〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音

文字の大きさ
21 / 47

21 彼の姉と弟

しおりを挟む
 レースの合間。午後からのメインレース前に、カレンとハルシオンの元へ新たな人影が現れた。
 カレンが気配を感じて顔を上げると、ハルシオンが立ち上がるところだった。

「姉上」

 その声に、カレンも慌てて腰を上げた。

 歩み寄ってきたのは、深い葡萄色の品の良いデイ・ドレスを纏った女性。歩く姿にも、揺るぎない気品がある。その顔立ちは、ハルシオンとどこか似ていた。同じ灰色の瞳。同じ、凛とした眉。

 ハルシオンが姉上と呼んだその人の登場に、その場が一瞬にして、ピリッとした緊張感に包まれた。

 ハルシオンの実姉であり、現王太子妃である、リュシアナ妃殿下その人だった。
 
 その姿を確認したカレンは、深く頭を下げた。

「ご機嫌よう。良いお天気ね」

 ふわっとした挨拶をする、妃殿下の高く軽やかな声が耳に届く。

「姉上、ご機嫌よろしいようで。こちらが、先日お伝えしたカレン嬢です」

 ハルシオンもいつものようには畏まらず、身内に向ける気軽さでカレンの紹介をしてくれた。

「お初にお目にかかります。カレン・ヴァンシェルと申します」

 緊張の為か、出た声が僅かばかり震えたように思える。

「カレン嬢。顔を上げて頂戴ね」

 だが、返ってきたのはカレンの緊張を汲み取るような、柔らかな声だった。

 促されるままカレンが顔を上げると、王太子妃の瞳がじっとこちらを見つめていた。その目は厳しくも冷たくもなく、ただ静かに、カレンという人間を見定めているような感覚になる。

 やがて、王太子妃がふっと口元を緩めた。

「なるほどねぇ。ハルが手紙で書いていた通りね。いいえ、それ以上かしら。とってもお綺麗な方ね」

「……っ。姉上」

 ハルシオンが、少し困ったような声を出した。

「知っていて? あなた、カレン嬢のことになると途端に饒舌になるのよ。普段はあんなに無口で不愛想なくせに」

「そんなことは……ありません」

「嘘よ、嘘。だってね、レイナードも笑っていたわ。兄上から届く私信がこんなに長いのは、初めてだって。顔を合わせたときも、ほんとにまあ、驚くほどに話しますねと、呆れていたわよ」

 カレンは、思わずハルシオンの方を見た。彼は、先ほどよりもさらに耳まで赤くして視線を逸らしている。

「カレン嬢」

 王太子妃であり、ハルシオンの姉でもあるリュシアナが、カレンの手を取った。その手は、見た目の厳格さとは裏腹に、細く小さく、温かかった。

「弟を、よろしくお願いしますわね。この子、案外不器用なのよ。でも、馬鹿みたいに真っ直ぐではあるの。姉ながら、頼れる男だと思うわ。それと、何かあれば遠慮せず、何でも話してね。わたくし、姉妹に憧れていたのよ」

 そう言ったリュシアナは、ここで初めて素の顔をみせるような、飾りのない笑みを零した。

「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 カレンがそう答えると、リュシアナは満足そうに頷いた。

「さて、わたくしは殿下のところへ戻るわ。あの人うるさいのよ? ちょっと姿が見えないだけで、おたおたと子供じゃあるまいし。将来の王なのよ? まったく……って、愚痴はまた今度聞いて頂戴ね。また、後ほどゆっくりお話ししましょう」

 そう言い残したリュシアナの背中を見送りながら、カレンはそっと胸を撫で下ろした。隣で、ハルシオンが小さく息を吐く。

「……緊張しました」

 カレンが思わず本音を零すと、ハルシオンが苦笑をする。

「姉は、昔からああなんです。なんていうか、身内の前では特に遠慮がないというか、よく口が回るというか。でもそれは、姉がカレンのことを気に入ったということでもありますから」

「はい。本当にお美しい御方です。それに私は……一度嫁いだ傷物ですのに受け入れて」

 そこまで話したカレンを、ハルシオンは彼女の肩に手を置き、それ以上言う事を止めた。

「カレン。そんな風に自分のことを言わないと約束を。あなたは傷物でもなんでもない。私が生涯をかけて愛する人です。私たち家族もそんなもので、あなたという人を図ることはしません」 

 しっかりと真っ直ぐに向けられた彼の目に、カレンも目を逸らさずに頷いた。

「姉も、厳しい所もありますが、優しくもあり、それに……お節介、いや、世話好きな人なんです」

 ハルシオンの声に、深い敬愛が滲んでいた。幼くして母を亡くし、若くして父を亡くした彼にとって、姉は母のような存在でもあったのかもしれない。
 そんなことを思いながら、カレンは再び席に腰を下ろした。



