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37 号外 Interlude-Tune Ⅲ
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カレンがウェディングドレスを纏い、フィッティングに臨んでいた同日の朝。城の眼下に広がる街では、ちょっとした騒動が起きていた。
新聞の号外が出回ったのだ。
公爵が連れ歩く謎の美女という、領民たちの間でまことしやかに囁かれていた噂の正体が、ついに大々的に公表された。
領主の婚姻についての詳細が紙面を飾る。挙式の日取り、公爵夫人となる女性の名前と出自、その容姿を描いた挿絵まで添えられている。金色の髪と翡翠の瞳を持つ美しい女性。
その号外が街に溢れた瞬間、北の街は一気に祭りの色に染まり始めた。
それを皮切りに大通りの軒先には早速、金と銀と翡翠色の細布がひらひらと揺れている。金は領主の髪、銀は領主の瞳、そして翡翠は花嫁の瞳という、それぞれを象徴する色。裁縫店には人が殺到し、翡翠色は真っ先に売り切れた。手に入らなかった者たちは手持ちの緑の布を裂いたり、古いスカーフを細く切ったり、子どもの帽子からリボンを外したりして、軒先に結んでいる。
風が吹くたびに、三色の布が混ざり合って踊る。子どもたちは布を腕に巻いて走り回り、若者たちはまるで恋を成就させるおまじないかのように、その色のリボンで身を飾る。酒場や人々が行き交う商店の前では「当日はどこで見る?」「何を着ていく?」と話が弾み、レストランやパン屋等では、祝いの料理や品の試作に追われている。
街全体が、挙式に向かって加速していた。
☆
その賑わいとは対照的に、騎士団詰所の食堂は静まり返っていた。
昼の喧騒が過ぎ去った後の、中途半端な時間。食堂には人の姿がまばらで、片付けられた皿の音だけが厨房から聞こえている。
ローランは一人、椅子に座っていた。目の前には新聞が広げられている。食事の皿も、飲み物もなく、ただ新聞だけが置かれていた。
新聞の見出しは『アルヴェルト公爵閣下、来月ご成婚』の文字。
その下に、花嫁の名が記されている。
カレン・ヴァンシェル。
じっとその文字を、瞬きすらせず目に映している。背筋は伸びているのにそこに力はなく、周囲の騎士が声をかけても、反応がない。息をしているのかも分からないほど、静かだった。
ローランに元妻がいたことを知っている同僚は少ない。ローラン自身が、余りそのことについて語ってこなかったからだ。
「あら、ローラン。一人?」
その声と共に食堂に入って来たブリジットが、ローランの傍まで歩み寄ってくる。騎士が二、三人、彼女の後ろに続いている。ブリジットは最近、別の騎士と腕を組んだり、笑い合ったりして、親しくしているようだった。
ローランはその気配に気づいたが、顔をそちらには向けなかった。
ブリジットが隣の椅子に腰を下ろし、その周りの椅子に付いて来た騎士たちも腰を下ろす。そして、ブリジットが不意に、テーブルに置かれた新聞を覗き込んだ。
「ああ。閣下の挙式、もうすぐね。街中が浮かれちゃって」
軽い口調のブリジットの言葉に、ローランは何も答えなかった。
「カレン……?」
ブリジットが新聞の名前を読み上げ、ふと首を傾げた。
「あら? あなたの前の奥さんと同じ名前じゃない?」
ローランの指が膝の上でわずかに動いたが、気づく者は居ない。
ブリジットもそれには気づかず、クスクスと笑った。
「でも、あんな地味な人が閣下の奥様なんて、無いわよね。同じ名前なのにねぇ。面白いわ」
ブリジットの対面に座った騎士の一人が、新聞を覗き込みながら言った。
「しかし、閣下が一目惚れしたのも分かるなあ。この挿絵、本当に綺麗じゃないか?」
「だよな。ほら、ちょっと前に噂になってただろ? 閣下が美女を連れ歩いてるって。挿絵でこれだぜ? 実物みたら鼻血だなこりゃ」
「お前それ、閣下の前で言うなよ? 粛清されるぞ」
「違いねぇな」
そう言い笑いあう、同僚たち。彼らは何も知らない。ただ素直に花嫁を褒め、婚姻の喜びを話に乗せているに過ぎない。
そんな中、ブリジットの視線だけは、ローランの方へ向いている。
「ねぇ、ローラン」
ブリジットの声がローランの耳に届く。だが、応える気にはなれなかった。
「ローラン?」
