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ハルシオンが雪に濡れながら持ち帰ってくれた黄色の水仙を、カレンは押し花にして手元に置いた。その様子を見ていたハルシオンは『いくらでも摘んでくるのに』と苦笑したが、カレンにとってはあの吹雪の中、愛の日だからと届けてくれたこの一輪にこそ、代えがたい意味があった。
それに、もう二度とあんな恐ろしい思いをするのはごめんだった。カレンは彼に、次に花を摘みに行くのは雪解けを待ってからにしてと、何度も繰り返し念押しをした。
☆
吹雪の日から、数日後。
水仙のお返しに、あの大きな手を包む手袋を編もうと、カレンは侍女を一人伴い橇馬車で街に向かうことにした。
外に一歩出ると、穏やかな天候とは違い、刺すような冷気が頬を打つ。だがその寒ささえも、カレンがこの地に居ることが実感できる証でもあった。
橇馬車に乗り込み車窓に視線を向けると、嵐が去った後の北の空は、気持ちの良いほどに澄み渡っていた。道中にポツリポツリと点在して建つ、丸太小屋の屋根から垂れる氷柱が陽を受けて輝き、時折どさりと音を立てて雪塊が崩れて落ちる。景色は、どこまでも白が広がり、目には鮮やかな眩しさを運んできた。
居城であるアルヴェルト城から丘を降り、橇馬車で走ること半刻。
街が近づくにつれ、道の両脇に高く雪が積まれている。城の周辺とは異なり、平地で風が弱いせいか、あるいは往来する馬車や人々に踏み固められるせいか、道に残る雪は土が混じった茶白色で、その上を橇の刃が削りながら走る。
裁縫店は城下に位置する街、その中心部の商店が軒を連ねる一角に、小さな店を構えていた。
店内に入ると、棚に並ぶ色とりどりの糸の前でカレンの足が止まった。ハルシオンの髪に合う色、灰色の瞳に映える色。いくつも手に取っては戻し、また別の束を手に取る。小さく首を傾げ、光に透かしてみてはまた戻す。それを幾度も繰り返したあと、深い紺と淡い灰銀の二色を選んだ。
そして、先日の天気の急変のこともあって、今日もそうならないとは限らないと、他に寄り道はせずに早めに帰路に就いた。
橇馬車の窓から、来た時と同じ雪景色が流れていく。午後の陽が傾き始め、雪原に淡い橙が伸び始めた。車内で、隣の侍女と他愛もない話をしながらもカレンは、どんな手袋を作ろうかと、頭の中で様々な編み目模様を浮かべた。戻ったらこっそり作らないと、と頬を緩めながら、視線を膝の上に落とした時だった。
橇が僅かに揺れ、馬の短い嘶きが聞こえた。同時に御者の叫びと、身体が宙に浮く感覚が襲う。その直後、何かに乗り上げる強い衝撃。橇が傾き、視界が斜めになる。
背中から床に叩きつけられ、肺の中の空気が全部押し出された。吸おうとしても吸えない。足首から痛みが急激に駆け上がってくる。喉の奥で、声にならない悲鳴が溜まる。
横に傾いた馬車の中で、座席の布地が顔のすぐ横にあり、床だったはずの場所が壁になっている。
何かが起きた、それだけは理解できた。
そして、なんとかカレンは声を絞り出す。
「ふた、りとも……っ、だいじょ、ぶ……っ?」
そう言った拍子に、足が動いた瞬間。頭の奥が真っ白になり、足首から膝へそして上へと痛みが波のように突き抜けてゆく。歯を食いしばっても、呻きが漏れ呼吸が乱れる。
「カレン様! カレン様!」
侍女の声が近くで聞こえる。這うようにして寄ってきたその顔は蒼白だったが、血は出ていない。外からも、呻き声と共に動く気配が伝わってきた。
二人とも動いている。カレンの肩から強張りがわずかに抜け、長い息が唇から漏れた。
片足の防寒靴の中で何かが腫れ上がり、革が内側から押し広げられているようで、靴紐に手を掛けることも、靴を脱ぎ足を確認することもできそうにない。
