリオットにそれを差し出す。
「読んでみろ」
受け取ったチャリオットの目が、文面を追っていく。チャリオットの眉も、セラフィムの時と動揺、微かに動いた。
「お恥ずかしい事柄、個人的なこと……」
「そして、一刻を争う重大な事儀、だ」
顔を上げたチャリオットと、視線が交差する。
沈黙の中で、互いの考えを探り合う。
ヴァルターが娼館に通っていることは、既に把握している。銀髪の娼婦を囲っていることも、セラフィムの指示でチャリオットが調べ上げていた。
お恥ずかしいこと、個人的なこと。それは娼館絡みだろう。本来ならば、そのようなことを態々王太子に報告し、時間を取らせる必要もないことだ。
だが、それだけではない。
一刻を争う。
その一文が、書簡の意味を変えている。
「ただの告白ではありませんね、拝謁を願い出ておられてるのですから……」
チャリオットが低い声で言う。
「ああ。何かが迫っている。あるいは、これから何かが起きようとしていると読めるな」
「公爵閣下は、娼館で何かを掴んだのでしょうか? それを吐露しなければならない事態。それが急を要する事態に繋がっている、と」
「多分そうだろう。娼館絡みかどうかは推測ではあるが、俺に言ってくるということは、ほぼ間違いなく、例の件絡みだろうね」
セラフィムは椅子の背に体を預け、天井を見上げる。
ミレーユか。リージェリアか。あるいは両方か。
公爵が恥を晒してまで、一刻を争うと言ってくる。それを王太子に謁見を申し出ているのだ。思い当たることはひとつ、いや、一人しかいない。
『セレイナ』
その答えにチャリオットも至ったのだろう。セラフィムの指示を待つように、視線を動かさずに彼の顔を見つめていた。
「エリオスを呼べ。至急、王宮へ戻るようにと」
「畏まりました」
チャリオットが一礼し、執務室を出て行く。
一人残されたセラフィムは、机の上の書簡に目を落とす。
ヴァルター・グレイストン。
かつてセレイナの恋人だった男。自分がリージェリアを娶ったことで、その婚姻の誓いを、破らざるを得なくさせた男。そして銀髪の娼婦を囲い、かつて愛した女性の面影を、追い続けているのだろう男。
何よりも、自分と同じ苦しみを抱えている男だ。
その男が、何を持ってくるのか。
目を閉じ、長い息を吐く。
☆
夕刻になる頃、執務室の扉を叩く音がする。
「入れ」
扉が開き、チャリオットと共に、エリオスとオクターブが姿を現す。エリオスの表情には、急な呼び出しへの訝しさが浮かんでいた。
机を離れ、窓際の長椅子を示す。
「座ってくれ。人払いは済ませてある」
エリオスが長椅子に腰を下ろし、オクターブはその背後に控える。チャリオットは扉の傍に立ち、誰も近づかないよう見張っている。
セラフィムの執務室には、彼ら四人だけになっていた。
「急に呼び出して悪かったな」
「構わない。何があった?」
単刀直入に問うてくる弟に、机の上の書簡を取り、手渡す。
「これが今朝、届いた」
受け取ったエリオスが、封蝋の紋章を確認する。
「グレイストン公爵家……ヴァルター公からか」
「ああ。読んでみろ」
便箋を広げたエリオスの目が、文面を追っていく。その眉が、徐々に寄っていく。その傍らで控えているオクターブにも見えるように、書簡を横へすこしずらしている。
「恥ずかしい? 一刻を争う重大な事儀……」
エリオスが、首を傾げるようにして、その顔を上げた。
「これは、何のことだ? なぜヴァルター公が、王太子に密談を求めてくる? ……まさか、セレイナが関わっているのか?」
セラフィムがチャリオットに目配せをする。その仕草に頷きで返したチャリオットが、エリオスに歩み寄り、静かに口を開いた。
「エリオス殿下。ヴァルター公爵閣下のことで、お伝えしていなかったことがございます」
「何だ?」
「公爵閣下は、娼館にかなりの頻度で通っておいでです」
「娼館。……なるほど。でも、それがなぜ密談を希望することに繋がる? 娼館通いなど、公の勝手だろ」
「はい。そこなのですが……そこで囲っている娼婦が……」
一拍、間を置く。
「銀髪の娼婦なのです」
その言葉が落ちた瞬間、エリオスの表情が変わる。
銀髪。その意味するところを、エリオスは即座に理解したのだろう。眼つきが微かに鋭く変化する。
「セレイナの身代わり、ということか?」
