〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音

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41 あの丘へ

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 挙式まであと二日となったその日。城の中は慌ただしさの頂点にあった。

 招待客の到着が相次ぎ、玄関ホールには新たな祝いの品が次々と運び込まれている。厨房では祝宴の料理の仕込みが始まり、廊下を行き交う仕え人たちの足音が絶えることがない。

 そんな慌ただしさの中、ヒューゴとシャルロッテは城の人気者になっていた。厨房に忍び込んでは料理長に追い出され、ヴェール持ちの練習だと言って布を侍女に被らせて、廊下を行進する。その無邪気さと愛らしさで城中の者を翻弄し、時には癒し、忙しさでピリピリとしていた空気を和ませていった。

 リュシアナもその後、城の侍医の診察を受けた。結果は、彼女の予想していた通りだった。三人目の命が、その身に宿っている。

 その報せを速達で受け取ったのだろう。王太子殿下は予定よりも数日早く、北の地に到着した。馬車から降り立った殿下は、出迎えたリュシアナの姿を見るなり、澄んだ青い瞳から大粒の涙を流した。言葉を掛けるより早く、リュシアナを抱きしめ、何度も何度も頬に口づけを落としている。

 普段は堂々とした王太子が、人目も気にせず妻を抱きしめて泣いている。カレンは思わず両手を胸の前で組んだ。いつか自分たちも、ああなれるだろうか。と、微笑ましさと憧れをその胸に抱きながら。

「既に二人、子がいるのに。あんなに泣いて。王太子殿下も変わらないなぁ」

 と、ハルシオンが苦笑を浮かべ、小さく呟いた。

「それほどに、嬉しいのですよ。子は宝ですもの」

 そう言ったと同時に、隣に立っていたハルシオンが、そっとカレンの頬に唇を寄せた。

「私たちも、姉上夫妻のように……いや、それ以上の夫婦になりましょう」

 耳元で囁かれ、カレンは思わず俯いた。ハルシオンの笑う気配が、すぐ傍で感じられた。



 その翌日。婚姻式が行われる前々日のことだった。

 カレンは朝から執務室に籠もり、最後の確認作業に追われていた。明日にはもう、当日の為の準備に入る。その為、今しか時間がないとばかりに、羽根ペンを走らせる手を動かし続けていた。

 ふと手を止め、時計を見る。針は頂点近くを指そうとしていた。
 もうそんな時間なのと、そう思った時、執務室の扉が静かに開いた。

「カレン」

 ハルシオンの声だった。顔をそちらに向けると、春用の乗馬服に軽い上着を羽織ったハルシオンが、扉の前に立っていた。

「少し、付き合ってもらえませんか?」

「今からですか? でも、まだ確認が……」

「残りは侍女たちに任せましょう。それに私の側近もいます。大丈夫、彼らは優秀ですよ」

 ハルシオンがカレンの傍まで歩み寄り、手からそっと羽根ペンを取り上げて机に置いた。

「夫婦になる前の、最後の時間を頂けませんか? 未来の私の奥様」

 その言葉に、カレンの胸と喉がきゅっと締まる。二日後には、ハルシオンの妻になる。

「……はい」

 小さく頷くと、ハルシオンの口元が分かりやすく綻んでいった。

 ハルシオンにエスコートされながら、城の裏手に回ると一頭の黒馬が用意されていた。ハルシオンがカレンの前に立ち、手を差し伸べる。

「カレン、こちらへ。おいで」

 その手を取ると、カレンの小さな驚きの声と共に、引き上げられて馬上に乗せられる。ハルシオンが後ろから跨がり、カレンを腕の中に収める。背中に彼の胸板の温もりが伝わってきた。片腕が腰に回され、もう片方の手が手綱を握る。

「しっかり掴まっていて」

 カレンの耳元でハルシオンは囁くと、馬の腹を軽く蹴った。
 黒馬はゆっくりと動き出す。

 城を離れ、雪解けの道を進んでいく。小川の縁には菜の黄色い花が咲き、鵲が鳴きながら枝を渡っていく。そのまた遠くからは、雲雀のピィーヒョロロと鳴く声がここまで届き聞こえてくる。

 雪解け後の濃厚な土の匂いに交じる、甘い花の香り。少しだけ冷たさを含んだ、爽やかな風。春の中を、徐々に黒馬はスピードを上げ、一定のリズムを刻み走ってゆく。

「どこへ行くのです?」

「あの丘です」

 その言葉だけで、カレンにはどこを指しているのか分かった。
 初めて北の地を訪れた時、ハルシオンが連れて行ってくれたあの場所。白銀の雪原の中、彼が想いを告げてくれたカレンにとって、大事な思い出の場所だ。

「覚えていますか。初めてこの道を通った時のことを」

「ええ。あの時は、一面の雪だったわ」

「あなたは橇馬車の中で、少し不安気で、それでいて希望に満ちた顔をしていた」

 カレンは思わず笑った。

「あの頃の私は、そうですね、不安と希望と……色々あったかも」

「今は?」

「今は、ここが私の居場所だと思っています」

 背中越しに、ハルシオンが深く息を吸い込むのが分かった。ハルシオンの唇が、頭の上に落ちてきて、そこから熱い吐息が伝わってくる。

「ハル、危ないわ! 前を見て」

「すみません、つい……」

 クスクスっと笑ったハルシオンに、カレンも前を向きつつも苦笑を漏らした。
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