〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音

文字の大きさ
24 / 47

24 街へ

しおりを挟む
 ハルシオンが雪に濡れながら持ち帰ってくれた黄色の水仙を、カレンは押し花にして手元に置いた。その様子を見ていたハルシオンは『いくらでも摘んでくるのに』と苦笑したが、カレンにとってはあの吹雪の中、愛の日だからと届けてくれたこの一輪にこそ、代えがたい意味があった。

 それに、もう二度とあんな恐ろしい思いをするのはごめんだった。カレンは彼に、次に花を摘みに行くのは雪解けを待ってからにしてと、何度も繰り返し念押しをした。



 吹雪の日から、数日後。
 水仙のお返しに、あの大きな手を包む手袋を編もうと、カレンは侍女を一人伴い橇馬車そりばしゃで街に向かうことにした。

 外に一歩出ると、穏やかな天候とは違い、刺すような冷気が頬を打つ。だがその寒ささえも、カレンがこの地に居ることが実感できる証でもあった。
 
 橇馬車に乗り込み車窓に視線を向けると、嵐が去った後の北の空は、気持ちの良いほどに澄み渡っていた。道中にポツリポツリと点在して建つ、丸太小屋の屋根から垂れる氷柱が陽を受けて輝き、時折どさりと音を立てて雪塊が崩れて落ちる。景色は、どこまでも白が広がり、目には鮮やかな眩しさを運んできた。

 居城であるアルヴェルト城から丘を降り、橇馬車で走ること半刻。

 街が近づくにつれ、道の両脇に高く雪が積まれている。城の周辺とは異なり、平地で風が弱いせいか、あるいは往来する馬車や人々に踏み固められるせいか、道に残る雪は土が混じった茶白色で、その上を橇の刃が削りながら走る。

 裁縫店は城下に位置する街、その中心部の商店が軒を連ねる一角に、小さな店を構えていた。

 店内に入ると、棚に並ぶ色とりどりの糸の前でカレンの足が止まった。ハルシオンの髪に合う色、灰色の瞳に映える色。いくつも手に取っては戻し、また別の束を手に取る。小さく首を傾げ、光に透かしてみてはまた戻す。それを幾度も繰り返したあと、深い紺と淡い灰銀の二色を選んだ。

 そして、先日の天気の急変のこともあって、今日もそうならないとは限らないと、他に寄り道はせずに早めに帰路に就いた。

 橇馬車の窓から、来た時と同じ雪景色が流れていく。午後の陽が傾き始め、雪原に淡い橙が伸び始めた。車内で、隣の侍女と他愛もない話をしながらもカレンは、どんな手袋を作ろうかと、頭の中で様々な編み目模様を浮かべた。戻ったらこっそり作らないと、と頬を緩めながら、視線を膝の上に落とした時だった。

