神雧 - KAMIATSUME -

神代 一文

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第14章 風の残像

第415話 町の対立

窓の右側と左側で、違う町が見えた。

 同じ地形だった。同じ丘の斜面に、同じ間隔かんかくで建物が並んでいる。道の曲がり方も、川の流れ方も、丘の上の時計塔とけいとうの位置も同じだった。

 けれど色が違った。

 右側の町には、灯ひがともっている。
 窓の奥に橙だいだい色の光が揺れ、煙突えんとつから細い煙が立ち昇っている。路地から子どもの声が聞こえた気がした。聞こえたのか、記憶きおくが補ったのか、こよいには判別がつかない。ただ、あの町には人がいる。そういう気配があった。

 左側の町には、何もなかった。
 建物の形は同じだ。壁があり、屋根があり、窓がある。けれど色がない。白い壁、白い屋根、白い窓枠まどわく。煙突えんとつからは何も出ていない。路地に音はなく、窓の奥に光もない。

 漂白ひょうはくされた町だった。

 「同じ町だ」

 久遠くおんが義眼ぎがんの蒼光そうこうを左右に動かしながら言った。

 「二つの町じゃない。一つの町が、二つの状態で同時に存在している。名前が残っている状態と、漂白ひょうはくされた状態。その両方が重なっている」

 「重なってるんじゃねえ。ずれてるんだ」

 あさひが窓に手をつきながら言った。

 あさひの言う通りだった。二つの町は完全には重なっていない。右側の町と左側の町が、建物半分ほどの幅でずれている。灯ひのともった家の壁に、白い家の壁が半分だけ重なっている。二つの輪郭りんかくが噛み合わないまま、同じ場所を占めようとしていた。

 「対立しているのか」

 こよいが訊いた。

 「対立じゃない。収束しゅうそくだ」

 久遠くおんは目録もくろくを開いた。
 頁ページの余白よはくに走った亀裂きれつの隠し文字を確認している。

 「漂白ひょうはくされた状態と、名前が残った状態。本来ならどちらか一方しか存在できない。だが今は、漂白ひょうはくの速度と名前の抵抗が拮抗きっこうしている。どちらにも確定できないまま、二つの状態が同時に顕現けんげんしている」

 「いつまで続く」

 「続かない。いずれ一つに収束しゅうそくする。問題は、収束しゅうそくしたとき——どちらが残るかだ」

 列車れっしゃが速度を落とした。
 線路が町の縁ふちを通っている。窓から見える距離が近くなり、二つの町の細部が見えるようになった。

 右側の町の路地に、洗濯物が干されていた。
 白い布が風に揺れている。日常の風景だった。布の端が乾き始めていて、干してからしばらく経っていることが分かる。

 左側の町の同じ路地には、同じ形の洗濯紐せんたくひもが張られていた。
 けれど紐には何もぶら下がっていない。布があった場所に、空白がある。

 二つの路地が、少しずつ近づいていた。

 こよいは窓硝子まどがらすに額ひたいを寄せた。
 右の路地と左の路地の距離が、建物の幅から壁一枚分にまで縮まっている。

 「……重なりかけてる」

 「収束しゅうそくが始まっている」

 久遠くおんが目録もくろくを閉じた。

 「このまま完全に重なると、二つの状態が相殺そうさいされる。名前のある町も、漂白ひょうはくされた町も、どちらも消える。残るのは——何もない空白だ。町そのものが存在しなかったことになる」

 「止められねえのか」

 あさひの声は低かった。
 剣の柄つかに手をかけているが、斬きれる相手がいないことは本人にも分かっている。

 「止められない。俺たちは列車れっしゃの中にいる。降りたところで、収束しゅうそくは物理的な現象じゃない。二つの町のあいだに割って入ることはできない」

 列車れっしゃがさらに速度を落とした。
 ほとんど歩く速さだった。

 右側の町で、扉が開いた。
 誰かが出てきた——ように見えた。人の形をした影かげが、路地の入り口に立っている。顔は見えない。距離があるのか、それとも顔がないのか。

 左側の町の同じ場所には、扉の形だけがあった。
 開いてもいない。閉じてもいない。扉という概念がいねんの残骸ざんがいだった。

 二つの扉の距離が、腕一本分にまで縮まった。

 こよいの巾着きんちゃくが脈打った。
 強い脈動みゃくどうではない。中の名前たちが息を詰めているような、浅い震え。

 「あの町の名前、まだ生きてるの」

 「生きている。だが弱い。抵抗しているのは町の名前だけで、住人の名前はほとんど消えている。町の名前が最後の砦とりでになっている状態だ」

 久遠くおんは窓の外を見つめたまま、声を落とした。

 「町の名前が消えれば、灯ひも消える。あの洗濯物も、あの扉も、あの声も。全部消えて、白い町に吸収される。そして白い町も——もう片方がなくなれば存在する理由がない。二つとも、消える」

 列車れっしゃが町の端を通り過ぎた。
 速度が戻り始める。

 こよいは窓から顔を離さなかった。遠ざかる町を見ている。

 二つの輪郭りんかくは、まだ重なりきっていない。
 わずかな隙間すきまを残して、灯ひのある町と白い町が並んでいる。時計塔とけいとうの針が、右側では動き、左側では止まっていた。

 「あの町に、名前はあるの」

 「あった。目録もくろくに記録きろくがある。けれど——」

 久遠くおんは言葉を止めた。
 目録もくろくを開き、該当する頁ページを探す。見つけた頁ページの文字は半分が漂白ひょうはくされていて、町の名前の最初の一文字しか読めなかった。

 「残っているのは、一文字だけだ」

 列車れっしゃが加速した。
 町が小さくなっていく。こよいは座席に座り直し、巾着きんちゃくを膝ひざの上に置いた。
 名前たちの震えが、少しずつ静まっていく。

 あさひが窓を背にして座り、天井を見上げた。

 「見てるだけか」

 「今は、そうだ」

 久遠くおんの声は平坦へいたんだった。
 けれどその平坦へいたんさの裏に、こよいは苛立ちとは違う何かを聞いた。

 見ていることしかできない。
 それでも目を逸そらさないことに、意味があるのか。

 こよいには分からなかった。

 おたまが窓枠へ前脚を置き、二つの町が重なる地点で小鈴を鳴らした。音は右からも左からも返らず、最初の一文字だけが目録の上で震えた。久遠くおんはその文字に印をつける。今は介入できなくても、原本へ着けば残りを探すという行動目標が一つ増えた。
 ただ、二つの町が重なりきる前に列車れっしゃが通り過ぎたことを、幸運とは思えなかった。
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