紫苑の誓約ー甘美な愛とすれ違いの愛の果てに、記憶を失くした皇太女を変わらず溺愛するー

苺迷音

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53 男たちの理性

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 それから数刻後、レオの執務室には、ゼノア、リュシアン、アレン、カイが集まった。重苦しい空気が、部屋を支配している。

「急な招集だが」

 レオが、口を開いた。

「姫様が、侍女の手伝いをしたいと仰った」

 レオの声は、低く沈んでいた。一瞬、部屋が静まり返る。

「……侍女の手伝いを?」

 リュシアンが、眉をひそめた。

「ああ。お世話されるばかりでは申し訳ないと言う話だ」

 アレンが、深く息を吐いた。

「それは……まずい」

「まずいな」

 ゼノアも、頷いた。沈黙が流れる。何が『まずい』のか、皆、理解していた。

 カイが、口を開く。

「定例報告会でも話題になっていましたが……姫様の現状について、改めて共有すべきかと」

「そうだな。まず、アレン。訓練場での状況を」

 レオはアレンの方をみて、話すよう促す。アレンは、椅子に深く座り直した。

「訓練場の騎士たちは、完全に姫様に翻弄されている」

 アレンの声が、低くなる。

「姫様が訓練を見学された日、騎士たちは誰一人としてまともに訓練に集中できなかった」

「具体的には?」

 ゼノアが、尋ねた。

「剣を振る手が止まる。標的を外す。呼吸が乱れる」

 アレンは、一つ一つ指を折った。

「若い騎士は、姫様の笑い声を聞いただけで顔を真っ赤にしていた。ベテランの騎士ですら、視線が姫様に向いてしまう」

 アレンの赤い瞳が、鋭く光る。

「訓練後、あいつらと話してたら、口々に言うんだ。『姫様があんなに無邪気に笑うなんて』『今まで近づくことさえできなかったのに』と」

「壁が外れたんだな」

 リュシアンが、呟いた。

「そうだ」

 アレンは、頷いた。

「かつての姫様は、皇太女としての気品に満ちていた。美しいが、遠い存在。声をかけることすら憚られる、高貴な御方だった」

 アレンの声が、さらに低くなる。

「だが、今の姫様には、その壁がない。無邪気に笑い、純粋に喜び、少女のように花を愛でる。そこに女性としての魅力が加わると……」

「危険すぎる」

 ゼノアが首を小さく横に振り、話を続けた。

「私も、礼拝堂で姫様と祈りを捧げたんだが」

 ゼノアの琥珀色の瞳が、遠くを見つめる。

「姫様は、心から祈っておられた。その姿は、天使のように美しかった」

 言葉を選びながらも、ゼノアはさらに続ける。

「だが、それが危険なのだ。姫様ご自身は気づいていないが、あの無垢さと美しさは、男たちの理性を奪う」

「俺も同じだ」

 次はリュシアンが、話を引き継ぐ。

「図書室でジュノ様と本を読んだ。彼女は、花の名前を一つ一つ尋ねてきた。その瞳は、純粋な好奇心で輝いていて」

 リュシアンの青い瞳が、揺れる。

「俺の意識は本ではなく、ジュノ様に向いていた。彼女の呼吸、仕草、笑顔。全てが、俺の心を揺さぶった」

「お前ら……。そんな目で姫様を……」

 レオが静かに言うと、アレンが鼻を鳴らすようにレオに言い放つ。

「お前はどうなんだよ? お前が一番危険だと思うがな。俺は」

 そう言われたレオは、アレンを睨み返す。が、ひとつ小さく溜息を吐くと、諦めたかのように話し出した。

「俺は……。姫様と庭園を散歩した。彼女は、花を見つけるたびに立ち止まり、目を輝かせた。その姿を見て」

 レオの碧眼が、危険な光を放つ。

「抱きしめたくて、仕方がなかった」

 部屋が、静まり返る。

「だが、それを抑えるのに――全ての理性を使った」

 それを聞いたカイが、頷きながら話す。

「私も、テラスで姫様とお話しました。帝国のことを教えている時、姫様は熱心に聞いてくださいました」

 カイの水色の瞳が、仄かな熱を持って揺れる。

「ですが、私の視線は、何度も姫様の顔に向いてしまい、その笑顔を見るたびに……胸が高鳴りました」

 カイの声が、わずかに震える。

「私は、常に冷静であることを心がけています。ですが、姫様の前では……それが、難しい」

 沈黙が、再び部屋を支配した。

 五人の男たち全員が、ジュノに翻弄されている。

「つまり、だ」

 アレンが、纏める。

「俺たちでさえ、理性を保つのが精一杯だ。ならば、他の男たちは」

