〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音

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「でも、もう大丈夫みたいね」

 確かに、ハルシオンとの間に、見えない距離があった。それが決して居心地が悪いとかそう言うのでは無い。敢えて言うなら、彼女が言ったように遠慮だったのかもしれない。それを、マグリットは最初から見抜いたのだろう。

「取っちゃうわよー、みたいなことを言ったけどね」

 マグリットが口角を上げ、にやりとカレンに向けて笑う。

「本気でその気があったら、十数年前にとっくに婚約してるわよ。それに三日なんて短い滞在じゃなくて、数ヶ月は居座るわ」

 マグリットの言葉が、カレンの中ですとんと落ちた。ああ、そういうことだったのね、と。
 彼女の思惑に苛まれ、ハルシオンが遠く感じて心細かったし、嫉妬し自己嫌悪にも陥った。だがそれがあったからこそ、本音を吐露しあえたのだ。ハルシオンが今、こうして自分の隣にいて、自分だけを見つめてくれていることに、改めて気づかされた。

 ハルシオンが静かに口を開く。

「取るとか取らないとか、そういった冗談は、二度としないでくれ」

 ハルシオンの声は、いつもの穏やかさの中に、どこか必死な響きが混ざっていた。
 冗談と聞き流すこともせず、生真面目にマグリットを窘め、僅かに眉を寄せた彼の横顔を、カレンは昼間のような感情ではなく、素直に嬉しいと思いながら見つめた。

 そしてカレンは、膝の上で握りしめていた指先をゆっくりとほどくと、テーブルの上にある彼の手の上に、自身の指をそっと置いた。
 その仕草に、ハルシオンがカレンの方へ視線を向ける。目が合うとカレンは小さく微笑み、ハルシオンも力を抜くように、眉尻を下げた。

 マグリットは、そんな様子の二人に肩を竦めた。

「はいはい、分かってるわよ。あなた、昔から冗談が通じないんだから」

 それから、カレンの方を向いて微笑んだ。

「カレンさん。この人、不器用だけど、悪い男じゃないわ。大事にしてあげてね。それにどうせ、私のこと女として見てないの」

 再びケラケラと笑うマグリットに、カレンも微笑んで、ひとつ頷いた。

「はい。分かっています」

「よし」

 マグリットは立ち上がり、ワインのグラスを掲げた。

「いやぁ、うまくいってよかったわ。これで安心して帰れる。明日の朝には発つわね」

 ハルシオンがわずかに眉を上げた。

「もう、発つのか?」

「だって。どうやら、私の役目は終わったもの。それに挙式まで忙しいでしょう? お邪魔しちゃっても申し訳ないし」

 マグリットは、グラスのワインを一気に飲み干した。

「次はね、春の挙式の時に来るわ。楽しみにしてるから」

 カレンはその姿を見つめながら、不思議な感情を覚えていた。最初は脅威に思えたこの女性が、今は違って見える。お節介で、暴走気味で、思い込みが激しくて。でも、根は良い人なのだ。

「マグリット様。ありがとうございました」

 カレンの呼びかけに、マグリットは一瞬きょとんとして、それから嬉しそうに目を細めた。

「やだ、素直ね。いい子だわ、あなた」

 それから、ハルシオンに向かってひらひらと手を振った。

「じゃあね、ハル。私も、もし恋愛する気になれたら、熊の旦那を連れてくるから。新しいの見つけたら、だけど」

 ハルシオンは小さくため息をついた。

「ちゃんと旦那の話も聞けよ?」

「分かってるわよ、話すことなんてないけれどもね」

 マグリットは笑いながら膳の間を出ていった。紅のドレスの後ろ姿が扉の向こうに消えると、先ほどの賑やかさが嘘のように、静かな空気が漂い始める。

 カレンはハルシオンの方を見て、小首を少し傾けた。

「……マグリット様は、ずっとああいう感じなの?」

「ええ」

 ハルシオンは苦笑した。

「昔から、思い込んだら止まらない人でね。でも、根は善い。今回も、余計なお世話だったが……それでも、私のせいでカレンを不安にさせてしまった」

「いいえ。でも……ハルが、必死になってくれるのが、少しだけ嬉しくて」

 先ほどサロンで約束した「ハル」という呼び名が、今は震えずに口から出せる。
 敬語も脱ぎ捨てた自分の声が、今は心地よく響く。もう、言葉の裏を探り合う必要はない。

「でもある意味、彼女のおかげであなたの本音が聞けた。それはとても嬉しい」

 微笑みながら言うハルシオンのその言葉を聞いて、カレンも小さく笑った。

「私も。あなたの本音が聞けたわ」

 ハルシオンの手がそっとカレンの手に重ねられる。温かくしなやかな指が、カレンの指と絡み合い、そのまま暫く見つめ合ったが、どちらともなくふっと笑い合い、その手を離した。

「さて、食事の続きをしましょうか」

「はい」

 二人の間に、穏やかな空気が流れていた。まだまだ、敬語交じりではあったが、カレンはそれこそが二人の空気感なのだと、純粋にそう思えた。



 翌朝の少し曇った空が広がる下で。
 マグリットは深紅の外套に身を包んで、カレンの手を取っていた。カレンの隣にはハルシオンが立っている。

「次はゆっくりいらしてくださいね。私、マグリット様ともっとお話がしたいです」

 カレンの言葉に、マグリットがふわりとカレンの身体を包み込んだ。

「ありがとう、カレンさん。次はリュシアナ妃殿下も交えて、三人で旦那の愚痴を言いあいましょうね」

 彼女はそう囁いて、カレンと見合いながら二人で小さく笑い合った。

「私もあなたたちを見ていたら、浮気熊の話を聞いてやらんでもないかなって気持ちになれた……カレンさん、あなたのおかげで少し毒気が抜けたわ。ハルも、あんな顔させて悪かったわね。二人とも、ありがと」

 ほんの僅か照れたように言った彼女は、ハルシオンとも軽く抱擁を交わすと、馬車へ乗り込んだ。
 
 窓に顔を寄せ、赤い手袋を嵌めた手を振る。
 その姿が、どこか寂しそうでもあった。

 カレンもそれに応えるように、手を挙げて左右に振った。
 
 この時期の嵐は、暖かい季節を運んでくれる。
 空を見上げると、先ほどより曇天が色濃くなっている。直ぐにでも雪が降るのだろう。
 
 そして、吹き荒れたあとは、新しい芽吹きがやってくるはずだ。
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