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84 反撃の狼~灰色の商人 ーChapter エリオス
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カフェ・プロコピウスを後にしたエリオスたちは再び、あの象牙色の石壁と、大窓に掛けられてある青緑のオーニングが特徴的なレーヌ商会を訪れていた。
店内に漂うのは、相変わらずの洗練された香水の残り香。だが今のエリオスの懐にあるのは、その華やかさとは対極にある、泥を啜るような現実の欠片だった。
案内された応接室で、商会長のモーリー・レーヌは以前と変わらず穏やかな笑みを浮かべ、彼らを迎えた。
「これはエリオス殿下。今日はまた、一段と厳しいお顔をされておられる」
「挨拶は抜きだ。モーリー、これを見てほしい」
モーリーが一礼の後、椅子に座るのを待たずに、エリオスは布に包んだ小さな瓶を机の上に静かに置いた。
腰を下ろして直ぐ視線を瓶に落としたモーリーは、自身のジャケットの内から白手袋を取り出し、それを嵌める。そして恭しくその瓶を拾い上げた。窓から差し込む午後の光に透かし、底の厚みや口の削りを見定める。
「殿下、この瓶がいかがなさいましたか?」
モーリーの言葉に淀みはない。寧ろ、これがどうしたのだろうかという単純で当たり前の疑問を、エリオスに問うている。
「この瓶は、どこで扱っているものかわかるだろうか?」
手に持っていた瓶を机の上に置き、エリオスの方へと押し返すモーリー。そうしてから手袋を外しつつ、にこやかに答えた。
「エリオス殿下。これは私共の扱う品ではございません」
「どこで手に入る?」
「こちらの貴族街の店で扱うような品ではなく、市井のマルシェでよく見かける瓶です。廉価で、ごくありふれたもの。どこでも手に入るでしょう。瓶の色が濃いため、中の液体が劣化しにくいのです。庶民には重宝されている品でございますね」
「なるほど」
エリオスは机の上の瓶を受け取り、それを布で包むと再び自らのジャケットの懐へと収めた。
「ではこの瓶を、グレイストン公爵夫人から王太子妃へ、貴殿を介して運んだということはあるだろうか?」
その問いに、モーリーは少しだけ視線を宙にやり、自身の顎を撫でた。何かを思い出しているのか、それとも誤魔化そうとしているのか。
「申し訳ありません。覚えがあるような……ないような。本当に、申し訳ございません。多くの品を扱っております故、この手のありふれた瓶については、私個人の記憶もいささか曖昧でございます」
(食えぬことを)
咄嗟にそう思ったエリオスだったが、そこに虚偽の気配はなかった。モーリーは嘘をついているのではなく、本当に凡庸だからこそ断定できないだけなのかもしれない。そう思える様子でもあった。
「そうか。それと、このことは」
「心得ております。この室内だけの話でございます。今日エリオス殿下は、こちらへいらっしゃいませんでした」
モーリーは深く頭を下げながら、そう答えた。
「助かる。色々とすまんな」
「滅相もございません」
ここでは瓶の確認だけだった。だがエリオスも、どこかで期待していた。ここでモーリーが覚えがあると言ってくれていたならば、瓶の経路については確定ができた。
だが目の前の老獪な男は、さすが厳しい商売を生き抜いてきたというべきか。飄々とエリオスの問いをすり抜けた。その上、口外はしないという、こちらが何かを言う前にサラッと信頼まで置いたのだ。
椅子から立ち上がったエリオスは、頭を下げるモーリーに「また立ち寄らせてもらおう」とだけ言い残し、レーヌ商会を後にした。
☆
「食えぬ老人ですね」
レーヌ商会を後にし馬車に乗り込んだ一行は、先ほどのモーリーとのやり取りを思い出したのか、ポツリとオクターブが漏らした。
「商人だからな。あんなもんだろ。それより、次が正念場だ。……兄上に報告の上、必要なら両陛下へも」
そこまでエリオスが言うと、「ヒッ」と言う場違いな声が車内に響いた。声の主はガレーニャ。
「どうかしましたか?」
オクターブの問いかけに、ガレーニャはまるで市場に並ぶ魚のように口をパクパクしだした。
「りょ、りょ、両陛下って、両陛下ですよ、ね、? りょ……」
極度の緊張なのか、普段は冷静なガレーニャの表情は赤くなるやら、青くなるやらで忙しい。
「セレイナの侍医として、俺の両親へ報告してほしい。王と王后へではなく、俺の両親に、だ。そして君は、セレイナの侍医として。俺は、ガレーニャ。君ほどセレイナのことを理解してくれている医者はいないと思っているし、能力も宮廷医師どもなんかよりも、はるかに上だ。自信を持て」
エリオスの『セレイナ』『医師』と言う言葉が彼女の琴線に触れたのか、今まで動揺の極致だったガレーニャは、瞬時にその顔に普段通りの冷静さを取り戻していた。
