紫苑の誓約ー甘美な愛とすれ違いの愛の果てに、記憶を失くした皇太女を変わらず溺愛するー

苺迷音

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62 術の影響

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「その頃からか……」

 リュシアンが、ゆっくりと口を開いた。

「セリアとお前の接触が、異常に多くなった時期は。俺も臣下を使ってセリアを見張っていた。だが、偶然にしては出来過ぎていたし、多すぎた。お前との接触が」

 リュシアンの声が、低くなる。

「そして、噂も流れるスピードが速かった。『姫様と解消してセリア嬢と婚約するのでは』と――どこからか、流れ始めていた」

「私も、同様の報告を受けておりました。セリア嬢が、閣下の執務室の近くを通りかかる頻度が、異常でした。まるで、計算されているように」

 カイが静かに言った。

「もしかしたら、いや、ひとつの可能性だが。レオ。貴公の話を聞いていると、姫様や貴公も……その術の影響下にあったんじゃないのか? どうも引っ掛かる」

 ゼノアが口を開く。

「セリアが宮廷にいた。ジュノ様もいた。もし、術が実在するなら――ジュノ様の疑念や不安が、必要以上に増幅されていた可能性がある。だから、あそこまで頑なにお前を拒否したんじゃないか」

 レオは机に肘をつき、組んだ両手の上に額を乗せた。

「……わからない」

 その声は、ひどく疲れていた。

「俺も、感情的になりすぎていた自覚はある。姫様が俺を信じてくれないことに、腹を立てた。冷静に、姫様の立場を考えるべきだったのに。俺は、姫様を信じられなかった。姫様の恐れを、理解できなかった。術の可能性にも、気づけなかった」

 顔を上げ、全員を見る。

「だから、もう失敗しない。姫様を、守り抜く」

 アレンが、じっと黙っていた。その赤い瞳が、揺れている。

「……つまり、レオお前は、妹を守るため、ジュノ様を守るために、セリア嬢と婚約したのか?」

 アレンの手が、椅子の肘掛けを掴む。

「しかも、色んな策略があって? その禁術の影響で?」

 アレンは、リュシアンを見た。

「セリアとレオの接触が、異常に多かった……」

 次に、ゼノアを見る。

「術で、疑念や不安を増幅させる……」

 そして、カイを見る。

「計算されているように、接触していた……」

 アレンの表情が、徐々に変わっていく。

「セリア嬢は、完璧な淑女だった。上品で、優しくて、気遣いができて。俺は、セリア嬢の言葉を信じた。『レオ様は、本当にお優しい方ですね』『ジュノ様のことを、大切にされていますね』って」

 アレンの手に、力が入る。

「全部……演技だったのか? いや、それだけじゃない。計算されていた。仕組まれていた。最初から? 全部。そんなお前を俺は、聞く耳もたず殴ってしまったのか……?」

「レオ。俺も、お前を疑っていた」

 リュシアンが静かに言った。

「セリアと親しくしているお前を見て、本当にジュノ様を愛しているのかと。婚約解消は、お前の本心じゃないのかと。だが、今、一連の話を聞いて、わかった。それも、術の影響だった可能性がある」

「私が影響を受けなかったのは、教会にいたからだろうな。離れた場所にある聖域は、術の影響外だった」

「レオ。すまん。俺も頭に血が上ったとはいえ、お前の言い分も聞かず手を出したのは、恥ずべき行為だった。本当に……すまん。ただ、姫様を泣かせたのは、やはり許せねぇけどもな。この馬鹿野郎が」

