【本編完結】星を継ぐ踊り子とスチールグレイの修復士~日誌に綴られた謎と、仄かな恋の旅

苺迷音

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 カツ、カツ、カツ……。

 軍靴が、石畳の床を叩く。一つ、また一つ。複数の男たちが、狭い貯蔵庫に入ってきている。

「埃っぽいな……」

 すぐ、本当にすぐ目の前で声がした。板一枚隔てた向こう側に、兵士が立っている。
 
 懐中ランプの光だろうか。樽の板の隙間から、細い光の筋が差し込み、レンの瞳を横切った。

 レンは瞬きすらせず、身を硬くした。アリアの背中に回した手に力を込める。アリアもまた、レンの胸に顔を埋め、彼の心音を聞きながら耐えていた。

「隊長。ここには樽とガラクタしかありません」

「……妙だな」

 リーダー格の男の声が、三人が潜む樽の正面で止まった。

「ネズミ一匹逃げ場のない配置にしたはずだ。蒸発するわけがない」

 ゴン。

 不意に、樽が外から叩かれた。衝撃が木材を通して伝わる。

「……この樽、中身が入っているのか?」

 男が鋭く問う。

「ああ、そりゃあ一番の年代物だ。開けてみてもいいが、空気に触れさせたら味が落ちる。その分もきっちり弁償してもらうぞ」

 店主の声は平然としていたが、その裏に凄味が混じっている。

 長い、永遠とも思える沈黙。雨音が、遠くで響いている。樽の外で、男がゆっくりと息を吐く気配がした。

「……いいだろう」

 足音が、くるりと向きを変えた。

「行くぞ。次の店だ」

 遠ざかる足音。貯蔵庫の扉が閉められ、やがて表のドアが開閉する音が微かに聞こえた。それでも、三人は動かなかった。罠かもしれない。

 数分後。
 
 コン、コン。
 
 樽の外から、軽い合図のようなノックがあった。ゴトリと樽が動き、光が差し込む。
 
 店主が、額の脂汗を拭いながら立っていた。

「……行ったぜ。まったく、寿命が縮む思いだ」

 這い出した三人は、その場へ座り込んだ。アリアの顔色はまだ白かったが、その瞳には生気が戻っていた。

「……やるじゃねぇか、親父」

 ガルドがニヤリと笑ったが、その額にも汗が滲んでいる。

「ふん。だてに長くここで商売やってねぇよ。……だが、こりゃあマズいぞ。奴ら、本気で探し回ってやがる。この街の出口を固めるつもりだ。港も見張られるだろうな」

 店主が渋い顔で告げる。
 この嵐で船が出せないと踏んで、包囲網を狭めていくつもりなのだろう。宿でじっとしていれば、いずれ見つかるのは時間の問題だ。

 ガルドは窓の外、横殴りの雨を見つめ、不敵に笑った。

「……好都合じゃねぇか」

「え?」

 アリアが問うと、ガルドはニヤリと白い歯を見せた。

「奴らは思ってるはずだ。『こんな嵐の中、船を出す馬鹿はいない』とな。……だからこそ、裏をかく」

 彼はレンとアリアを交互に見た。

「今夜出るぞ。夜明け前、嵐が一番ひどくなる時間に強行突破だ」

 店主が呆れたようにため息をついた。

「本気かよガルド。死ぬぞ?」

「ここにいたってジリ貧だ。それに、俺の船はタフだぜ? こんなシケで沈むようなヤワな造りじゃねぇ。それにな。凄腕の修復士が味方なんだ。そうだろ? なぁ、レン」

 ガルドは豪快に笑い飛ばしたが、その目は真剣だった。
 
 レンもその目をみて、大きく頷いた。

「……計算上も、それしか勝機はない。奴らが油断している隙を突く」

 レンが確認するように、アリアを見る。アリアは、先ほど握ってくれたレンの手の温かさを思い出し、強く頷いた。

「行きましょう。……父様だって、きっと嵐を越えていったはずだもの」

「決まりだな」

 ガルドが右手の拳を左手で叩いて、音を鳴らす。

「さあ! 野郎ども! 地獄への航海と行こうじゃねぇか!」



 夜明け前。リラムの港は、轟音に包まれていた。
 
 海は黒くうねり、桟橋に白波が噛み付いている。
 灰色のマントの男たちは、港の入り口にある検問所に詰めていたが、あまりの暴風雨に窓を閉ざし、中の暖炉に当たっているのが見えた。

 その死角を突き、暗闇に紛れてラスティ・タートル号の係留ロープが解かれた。
 
 エンジン音を悟られないよう、最初は波の音に紛れさせ、沖に出てから出力を上げる。

 ボイラーが低く唸り、スクリューが水を噛む。船体は大きく傾ぎながら、荒れ狂う外海へと躍り出た。

 巨大な波が、船首を高く持ち上げる。次の瞬間、谷底へ落ちるような浮遊感と共に、船は波間へと叩きつけられる。

「きゃっ!」

 船室で、アリアが手すりにしがみつき悲鳴を上げる。レンが彼女の体を支え、壁に固定されたベンチへと座らせた。

「大丈夫か!?」

「な、なんとか……!」

 操舵室では、ガルドが舵輪と格闘していた。

「ハッハー! いい波だ! これくらいじゃなきゃ眠くなっちまう!」

 狂気じみた笑い声を上げながら、彼は巧みに波の尾根を読み、船を前進させる。

 だが、その時だった。

『船長! 後方より接近する船影あり!』

 伝声管から見張りの声が響く。

「なんだと!?」

 ガルドが振り返る。
 
 雨と波飛沫の向こう、闇を切り裂くような強力なサーチライトの光が見えた。
 鋭く尖った船首を持つ、最新鋭の軍用高速艦だ。

「……チッ、嗅ぎつけやがったか! あの嵐の中を出てくる馬鹿が、俺たち以外にもいたとはな!」

 軍艦からの砲撃音か、あるいは雷鳴か。
 水柱が船のすぐ横で上がった。

 逃げる亀の背を追う、狼の眼光。サーチライトが無慈悲に焼き焦がす。
 
 嵐の海は、瞬く間に鉄と火薬の匂いが支配する狩り場へと変貌していた。
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