〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音

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23 愛の日

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 北の地に着いたカレンは夏の間を使って、この土地について知識を深めたいと考え、ハルシオンの側近たちをはじめ、城の執事長や家令、侍女長やそのほかの仕え人たちとの対話を重ねた。その中で、様々な物事についての教示を仰ぎ、多くの学びを得ていった。

 北部の技術のひとつである彫刻や特産品のこと。貿易や外交、領地の特性や鉱山で採れる数々の鉱物について。カレンの胸元で光るネックレスのダイヤモンドと白翡翠は、この北の鉱山と技術から生まれたものだったと知ったのは、日々の学びの中や領地の視察に同行したときだった。
 そして今では主な事業となっている、鉄道の運用。これはアルヴェルト公爵家、前当主であったハルシオンの父と共に彼が推し進めてきたものである。今では国の一大事業として、多大な功績と共に重要な一翼を担っていた。
 

 加えて、北の夏は短かった。涼しいと思っていた風がすぐに冷たさを帯び始め、朝晩には上着が欲しくなった。木々が色づいたと思ったらもう、落ち葉が地面を覆っていた。

 秋を楽しむ間もなく冬支度が始まり、城中が忙しく動き回る中、カレンも冬用の衣類を整えることになった。初めて北の地に来たときに世話になったクチュール店のオーナーが城に招かれ、何着もの特注品を仕立ててくれた。毛皮の裏地、二重の袖、足首まで覆う厚手のスカート。どれも王都では見たことのない仕立てだった。

 そうしている間に、初雪が降り、根雪になり、世界は白く塗り替えられていった。

 この城で女主人として差配を担う為の備えも、春の挙式に向けての手配も、着々と整いつつあった。


 
 北の生活にもずいぶん慣れた頃。

「ハルシオン閣下が、いらっしゃらないのです」

 侍女のひとりが、青ざめた顔でそう告げた。

「え?」

 カレンは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

「どこへ行かれたの?」

「少し寄りたいところがある、とだけ仰って……供もつけずにお一人で出られました」

「どちらへ?」

「直ぐに戻るからと、行先については何も」

 ハルシオンと毎日顔を合わせているとはいえ、ずっと一緒に過ごしているわけではない。それぞれにすべきことがあり、日中はそれを熟しながら過ごしている。

 今、侍女の報告を聞き、思わず視線を窓の外へやった。

 朝から午後の始めまでは快晴だった。
 冬の陽射しは弱いながらも穏やかで、空は青く澄み渡っていた。だからこそ油断していたのかもしれない。

 北の地の天は気まぐれだ。

 午後も過ぎると雲が広がり、夕刻前の今、猛烈な吹雪になっていた。窓の外は白一色で、何も見えない。風が唸りを上げて城壁を叩いている。

「……遭難されているのでは」

 カレンは窓辺に駆け寄った。不安は外で吹き荒れる雪と同じく、どんどんと胸の中に積もってゆく。

「探しに行かなければ」

 冷静に物事を考えられず、窓辺から離れ思わず外套に手を伸ばすと、侍女たちが慌てて止めに入る。

「カレン様、おやめください! この吹雪の中を出られては危険です!」

「でも、ハルシオン様が……!」

「閣下を信じましょう」

 カレンの傍についていた別の年配の侍女が、彼女の肩をそっと押さえた。

「閣下はこの地で生まれ育ったお方です。どうか、どうか信じてお待ちいたしましょう。それに、カレン様まで遭難されてしまわれては、閣下に言い訳も立ちません」

 暖炉には火が燃え、部屋は十分に暖かいはずなのに、全身が冷えてゆく。胸が締めつけられて呼吸が早く、荒くなる。吐き出す息が震え滞る。

 ハルシオンがいない世界なんて、考えられない。
 それほどに、恐ろしいことはない。

 カレンは窓際に座り込み、両手を組み合わせた。祈ることしかできなかった。

「ハルシオン様、ハルシオン様……早く、戻って……」

 どれほど時間が経っただろう。

 ただただ、ひたすら祈り続けていたカレンの耳に、玄関ホール側から騒がしい音が響く。
 その音に立ち上がったと同時に、部屋の重い扉が軋みながら開いた。

「ハルシオン様……!」

 カレンは弾かれたように、ハルシオンの方へ駆け寄った。

 吹雪の中から戻ってきたハルシオンは、外套が雪で濡れ湿っている。ヘーゼルブロンドの髪に白い結晶がまとわりつき、頬は赤く染まり、睫毛には霜が光っている。
 雪を纏い濡れたその姿は、ハルシオンの凛とした甘さを、さらに妖艶なものにしていた。

