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42 祝福の白い花
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丘の麓に着くと二人は馬を降り、近くの柵に手綱を括り、そこからは徒歩で丘の上を目指す。緩やかな斜面をハルシオンとカレンは手を繋ぎながら、登っていく。
そして、頂に立った瞬間、カレンは思わず息を止めた。
目に映る景色。
そこは一面のスノードロップが、隙間なく咲き乱れていた。
白い花が、丘全体を埋め尽くしている。俯くように咲く小さな花が、無数に果てまでも続く。風が渡るたびに大きな額片と小さな花弁が揺れ、白い波のように畝ってゆく。
一年前の冬のあの日、ここは凍てついた雪原だった。白銀の世界で、ハルシオンが想いを告げてくれた場所。あの時、この大地の下でこの花たちは根を張り、春を待っていたのだ。
「これが……」
カレンはどう表現したらいいのかわからず、何も声が出なかった。
「この景色も、カレン。あなたに見せたかった」
ハルシオンがカレンの肩を優しく引き寄せて抱き、同じ白い海を見つめた。
「可憐なこの花が、あなたに重なって見えたのです。……凛として、決して折れずにいて。それが私には、あなたのようだと思えた」
「……同じ言葉を、以前にも言ってくれましたね」
カレンは服の上から胸元のペンダントを、そっと左手の指先で撫でる。
「カレン」
名前を呼ばれ、顔を横に向け見上げると、ハルシオンの銀灰色の瞳がこちらを見つめていた。ハルシオンはカレンの両手を取り、自分の胸元へ引き寄せた。
「あなたといると、嘘のように時間が溶けて消えていくんです」
「私も同じ。ハルといると、時間がすぐ流れてしまいます。もっと一緒にいたいのに、気づいたら夜になってたり」
「きっとこの先も、そうなのでしょうね。子が出来て成長し、二人で共に歳を重ねていく。その全てが、あっという間に過ぎていく」
「瞬きの間に、歳を取ってしまうわね」
カレンが笑うと、ハルシオンの目尻が下がった。
「でもそれが、心から嬉しい。あなたと過ごせる時間の一瞬一瞬が、愛おしくてたまらない。だから、この命が尽きるまで……いや、尽きてからも」
ハルシオンがカレンの手をさらに力強く握ると、そこに唇を落とし言葉を継いだ。
「あなたと、その時間を分かち合いたい」
ハルシオンは、上目遣いでこちらを見つめている。その瞳を、カレンも見つめ返した。
「私も、です……ハルと、ずっと」
その言葉を落とすと、ハルシオンが再び強くカレンの手を握り締めた。そして直後にそっと、その手を離したハルシオンは、懐から深い紺のベルベットに覆われた箱を出した。
その箱には、公爵家の金の紋章が刻まれている。
彼の手は、ほんの僅かだが、小さく震えているように見えた。
震える指先でハルシオンが箱を開いた瞬間、威厳を放つダイヤモンドが現れ、陽射しを受けてファイアが虹を散らした。春の光の中で圧倒的な存在感を放っていて、華美な装飾はない。ただ一粒の石が、シンプルな台座の上で堂々と透き通る輝きを宿していた。
「これは私の母や祖母、先祖が代々受け継いできた、女主人が身に着けて来たものです。ですが、家を継ぐ者の義務としてではなく、私の隣にいてくれる証として。……次はカレン、あなたが着けてくれますか?」
ハルシオンの問いに、カレンは少し戸惑い、返事が出来なかった。嫁ぐ覚悟はできていたが、目の前の指輪があまりにも神々しくて、受け取ることが畏れ多く思えたのだ。
「カレン? 駄目、でしょうか?」
眉尻を下げて、心配そうに問いかけるハルシオン。
「いえ……っ、あの、そう言う訳ではないのです。なんというのか……畏れ多くて」
「大丈夫。あなたはアルヴェルト公爵家に嫁ぐ。だが、私の妻として、です。家と婚姻するのではない」
