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46 遠くの鐘 Under-track おまけ1
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朝礼は、いつも通りに始まった。
点呼の声が規則正しく広間に響く。騎士たちが整然と並ぶ中、ブリジット・ティックは前を向いたまま、自分でも気づかぬうちに視線が斜め前の位置を探していた。
彼が居ない。
上官が淡々と当日の指示を読み上げる中、ブリジットはその事実を静かに確認した。朝礼が解散になった後、傍にいた同僚の騎士に何気なく声をかけた。
「ねぇ、ローランは?」
「ああ、聞いてないのか? どうやら今日付けで退団したらしいぞ。さっき俺も二部隊長から聞いた。王都に戻るんだってよ」
そう答えた同僚は、特に感慨もなさそうに踵を返すと、廊下の向こうへ消えていく。ブリジットは暫く、その場に立ったままでいた。
自分にも一言もなく?
一瞬そう思ったが、すぐにその考えを閉じ込めた。
今日の任務は、式典警備だった。アルヴェルト公爵の婚姻に際して、パレードのルートに沿って民衆を抑え誘導し、馬車の通過をスムーズに行えるよう通路を確保する。北の騎士団総帥である公爵の、それも領主の挙式だ。他の団員たちも、上官から下の若い子たちまで皆が皆、どこか浮足立っていた。
本当に、迷惑な話だわ。
ブリジットに割り当てられた持ち場の商業区画は、既に人で溢れていた。煉瓦造りの道の両側に並ぶ商店の軒先には、金と銀と翡翠のリボンが飾られ、風にそれが揺れている。
祝いのどこか甘い空気が街全体を柔らかく包む中、ブリジットは騎士服のまま棒のように立っていた。
ローランとちゃんと話もしなかった。
別れたまま、終わったまま。そのことがふとした隙間に戻ってくる。
☆
ローランと初めて会ったのは、北の騎士団に入団して間もなくのことだった。
ブリジットが生まれ育った場所は、小さな町だった。
大きな商家もなく、目立った産業もなく、ただ穏やかに時が流れるような、自然豊かといえば聞こえはいいが、何もないつまらない場所。
だが、その町に一軒だけ、抜きんでた富を持つ家があった。その家の一人息子はブリジットと同年代で、名前を呼ばれるたびにふわふわっと綿菓子のような顔で笑う少年だった。
彼が身に着けている物はいつも上等で、髪は常に整えられ、細い指は白く荒れているのを見たことが無い。貧富関係なく近所の子どもたちが集まる遊び場で、いつも自然と中心にいた。皆の王子様、そんな男の子。
ブリジットは彼が好きだった。本人も気づかないくらい、当たり前に好きだった。
だが彼が選んだのは、同じ幼馴染の内気な女の子。
地味で目立たなくて、笑うと少しだけ笑窪が出来て、人前では決して前に出てこないような、静かな子。そうか、あなたは彼女を選ぶのか、と思った。彼の妻になれたらと、思ったことが無いわけでは無かった。そんな想像をして、ひとり頬を緩ませることもあった。だが、現実は違った。裕福な家で笑うのは、地味な幼馴染。自分じゃない。
なら私は違う道を行こう。強い女になろう。
その意地が、ブリジットを女騎士になるという道を選ばせた。
北の騎士団の入団試験を受け、数少ない女性騎士として入団できる資格を得た。
その頃はまだ、この町から出て、彼らを見返すことが出来る。
どこかでそう思っていた。
だがいざ入団してみると、ブリジットは初めて自分の世界がいかに狭いかを知った。
剣の速さも体力も判断力も、全てにおいて上には上がいくらでもいた。頬を赤くして怒鳴り散らす上官に、押しつぶされそうになりながら食らいついた。
そこで出会ったのが、ローラン・ブレンダルだった。高位貴族の侯爵家の息子で、野心を隠さない鋭い目をした男。普通に生きていれば、平民のブリジットとは絶対に交わることもない、初めて間近で見る雲の上の人。
ここの領主であり、騎士団の総帥でもあるアルヴェルト公爵はいわずもがな、易々と傍に行ける御方ではない。他の上官たちも、高位貴族やそれなりの地位にある人ばかり。
そんな中で彼は、ここでは特別扱いもされず、ブリジットと並んで同じ泥を踏み、笑顔で熟す。