「兄上」

 次に聞こえてきたのは、若い男性の声だった。

 カレンが振り向くと、そこにはハルシオンより少し背が低い、細身の青年が立っていた。髪の色はハルシオンと同じヘーゼルブロンド。だが、顔立ちはもう少し柔らかい。瞳はリュシアナやハルシオンよりは黒味が強く、くりっとした目元が印象的な、儚げな雰囲気の人だった。

「レイナード。来たのか」

 ハルシオンの弟、レイナード卿。爵位こそ継がないが、公爵家の直系として兄と共に家を支える立場にある。その身はアルヴェルト家そのものの権威であり、並の侯爵家をも凌ぐ重みを持っていた。

「姉上から、兄上の婚約者殿と既に話してきたと聞いたので。抜け駆けされましたので、僕も参上いたしました」

 レイナードは、カレンの方を見て軽く頭を下げた。

「初めまして。レイナード・アルヴェルトです。兄がいつもお世話になっております」

「いえ、こちらこそ……カレン・ヴァンシェルです」

 カレンが席から立ち上がり答えると、レイナードがにっと笑った。

「兄上、やっぱり手紙の通りですね」

「レイナード」

 姉・リュシアナと同じようなことをいう弟を、ハルシオンは低い声で窘めた。だが、レイナードは気にする様子も見せない。

「いやあ、ここ数年、兄上がやけに王都に来る回数が増えたので、おかしいとは思っていたんですよ。公務だけにしては、妙に機嫌が良い日があるし、一人でニヤついていることもあったし。気持ち悪いなあって思っていたんですよねぇ」

「……余計なことを言うな」

「えぇっ、本当のことじゃないですか」

 兄弟のやり取りを見ながら、カレンは小さく笑った。
 カレンの居ない場所でもそうやって、ハルシオンが自分のことを話題にし想っていてくれたこと。それが嬉しいような、くすぐったいような、初めて経験する感覚に、カレンはハルシオンへの愛おしさが増していった。

 ハルシオンは、北では孤高の公爵として振る舞っている。だが、家族の前では、こんな風に照れたり、困ったりするのだ。それを知れる幸せと喜びを、カレンはしっかりと噛みしめる。

「カレン嬢」

 レイナードが、真剣な顔になった。

「兄を、よろしくお願いします。この人、仕事のことしか頭にないから。誰かが傍にいてくれないと」

「レイナード、いい加減に」

「勿論です。私も、ハルシオン様のお傍から離れないと決めておりますので」

 迷いなく真っ直ぐ向けられた目と、カレンのその言葉に、レイナードが目を丸くした。そして、楽しそうに笑った。

「……うん。兄上、良い人を見つけましたね。次は僕の番かなあ?」

 そう言ったレイナードは、白い歯を見せ大きく笑った。
 レイナードの言葉にハルシオンは何も言わなかったが、その横顔には、嬉しさが滲んで見えた。

 その後、昼食を挟みつつ、両家の顔合わせを果たした。
 皆が当初見せていた緊張は、場の会話が深まるたびに解けてゆき、誰もがこの良縁に、心からの喜びを感じていた。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて

ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」 お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。 綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。 今はもう、私に微笑みかける事はありません。 貴方の笑顔は別の方のもの。 私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。 私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。 ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか? ―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。 ※ゆるゆる設定です。 ※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」 ※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド

とある伯爵の憂鬱

如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。

【完結】脇役令嬢だって死にたくない

⚪︎
恋愛
自分はただの、ヒロインとヒーローの恋愛を発展させるために呆気なく死ぬ脇役令嬢──そんな運命、納得できるわけがない。 ※ざまぁは後半

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

これ以上私の心をかき乱さないで下さい

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。 そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。 そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが “君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない” そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。 そこでユーリを待っていたのは…

王太子は妃に二度逃げられる

たまこ
恋愛
 デリンラード国の王太子アーネストは、幼い頃から非常に優秀で偉大な国王になることを期待されていた。 初恋を拗らせ、七年も相手に執着していたアーネストが漸く初恋に蹴りを付けたところで……。 恋愛方面にはポンコツな王太子とそんな彼をずっと支えていた公爵令嬢がすれ違っていくお話。 ※『拗らせ王子と意地悪な婚約者』『先に求めたのは、』に出てくるアーネストのお話ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。

愛する人は、貴方だけ

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。 天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。 公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。 平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。 やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。

処理中です...