 橇が僅かに揺れ、馬の短い嘶きが聞こえた。同時に御者の叫びと、身体が宙に浮く感覚が襲う。その直後、何かに乗り上げる強い衝撃。橇が傾き、視界が斜めになる。

 背中から床に叩きつけられ、肺の中の空気が全部押し出された。吸おうとしても吸えない。足首から痛みが急激に駆け上がってくる。喉の奥で、声にならない悲鳴が溜まる。

 横に傾いた馬車の中で、座席の布地が顔のすぐ横にあり、床だったはずの場所が壁になっている。

 何かが起きた、それだけは理解できた。
 そして、なんとかカレンは声を絞り出す。

「ふた、りとも……っ、だいじょ、ぶ……っ?」

 そう言った拍子に、足が動いた瞬間。頭の奥が真っ白になり、足首から膝へそして上へと痛みが波のように突き抜けてゆく。歯を食いしばっても、呻きが漏れ呼吸が乱れる。

「カレン様! カレン様!」

 侍女の声が近くで聞こえる。這うようにして寄ってきたその顔は蒼白だったが、血は出ていない。外からも、呻き声と共に動く気配が伝わってきた。

 二人とも動いている。カレンの肩から強張りがわずかに抜け、長い息が唇から漏れた。

 片足の防寒靴の中で何かが腫れ上がり、革が内側から押し広げられているようで、靴紐に手を掛けることも、靴を脱ぎ足を確認することもできそうにない。

 先日の吹雪で折れた木の幹が、雪に埋もれて道に突き出していた。橇の刃がそれに乗り上げ、横転寸前になったと、そう聞かされるのは後になってからのことになる。

「カレン様……っ! お顔が……真っ青、です」

 侍女が這い寄りながら、カレンの顔を覗き込んだ。

「大丈夫……それより、あなたは? 怪我は、ない?」

「わたしは、どこも……カレン様のほうは、お身体なんとも、ございませんか?」

「いいえ、足が……少し、だけ」

 少し、ではなかった。靴の中で脈打つ熱が、じわじわと広がっていく。

 外で雪を払う音がして、慌てたように御者が扉の傍まで来た。歪んだ扉を無理やりに開けて、覗き込んできたその額には、血が滲んでいる。

「カレン様! お怪我は!?」

「あなたこそ、額……」

「これくらいは平気です。それもよりも、カレン様……っ、お立ちになられることは、出来ますか……?」

 カレンは足に力を入れようとして、息を呑んだ。顔が歪み、首を小さく横に振る。

「ごめんなさい……駄目、みたい……」

 それを聞いた御者の顔が強張った。侍女と目を合わせ、それから決心したように口を開く。

「このままじゃ、天候が荒れたら大変です! 馬を一頭外して、騎士団へ助けを呼んで参りますっ……お二人はここでお待ちを! 直ぐに戻ります!」

「ええ……お願い、します」

 絞り出すような声だった。

「私がお傍におりますから」

 侍女がカレンの手を握った。その手も冷たく、小刻みに震えている。カレンもその手を握り直し、力なく微笑んだ。

 御者が馬の繋ぎを外す音がした直後、嘶きがひとつ聞こえ、鈴音がどんどん遠ざかっていった。その場に残されたカレンと侍女、そして馬一頭の呼吸だけが残り、その音さえも雪が吸い込み外の世界から断絶されたような空気が漂う。

 ふと足元を見ると、先ほど買った紙袋から、紺と灰銀の毛糸が何個も転がっている。
 それを取ろうと手を伸ばすが、再び足首から走る激痛に襲われる。それを察してくれた侍女が毛糸を拾い、紙袋に収めるとカレンに手渡してくれた。

 礼を言ったカレンは、紙袋をきつく両手で抱きしめた。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて

ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」 お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。 綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。 今はもう、私に微笑みかける事はありません。 貴方の笑顔は別の方のもの。 私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。 私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。 ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか? ―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。 ※ゆるゆる設定です。 ※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」 ※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド

とある伯爵の憂鬱

如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。

【完結】脇役令嬢だって死にたくない

⚪︎
恋愛
自分はただの、ヒロインとヒーローの恋愛を発展させるために呆気なく死ぬ脇役令嬢──そんな運命、納得できるわけがない。 ※ざまぁは後半

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

これ以上私の心をかき乱さないで下さい

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。 そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。 そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが “君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない” そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。 そこでユーリを待っていたのは…

王太子は妃に二度逃げられる

たまこ
恋愛
 デリンラード国の王太子アーネストは、幼い頃から非常に優秀で偉大な国王になることを期待されていた。 初恋を拗らせ、七年も相手に執着していたアーネストが漸く初恋に蹴りを付けたところで……。 恋愛方面にはポンコツな王太子とそんな彼をずっと支えていた公爵令嬢がすれ違っていくお話。 ※『拗らせ王子と意地悪な婚約者』『先に求めたのは、』に出てくるアーネストのお話ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。

愛する人は、貴方だけ

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。 天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。 公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。 平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。 やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。

処理中です...