その姿は、あの町の王子様が偽物で、こちらが本物の王子様だと突きつけられた。
ブリジットは自分の恋を、初めてちゃんと自覚した。
ローランと目が合うだけで胸が高鳴り、抑えるのが精いっぱいの日々。
自分の気持ちが相手に伝わらないように、周りにバレないようにと、隠すのに必死な日々。
こうして傍で一緒に訓練したり、任務に就いたり、時に食事を共にしたり。
そんな時間を過ごせること。
それが嬉しくて堪らなかった。
☆
生まれ故郷の町へ帰省したのは、三年ほど前のこと。幼馴染の彼らが婚姻したことは、風の噂で知っていた。
いざ帰ってみれば、彼らの間には子供が生まれていた。妻と並んでぎこちなくも幸せそうな顔をする幼馴染の男。ブリジットはその日、実家に戻ってから長い時間、ぼうっと窓の外を見ていた。
頭の中に、結婚という文字が浮かぶ。
特別、結婚に憧れがあるわけでもないのに。
幼馴染の男のことは、恋してたというにはあまりにも想いが軽く、恋とも呼べない子供の憧れだったと分かる。だが、彼らが家庭を持っている姿を見ると、胸の中がザラザラとしてくるのだ。
今、自分が恋している相手は貴族だ。しかも高位の。
自分は平民であり、どれだけ強くなろうが剣が上達しようが、手を伸ばしていい場所といけない場所がある。
それに彼には既に、王都に妻がいるのだ。
どうひっくり返っても、届かない。そう思っていた。
それなのに。
北に戻ってからも、ローランへの気持ちは消えず、それどころか日々共に過ごすことで深くなっていった。
その日は、魔が差したのか。自分でももう、分からなかった。
想いが消せないのであれば、せめて手の届く形にしてしまえばいい。
そう思って、食事に誘い、酒を呷って、酔いに任せて距離を詰めた。
ローランは拒まなかった。
ああ、私は選ばれた。想いが伝わった。
それで満足だった。
女として認められた。王子様がこの私に振り向いたのだ。
そう思えば思うほど、優越に浸れた。
肉体的な関係が始まっても、ブリジットは自分の口からは、正妻にして欲しいとも、愛人でいいとも、何も言わなかった。言った瞬間に全部終わるとわかっていたから。
今、この地では、自分が選ばれている。
それが事実であり、制度の婚姻や肩書など、何の関係もない。
なのに。
ローランの妻と名乗る女が来た。
彼女を見た瞬間、頭に浮かんだことは「勝った」という優越感。
どう見ても地味で冴えない女なのに「離縁してほしい」とローランに詰め寄っている。ローランを見るとなぜか、眉を寄せて戸惑っていた。
なんで? すぐ署名しないの?
こんな女、さっさと別れてしまえばいいのに。
ローランを煽ると、彼は乱暴に署名をした。
それを見て心が沸き立った。なのに、地味女が立ち去った後、ローランもそのままどこかへ行ってしまった。
その日から、彼はブリジットと少しずつ距離を置くようになった。
彼女はそのことを、離縁後の貴族特有の煩わしさを考えた時の憂鬱のせいだろうと、思うことにした。
そう、詰所の裏で、ローランを問い詰めるまでは、そう考えていた。
☆
商業区画の人波がどっと前に押し出される。ブリジットは持ち場で姿勢を正し、群衆が紐の外に出ないよう目を配った。待ちかねた歓声が、通りの向こうから波のように押し寄せてくる。
公爵閣下が誰と婚姻するのかは、団内でとうに知れ渡っていた。あの大きな眼鏡で顔を隠し、奇妙な編み帽で頭を覆っていた、ローランの元妻。
それが、あろうことか総帥であるアルヴェルト公爵と婚姻する。
衝撃的でもあったが、ああ、貴族ってそんなものなのか。と、そう自分に言い聞かせた。見た目ではなく、家柄や財力、いわゆる政略で結ばれる縁なんだと。
ローランも、そうであったように。
白い儀式用の、幌を折り畳んだ高級なランドー馬車が視界に入ってきた。民衆の歓声がさらに高くなり、皆が手を上に伸ばし振っている。馬車がゆっくりと近づき、ブリジットの前を通り過ぎようとしたその時、馬車に乗る花嫁が目に映った。
心臓が止まりそうに、大きく脈打った。
金色の髪。翡翠の瞳。白いドレスに、銀糸の刺繍が陽を受けてきらめいている。分厚い眼鏡も手編みの帽子も着膨れたコートも、何もない。ただ誰の目にも眩しいほどに美しいとわかる女が、そこにいた。
あれが、あの、地味女?
