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29 最終話
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目的地の港に着くまでの時間。
ラスティー・タートル号の中で、レンは壊れた計器や錆びついた滑車を次々と修理していった。その鮮やかな手際に、船の機関工が唸り声を上げる。
「こりゃ本物だ。うちの船に欲しいくらいだ」
アリアも船員たちへ占いをしたり、厨房で食事の用意を手伝ったりと忙しく動いている。
そんなある星の瞬く夜、アリアは船員たちの協力を得て、即席で作った衣装で舞を披露した。アコーディオンやフィドルを奏でる船員たちの音楽に乗せて、甲板で繰り広げられる幻想的な踊り。
「う、美しすぎる……」「ワシ、生きててよかった……」
船員たちは息を呑み、それからはアリアを『女神』と呼んで崇め出した。
レンは少し離れたところで腕を組み、胡乱げな目で船員たちを眺めていた。だが、アリアの舞は確かに美しく、レンも見惚れずにはいられなかった。
幻想的な空気が流れる中、ガルドが葡萄酒を片手にレンの隣にやってくると、ニヤつきながら楽しそうに囁く。
「嬢ちゃんのこと、手放すんじゃねぇぞ?」
レンは何も答えなかったが、その横顔はわずかに赤くなる。
こうしてラスティ・タートル号での航海は、賑やかで温かな日々となった。
☆
長い航海の末、ラスティ・タートル号は静かに桟橋へと接岸した。波は穏やかで、港のガス灯が海面に揺れている。
タラップが架けられた桟橋。船上からガルドが短く告げた。
「ここまでだ」
レンとアリアは荷物を持ち、タラップを降りて桟橋に立つと、船を振り返った。
「世話になった!」「ありがとう、船長さん! 皆さん!」
レンとアリアは、甲板に並ぶガルドや船員たちに向かって、お礼の言葉を叫んだ。
「へっ、水くさい挨拶はナシだ! また会おうぜ!」
ガルドはニッと笑うと、すぐに船員たちに出航を命じた。別れを惜しむのは柄じゃない。彼らは海に生きる男たちだ。
桟橋を離れ始めたラスティ・タートル号。離れていく甲板に、ガルドと船員たちが並んで立っていた。全員が音を合わせ、ダン、ダン、ダンと足を踏み鳴らしながら、大きく手を振る。船乗りたちが認めた者を見送るときに、敬意と親愛を込めて鳴らす音だ。
「お前らの旅が、幸多からんことを! ヨー! ホー!」
その声は夜の港に朗らかに響き渡り、やがてエンジンの低い唸り音と共に、水平線の彼方へと遠ざかっていった。
船が見えなくなるまで見送った後、桟橋には二人だけが残された。冬の透き通った空気の中、満天の星が瞬いている。
アリアは、両親との思い出が詰まった小さな宝石箱を、大切そうに胸に抱いて立っていた。その隣で、レンは肩にかけた革鞄の上から、確かめるように手を置いた。中には、シリウスが遺した設計図の束が収められている。
掌に伝わるその重み。それは、これから彼らが背負い、紡いでいく未来の重さだ。
「……この設計図。実装するには数年……いや、もっとかかるだろうな」
レンが静かに呟く。アリアはレンの横顔を見上げ、試すように微笑んだ。
「あなたの腕でも?」
「ああ」
レンはふっ、と鼻を鳴らした。それは諦めではなく、困難な仕事に臨む職人としての高揚感でもあった。
「……逆に、この凄まじい構造を見抜いて形にできるやつが、世界中探したって俺以外にはいないだろ?」
その傲慢とも取れる自信に、アリアは深く納得し、頷いた。かつて初めてレンの工房を訪れ、彼の気配に感じた絵柄を思い出しながら、彼女は瞬く星々を見上げる。
「父様と母様は、もしかしたらあなたの存在も予感していたのかもね。だからこそ、私に未来を託してくれた」
レンは鞄から手を離し、アリアに向き直った。
「……俺のことを、か」
「そう。だってあなたは救世主だもの」
レンは眉を少し上げた。その言葉は、以前にも彼女から言われたことがあった。
「そういえば、それは一体どういう意味なんだ? 最初に工房へ来た時も言ってたな」
「タロットカードの『カップのナイン』よ。ウィッシュカードと言って、意味は『願いが叶う』、そして『希望』」
アリアはレンのスチールグレイの瞳を、真っ直ぐに見つめた。
「だから、私の救世主だって思ったの。……でも同時に、あなたは世界にとっても、未来の救世主だったのね」
