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14 見えない眼鏡の奥
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カレンと初めて顔を合わせた日のことを、今でもハッキリと覚えている。
それは、騎士学校を卒業したばかりの頃だった。剣の腕には自信があり、自ら志願した北への赴任も決まっていた。あとは形式として妻を娶る。それだけのことだと思っていた。
縁談の相手は同格の侯爵家の令嬢で、家柄は申し分ない。両親からは『聡明で、穏やかな気性のご令嬢だ』と相手のことを聞いていた。
今まで、男女の機微とは無縁の生活をしてきた。そんな暇があるならば、己の腕を磨くことを優先した。だからといって、そういったことに興味が無かったわけではない。
同窓の友が女の話をするたび、半ば呆れ、半ば羨ましく思ったりもした。
だからだろうか。女性への憧れや期待、恋や愛を語る時の友の楽しそうな顔。そんなことを思い出しつつ、縁が自分にも来たのかと、ローランは少し浮ついた気持ちになっていた。
だが、顔合わせの場に現れた女性を見た瞬間、言葉を失った。
大きく分厚い眼鏡に、毛糸編みの帽子を目深にかぶり、その下から覗く顔は表情さえも読み取れない。着ている服も濃い茶と暗い灰ばかりの地味な色で、若い令嬢というよりは、どこかの古い書庫の奥にいる堅苦しい司書のようだった。
(これが、俺の妻になる女か?)
隠しきれない動揺が、ローランの表情に出たのだろう。向かいに座る令嬢の父侯爵が、眉を一瞬だけ動かし目を細めたのが見えた。
☆
その日、邸に戻ってから、今日顔合わせをした令嬢・カレンには事情があると父から聞かされた。幼い頃に使用人から悪戯をされかけ、それ以来、自らの容姿を隠しているのだということだった。
なぜそれを先に言ってくれなかったのか?
これじゃ、だまし討ちみたいなものじゃないのか?
そう父に問おうとして口を開いたが、ローランはそのまま息を呑み閉じた。
返ってくる言葉など、容易に想像がついたからだ。『お前は見目の優劣で、人を判断するのか?』と。
あの奇妙な格好を、咎めたり止めさせることが出来なくなった。そんなことをすれば、彼女を傷つけるばかりか逆に、自分が咎められる。
北の地に赴任し騎士として功績を上げれば、いずれは近衛への道も開ける。その時、隣に立つ妻は誇らしい存在であってほしい。社交の場で紹介できる、華やかな女性であってほしい。
カレンのあの姿では、それが想像できない。
ならばこの縁談は、無かったことにすればよかったのかもしれない。だが、家柄やお互いの家の利、何より同世代で条件に見合う女性がすぐ見つからないことも、ローランは理解できた。胸にあった浮き立つ気持ちが萎えたが、これも役目なのだろうと渋々婚約を受け入れた。
☆
それから数ヶ月の間、儀礼的に幾度か、茶の席で顔を合わせた。
カレンは多くを語らなかったが、時間を共にするうちにローランは、彼女の中にある控えめで落ち着いた聡明さに気付き始めていた。
彼女自ら丁寧に淹れてくれる茶には、癒しと品があった。季節に応じて茶葉を選び、湯の熱さ加減にもその日の天候や、肌で感じる気温などを気遣ってくれていることがわかる。夏には冷たく、初秋の頃は少し温く。初冬になるころには、温かいものへと変わっていった。添えられる皿の甘菓子なども、茶に合わせたものなのだろうと見て取れた。
供される茶の味も所作も、侯爵令嬢として、ゆくゆくは夫人として完璧なのだろう。視界に入る白い指先が、しなやかに優雅に動き、思わず見惚れてしまうこともあった。だからこそ、分厚い眼鏡と編み帽、年中地味な色に身を包む彼女の異様な姿がかえって目立ち、ローランの苛立ちを加速させた。
二人の間で交わされる会話は、驚くほどに少なかった。
ローランは何を話せばいいのか分からない上に、その容姿を意識したくなかった。
顔を真っ直ぐに見てしまうと『眼鏡を外して、帽子も脱いでほしい』と言ってしまいそうになる。かといって、『そのままでいい』とも言えなかったし、思えない。