「おそらくは。公爵閣下は、その娼婦を大層気に入っておいでのようで」
書簡に再び目を落とし、エリオスは黙り込んだ。その横顔には、複雑な感情が滲んでいるように見えた。
怒りか、軽蔑か。あるいは、それとも別の何かか。
セラフィムには、弟が何を思っているのか、読み取ることができなかった。が、セレイナを守ろうとする意志だけは間違いなく、そこにはあるように思えた。
チャリオットが言葉を継ぐ。
「もうひとつ、気になることがございます」
エリオスが顔を上げる。
「その娼館で、雑役の男が死んでおります。一月ほど前のことかと。川に落ちて溺死と聞いております」
「事故か?」
「はい。酔って喧嘩の末と、そう処理されております。ただ……」
言葉を切る。その沈黙が、言外の意味を語っている。
事故として処理されている。だが、本当に事故なのか。ヴァルターの文面を見る限り、よほどの覚悟を持ってだされたものだろうと察することが出来る。
もしかしたら、それも無関係ではないのでは? と疑ってかかってもいいのかもしれないと、執務室に重い沈黙が落ちる。
オクターブが初めて口を開いた。
「きな臭いですね」
その一言が、四人の思いを代弁していた。
セラフィムも話を繋ぐ。
「ヴァルターは、その娼館で何かを掴んだのだろうと推察するのが妥当だ。それがミレーユに関わることなのか、セレイナに関わることなのか。あるいは両方か」
「リージェリア妃にも関わる可能性がある、ということか」
エリオスの声は低い。
「そうだ。そして、一刻を争うと言っている。だから態々俺に、極秘裏に密会を申し込んできたんだろうな。これから何かが起きようとしているのかもしれん」
暫し考え込んでいたエリオスが、書簡をセラフィムに返す。
「いつ会う」
「日時と場所を指定して、返書を送る。お前とオクターブも悪いが、同席してもらえるか」
「俺も、か」
「ヴァルターが話す内容が何であれ、セレイナに関わる可能性が高い。お前も聞いておくべきだ。要地への帰還が遅れてしまうかもしれんが……」
エリオスがセラフィムの言葉を手で制し、頷き返す。
「いや、問題ない。多少留守が長引いても、要地の者は有能だ。仕事に滞りはない。それよりも、優先すべきはこちらだ」
「助かる。返書には、お前たちのことは記さないでおくか」
「警戒させないためか?」
「そうだ。ヴァルターは、恥を晒す覚悟で来る。余計な者がいると知れば、口を噤む可能性もあるからな」
机に戻り、羽根ペンを手に取る。
便箋を広げ、インクをつけ、日時と場所を記していく。二日後の昼頃、王宮の離れにある小書院。人目につかず、密談には適した場所。
書き終えた便箋を折りたたみ、封蝋で封をする。
「チャリオット。これをグレイストン公爵邸へ」
「畏まりました」
書簡を受け取ったチャリオットが、一礼して退出する。
執務室には、セラフィム、エリオス、オクターブの三人が残った。
窓の外では、宵が迫っている。迫る夜の中にぼんやりとした月が浮かんでいた。
ふと、セラフィムの視線が、弟の首元に目がいく。
見慣れない深い青のスカーフ。端に、小さな刺繍が施されているのがわかった。
「お前がスカーフか。珍しいな?」
「そうか?」
エリオスの口元が、わずかに緩む。それを見たセラフィムは、普段の王太子然とした表情をほんの少し崩して、片方の口角を上げながら続けた。
「公式な場以外では、ほぼしなかっただろう? 昔、母上にスカーフをしなさいと言われて、クソ婆と暴言を吐いてたからな」
「……いつの話だ……」
「俺が七歳で、お前が六歳くらいの時だ。二十年近く前だな」
「……」
「兎に角、申し訳ないがヴァルターとの面会日まで、ここに滞在してもらえるか?」
「わかった。だが明日の朝だけは、一度別荘に戻る。セレイナへ出立が伸びた旨を、知らせてくる」
エリオスの返答に、セラフィムは一瞬だけ息を詰まらせた。が、それをすぐに消し
「ああ、申し訳ないな」
「いや」
そう言ったエリオスは、無意識になのか指先でそっと、スカーフの端を撫でていた。
それを見たセラフィムは、何も言わず、ただそこから目を逸らした。
封蝋にはグレイストン公爵家の紋章。差出人はヴァルター・グレイストン。
封を切り、中の便箋に一通り目を通したセラフィムは、傍目にもわかるほど、眉間深く皺を寄せていた。