先日の吹雪で折れた木の幹が、雪に埋もれて道に突き出していた。橇の刃がそれに乗り上げ、横転寸前になったと、そう聞かされるのは後になってからのことになる。
「カレン様……っ! お顔が……真っ青、です」
侍女が這い寄りながら、カレンの顔を覗き込んだ。
「大丈夫……それより、あなたは? 怪我は、ない?」
「わたしは、どこも……カレン様のほうは、お身体なんとも、ございませんか?」
「いいえ、足が……少し、だけ」
少し、ではなかった。靴の中で脈打つ熱が、じわじわと広がっていく。
外で雪を払う音がして、慌てたように御者が扉の傍まで来た。歪んだ扉を無理やりに開けて、覗き込んできたその額には、血が滲んでいる。
「カレン様! お怪我は!?」
「あなたこそ、額……」
「これくらいは平気です。それもよりも、カレン様……っ、お立ちになられることは、出来ますか……?」
カレンは足に力を入れようとして、息を呑んだ。顔が歪み、首を小さく横に振る。
「ごめんなさい……駄目、みたい……」
それを聞いた御者の顔が強張った。侍女と目を合わせ、それから決心したように口を開く。
「このままじゃ、天候が荒れたら大変です! 馬を一頭外して、騎士団へ助けを呼んで参りますっ……お二人はここでお待ちを! 直ぐに戻ります!」
「ええ……お願い、します」
絞り出すような声だった。
「私がお傍におりますから」
侍女がカレンの手を握った。その手も冷たく、小刻みに震えている。カレンもその手を握り直し、力なく微笑んだ。
御者が馬の繋ぎを外す音がした直後、嘶きがひとつ聞こえ、鈴音がどんどん遠ざかっていった。その場に残されたカレンと侍女、そして馬一頭の呼吸だけが残り、その音さえも雪が吸い込み外の世界から断絶されたような空気が漂う。
ふと足元を見ると、先ほど買った紙袋から、紺と灰銀の毛糸が何個も転がっている。
それを取ろうと手を伸ばすが、再び足首から走る激痛に襲われる。それを察してくれた侍女が毛糸を拾い、紙袋に収めるとカレンに手渡してくれた。
礼を言ったカレンは、紙袋をきつく両手で抱きしめた。
それに、もう二度とあんな恐ろしい思いをするのはごめんだった。カレンは彼に、次に花を摘みに行くのは雪解けを待ってからにしてと、何度も繰り返し念押しをした。
☆
吹雪の日から、数日後。
水仙のお返しに、あの大きな手を包む手袋を編もうと、カレンは侍女を一人伴い橇馬車で街に向かうことにした。
外に一歩出ると、穏やかな天候とは違い、刺すような冷気が頬を打つ。だがその寒ささえも、カレンがこの地に居ることが実感できる証でもあった。
橇馬車に乗り込み車窓に視線を向けると、嵐が去った後の北の空は、気持ちの良いほどに澄み渡っていた。道中にポツリポツリと点在して建つ、丸太小屋の屋根から垂れる氷柱が陽を受けて輝き、時折どさりと音を立てて雪塊が崩れて落ちる。景色は、どこまでも白が広がり、目には鮮やかな眩しさを運んできた。
居城であるアルヴェルト城から丘を降り、橇馬車で走ること半刻。
街が近づくにつれ、道の両脇に高く雪が積まれている。城の周辺とは異なり、平地で風が弱いせいか、あるいは往来する馬車や人々に踏み固められるせいか、道に残る雪は土が混じった茶白色で、その上を橇の刃が削りながら走る。
裁縫店は城下に位置する街、その中心部の商店が軒を連ねる一角に、小さな店を構えていた。
店内に入ると、棚に並ぶ色とりどりの糸の前でカレンの足が止まった。ハルシオンの髪に合う色、灰色の瞳に映える色。いくつも手に取っては戻し、また別の束を手に取る。小さく首を傾げ、光に透かしてみてはまた戻す。それを幾度も繰り返したあと、深い紺と淡い灰銀の二色を選んだ。
そして、先日の天気の急変のこともあって、今日もそうならないとは限らないと、他に寄り道はせずに早めに帰路に就いた。