嘘よ……
嘘だわ。
はは、と乾いた笑い声が漏れそうになった。
確かに、新聞の挿絵では美しく描かれていた。だがそれも、大袈裟にわざと美しく描いたのだろうと、どこかで小馬鹿にしていた。実物を見たことのあるブリジットには、そう思えたのだ。
口を引き結び、前を向きながら群衆を抑える。馬車はゆっくりと通り過ぎていき、歓声がその後を追う。ブリジットは身体と心が剥離したように、訓練場に現れたあの日のことを思い出していた。
着膨れたコートの、地味な影。自分の言葉を受けても静かなままでいた女。
あれが本当はこういう顔をしていた。
ローランの元妻が、自分よりもずっと格下だと思っていた女が、本物だったのか。
ブリジットは、自身がただのガラクタの偽物だったと、今さら突きつけられた気がした。
意地も、縮めた距離も、全部。本物の前では何の意味も持たなかった。
遠くで鐘が鳴り始めた。大聖堂の鐘だろう。
青の空に響いて商業区画にまで届いてくる。周りの人々が顔を見合わせ笑い合っている。祝福の鐘だと誰でも知っている。
私のための鐘はいつ鳴るの?
その問いが浮かんで、ブリジットは静かに笑った。
ばっかみたい。
強い女になろうと思った。
なのに今、この喧騒の中で自分の存在が酷く安っぽく思えた。
ローランが好きだったのに。
王都まで、彼を追いかけていこうかなどと一瞬思ったが、その考えはすぐ打ち消した。
*******
稚拙でお目汚しだろう箇所も多々ある本作をここまでご覧くださいました皆様に
感謝してもしきれません。
ありがとうございました。
点呼の声が規則正しく広間に響く。騎士たちが整然と並ぶ中、ブリジット・ティックは前を向いたまま、自分でも気づかぬうちに視線が斜め前の位置を探していた。
彼が居ない。
上官が淡々と当日の指示を読み上げる中、ブリジットはその事実を静かに確認した。朝礼が解散になった後、傍にいた同僚の騎士に何気なく声をかけた。
「ねぇ、ローランは?」
「ああ、聞いてないのか? どうやら今日付けで退団したらしいぞ。さっき俺も二部隊長から聞いた。王都に戻るんだってよ」
そう答えた同僚は、特に感慨もなさそうに踵を返すと、廊下の向こうへ消えていく。ブリジットは暫く、その場に立ったままでいた。
自分にも一言もなく?
一瞬そう思ったが、すぐにその考えを閉じ込めた。
今日の任務は、式典警備だった。アルヴェルト公爵の婚姻に際して、パレードのルートに沿って民衆を抑え誘導し、馬車の通過をスムーズに行えるよう通路を確保する。北の騎士団総帥である公爵の、それも領主の挙式だ。他の団員たちも、上官から下の若い子たちまで皆が皆、どこか浮足立っていた。
本当に、迷惑な話だわ。
ブリジットに割り当てられた持ち場の商業区画は、既に人で溢れていた。煉瓦造りの道の両側に並ぶ商店の軒先には、金と銀と翡翠のリボンが飾られ、風にそれが揺れている。
祝いのどこか甘い空気が街全体を柔らかく包む中、ブリジットは騎士服のまま棒のように立っていた。
ローランとちゃんと話もしなかった。
別れたまま、終わったまま。そのことがふとした隙間に戻ってくる。
☆
ローランと初めて会ったのは、北の騎士団に入団して間もなくのことだった。
ブリジットが生まれ育った場所は、小さな町だった。
大きな商家もなく、目立った産業もなく、ただ穏やかに時が流れるような、自然豊かといえば聞こえはいいが、何もないつまらない場所。
だが、その町に一軒だけ、抜きんでた富を持つ家があった。その家の一人息子はブリジットと同年代で、名前を呼ばれるたびにふわふわっと綿菓子のような顔で笑う少年だった。
彼が身に着けている物はいつも上等で、髪は常に整えられ、細い指は白く荒れているのを見たことが無い。貧富関係なく近所の子どもたちが集まる遊び場で、いつも自然と中心にいた。皆の王子様、そんな男の子。
ブリジットは彼が好きだった。本人も気づかないくらい、当たり前に好きだった。
だが彼が選んだのは、同じ幼馴染の内気な女の子。
