二番目の王女は、誰にも愛されない

苺 迷音

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第一章

25 出発

 室内は意外にも、落ち着きある色合いの空間だった。深みのある木目調に、王家の紋章細工を施されたいくつもの家具と、棚には革表紙の書物が並んでいる。そのどれもが、王族の私室にふさわしい品位を保っている。
 
 その中央に、メラフィナは立っていた。

 窓辺から入る光を受けて、ブロンドの髪をさらに黄金色に染め上げている。旅装としては少々不釣り合いな、飾りの多い深緑のドレスに身を包んだメラフィナは、ソレインの侵入を受けて数歩、後ろへと退いた。その大きな青い瞳には、紛れもない驚愕と、それから怯えに似た色が一瞬だけよぎる。

 が、その色はすぐに塗り潰された。

「な、なんのつもり!? 私の部屋に、勝手に入ってくるなんて!」

「相変わらずですね。そろそろ大人になってください」

 溜め息を吐きながら言うソレインの言葉は、刃ですらなかった。淡々と何かを見て、興味も無く呟く……そんな性質の声。

「行かないって、言ってるのに! いい加減、しつこいのよ!」

 表情を怒りで歪めたメラフィナの頬に、見る間に赤みが差した。ダリオの位置からは彼女の握りしめた拳が、小刻みに震えているのが見て取れた。

「これは国王陛下の御指示であり、殿下の責務です」

「なら、あの二人だけで行けばいいじゃない! 私は春になったら行くわ。それでいいでしょう!?」

「春までお待ちになれば、魔物が冬籠りから覚めて街道を塞ぎます。襲われて終わりですよ」

「だから、そんなのから私を守るのが、あんたたちの仕事でしょ……っ」

 メラフィナの叫びにソレインは再び、呆れたように溜め息を零す。

「あなたの我儘に付き合うために、我々が在るのではありません。子供じみた抵抗はおやめください」

 言い終えるか終えないかのうちに、ソレインの足が床を一歩進んだ。一歩一歩近づくにつれ、メラフィナが小さく息を呑む音が、ダリオの耳にもはっきりと届いた。

「ちょ……ちょっと、何を……」

 メラフィナが後ずさろうとした、その腰のあたりに、ソレインの腕が回された。

「失礼を」

 ソレインの声が落ちた次の瞬間、メラフィナの小さな叫びと共に、その華奢な身体は軽々と持ち上げられ、ソレインの肩に乗せられていた。まるで、市場で穀物の麻袋でも担ぐかのような、無造作な手付きだった。

「やめてっ!! 何を、何をするのよっ! 無礼者!」

 ソレインの肩の上で、メラフィナの両足がばたついている。だが、その抵抗は鎧に覆われた肩の上では空回りするばかりで、ソレインは身動ぎひとつしなかった。メラフィナに回された腕に、力が入る。

 ダリオは戸口に立ったまま、開いた口を閉じることもできずにいた。

 憧れの団長が、王女を、麻袋のように担いだ。

 その光景があまりにも現実離れしていて、ダリオの理解はその場で立ち往生する。

「何をしている。行くぞ」

 ソレインの声に、ダリオの背筋が伸びた。

「あ……っ、は、はい!」

 慌ててその後に続く。ソレインの足取りには、肩に人ひとりを担いでいるとは思えぬ滑らかさがあった。

 廊下を進む間も、メラフィナの抗議は止まらなかった。

「侮辱するのもいい加減にしてっ。 私に恥をかかせるために、わざとこんな格好で! ふざけないでよ!」

 メラフィナの声は、徐々に涙混じりに掠れていく。ソレインの背中を、拳で何度も叩きつけながら、吐き捨てるような言葉の端々に、悔しさと屈辱が混じっているように聞こえる。

 ダリオの心臓は、自分でも訳の分からぬ早鐘を打ち続けていた。

 憧れの団長への畏敬の念は、揺らがない。これが彼の言う責務の遂行なのだということも、頭の片隅では理解している。
 だが、肩の上で必死に抗うメラフィナの、噛みしめた唇から覗く血の気のなさ、力任せに振り上げられた小さな拳。それらが視界に入る度に、ダリオの胸の奥でひとつ、納得のいかぬ何かが広がる。
 
 これは本当に、正しい護衛の在り方なのだろうか。
 
 だが王女を連れ出すには、多少荒っぽいことをしなければ、出発が遅れるのも事実だった。

 言葉に出来ない靄が、胸の内を流れてゆく。
 
 いや、考えるのはやめろ、と自分に言い聞かせる。判断するのは自分ではない。自分はただ、命じられた通りに足を動かせばいい。

 玄関ホールを抜け、馬車寄せへと進むメラフィナを抱えたソレインに続く。

 使用人たちは荷の積み込みを終えて整列していたが、ソレインの肩に担がれたメラフィナを目にした瞬間、誰もが揃って動きを止めた。だが、どうしたことか。そこに居る皆が皆、頭を垂れるだけで、一切動じない。

 見慣れた風景、なのか?

 ダリオの疑問を掻き消すように、ソレインは使用人たちの間を通り、第二王女のために用意された馬車の前で歩を止めた。御者が反射的に扉を開ける。

 ソレインは馬車の中へ入ると、メラフィナを座席へと半ば放り投げるように下ろした。

「きゃっ……!」

 柔らかな座面の上に倒れ込んだメラフィナが、乱れたドレスの裾を慌てて整えながら身を起こす。その目には、激しい憤怒の色がある。ソレインを睨みつけるようにしながらも、薄っすらと水の膜が張られているのが見て取れた。

 ソレインは扉に手を掛け、閉じる前の一瞬、車内のメラフィナへ向かって冷淡に言葉を落とした。

「面倒は、起こさないでください。そうでなければ、安全の保証はできません」

 そう言い残し、重い音を立てて扉が閉まった。

 ダリオは、自分の鼓動が一瞬止まったように感じた。

 今のは、護衛対象に向ける言葉だったのか。それとも、王女に対する忠告だったのか。
 全てが、現実離れしすぎていた。

 ソレインはダリオの方へ眼を向け、

「持ち場へ戻れ。出発する」

「は、はい……!」

 何事も無かったように、靴音を鳴らしてソレインはその場から去って行った。

 彼の背中を見送ったダリオ。思わずほっと息を吐いた時、馬車窓のカーテンが内側から勢いよく引き閉められたのが、目の端に映る。メラフィナが、怒り任せに閉じたのだろう。外から中の様子は、一切伺い知れなくなった。

 ダリオは恐る恐る、馬車の扉に近づき中にいるメラフィナに声を掛けた。

「あの……第二王女殿下。出発の際には、改めてお声掛けに参ります故……」

 返事は無く、厚いカーテンの向こうからは何も漏れてこない。

 荒っぽい扱いを受けたことへの憤りか、それとも反発か。
 どちらにしろ、今は、そっとしておくのが得策だろう。

 これから数週の間、自身に課す試練の重さを、ダリオは薄っすらと察し始めていた。

 巡行の長い道のり。ガルタスの隊、ラヴィーニアの隊、そして担がれて馬車に放り込まれたばかりのメラフィナの隊。この三つの隊が、果たして同じ目的地まで、滞りなく辿り着けるのだろうか。

 この旅、本当に、無事に終えられるのか。

 ダリオの口から、今度は知らずのうちに苦さの混じる吐息が零れた。

 馬車寄せに並ぶ整列した騎士たちの遠い背中と影、時々日差しを遮る雲の広がる空。それら全ての重さが、これから始まる長旅の前置きとして、ダリオの肩へ落ちて来るようだった。

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