カレンを妻と呼び、並び歩くことへの抵抗が、消えはしなかった。
何も言えないまま時間だけが過ぎ、そして婚姻の日を迎えた。
☆
それは、冬の寒い日だった。
形式的な婚姻式に、参列してくれた数人の友人たちの視線が、ローランの背中に刺さる。様々な感情が入り混じったような目で彼らは、ローランとその隣に立つ花嫁であるカレンを見ていた。
カレンはその日も、分厚く幅の大きな眼鏡を付け、その上からヴェールを纏って顔を隠していた。簡素なものではあったが白い婚礼衣装に身を包んでいても、華やかさは無い。だが唯一、編み帽だけは取ってくれていた。
結い上げた艶やかな金の髪が、ローランの目にそこだけ眩しく映る。
初めて見る彼女の一部を、参列者たちに晒しているような感覚になり、鼓動が少し早まった。なぜか居た堪れないような、悦びが沸き上がるような、絡まった感情がローランの胸を占め、思わずカレンから目を逸らした。
宣誓のあとのキスも、ヴェールを上げた後、伏し目がちに彼女の頬に唇を寄せるに留めた。
式は恙なく終わり、事前に買い取っていた古い邸で、二人きりになった初夜。
ローランはカレンに指一本触れなかった。赴任の準備という名目で、書類仕事に没頭した。カレンもそれを咎めることなく、静かに夜を明かしていた。
あの金の髪をみて、全て暴きたいと思った自分と、それをしてしまったら、彼女の過去の傷を抉ることになるのではという恐れ。そして婚約期間、ずっと抱いていた容姿への不満。それを直ぐに手放すことが、自分への裏切りのように思えたのだ。
そうして婚姻してから三日目の朝。赴任先へ旅立つローランを見送るために、カレンは門前に立っていた。
馬に跨ったローランは、彼女に視線を向けずに、一言だけ残した。
「家のことは君に任せる。帰還は早々出来ないと、心得て欲しい」
突き放したような言い方。冷たい夫だろうことは重々理解している。初夜も共にせずにいたのだ。
なのに今、どんな顔をすればいい?
加えて彼女は今日もまた、いつもの奇妙な恰好をしている。結婚したからと言って、止める気は無いらしい。そのことがローランへの反発にも思えて、カレンを少しでも見ると、気分がひどく落ち込んだ。
「お気をつけて。いってらっしゃいませ、旦那様」
丁寧な言葉を重ね、妻らしい態度で見送りをする。
その所作もこちらを責めているように思え、ローランは最後までカレンと目を合わせることなく、早々に馬の手綱を握った。
馬を走らせながら、ローランは一度も振り返らなかった。
カレンとは向き合わないまま、北の地へと旅立った。
それは、騎士学校を卒業したばかりの頃だった。剣の腕には自信があり、自ら志願した北への赴任も決まっていた。あとは形式として妻を娶る。それだけのことだと思っていた。
縁談の相手は同格の侯爵家の令嬢で、家柄は申し分ない。両親からは『聡明で、穏やかな気性のご令嬢だ』と相手のことを聞いていた。
今まで、男女の機微とは無縁の生活をしてきた。そんな暇があるならば、己の腕を磨くことを優先した。だからといって、そういったことに興味が無かったわけではない。
同窓の友が女の話をするたび、半ば呆れ、半ば羨ましく思ったりもした。
だからだろうか。女性への憧れや期待、恋や愛を語る時の友の楽しそうな顔。そんなことを思い出しつつ、縁が自分にも来たのかと、ローランは少し浮ついた気持ちになっていた。
だが、顔合わせの場に現れた女性を見た瞬間、言葉を失った。
大きく分厚い眼鏡に、毛糸編みの帽子を目深にかぶり、その下から覗く顔は表情さえも読み取れない。着ている服も濃い茶と暗い灰ばかりの地味な色で、若い令嬢というよりは、どこかの古い書庫の奥にいる堅苦しい司書のようだった。
(これが、俺の妻になる女か?)
隠しきれない動揺が、ローランの表情に出たのだろう。向かいに座る令嬢の父侯爵が、眉を一瞬だけ動かし目を細めたのが見えた。
☆
その日、邸に戻ってから、今日顔合わせをした令嬢・カレンには事情があると父から聞かされた。幼い頃に使用人から悪戯をされかけ、それ以来、自らの容姿を隠しているのだということだった。
なぜそれを先に言ってくれなかったのか?
これじゃ、だまし討ちみたいなものじゃないのか?
