浸水車両

苺迷音

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その変化に驚きと共に困惑した私は、彼の手を振り払おうとしたけれど、大きく力強いそれは微動だにしない。

「いっ痛い……っ」

 思わず声が出る。

「あっ……ごめん。でも、駄目だ。ちゃんといつもの駅で降りるんだ」

 光太さんの顔は真剣そのもので、私の腕を掴んだまま離そうとはしない。

「わっ、わかりました。だから腕を……」

「駅に着いたら離すよ」

 光太さんの声が、表情が、さっきまでと全然違う。
 ずっと感じていた安心感が、恐怖と気持ち悪さに変わった。

 この人、一体何者?

 最寄り駅の葉月坂に着くまでの時間。二人ともずっと黙ってた。
 私は光太さんが怖くて。気持ち悪くて。
 顔を上げられずに俯いたまま。

 普段よりも、電車に乗っている時間が長く感じる。
 足元を濡らす水が車内灯の光を反射し、車両が揺れるたびにキラキラさせながら波立つ。そんな光景を眺めながらも、私の心は嵐の中に立たされているように乱れていた。

 早く着いて! 早く……っ!
 
 心の中で唱え続ける。
 恐怖なのか、不安なのか。どちらにしろここから逃げたい。

 なんでこんなことになってるんだろう。

 訳のわからない奇妙な状況を呪いたくなった。
 
 普段の倍、いや数十倍にも思える時間だった。
 やっと葉月坂駅につき扉が開くと、彼は腕を離してくれた。
 私は光太さんの顔を見ず、声もかけず、逃げるように電車を降りた。

 そのまま振り返らずに小走りで駅を出た。



 今日は、電車の時間をずらした。二、三本遅い電車に乗れば、光太さんはいないはず。そうすれば、あの異常な状況に巻き込まれずに済むかもしれない。

 暫く違う路線の電車に乗ろうかな? とも思った。でも、そうすると歩く距離がいつもの倍以上になってしまう。

 迷った末に、やっぱりいつもの電車の六車両目に乗り込んでしまった。

 彼の姿はない。

 ほっとした。
 やっぱり、あの水は彼が関係していたんだ。
 だとすると――

 彼は本当に何者なのだろう?

 浮かぶ疑問にゾッとする。
 普通の人ではない。

 肌寒さを覚え、半袖のブラウスから出た腕を数回摩った。

 そのうちに動き出す電車。
 もう彼が乗り込んでくることも無いだろう。
 そう思うと、安堵感が込み上げて気が抜けた。

 でも少しすると、隣に誰かが座る気配がした。

「遅い時間だな。残業?」

 その声に、全身に戦慄が走る。
 光太さんだった。

 いつの間に? 
 さっきまで確実に、この車両にはいなかったのに!

「どうして……? ……ここに?」

 声が小さくなってしまう。

 背筋が凍るような恐怖。
 心臓がバクバクする。

「どうして? 変なこと言うなぁ。俺たち、いつもそうだろ?」

 いつも……って? 
 私たちが話すようになったのは、つい数日前から。

 この人、絶対変だ。

 逃げなきゃ。

 そう思って場所を移動しようと腰を浮かせたと同時に、電車がトンネルに入る。

 トンネル? 

 この路線にトンネルなんて……あったっけ?

 窓の外が真っ暗になった瞬間、水位が一気に膝の高さまで上がった。

 「な……なに……? なにこれ」

 乗客の誰かが出す音。衣服の擦れる音、スマホから漏れ聞こえるシャカシャカ音。
 同じリズムを刻みながら進む、線路を電車が踏む音。
 そう言った周りの音が、全て消えた。
 車両の揺れも感じなくなった。

 静寂の中で、水だけがたゆたい、ゆらゆら不気味に生きていた。

「嘘……待って……」

「大丈夫」

 水位がさらに上昇していた。腰元近くまで迫っている。

「こんなの変でしょ!? 普通じゃない!」

 あり得ない状況に混乱しながら周りを見回すと、乗客は全員消えていた。
 車内には私と光太さんだけ。

「あなた、なんなの……っ!? 私、どうなるの!? おかしいでしょ! ……助けて!」
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