偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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100 懺悔 ーChapter セラフィム

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 セラフィムはその後、伯爵に導かれ別室へと通された。

 書斎のような部屋だった。壁の書棚には、本や書類綴りが几帳面に並び、窓からは整えられた動物のトピアリーが立っている庭が見える。
 部屋の中央には、厚く頑強そうな木製の机と、向かい合う形で椅子が二脚。

「どうぞ、お掛けください」

 伯爵が椅子へと促すが、セラフィムはその言葉に従わなかった。

「その前に」

 そう言うと、セラフィムは伯爵の前で、深く頭を下げた。

 王太子が一介の伯爵に対して、これほどまでに頭を下げることは通常ありえない。
 それでもセラフィムは、その金の髪を垂らしながら深く頭を下げたのだ。

「伯爵。申し訳ない」

 セラフィムの声は力強く、大きな声で張るではないが、ハッキリとそれとわかるように、謝罪を口にした。

「詫びの言葉すら、私は今日まで伝えられなかった。それさえも、弟に任せてしまった」

 伯爵は何も言わなかった。ただ、セラフィムを見つめている。

「私が望んで、セレイナ嬢を娶らせてもらった。なのに、私は彼女に数々の仕打ちをした。それどころか、苦しんでいることにさえ、気づかなかった」

 セラフィムの声は、静かに続く。だがそこには、確かな悔恨があった。

「許してほしいとは、言えない。言う資格がない。ただ、心からの謝罪だけは、どうしても伝えたかった」

 長い静寂の時間。やがて、伯爵が口を開いた。

「……殿下。御顔をお上げください」

 セラフィムがゆっくりと顔を上げた。

 伯爵は眉尻を下げ、セラフィムを見つめていた。そこには、過去と現在、愛しい娘を襲うあまりにも残酷な事実をどう受け止めていいのか、戸惑う怒りがある。
 だが、王太子であるセラフィムが、伯爵に頭を垂れることの大きさを理解している姿があった。

「正直に申し上げます。『許す』とは、言えません。娘が受けた苦しみを、私は許すことができない。父として、それだけは」

 セラフィムは頷いた。当然のことだ。

「ですが、今、セレイナは戻ってきてくれました。生きて、ここに。その上、王太子殿下から直接、心からの詫びのお言葉を頂戴いたしました。それは……ありがたく、受け止めております」

 伯爵は一度言葉を切り、息を吸った。

「ですが、殿下」

 伯爵の顔が苦渋に歪んでゆく。その声が、急に大きく震え始めた。唇を震わせ、今まで抑えていた感情が今にも溢れ出さんばかりの、声。

「なぜ……なぜ、娘がここまでの目に遭わなければならないのでしょうか」

 その声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。

「健康を壊され、やっと立ち直りかけたところで、今度は顔に薬品を。なぜ、セレイナなのですか。なぜ、娘なのですか」

 伯爵の目が、赤く充血していた。

 セラフィムは、その怒りを真正面から受け止めた。

「……伯爵」

 静かに、セラフィムは口を開いた。

「伝えなければならないことがある」

 セラフィムは、ゆっくりと、だがそこに立ったままではあったが、真っ直ぐに伯爵に向き合い、言葉を続けた。

「セレイナ嬢は、長期間にわたって毒を盛られていた。その毒の影響で……今後、懐妊できる可能性が、極めて低いと診断されている」

 その言葉を聞いた伯爵の顔から、全ての表情が消えた。

 そして。

 その目から、涙が流れ落ちた。嗚咽はなく、声も出ていない。涙だけが、頬を伝っていく。

 伯爵は、そのまま固まっていた。動くことも、言葉を発することもできないように。

 セラフィムは、伯爵の顔を見つめる事しかできないでいた。

 何を言っても、この父親の悲しみを癒すことはできない。
 それはわかっていた。当たり前であろう。

「犯人は、必ず見つけ出す。そして、必ず罰を受けさせる」

 その言葉に、力を込めた。

「ただ……それがセレイナ嬢の受けた傷への贖罪になるとは、私も思っていない」

 伯爵は、まだ動かなかった。涙だけが、静かに流れ続けている。

「だが、約束する。彼女が受けた傷は、必ず治癒させる。どんな手を使ってでも。それだけは、必ず」

 部屋の隅で、チャリオットが俯いたまま立っていた。

 その肩が、小さく震えている。
 彼も彼で、自身の贖罪を抱えているのだろう。

 誰も口を開かず、ただ立ち尽くしていた。その場に漂う静寂。そこには、男たちそれぞれが抱えている悔恨が、交わりあっているようだった。

「最後に、ひとつ頼みがある」

 セラフィムが声を掛けると、伯爵の視線がゆっくりと動いた。

「私が今日ここに来たことは、セレイナ嬢には伝えないで欲しい。事態が事態なので、私が来たが、」

 一度言葉を切ったセラフィムは、大きく息を吸い込んで、さらに静かに続けた。

「……彼女の心身の安寧のために。私が来たことを知れば、余計な負担をかけてしまうだろう。どうか、内密に」

 伯爵は、短くも、長くも感じる間、セラフィムをじっと見つめていた。やがて、小さく頷いた。

「……承知いたしました」

 伯爵の声は、か細く、弱いものだった。

 返事を聞き、部屋を後にしようとするセラフィムに、伯爵が無表情のまま後を付き見送ろうとしたが、

「ここで構わない。セレイナ嬢の傍に居てやってくれ」

 と、伯爵を手で制した。

 伯爵はその場で、深く頭を下げた。

 
 チャリオットと廊下を歩きながら、セラフィムは自分の手を見つめた。

 爪が食い込んだ跡が、赤く残っている。

 玄関で馬車に乗り込む直前、セラフィムは一度だけ伯爵邸を振り返った。セレイナの部屋があるであろう方角を見上げる。

 だが目に映る部屋の窓は閉じられており、カーテンすら見る事は出来なかった。

 ただ邸の向こう側に広がる夕暮れの空が、赤く染まっているだけだった。

「エリオスに、なんて伝えるか……」

 そう呟いたセラフィムの言葉は、その赤に染まっていくようだった。

 その中を蜻蛉が低く、ゆらりと舞い、堕ちた。
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