レンはアリアの言葉を噛み締め、少し気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……光栄だな」
二人は再び見つめ合い、静かに微笑み合う。波音だけが響く静寂の中、レンがふと真顔になった。
「生涯かけててでも、この設計図を完成させなきゃな」
レンは一拍置いて、生真面目そうな声を落とす。
「でも、設計図はアリア、君のものだ。どうする? このまま君が、手元に置いていてもいい。この筆跡はきっと、アリアの父上のものだろうから」
「父様が託してくれたのだもの。そしてきっと世界中探しても、父様の設計図を読み取れるのは、レン。貴方しかいないんでしょう? だから……」
続きの言葉を言いよどむアリアに、レンの口元がわずかに緩んだ。
「じゃあ、一緒に築いていくか?」
そう、レンが問いかけると、アリアはパッと顔を輝かせ
「ええ! もちろん!」
嬉しそうに微笑み即答する。その声には、迷いの欠片もない。
見上げれば、頭上には凍てつくような美しさの冬の星座たちが輝いている。その中心には、ひときわ強く輝くシリウス。そして、それに寄り添う伴星。
二人で一つのシリウス。アリアの父と母が、今も空から見守ってくれている。
海風が吹き抜け、アリアが小さく身を震わせた。レンは自分のコートの前を広げると、アリアを背中から包み込むように抱き寄せた。
レンの体温、革の匂い。そして、守られているという安堵感。肩に掛かるレンの手の上に、アリアも手を置く。重なった二人の手は、お互いが存在を確かめ合うように、温かい。
「さぁ、帰ろう」
「ええ、帰りましょう」
ガス灯の灯る温かな街の方角へ、彼らが共に生きていく場所へと、二人は寄り添い手を繋いでゆっくりと歩き出した。
その背中を、冬の星々が柔らかく照らしていた。
ー了ー
最後までお読みいただきありがとうございました。
星の輝きを纏う、いくつもの素晴らしい作品の中で、砂粒のような本作を見つけて、拾っていただき、そして貴重なお時間を割いて読んでくださいましたこと、心からの感謝が尽きません。
どうぞ皆さま、素敵なクリスマスと年末年始をお過ごしください。
メリークリスマス!
ラスティー・タートル号の中で、レンは壊れた計器や錆びついた滑車を次々と修理していった。その鮮やかな手際に、船の機関工が唸り声を上げる。
「こりゃ本物だ。うちの船に欲しいくらいだ」
アリアも船員たちへ占いをしたり、厨房で食事の用意を手伝ったりと忙しく動いている。
そんなある星の瞬く夜、アリアは船員たちの協力を得て、即席で作った衣装で舞を披露した。アコーディオンやフィドルを奏でる船員たちの音楽に乗せて、甲板で繰り広げられる幻想的な踊り。
「う、美しすぎる……」「ワシ、生きててよかった……」
船員たちは息を呑み、それからはアリアを『女神』と呼んで崇め出した。
レンは少し離れたところで腕を組み、胡乱げな目で船員たちを眺めていた。だが、アリアの舞は確かに美しく、レンも見惚れずにはいられなかった。
幻想的な空気が流れる中、ガルドが葡萄酒を片手にレンの隣にやってくると、ニヤつきながら楽しそうに囁く。
「嬢ちゃんのこと、手放すんじゃねぇぞ?」
レンは何も答えなかったが、その横顔はわずかに赤くなる。
こうしてラスティ・タートル号での航海は、賑やかで温かな日々となった。
☆
長い航海の末、ラスティ・タートル号は静かに桟橋へと接岸した。波は穏やかで、港のガス灯が海面に揺れている。
タラップが架けられた桟橋。船上からガルドが短く告げた。
「ここまでだ」
レンとアリアは荷物を持ち、タラップを降りて桟橋に立つと、船を振り返った。
「世話になった!」「ありがとう、船長さん! 皆さん!」
レンとアリアは、甲板に並ぶガルドや船員たちに向かって、お礼の言葉を叫んだ。
「へっ、水くさい挨拶はナシだ! また会おうぜ!」
ガルドはニッと笑うと、すぐに船員たちに出航を命じた。別れを惜しむのは柄じゃない。彼らは海に生きる男たちだ。
桟橋を離れ始めたラスティ・タートル号。離れていく甲板に、ガルドと船員たちが並んで立っていた。全員が音を合わせ、ダン、ダン、ダンと足を踏み鳴らしながら、大きく手を振る。船乗りたちが認めた者を見送るときに、敬意と親愛を込めて鳴らす音だ。