「私に、務まるでしょうか?」
そう言ったカレンの不安を一掃するように、ハルシオンが眩しいほどの笑顔を見せた。
「勿論。あなた以外に私の妻は居ない。何があっても私が守り、支えます。足りないかもしれませんが……その時は、叱ってください」
そう言って微笑むハルシオンに、カレンは小さく頷くと、ゆっくり左手を差し出した。ハルシオンがその手を取り、薬指にゆっくりと指輪を滑らせる。一瞬、冷たい金属が肌に触れ、やがてピタっと肌に馴染んでいく。
それを見つめたカレンは、公爵家の女主人としての重責と歴史、それ以上にハルシオンの妻という喜びで、胸がいっぱいになっていった。
「この場所で渡すなんて、もう……っ……いつも、本当に甘すぎます……っ」
「あなたこそ」
ハルシオンがカレンの手を取り、指輪に唇を落とした。
「そんな顔をされたら、もう何も要らなくなる」
「……えっ? 私、どんな顔をしているのです?」
「私だけに見せてくれる、とても可愛くて、独り占めしたくなる顔、かな」
「……っ!」
カレンは顔に全身の熱を集め、ハルシオンも幸せそうに目尻をさげながら、二人は顔を見合わせ小さく笑った。
彼の腕がカレンの背中に回り、再びそっと抱き寄せられる。そこに身を預けながら、カレンは呟いた。
「ハル、私、あなたと冬を迎え、春を迎えて、何度でもいくつも季節を感じたい」
「私もです。何度でも。あなたと」
冬を越えて咲いた、大地と自然の命を謳う白い花の海の中で、二人は長い時間、離れなかった。
やがて、ハルシオンがカレンの髪をそっと撫でた。
「カレン」
「はい」
少しの間が空き、あの低く心地の良いバリトンの声が落ちてきた。
「愛してる」
ハルシオンのその言葉が、カレンの心に深く落ちていき、永遠に消えることがないように焼き付いてゆく。
「カレン、心から愛しています」
カレンはハルシオンの胸に頬を預けたまま、囁いた。
「私も、愛しています。ハル」
カレンの頬を、透明な雫が伝った。
そのまま二人で優しい風に包まれながら、白い風景を見続けた。
そして、頂に立った瞬間、カレンは思わず息を止めた。
目に映る景色。
そこは一面のスノードロップが、隙間なく咲き乱れていた。
白い花が、丘全体を埋め尽くしている。俯くように咲く小さな花が、無数に果てまでも続く。風が渡るたびに大きな額片と小さな花弁が揺れ、白い波のように畝ってゆく。
一年前の冬のあの日、ここは凍てついた雪原だった。白銀の世界で、ハルシオンが想いを告げてくれた場所。あの時、この大地の下でこの花たちは根を張り、春を待っていたのだ。
「これが……」
カレンはどう表現したらいいのかわからず、何も声が出なかった。
「この景色も、カレン。あなたに見せたかった」
ハルシオンがカレンの肩を優しく引き寄せて抱き、同じ白い海を見つめた。
「可憐なこの花が、あなたに重なって見えたのです。……凛として、決して折れずにいて。それが私には、あなたのようだと思えた」
「……同じ言葉を、以前にも言ってくれましたね」
カレンは服の上から胸元のペンダントを、そっと左手の指先で撫でる。
「カレン」
名前を呼ばれ、顔を横に向け見上げると、ハルシオンの銀灰色の瞳がこちらを見つめていた。ハルシオンはカレンの両手を取り、自分の胸元へ引き寄せた。
「あなたといると、嘘のように時間が溶けて消えていくんです」
「私も同じ。ハルといると、時間がすぐ流れてしまいます。もっと一緒にいたいのに、気づいたら夜になってたり」
「きっとこの先も、そうなのでしょうね。子が出来て成長し、二人で共に歳を重ねていく。その全てが、あっという間に過ぎていく」
「瞬きの間に、歳を取ってしまうわね」
カレンが笑うと、ハルシオンの目尻が下がった。
「でもそれが、心から嬉しい。あなたと過ごせる時間の一瞬一瞬が、愛おしくてたまらない。だから、この命が尽きるまで……いや、尽きてからも」