 そんな彼の両手は、何かを守るように胸元で包まれていた。

「カレン」

 息を整えながら、ハルシオンはゆっくりと歩み寄った。そして、その手をそっと開く。

 一輪の、黄色い水仙だった。

 雪の中を守られてきた小さな花は、清らかさを保ちながら咲いていた。

「これは……? どうして……?」

 カレンの震える声の問いに、ハルシオンはその手に持つ花をそっと差し出した。

「森奥の湖のほとりは、地の温みで冬でも花が咲くのです」

 それは、猛吹雪の中を掛けて来たとは思えないほど、穏やかな声だった。

「この白銀の地で、あなたの色を持つ花を贈りたかった。琥珀色の金の髪と、みどりの瞳。その両方を宿す花は、今時期はそこでしか花が開かない」

「なぜ? なぜ……っ? そんな危険なことを!?」

 安堵半分、腹立ち半分で、カレンは目の縁と頬を赤くしてハルシオンを見上げて詰め寄った。で、あるのに、ハルシオンは眉尻を下げつつ、彼女の頭を撫でた。

「今日は愛の日でしょう?」

 ハルシオンの灰銀の瞳が、真っ直ぐにカレンを見つめる。

「だから今日、どうしてもあなたに……カレンに、この花を届けたかった。この地でのみ咲く、細身の水仙なんです」

 そして、少しだけ困ったように微笑んだ。

「本当は、もっとたくさん贈りたかったのですが……。雪が深く吹雪いてきてしまい……この一輪しか摘めなくて」

 ハルシオンの言い分を聞きながら、ふと思い出す。
 庶民の間で人気のチャップスブックのことを、夕食を共にした席で話したことがあった、と。

『冬が深まる頃、恋人や想い人に愛の告白をする日があるのですって』

『へえ? 面白いですね。で、それはいつですか?』

『二月半ばの二週目、金の日ですわ。愛の女神の日ですね』

 何気なく口にした言葉で、他愛もない会話だった。
 今日は何をし、どう過ごしたと、お互い報告がてら交わした中での話。

 ハルシオンはそれを覚えていたのだ。
 今日という日に届けたくて、吹雪の中を行ったのだろう。

「もう……っ! あなたより大事なものなんて、ありません……! もし、もし、居なくなったら、もし…っ」

 カレンは叫ぶように言い、次々と溢れる涙が止めることもできなかった。

「もう……! もう……!」

「すみません」

 ハルシオンは静かに、その言葉を受け止めるようにひとつ頭を下げた。

「でも、受け取ってもらえますか? そして私があなたを置いたままいなくなるなんて、あり得ません」

 カレンは差し出された水仙を、震える手で受け取った。
 冷たい花弁に、ここまで大事に持ってきてくれたのだろう、ハルシオンの体温がわずかに残っている。

「もう……っ! ハルシオン様は、どうしようもなく甘くて、どうしようもなく……馬鹿で…っもう……っ」
 
 そう言いながらも、涙と笑みが混じった顔になる。

「でも……こうして、戻ってきてくださったことが何よりも……よかった……っそして、今まで一番大きな……愛をいただきました」

 泣き笑いのまま、カレンはハルシオンを抱きしめた。
 濡れた外套は冷たく、彼の身体もすっかり冷え切っていた。けれどもこの冷たさを、自分の体温で溶かしたいと思った。

「余計な心配を、かけてしまいました。そのことは猛省します。すみません」

 ハルシオンの腕がカレンの背に回り、包み込むように抱きしめ返した。



 そのあと、蒸気風呂で身体を温め終えたハルシオンは、カレンの待つプライベートサロンに戻り、そこに飾られた一輪の黄色の水仙を見て、

「この水仙の花言葉は、愛の喜び。愛の日、ですからね」

 そう言うと、カレンの頬にそっと口づけを落とした。
 こんなことはもう二度としないで、と言おうとしたカレンだったが、ハルシオンの肩に頭を乗せ微笑むだけに留めた。 

 吹雪の夜に。

 甘い夜もあれば、ほろ苦い味のする時間もある。
 そんなこともすべて含めて、愛の日であるのだろう。
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