 頭を下げながら言うアレンは、最後に顔を上げて口角を上げ小さく笑った。

「『俺にはわかる』だったんじゃないのか?」

 リュシアンがアレンを見て、茶化すように言った。

「うるせぇ……」

 アレンはリュシアンを一睨みすると、そのまま目を逸らしてしまった。

「どちらにしろ宮殿内に居た者は、少なからず術の影響を受けていた可能性がある。負の感情を増幅させるのは、厄介だな」

 ゼノアが言葉を継ぐ。その会話を聞いていたレオは、深く頭を下げた。

「皆……ありがとう。だがこれは、俺の愚かな判断が招いたことだ。後始末はつける」

「それはそうと、アレン。セリア嬢に、気づいたことを悟られないよう頼む。相手を刺激すれば、予測不能な行動に出る可能性があります」

 カイが静かに続けた。

「わかってる。慎重に動く。……っ今度は騙されねぇ」

 舌打ちが、部屋に響く。

「私たちも、姫様を守る。彼女の安寧の為に」

 ゼノアが言った。

 しばらくの沈黙の後、リュシアンが口を開く。

「で、どうする」

「罠だとわかっていても、行くしかない。選択肢が限られているならば、姫様も一緒に宮廷へ連れて行く。ここに指揮系統が取れない警護で居て頂くよりもいいだろう」

 レオがそう答えるが

「危険じゃないか」

 ゼノアがその判断に、疑念を呈する。

「ああ、危険だ。だが、離宮を空にするよりは、全員で守る方が安全だ」

「それに、陛下も姫様に会えていません。一度、陛下との面会も必要かと」

 カイが付け加える。

「最大限の警戒が必要だ」

「姫様を、全員で守る。そして、セリアの本性を必ず暴く」



 会合を終えた翌朝。いつものように、ジュノはレオの執務室を訪れた。

「おはようございます、レオ様」

 扉を開けると、すでに机に向かうレオの姿がある。顔を上げた瞬間、その表情には昨夜の疲労がまだ残っている。

「おはようございます、姫様」

 ジュノは自分の机に座り、書類を整理し始めた。いつもの朝と同じように、静かに作業が進む。

 だが、今朝のレオは、いつもと少し違った。ペンを持つ手が、何度か止まる。書類を見つめたまま、動かない時間が長い。

 午前の作業がひと段落した頃、ペンを置いたレオ。

「姫様」

 レオの呼びかけに、ジュノは顔を上げた。

「はい」

「少し、お話があります」

 その声には、いつもと違う重さがあった。ジュノは書類を閉じ、レオを見つめた。

「三日後――宮廷に戻ることになりました」

 ジュノの手が、思わずピクリと動く。

「宮廷に……ですか?」

「はい。私たち全員に、急な所用や政務が入りました」

 レオは、ジュノを見つめた。できるだけ柔らかく伝えるように心がける。

「ですので姫様にも一度宮廷にお戻り頂いて、皇帝陛下にお会い頂ける機会を設けようと考えております」

「陛下……」

 ジュノは、その言葉を繰り返した。

「私の……お父様、ですよね」

「そうです。陛下は、ずっと姫様に会いたがっておられます。離宮に移されてから、一度もお会いになられることがあられませんでしたので」

 自分の手を見つめながら話すジュノの声は、わずかに震えていた。

「私、記憶がないから……怖いんです。粗相をしてしまうんじゃないかなって。お父様のお顔も、覚えていない。どんな方なのかも、わからない」

 レオは立ち上がり、ジュノの机に近づいた。

「大丈夫です。私が、ずっと姫様の傍にいます」

 ジュノは、レオを見上げた。その瞳に、不安と僅かな安堵が滲む。

「でも……宮廷に戻ったら、レオ様は」

 言葉が途切れる。ジュノ自身、なぜそんな聞き方をしてしまったのかわからない。

「セリア様に、お会いになるんですよね」

「はい。時間があれば、ですが」

「私のせいで、レオ様はずっとセリア様に会えなかったんです。どうか、私のことよりも、今度こそちゃんとお会いしてあげてください」

 ジュノの声が、小さくなる。

「姫様、それは――」

「はい。これ以上は、余計な口は挟みません。ちゃんとお話ししてくださいね」

 そう言い微笑んだジュノの顔に、なぜかはわからないがレオは、最後に決別した時の彼女の涙を思い出していた。
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