地味で目立たなくて、笑うと少しだけ笑窪が出来て、人前では決して前に出てこないような、静かな子。そうか、あなたは彼女を選ぶのか、と思った。彼の妻になれたらと、思ったことが無いわけでは無かった。そんな想像をして、ひとり頬を緩ませることもあった。だが、現実は違った。裕福な家で笑うのは、地味な幼馴染。自分じゃない。
なら私は違う道を行こう。強い女になろう。
その意地が、ブリジットを女騎士になるという道を選ばせた。
北の騎士団の入団試験を受け、数少ない女性騎士として入団できる資格を得た。
その頃はまだ、この町から出て、彼らを見返すことが出来る。
どこかでそう思っていた。
だがいざ入団してみると、ブリジットは初めて自分の世界がいかに狭いかを知った。
剣の速さも体力も判断力も、全てにおいて上には上がいくらでもいた。頬を赤くして怒鳴り散らす上官に、押しつぶされそうになりながら食らいついた。
そこで出会ったのが、ローラン・ブレンダルだった。高位貴族の侯爵家の息子で、野心を隠さない鋭い目をした男。普通に生きていれば、平民のブリジットとは絶対に交わることもない、初めて間近で見る雲の上の人。
ここの領主であり、騎士団の総帥でもあるアルヴェルト公爵はいわずもがな、易々と傍に行ける御方ではない。他の上官たちも、高位貴族やそれなりの地位にある人ばかり。
そんな中で彼は、ここでは特別扱いもされず、ブリジットと並んで同じ泥を踏み、笑顔で熟す。
その姿は、あの町の王子様が偽物で、こちらが本物の王子様だと突きつけられた。
ブリジットは自分の恋を、初めてちゃんと自覚した。
ローランと目が合うだけで胸が高鳴り、抑えるのが精いっぱいの日々。
自分の気持ちが相手に伝わらないように、周りにバレないようにと、隠すのに必死な日々。
こうして傍で一緒に訓練したり、任務に就いたり、時に食事を共にしたり。
そんな時間を過ごせること。
それが嬉しくて堪らなかった。
☆
生まれ故郷の町へ帰省したのは、三年ほど前のこと。幼馴染の彼らが婚姻したことは、風の噂で知っていた。
いざ帰ってみれば、彼らの間には子供が生まれていた。妻と並んでぎこちなくも幸せそうな顔をする幼馴染の男。ブリジットはその日、実家に戻ってから長い時間、ぼうっと窓の外を見ていた。
頭の中に、結婚という文字が浮かぶ。
特別、結婚に憧れがあるわけでもないのに。
幼馴染の男のことは、恋してたというにはあまりにも想いが軽く、恋とも呼べない子供の憧れだったと分かる。だが、彼らが家庭を持っている姿を見ると、胸の中がザラザラとしてくるのだ。
今、自分が恋している相手は貴族だ。しかも高位の。
自分は平民であり、どれだけ強くなろうが剣が上達しようが、手を伸ばしていい場所といけない場所がある。
それに彼には既に、王都に妻がいるのだ。
どうひっくり返っても、届かない。そう思っていた。
それなのに。
北に戻ってからも、ローランへの気持ちは消えず、それどころか日々共に過ごすことで深くなっていった。
その日は、魔が差したのか。自分でももう、分からなかった。
想いが消せないのであれば、せめて手の届く形にしてしまえばいい。
そう思って、食事に誘い、酒を呷って、酔いに任せて距離を詰めた。
ローランは拒まなかった。
ああ、私は選ばれた。想いが伝わった。
それで満足だった。
女として認められた。王子様がこの私に振り向いたのだ。
そう思えば思うほど、優越に浸れた。
肉体的な関係が始まっても、ブリジットは自分の口からは、正妻にして欲しいとも、愛人でいいとも、何も言わなかった。言った瞬間に全部終わるとわかっていたから。
今、この地では、自分が選ばれている。
それが事実であり、制度の婚姻や肩書など、何の関係もない。
なのに。
ローランの妻と名乗る女が来た。
彼女を見た瞬間、頭に浮かんだことは「勝った」という優越感。
どう見ても地味で冴えない女なのに「離縁してほしい」とローランに詰め寄っている。ローランを見るとなぜか、眉を寄せて戸惑っていた。
なんで? すぐ署名しないの?