そう父に問おうとして口を開いたが、ローランはそのまま息を呑み閉じた。
返ってくる言葉など、容易に想像がついたからだ。『お前は見目の優劣で、人を判断するのか?』と。
あの奇妙な格好を、咎めたり止めさせることが出来なくなった。そんなことをすれば、彼女を傷つけるばかりか逆に、自分が咎められる。
北の地に赴任し騎士として功績を上げれば、いずれは近衛への道も開ける。その時、隣に立つ妻は誇らしい存在であってほしい。社交の場で紹介できる、華やかな女性であってほしい。
カレンのあの姿では、それが想像できない。
ならばこの縁談は、無かったことにすればよかったのかもしれない。だが、家柄やお互いの家の利、何より同世代で条件に見合う女性がすぐ見つからないことも、ローランは理解できた。胸にあった浮き立つ気持ちが萎えたが、これも役目なのだろうと渋々婚約を受け入れた。
☆
それから数ヶ月の間、儀礼的に幾度か、茶の席で顔を合わせた。
カレンは多くを語らなかったが、時間を共にするうちにローランは、彼女の中にある控えめで落ち着いた聡明さに気付き始めていた。
彼女自ら丁寧に淹れてくれる茶には、癒しと品があった。季節に応じて茶葉を選び、湯の熱さ加減にもその日の天候や、肌で感じる気温などを気遣ってくれていることがわかる。夏には冷たく、初秋の頃は少し温く。初冬になるころには、温かいものへと変わっていった。添えられる皿の甘菓子なども、茶に合わせたものなのだろうと見て取れた。
供される茶の味も所作も、侯爵令嬢として、ゆくゆくは夫人として完璧なのだろう。視界に入る白い指先が、しなやかに優雅に動き、思わず見惚れてしまうこともあった。だからこそ、分厚い眼鏡と編み帽、年中地味な色に身を包む彼女の異様な姿がかえって目立ち、ローランの苛立ちを加速させた。
二人の間で交わされる会話は、驚くほどに少なかった。
ローランは何を話せばいいのか分からない上に、その容姿を意識したくなかった。
顔を真っ直ぐに見てしまうと『眼鏡を外して、帽子も脱いでほしい』と言ってしまいそうになる。かといって、『そのままでいい』とも言えなかったし、思えない。
カレンを妻と呼び、並び歩くことへの抵抗が、消えはしなかった。
何も言えないまま時間だけが過ぎ、そして婚姻の日を迎えた。
☆
それは、冬の寒い日だった。
形式的な婚姻式に、参列してくれた数人の友人たちの視線が、ローランの背中に刺さる。様々な感情が入り混じったような目で彼らは、ローランとその隣に立つ花嫁であるカレンを見ていた。
カレンはその日も、分厚く幅の大きな眼鏡を付け、その上からヴェールを纏って顔を隠していた。簡素なものではあったが白い婚礼衣装に身を包んでいても、華やかさは無い。だが唯一、編み帽だけは取ってくれていた。
結い上げた艶やかな金の髪が、ローランの目にそこだけ眩しく映る。
初めて見る彼女の一部を、参列者たちに晒しているような感覚になり、鼓動が少し早まった。なぜか居た堪れないような、悦びが沸き上がるような、絡まった感情がローランの胸を占め、思わずカレンから目を逸らした。
宣誓のあとのキスも、ヴェールを上げた後、伏し目がちに彼女の頬に唇を寄せるに留めた。
式は恙なく終わり、事前に買い取っていた古い邸で、二人きりになった初夜。
ローランはカレンに指一本触れなかった。赴任の準備という名目で、書類仕事に没頭した。カレンもそれを咎めることなく、静かに夜を明かしていた。
あの金の髪をみて、全て暴きたいと思った自分と、それをしてしまったら、彼女の過去の傷を抉ることになるのではという恐れ。そして婚約期間、ずっと抱いていた容姿への不満。それを直ぐに手放すことが、自分への裏切りのように思えたのだ。
そうして婚姻してから三日目の朝。赴任先へ旅立つローランを見送るために、カレンは門前に立っていた。
馬に跨ったローランは、彼女に視線を向けずに、一言だけ残した。
「家のことは君に任せる。帰還は早々出来ないと、心得て欲しい」
突き放したような言い方。冷たい夫だろうことは重々理解している。初夜も共にせずにいたのだ。
なのに今、どんな顔をすればいい?
加えて彼女は今日もまた、いつもの奇妙な恰好をしている。結婚したからと言って、止める気は無いらしい。そのことがローランへの反発にも思えて、カレンを少しでも見ると、気分がひどく落ち込んだ。
「お気をつけて。いってらっしゃいませ、旦那様」
丁寧な言葉を重ね、妻らしい態度で見送りをする。
その所作もこちらを責めているように思え、ローランは最後までカレンと目を合わせることなく、早々に馬の手綱を握った。
馬を走らせながら、ローランは一度も振り返らなかった。
カレンとは向き合わないまま、北の地へと旅立った。
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