暫くそうしたあと、横に控えるチャリオットにそれを差し出す。
「読んでみろ」
受け取ったチャリオットの目が、文面を追っていく。チャリオットの眉も、セラフィムの時と動揺、微かに動いた。
「お恥ずかしい事柄、個人的なこと……」
「そして、一刻を争う重大な事儀、だ」
顔を上げたチャリオットと、視線が交差する。
沈黙の中で、互いの考えを探り合う。
ヴァルターが娼館に通っていることは、既に把握している。銀髪の娼婦を囲っていることも、セラフィムの指示でチャリオットが調べ上げていた。
お恥ずかしいこと、個人的なこと。それは娼館絡みだろう。本来ならば、そのようなことを態々王太子に報告し、時間を取らせる必要もないことだ。
だが、それだけではない。
一刻を争う。
その一文が、書簡の意味を変えている。
「ただの告白ではありませんね、拝謁を願い出ておられてるのですから……」
チャリオットが低い声で言う。
「ああ。何かが迫っている。あるいは、これから何かが起きようとしていると読めるな」
「公爵閣下は、娼館で何かを掴んだのでしょうか? それを吐露しなければならない事態。それが急を要する事態に繋がっている、と」
「多分そうだろう。娼館絡みかどうかは推測ではあるが、俺に言ってくるということは、ほぼ間違いなく、例の件絡みだろうね」
セラフィムは椅子の背に体を預け、天井を見上げる。
ミレーユか。リージェリアか。あるいは両方か。
公爵が恥を晒してまで、一刻を争うと言ってくる。それを王太子に謁見を申し出ているのだ。思い当たることはひとつ、いや、一人しかいない。
『セレイナ』
その答えにチャリオットも至ったのだろう。セラフィムの指示を待つように、視線を動かさずに彼の顔を見つめていた。
「エリオスを呼べ。至急、王宮へ戻るようにと」
「畏まりました」
チャリオットが一礼し、執務室を出て行く。
一人残されたセラフィムは、机の上の書簡に目を落とす。
ヴァルター・グレイストン。
かつてセレイナの恋人だった男。自分がリージェリアを娶ったことで、その婚姻の誓いを、破らざるを得なくさせた男。そして銀髪の娼婦を囲い、かつて愛した女性の面影を、追い続けているのだろう男。
何よりも、自分と同じ苦しみを抱えている男だ。
その男が、何を持ってくるのか。
目を閉じ、長い息を吐く。
☆
夕刻になる頃、執務室の扉を叩く音がする。
「入れ」
扉が開き、チャリオットと共に、エリオスとオクターブが姿を現す。エリオスの表情には、急な呼び出しへの訝しさが浮かんでいた。
机を離れ、窓際の長椅子を示す。
「座ってくれ。人払いは済ませてある」
エリオスが長椅子に腰を下ろし、オクターブはその背後に控える。チャリオットは扉の傍に立ち、誰も近づかないよう見張っている。
セラフィムの執務室には、彼ら四人だけになっていた。
「急に呼び出して悪かったな」
「構わない。何があった?」
単刀直入に問うてくる弟に、机の上の書簡を取り、手渡す。
「これが今朝、届いた」
受け取ったエリオスが、封蝋の紋章を確認する。
「グレイストン公爵家……ヴァルター公からか」
「ああ。読んでみろ」
便箋を広げたエリオスの目が、文面を追っていく。その眉が、徐々に寄っていく。その傍らで控えているオクターブにも見えるように、書簡を横へすこしずらしている。
「恥ずかしい? 一刻を争う重大な事儀……」
エリオスが、首を傾げるようにして、その顔を上げた。
「これは、何のことだ? なぜヴァルター公が、王太子に密談を求めてくる? ……まさか、セレイナが関わっているのか?」
セラフィムがチャリオットに目配せをする。その仕草に頷きで返したチャリオットが、エリオスに歩み寄り、静かに口を開いた。
「エリオス殿下。ヴァルター公爵閣下のことで、お伝えしていなかったことがございます」
「何だ?」
「公爵閣下は、娼館にかなりの頻度で通っておいでです」
「娼館。……なるほど。でも、それがなぜ密談を希望することに繋がる? 娼館通いなど、公の勝手だろ」
「はい。そこなのですが……そこで囲っている娼婦が……」
一拍、間を置く。
「銀髪の娼婦なのです」
その言葉が落ちた瞬間、エリオスの表情が変わる。
銀髪。その意味するところを、エリオスは即座に理解したのだろう。眼つきが微かに鋭く変化する。