「もちろん、です。エリオス殿下。セレイナ様のためならば……っ」
ガレーニャが放ったその言葉に、三人は大きく頷きあった。
店内に漂うのは、相変わらずの洗練された香水の残り香。だが今のエリオスの懐にあるのは、その華やかさとは対極にある、泥を啜るような現実の欠片だった。
案内された応接室で、商会長のモーリー・レーヌは以前と変わらず穏やかな笑みを浮かべ、彼らを迎えた。
「これはエリオス殿下。今日はまた、一段と厳しいお顔をされておられる」
「挨拶は抜きだ。モーリー、これを見てほしい」
モーリーが一礼の後、椅子に座るのを待たずに、エリオスは布に包んだ小さな瓶を机の上に静かに置いた。
腰を下ろして直ぐ視線を瓶に落としたモーリーは、自身のジャケットの内から白手袋を取り出し、それを嵌める。そして恭しくその瓶を拾い上げた。窓から差し込む午後の光に透かし、底の厚みや口の削りを見定める。
「殿下、この瓶がいかがなさいましたか?」
モーリーの言葉に淀みはない。寧ろ、これがどうしたのだろうかという単純で当たり前の疑問を、エリオスに問うている。
「この瓶は、どこで扱っているものかわかるだろうか?」
手に持っていた瓶を机の上に置き、エリオスの方へと押し返すモーリー。そうしてから手袋を外しつつ、にこやかに答えた。
「エリオス殿下。これは私共の扱う品ではございません」
「どこで手に入る?」
「こちらの貴族街の店で扱うような品ではなく、市井のマルシェでよく見かける瓶です。廉価で、ごくありふれたもの。どこでも手に入るでしょう。瓶の色が濃いため、中の液体が劣化しにくいのです。庶民には重宝されている品でございますね」
「なるほど」
エリオスは机の上の瓶を受け取り、それを布で包むと再び自らのジャケットの懐へと収めた。
「ではこの瓶を、グレイストン公爵夫人から王太子妃へ、貴殿を介して運んだということはあるだろうか?」
その問いに、モーリーは少しだけ視線を宙にやり、自身の顎を撫でた。何かを思い出しているのか、それとも誤魔化そうとしているのか。
「申し訳ありません。覚えがあるような……ないような。本当に、申し訳ございません。多くの品を扱っております故、この手のありふれた瓶については、私個人の記憶もいささか曖昧でございます」
(食えぬことを)
咄嗟にそう思ったエリオスだったが、そこに虚偽の気配はなかった。モーリーは嘘をついているのではなく、本当に凡庸だからこそ断定できないだけなのかもしれない。そう思える様子でもあった。
「そうか。それと、このことは」
「心得ております。この室内だけの話でございます。今日エリオス殿下は、こちらへいらっしゃいませんでした」
モーリーは深く頭を下げながら、そう答えた。
「助かる。色々とすまんな」
「滅相もございません」
ここでは瓶の確認だけだった。だがエリオスも、どこかで期待していた。ここでモーリーが覚えがあると言ってくれていたならば、瓶の経路については確定ができた。
だが目の前の老獪な男は、さすが厳しい商売を生き抜いてきたというべきか。飄々とエリオスの問いをすり抜けた。その上、口外はしないという、こちらが何かを言う前にサラッと信頼まで置いたのだ。
椅子から立ち上がったエリオスは、頭を下げるモーリーに「また立ち寄らせてもらおう」とだけ言い残し、レーヌ商会を後にした。
☆
「食えぬ老人ですね」
レーヌ商会を後にし馬車に乗り込んだ一行は、先ほどのモーリーとのやり取りを思い出したのか、ポツリとオクターブが漏らした。
「商人だからな。あんなもんだろ。それより、次が正念場だ。……兄上に報告の上、必要なら両陛下へも」
そこまでエリオスが言うと、「ヒッ」と言う場違いな声が車内に響いた。声の主はガレーニャ。
「どうかしましたか?」
オクターブの問いかけに、ガレーニャはまるで市場に並ぶ魚のように口をパクパクしだした。
「りょ、りょ、両陛下って、両陛下ですよ、ね、? りょ……」
極度の緊張なのか、普段は冷静なガレーニャの表情は赤くなるやら、青くなるやらで忙しい。
「セレイナの侍医として、俺の両親へ報告してほしい。王と王后へではなく、俺の両親に、だ。そして君は、セレイナの侍医として。俺は、ガレーニャ。君ほどセレイナのことを理解してくれている医者はいないと思っているし、能力も宮廷医師どもなんかよりも、はるかに上だ。自信を持て」
エリオスの『セレイナ』『医師』と言う言葉が彼女の琴線に触れたのか、今まで動揺の極致だったガレーニャは、瞬時にその顔に普段通りの冷静さを取り戻していた。
「もちろん、です。エリオス殿下。セレイナ様のためならば……っ」
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