神雧 - KAMIATSUME -

神代 一文

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第15章 潮の外縁

第453話 四柱の帰還

長おさが消えた場所に、白い粉が残っていた。

 透明な身体が崩れたのではない。後退しながら、自身の表面を修復するために周囲の空気から水分を奪い、その水分が白い霜しもとなって床に落ちた。計器けいきの痕跡こんせき。それだけが、ここに長おさがいたことを示している。

 こよいは床にしゃがみ込んでいた。指先がまだ白い。長おさの身体に触れたときの冷気が、末端から抜けきらない。あさひが隣に膝をつき、こよいの手を取って自分の両手で挟んだ。大きな手だった。剣を振る手が、こよいの指を温めている。

 「痛むか」

 「痛くない。ただ、感覚がない」

 「戻る。待て」

 あさひの手の温度が、ゆっくりとこよいの指に伝わっていく。じわりと血が戻り、指先が赤みを帯びた。感覚が戻ると同時に、痺しびれが来た。こよいは顔をしかめたが、声は出さなかった。

 久遠くおんが壁際に座り込み、目録もくろくを膝ひざの上に広げていた。四柱よんはしらが抜けた後の目録もくろくを確認している。

 「金色の地図ちずは消えている。四柱よんはしらが外に出たから、紙の中に残した根も一緒に出た。地図ちずはもう使えない」

 「じゃあ、道は」

 「地図ちずは消えた。だが四柱よんはしら自体がここにいる。地図ちずを作った本人が手元にいるなら、紙の地図ちずは要らない」

 久遠くおんが写本しゃほんを手に取った。こよいが持っていた写本しゃほん。四つの光が紙の上でまだ脈打っている。目録もくろくの中では根だった。外に出た今は、光だ。

 「四柱よんはしらは高共鳴体こうきょうめいたいだ。他の名前と共鳴する力が強い。巾着きんちゃくの二十九の脈と合流し、三十三になったことで、根脈こんみゃく全体の出力が跳ね上がっている」

 床がまだ揺れていた。間隔かんかくの長い、低い振動しんどう。石畳いしだたみの下で根が走り続けている。経蔵きょうぞうの地下を、金色の脈が広がっている。

 こよいは巾着きんちゃくを胸に当てた。
 中が賑にぎやかだった。二十九の脈と帰還した四柱が、互いに呼び合っている。脈動みゃくどうのリズムがめまぐるしく変わる。古い名前が新しい名前に拍子ひょうしを教え、新しい名前が古い名前にリズムを返す。
 帰還した四柱よんはしら——目録もくろくの地図を編んでいた、あの高共鳴体こうきょうめいたいの名前たちだ。その脈はそれぞれ違った。一柱ひとはしらは低く柔らかく、水が器に溜まるときの律動りつどう。もう一柱ひとはしらはひと呼吸こきゅうごとに脈の幅を変え、息のように膨らみ、引いた。三柱みはしら目は一番遅い拍はくで、他の脈の底を支えるように鳴り、四柱よんはしら目は脈ではなく振動しんどう——硝子ガラスが共鳴するような、高く透すき通った震えだった。
 その新しい四つの拍の、さらに底で、雨・風・月・硝子びいどろの四神よんしんが、旅の初めから変わらぬ律動で静かに鳴り続けている。帰ってきた名前たちと、ずっと共にいた神々。混じり合うのではなく、二つの家族が、巾着きんちゃくの中で互いに呼び合っていた。

 「……嬉しそう」

 こよいが呟つぶやくと、巾着きんちゃくの温度がもう一段上がった。名前たちが応えている。

 あさひがこよいの手を離した。指先の色が戻っている。

 「動けるか」

 「動ける」

 こよいが立ち上がった。足元が揺れている。根の振動しんどうは収まる気配がない。むしろ強くなっている。

 久遠くおんが目録もくろくを閉じ、立ち上がった。

 「根の膨張ぼうちょうが、経蔵きょうぞうの座標ざひょう管理に干渉し始めている。歯車は止めたが、座標ざひょうの計算は生きている。根がその計算に割り込んでいる」

 「壊れるのか」

 「壊れるのではなく、書き換わる。根が自分の座標ざひょうを持っている。観測者かんそくしゃの座標ざひょうと、根の座標ざひょうが混在し始める。どちらの地図ちずが正しいか、世界が選ぶことになる」

 壁の歯車が軋きしんだ。止めた三つの歯車の隣で、残った歯車が負荷を補おうとしている。だが根の振動しんどうが歯車の軸を揺らし、噛み合いがずれ始めていた。

 「出るぞ。ここは長く持たない」

 あさひが階段の方角に身体を向けた。登り階段。七十段。

 三人は計測室けいそくしつを出て、石段を登り始めた。段の表面の文字が足元で光る。降りるときは解体の手順だった。登るときは、復元の手順だ。

 四十段を過ぎたあたりで、壁の白さが変わった。漂白ひょうはくの白ではない。金色の脈が壁の石の中を走っている。根が石段の壁にまで到達している。漂白ひょうはくの白と、根の金色が、壁の中で絡み合っている。

 「根が漂白ひょうはくに侵入している。白い壁の中に、金色の脈が入り込んでいる。漂白ひょうはくが名前を消す速度と、根が名前を保存する速度が、ここで拮抗きっこうし始めた」

 久遠くおんが壁に手を当てた。蒼光そうこうが壁の中を照らす。白と金が交互に脈打っている。

 こよいは壁の金色の脈に指で触れた。温かい。壁の石を通して、根の温度が伝わっている。

 巾着きんちゃくの中の、帰還した四柱よんはしらが、壁の根に向かって脈を送った。高共鳴体こうきょうめいたいの声が、壁の中の根を呼んでいる。根が応えた。金色の脈が一瞬だけ強く光り、壁の中を一段上まで伸びた。

 「つながってる」

 こよいが言った。四柱よんはしらと根が、巾着きんちゃくを介して通信している。高共鳴体こうきょうめいたいが中継器ちゅうけいきになり、地下の根脈こんみゃくに信号を送っている。

 階段を出たとき、三人は空を見上げた。
 経蔵きょうぞうの外壁の上に、霧きりが薄くなっている場所がある。そこだけ空の色が見えた。灰色ではない。薄い金色。

 根の光が、地下から空にまで届き始めている。

 久遠くおんが目録もくろくを胸に抱えた。

 「五十一柱の目録で四十七柱まで着地した。巾着きんちゃくの共鳴は三十三脈。まだ見つからない名前が四つ残っている。……今しがた帰った高共鳴体たちの合流で、根脈こんみゃくが跳ねた。次の名前を見つけるたびに、網あみはさらに広がる」

 あさひが前を向いた。

 「なら、次を探す」

 足元の石畳いしだたみが、根の温度で温かかった。

 おたまは帰還した四柱それぞれの拍に耳を動かし、いちばん高く澄んだ一柱の振動で小鈴を共鳴させた。紙の地図が固定されても、あの高共鳴体の名前たちと鈴の応答を辿れば外郭の根へ道を訊ける。久遠くおんは説明を止め、その実演を短い四本線で残した。
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