こんな女、さっさと別れてしまえばいいのに。
ローランを煽ると、彼は乱暴に署名をした。
それを見て心が沸き立った。なのに、地味女が立ち去った後、ローランもそのままどこかへ行ってしまった。
その日から、彼はブリジットと少しずつ距離を置くようになった。
彼女はそのことを、離縁後の貴族特有の煩わしさを考えた時の憂鬱のせいだろうと、思うことにした。
そう、詰所の裏で、ローランを問い詰めるまでは、そう考えていた。
☆
商業区画の人波がどっと前に押し出される。ブリジットは持ち場で姿勢を正し、群衆が紐の外に出ないよう目を配った。待ちかねた歓声が、通りの向こうから波のように押し寄せてくる。
公爵閣下が誰と婚姻するのかは、団内でとうに知れ渡っていた。あの大きな眼鏡で顔を隠し、奇妙な編み帽で頭を覆っていた、ローランの元妻。
それが、あろうことか総帥であるアルヴェルト公爵と婚姻する。
衝撃的でもあったが、ああ、貴族ってそんなものなのか。と、そう自分に言い聞かせた。見た目ではなく、家柄や財力、いわゆる政略で結ばれる縁なんだと。
ローランも、そうであったように。
白い儀式用の、幌を折り畳んだ高級なランドー馬車が視界に入ってきた。民衆の歓声がさらに高くなり、皆が手を上に伸ばし振っている。馬車がゆっくりと近づき、ブリジットの前を通り過ぎようとしたその時、馬車に乗る花嫁が目に映った。
心臓が止まりそうに、大きく脈打った。
金色の髪。翡翠の瞳。白いドレスに、銀糸の刺繍が陽を受けてきらめいている。分厚い眼鏡も手編みの帽子も着膨れたコートも、何もない。ただ誰の目にも眩しいほどに美しいとわかる女が、そこにいた。
あれが、あの、地味女?
嘘よ……
嘘だわ。
はは、と乾いた笑い声が漏れそうになった。
確かに、新聞の挿絵では美しく描かれていた。だがそれも、大袈裟にわざと美しく描いたのだろうと、どこかで小馬鹿にしていた。実物を見たことのあるブリジットには、そう思えたのだ。
口を引き結び、前を向きながら群衆を抑える。馬車はゆっくりと通り過ぎていき、歓声がその後を追う。ブリジットは身体と心が剥離したように、訓練場に現れたあの日のことを思い出していた。
着膨れたコートの、地味な影。自分の言葉を受けても静かなままでいた女。
あれが本当はこういう顔をしていた。
ローランの元妻が、自分よりもずっと格下だと思っていた女が、本物だったのか。
ブリジットは、自身がただのガラクタの偽物だったと、今さら突きつけられた気がした。
意地も、縮めた距離も、全部。本物の前では何の意味も持たなかった。
遠くで鐘が鳴り始めた。大聖堂の鐘だろう。
青の空に響いて商業区画にまで届いてくる。周りの人々が顔を見合わせ笑い合っている。祝福の鐘だと誰でも知っている。
私のための鐘はいつ鳴るの?
その問いが浮かんで、ブリジットは静かに笑った。
ばっかみたい。
強い女になろうと思った。
なのに今、この喧騒の中で自分の存在が酷く安っぽく思えた。
ローランが好きだったのに。
王都まで、彼を追いかけていこうかなどと一瞬思ったが、その考えはすぐ打ち消した。
*******
稚拙でお目汚しだろう箇所も多々ある本作をここまでご覧くださいました皆様に
感謝してもしきれません。
ありがとうございました。
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