肩に手が置かれたが、それでも顔を向ける気力がなかった。目は新聞に落ちたまま、そこから動かせない。
「ちょっと、こっちに来て」
苛立ち交じりの声を出したブリジットが、ローランの腕を掴み椅子から立たせた。周りの騎士たちが、怪訝な顔をしているのが視界の端に映ったが、何か言葉をかける気にもなれず、ローランはされるがままフラフラとブリジットに引き摺られて行く。食堂を出て、廊下を抜け、詰所の裏口から外へと出た。
新聞の号外が出回ったのだ。
公爵が連れ歩く謎の美女という、領民たちの間でまことしやかに囁かれていた噂の正体が、ついに大々的に公表された。
領主の婚姻についての詳細が紙面を飾る。挙式の日取り、公爵夫人となる女性の名前と出自、その容姿を描いた挿絵まで添えられている。金色の髪と翡翠の瞳を持つ美しい女性。
その号外が街に溢れた瞬間、北の街は一気に祭りの色に染まり始めた。
それを皮切りに大通りの軒先には早速、金と銀と翡翠色の細布がひらひらと揺れている。金は領主の髪、銀は領主の瞳、そして翡翠は花嫁の瞳という、それぞれを象徴する色。裁縫店には人が殺到し、翡翠色は真っ先に売り切れた。手に入らなかった者たちは手持ちの緑の布を裂いたり、古いスカーフを細く切ったり、子どもの帽子からリボンを外したりして、軒先に結んでいる。
風が吹くたびに、三色の布が混ざり合って踊る。子どもたちは布を腕に巻いて走り回り、若者たちはまるで恋を成就させるおまじないかのように、その色のリボンで身を飾る。酒場や人々が行き交う商店の前では「当日はどこで見る?」「何を着ていく?」と話が弾み、レストランやパン屋等では、祝いの料理や品の試作に追われている。
街全体が、挙式に向かって加速していた。
☆
その賑わいとは対照的に、騎士団詰所の食堂は静まり返っていた。
昼の喧騒が過ぎ去った後の、中途半端な時間。食堂には人の姿がまばらで、片付けられた皿の音だけが厨房から聞こえている。
ローランは一人、椅子に座っていた。目の前には新聞が広げられている。食事の皿も、飲み物もなく、ただ新聞だけが置かれていた。
新聞の見出しは『アルヴェルト公爵閣下、来月ご成婚』の文字。
その下に、花嫁の名が記されている。
カレン・ヴァンシェル。
じっとその文字を、瞬きすらせず目に映している。背筋は伸びているのにそこに力はなく、周囲の騎士が声をかけても、反応がない。息をしているのかも分からないほど、静かだった。
ローランに元妻がいたことを知っている同僚は少ない。ローラン自身が、余りそのことについて語ってこなかったからだ。
「あら、ローラン。一人?」
その声と共に食堂に入って来たブリジットが、ローランの傍まで歩み寄ってくる。騎士が二、三人、彼女の後ろに続いている。ブリジットは最近、別の騎士と腕を組んだり、笑い合ったりして、親しくしているようだった。
ローランはその気配に気づいたが、顔をそちらには向けなかった。
ブリジットが隣の椅子に腰を下ろし、その周りの椅子に付いて来た騎士たちも腰を下ろす。そして、ブリジットが不意に、テーブルに置かれた新聞を覗き込んだ。
「ああ。閣下の挙式、もうすぐね。街中が浮かれちゃって」
軽い口調のブリジットの言葉に、ローランは何も答えなかった。
「カレン……?」
ブリジットが新聞の名前を読み上げ、ふと首を傾げた。
「あら? あなたの前の奥さんと同じ名前じゃない?」
ローランの指が膝の上でわずかに動いたが、気づく者は居ない。
ブリジットもそれには気づかず、クスクスと笑った。
「でも、あんな地味な人が閣下の奥様なんて、無いわよね。同じ名前なのにねぇ。面白いわ」
ブリジットの対面に座った騎士の一人が、新聞を覗き込みながら言った。
「しかし、閣下が一目惚れしたのも分かるなあ。この挿絵、本当に綺麗じゃないか?」
「だよな。ほら、ちょっと前に噂になってただろ? 閣下が美女を連れ歩いてるって。挿絵でこれだぜ? 実物みたら鼻血だなこりゃ」
「お前それ、閣下の前で言うなよ? 粛清されるぞ」
「違いねぇな」
そう言い笑いあう、同僚たち。彼らは何も知らない。ただ素直に花嫁を褒め、婚姻の喜びを話に乗せているに過ぎない。
そんな中、ブリジットの視線だけは、ローランの方へ向いている。
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