橇馬車の窓から、来た時と同じ雪景色が流れていく。午後の陽が傾き始め、雪原に淡い橙が伸び始めた。車内で、隣の侍女と他愛もない話をしながらもカレンは、どんな手袋を作ろうかと、頭の中で様々な編み目模様を浮かべた。戻ったらこっそり作らないと、と頬を緩めながら、視線を膝の上に落とした時だった。
橇が僅かに揺れ、馬の短い嘶きが聞こえた。同時に御者の叫びと、身体が宙に浮く感覚が襲う。その直後、何かに乗り上げる強い衝撃。橇が傾き、視界が斜めになる。
背中から床に叩きつけられ、肺の中の空気が全部押し出された。吸おうとしても吸えない。足首から痛みが急激に駆け上がってくる。喉の奥で、声にならない悲鳴が溜まる。
横に傾いた馬車の中で、座席の布地が顔のすぐ横にあり、床だったはずの場所が壁になっている。
何かが起きた、それだけは理解できた。
そして、なんとかカレンは声を絞り出す。
「ふた、りとも……っ、だいじょ、ぶ……っ?」
そう言った拍子に、足が動いた瞬間。頭の奥が真っ白になり、足首から膝へそして上へと痛みが波のように突き抜けてゆく。歯を食いしばっても、呻きが漏れ呼吸が乱れる。
「カレン様! カレン様!」
侍女の声が近くで聞こえる。這うようにして寄ってきたその顔は蒼白だったが、血は出ていない。外からも、呻き声と共に動く気配が伝わってきた。
二人とも動いている。カレンの肩から強張りがわずかに抜け、長い息が唇から漏れた。
片足の防寒靴の中で何かが腫れ上がり、革が内側から押し広げられているようで、靴紐に手を掛けることも、靴を脱ぎ足を確認することもできそうにない。
先日の吹雪で折れた木の幹が、雪に埋もれて道に突き出していた。橇の刃がそれに乗り上げ、横転寸前になったと、そう聞かされるのは後になってからのことになる。
「カレン様……っ! お顔が……真っ青、です」
侍女が這い寄りながら、カレンの顔を覗き込んだ。
「大丈夫……それより、あなたは? 怪我は、ない?」
「わたしは、どこも……カレン様のほうは、お身体なんとも、ございませんか?」
「いいえ、足が……少し、だけ」
少し、ではなかった。靴の中で脈打つ熱が、じわじわと広がっていく。
外で雪を払う音がして、慌てたように御者が扉の傍まで来た。歪んだ扉を無理やりに開けて、覗き込んできたその額には、血が滲んでいる。
「カレン様! お怪我は!?」
「あなたこそ、額……」
「これくらいは平気です。それもよりも、カレン様……っ、お立ちになられることは、出来ますか……?」
カレンは足に力を入れようとして、息を呑んだ。顔が歪み、首を小さく横に振る。
「ごめんなさい……駄目、みたい……」
それを聞いた御者の顔が強張った。侍女と目を合わせ、それから決心したように口を開く。
「このままじゃ、天候が荒れたら大変です! 馬を一頭外して、騎士団へ助けを呼んで参りますっ……お二人はここでお待ちを! 直ぐに戻ります!」
「ええ……お願い、します」
絞り出すような声だった。
「私がお傍におりますから」
侍女がカレンの手を握った。その手も冷たく、小刻みに震えている。カレンもその手を握り直し、力なく微笑んだ。
御者が馬の繋ぎを外す音がした直後、嘶きがひとつ聞こえ、鈴音がどんどん遠ざかっていった。その場に残されたカレンと侍女、そして馬一頭の呼吸だけが残り、その音さえも雪が吸い込み外の世界から断絶されたような空気が漂う。
ふと足元を見ると、先ほど買った紙袋から、紺と灰銀の毛糸が何個も転がっている。
それを取ろうと手を伸ばすが、再び足首から走る激痛に襲われる。それを察してくれた侍女が毛糸を拾い、紙袋に収めるとカレンに手渡してくれた。
礼を言ったカレンは、紙袋をきつく両手で抱きしめた。
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