ハルシオンがカレンの手をさらに力強く握ると、そこに唇を落とし言葉を継いだ。
「あなたと、その時間を分かち合いたい」
ハルシオンは、上目遣いでこちらを見つめている。その瞳を、カレンも見つめ返した。
「私も、です……ハルと、ずっと」
その言葉を落とすと、ハルシオンが再び強くカレンの手を握り締めた。そして直後にそっと、その手を離したハルシオンは、懐から深い紺のベルベットに覆われた箱を出した。
その箱には、公爵家の金の紋章が刻まれている。
彼の手は、ほんの僅かだが、小さく震えているように見えた。
震える指先でハルシオンが箱を開いた瞬間、威厳を放つダイヤモンドが現れ、陽射しを受けてファイアが虹を散らした。春の光の中で圧倒的な存在感を放っていて、華美な装飾はない。ただ一粒の石が、シンプルな台座の上で堂々と透き通る輝きを宿していた。
「これは私の母や祖母、先祖が代々受け継いできた、女主人が身に着けて来たものです。ですが、家を継ぐ者の義務としてではなく、私の隣にいてくれる証として。……次はカレン、あなたが着けてくれますか?」
ハルシオンの問いに、カレンは少し戸惑い、返事が出来なかった。嫁ぐ覚悟はできていたが、目の前の指輪があまりにも神々しくて、受け取ることが畏れ多く思えたのだ。
「カレン? 駄目、でしょうか?」
眉尻を下げて、心配そうに問いかけるハルシオン。
「いえ……っ、あの、そう言う訳ではないのです。なんというのか……畏れ多くて」
「大丈夫。あなたはアルヴェルト公爵家に嫁ぐ。だが、私の妻として、です。家と婚姻するのではない」
「私に、務まるでしょうか?」
そう言ったカレンの不安を一掃するように、ハルシオンが眩しいほどの笑顔を見せた。
「勿論。あなた以外に私の妻は居ない。何があっても私が守り、支えます。足りないかもしれませんが……その時は、叱ってください」
そう言って微笑むハルシオンに、カレンは小さく頷くと、ゆっくり左手を差し出した。ハルシオンがその手を取り、薬指にゆっくりと指輪を滑らせる。一瞬、冷たい金属が肌に触れ、やがてピタっと肌に馴染んでいく。
それを見つめたカレンは、公爵家の女主人としての重責と歴史、それ以上にハルシオンの妻という喜びで、胸がいっぱいになっていった。
「この場所で渡すなんて、もう……っ……いつも、本当に甘すぎます……っ」
「あなたこそ」
ハルシオンがカレンの手を取り、指輪に唇を落とした。
「そんな顔をされたら、もう何も要らなくなる」
「……えっ? 私、どんな顔をしているのです?」
「私だけに見せてくれる、とても可愛くて、独り占めしたくなる顔、かな」
「……っ!」
カレンは顔に全身の熱を集め、ハルシオンも幸せそうに目尻をさげながら、二人は顔を見合わせ小さく笑った。
彼の腕がカレンの背中に回り、再びそっと抱き寄せられる。そこに身を預けながら、カレンは呟いた。
「ハル、私、あなたと冬を迎え、春を迎えて、何度でもいくつも季節を感じたい」
「私もです。何度でも。あなたと」
冬を越えて咲いた、大地と自然の命を謳う白い花の海の中で、二人は長い時間、離れなかった。
やがて、ハルシオンがカレンの髪をそっと撫でた。
「カレン」
「はい」
少しの間が空き、あの低く心地の良いバリトンの声が落ちてきた。
「愛してる」
ハルシオンのその言葉が、カレンの心に深く落ちていき、永遠に消えることがないように焼き付いてゆく。
「カレン、心から愛しています」
カレンはハルシオンの胸に頬を預けたまま、囁いた。
「私も、愛しています。ハル」
カレンの頬を、透明な雫が伝った。
そのまま二人で優しい風に包まれながら、白い風景を見続けた。
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