「お前らの旅が、幸多からんことを! ヨー! ホー!」
その声は夜の港に朗らかに響き渡り、やがてエンジンの低い唸り音と共に、水平線の彼方へと遠ざかっていった。
船が見えなくなるまで見送った後、桟橋には二人だけが残された。冬の透き通った空気の中、満天の星が瞬いている。
アリアは、両親との思い出が詰まった小さな宝石箱を、大切そうに胸に抱いて立っていた。その隣で、レンは肩にかけた革鞄の上から、確かめるように手を置いた。中には、シリウスが遺した設計図の束が収められている。
掌に伝わるその重み。それは、これから彼らが背負い、紡いでいく未来の重さだ。
「……この設計図。実装するには数年……いや、もっとかかるだろうな」
レンが静かに呟く。アリアはレンの横顔を見上げ、試すように微笑んだ。
「あなたの腕でも?」
「ああ」
レンはふっ、と鼻を鳴らした。それは諦めではなく、困難な仕事に臨む職人としての高揚感でもあった。
「……逆に、この凄まじい構造を見抜いて形にできるやつが、世界中探したって俺以外にはいないだろ?」
その傲慢とも取れる自信に、アリアは深く納得し、頷いた。かつて初めてレンの工房を訪れ、彼の気配に感じた絵柄を思い出しながら、彼女は瞬く星々を見上げる。
「父様と母様は、もしかしたらあなたの存在も予感していたのかもね。だからこそ、私に未来を託してくれた」
レンは鞄から手を離し、アリアに向き直った。
「……俺のことを、か」
「そう。だってあなたは救世主だもの」
レンは眉を少し上げた。その言葉は、以前にも彼女から言われたことがあった。
「そういえば、それは一体どういう意味なんだ? 最初に工房へ来た時も言ってたな」
「タロットカードの『カップのナイン』よ。ウィッシュカードと言って、意味は『願いが叶う』、そして『希望』」
アリアはレンのスチールグレイの瞳を、真っ直ぐに見つめた。
「だから、私の救世主だって思ったの。……でも同時に、あなたは世界にとっても、未来の救世主だったのね」
レンはアリアの言葉を噛み締め、少し気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……光栄だな」
二人は再び見つめ合い、静かに微笑み合う。波音だけが響く静寂の中、レンがふと真顔になった。
「生涯かけててでも、この設計図を完成させなきゃな」
レンは一拍置いて、生真面目そうな声を落とす。
「でも、設計図はアリア、君のものだ。どうする? このまま君が、手元に置いていてもいい。この筆跡はきっと、アリアの父上のものだろうから」
「父様が託してくれたのだもの。そしてきっと世界中探しても、父様の設計図を読み取れるのは、レン。貴方しかいないんでしょう? だから……」
続きの言葉を言いよどむアリアに、レンの口元がわずかに緩んだ。
「じゃあ、一緒に築いていくか?」
そう、レンが問いかけると、アリアはパッと顔を輝かせ
「ええ! もちろん!」
嬉しそうに微笑み即答する。その声には、迷いの欠片もない。
見上げれば、頭上には凍てつくような美しさの冬の星座たちが輝いている。その中心には、ひときわ強く輝くシリウス。そして、それに寄り添う伴星。
二人で一つのシリウス。アリアの父と母が、今も空から見守ってくれている。
海風が吹き抜け、アリアが小さく身を震わせた。レンは自分のコートの前を広げると、アリアを背中から包み込むように抱き寄せた。
レンの体温、革の匂い。そして、守られているという安堵感。肩に掛かるレンの手の上に、アリアも手を置く。重なった二人の手は、お互いが存在を確かめ合うように、温かい。
「さぁ、帰ろう」
「ええ、帰りましょう」
ガス灯の灯る温かな街の方角へ、彼らが共に生きていく場所へと、二人は寄り添い手を繋いでゆっくりと歩き出した。
その背中を、冬の星々が柔らかく照らしていた。
ー了ー
最後までお読みいただきありがとうございました。
星の輝きを纏う、いくつもの素晴らしい作品の中で、砂粒のような本作を見つけて、拾っていただき、そして貴重なお時間を割いて読んでくださいましたこと、心からの感謝が尽きません。
どうぞ皆さま、素敵なクリスマスと年末年始をお過ごしください。
メリークリスマス!
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