「セレイナの身代わり、ということか?」
「おそらくは。公爵閣下は、その娼婦を大層気に入っておいでのようで」
書簡に再び目を落とし、エリオスは黙り込んだ。その横顔には、複雑な感情が滲んでいるように見えた。
怒りか、軽蔑か。あるいは、それとも別の何かか。
セラフィムには、弟が何を思っているのか、読み取ることができなかった。が、セレイナを守ろうとする意志だけは間違いなく、そこにはあるように思えた。
チャリオットが言葉を継ぐ。
「もうひとつ、気になることがございます」
エリオスが顔を上げる。
「その娼館で、雑役の男が死んでおります。一月ほど前のことかと。川に落ちて溺死と聞いております」
「事故か?」
「はい。酔って喧嘩の末と、そう処理されております。ただ……」
言葉を切る。その沈黙が、言外の意味を語っている。
事故として処理されている。だが、本当に事故なのか。ヴァルターの文面を見る限り、よほどの覚悟を持ってだされたものだろうと察することが出来る。
もしかしたら、それも無関係ではないのでは? と疑ってかかってもいいのかもしれないと、執務室に重い沈黙が落ちる。
オクターブが初めて口を開いた。
「きな臭いですね」
その一言が、四人の思いを代弁していた。
セラフィムも話を繋ぐ。
「ヴァルターは、その娼館で何かを掴んだのだろうと推察するのが妥当だ。それがミレーユに関わることなのか、セレイナに関わることなのか。あるいは両方か」
「リージェリア妃にも関わる可能性がある、ということか」
エリオスの声は低い。
「そうだ。そして、一刻を争うと言っている。だから態々俺に、極秘裏に密会を申し込んできたんだろうな。これから何かが起きようとしているのかもしれん」
暫し考え込んでいたエリオスが、書簡をセラフィムに返す。
「いつ会う」
「日時と場所を指定して、返書を送る。お前とオクターブも悪いが、同席してもらえるか」
「俺も、か」
「ヴァルターが話す内容が何であれ、セレイナに関わる可能性が高い。お前も聞いておくべきだ。要地への帰還が遅れてしまうかもしれんが……」
エリオスがセラフィムの言葉を手で制し、頷き返す。
「いや、問題ない。多少留守が長引いても、要地の者は有能だ。仕事に滞りはない。それよりも、優先すべきはこちらだ」
「助かる。返書には、お前たちのことは記さないでおくか」
「警戒させないためか?」
「そうだ。ヴァルターは、恥を晒す覚悟で来る。余計な者がいると知れば、口を噤む可能性もあるからな」
机に戻り、羽根ペンを手に取る。
便箋を広げ、インクをつけ、日時と場所を記していく。二日後の昼頃、王宮の離れにある小書院。人目につかず、密談には適した場所。
書き終えた便箋を折りたたみ、封蝋で封をする。
「チャリオット。これをグレイストン公爵邸へ」
「畏まりました」
書簡を受け取ったチャリオットが、一礼して退出する。
執務室には、セラフィム、エリオス、オクターブの三人が残った。
窓の外では、宵が迫っている。迫る夜の中にぼんやりとした月が浮かんでいた。
ふと、セラフィムの視線が、弟の首元に目がいく。
見慣れない深い青のスカーフ。端に、小さな刺繍が施されているのがわかった。
「お前がスカーフか。珍しいな?」
「そうか?」
エリオスの口元が、わずかに緩む。それを見たセラフィムは、普段の王太子然とした表情をほんの少し崩して、片方の口角を上げながら続けた。
「公式な場以外では、ほぼしなかっただろう? 昔、母上にスカーフをしなさいと言われて、クソ婆と暴言を吐いてたからな」
「……いつの話だ……」
「俺が七歳で、お前が六歳くらいの時だ。二十年近く前だな」
「……」
「兎に角、申し訳ないがヴァルターとの面会日まで、ここに滞在してもらえるか?」
「わかった。だが明日の朝だけは、一度別荘に戻る。セレイナへ出立が伸びた旨を、知らせてくる」
エリオスの返答に、セラフィムは一瞬だけ息を詰まらせた。が、それをすぐに消し
「ああ、申し訳ないな」
「いや」
そう言ったエリオスは、無意識になのか指先でそっと、スカーフの端を撫でていた。
それを見たセラフィムは、何も言わず、ただそこから目を逸らした。
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