「どうなるか、わからない」

 ゼノアが、続けた。

「危険すぎる」

 リュシアンが、呟いた。

「ジュノ様が、侍女の手伝いをしたいと言う。それはつまり、離宮の中を動き回ることになる」

 アレンが、その後を続けた。

「そうすれば、より多くの男たちが、姫様と接触する」

「それは、避けねばならない」

 ゼノアが、言った。

「だが」

 レオが、口を開いた。

「姫様の意思を、無視することもできない」

 他の四人全員の目が、レオを見た。

「姫様は、ご自分の存在意義を求めておられる。何もしないで、ただいるだけでは、ここにいる意味がないと思っておられるのではないか? それを、否定することは」

「姫様の心を、傷つけることになる」

 カイが、レオの言葉を引き継ぎ、続けた。

「ならば、条件をつける」

 ゼノアが片手を小さくあげて、提案をする。

「姫様のお手伝いを認める。だが、場所と時間を限定する」

「具体的には?」

 リュシアンが問い返す。腕を組んだまま、指先が自分の腕を一定のリズムで叩いていた。

「レオの執務室のみ。時間は午前中の三時間まで。そして、常に護衛を配置する」

 ゼノアの声は、冷静だった。

「それでも、危険だ」

 アレンが、反論した。

「その護衛でさえ、姫様に翻弄される可能性がある」

「人選を厳しくすれば、いいだろう?」

 レオが、言う。

「姫様に危害を加える可能性のある者は、排除する。それに執務室なら、俺も目が届く」

「それができるのか?」

 リュシアンが、厳しく問い詰める。

「あの姿を見て、理性を保てる男が何人いる?」

「正直、わからん。だが、試すしかないだろう?」

 アレンがガバっと、突然立ち上がった。

「レオ、お前に聞く」

 アレンの赤い瞳が、レオを見据える。

「お前は、姫様と執務室で二人きりになる。その時、お前は、理性を保てるのか? 俺はそれを聞いてるんだ」

 レオは、黙った。

 そして――

「わからない。いや、今の姫様を……」

 レオの声が、微かに震える。

「必ず、姫様を守ることだけは――誓える」

 アレンは、レオをじっと見つめた。そして、ゆっくりと頷いた。

「……わかった」

 リュシアンが、口を開いた。

「ちょうどいい機会だ。レオ、もう一つ聞く」

 リュシアンの青い瞳が、鋭く光る。

「もし、ジュノ様の記憶が戻らなかったら、お前はどうする?」

 レオは、迷うことなく答える。

「俺が娶る」

 その声は、雷鳴の如く執務室に響き渡った。

「例え皇太女としての地位を失っても……姫様と共に居る」

 その言葉を聞いたアレンが立ち上がったまま、眉を顰めながらレオに詰め寄った。

「お前……姫様との婚約解消は、お前が言い出したんじゃないのか? それにセリア嬢はどうするんだよ!」

 レオは、即答した。

「あの時と、今は違う」

 レオの碧眼が、遠くを見つめる。

「婚約解消は、政治的な理由だった。だが、記憶が戻らなければ、姫様は皇太女ではなくなる。セリア嬢のことは、改めてお前らにも話す。もう、南方がどうのと言ってる場合じゃない」

 レオの声が、静かに響く。

「姫様が、皇太女だろうがなかろうが、どちらでもいい。彼女を娶る」

 ゼノアが、口を開いた。

「それは……姫様の意思を無視していないか?」

 レオは、首を横に振った。

「姫様が、俺以外の男を選ぶなら――」

 レオの声が、わずかに震え、手は拳を握っていた。

「俺は、身を引く」

 その言葉に、リュシアンが小さく笑った。

「それが出来るのか? ならその時は俺が娶る」

 挑発的なリュシアンの言葉。二人の間に緊張した空気が張り詰める。

「では、決めよう」

 ゼノアがその空気を破る様に一つ手を叩き、よく通る声で言った。

「姫様のお手伝いを、条件付きで認める。場所はレオの執務室のみ。時間は午前中の三時間まで。護衛は、常に五名以上配置する」

「人選は、厳重に」

 アレンが、付け加えた。

「俺の親衛隊から、精鋭を派遣する」

「私の配下からも」

 リュシアンも、頷いた。

「監視体制も強化する」

 ゼノアが、言った。

「姫様を、守り抜く」

 カイが、静かに言った。

「ですが、閣下。万が一の時は」

「わかっている」

 レオは、顔を上げた。

 碧眼には、決意の炎が燃えていた。

「俺の命に代えても、姫様を守る」
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