アメミヤのよろず屋

高柳神羅

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第53話 温泉に入ろう

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 冒険者が泊まる宿というのは、部屋が狭くて宜しくない。
 僕は、街の宿というものがどうも苦手だ。
 今日はもう日が暮れるし夜に山登りをするのは馬鹿のやることだとアラグが言うので、僕たちは街が経営している冒険者向けの宿に泊まることになったのだが。
 案の定というか何と言うか、予想通りの部屋の構造に思わず溜め息を漏らしたのだった。
 狭い部屋に押し込まれた大きなクローゼットとベッドのせいで、床は殆ど見えない。
 部屋の広さのことを考えて家具を選んでもらいたいものだ。
 僕の部屋も錬金術の道具とかで雑然としてはいるが、ここまで足の踏み場がないほど床を占拠してはいない。これなら自分の部屋の方がよほどマシである。
「……はあ」
 息を吐いて、僕はベッドの上にぼすっと倒れ込むようにして身を投げた。
 毛布は、まあそこそこの品質のものを使っているようだ。
「シルカー、いるー?」
 肩に下げていた鞄を下ろし、そのままの体勢で身を休めていると、戸口のところから僕を呼ぶシャオレンの声が聞こえてきた。
 僕は僅かに顔を上げて、そちらに目を向けた。
「お風呂、入らない? 今なら誰もいないみたい」
 風呂か。
 此処の風呂は、地元で湧き出る天然の温泉をそのまま利用しているらしい。宿の店主がそう言っていた。
 温泉なんて滅多に入れない。気分を変えて、温泉を楽しむことにするか。
 僕は鞄を持って、シャオレンが待つ部屋の外に出た。

 温泉は、狭い客室からは想像も付かないほど広い間取りを備えた屋外の風呂だった。
 岩を組まれて作られた浴槽には透明な湯が満たされており、空に浮かぶ月や星が映ってゆらゆらと揺れている。
 僕たちが浴場に入ると、そこには既に湯船に浸かったアラグがいた。
「お前たちも来たのか」
「ええ。他のお客さんがいなかったから、ゆっくりできそうって思って」
 アラグの傍まで歩いていき、ゆっくりと腰を下ろすシャオレン。
 アラグほどではないが、随分と筋肉の付いた体だ。とても魔術師のものとは思えない。
 僕は自分の体を見た。
 二人と比べると随分と貧相な体だ。よろず屋の店主に納まってからろくに体を使う機会もなかったから、無理もないことだとは思うのだが。
 まあ、人は人。自分は自分だ。
 僕は二人の前に座って、空を見上げた。
 綺麗な星空だ。アメミヤで見る空よりも星の数が多い気がする。
 此処は山に近いから、空気が澄んでいるのだろう。
「この分なら明日も晴れそうね」
 空を見て微笑むシャオレン。
 アラグは背中を掻きながら、言った。
「目的の洞窟までどれくらいかかるんだ?」
「大体六時間よ。それも何事もなかった場合だから、途中で魔物が出たりしたら時間はもっとかかるわ」
 六時間か……魔物がいると聞いている時点で諦めてはいることだが、楽な山登りというわけにはいかなそうだな。
 僕は溜め息をついた。
 そんな僕を、不思議そうな顔をしてシャオレンが見た。
「シルカ、乗り気じゃなさそうな顔ね」
「当たり前だろ。僕は一般人なんだ。魔物がいる場所に平然と足を踏み入れられるような神経を持ち合わせてるわけないだろ」
「……本当に、変わっちゃったのねぇ」
 シャオレンはしみじみと言って、遠い目をした。
「貴方が冒険者をやめて、もう五年経つのね。それだけ時間が過ぎれば、誰でも変わっちゃうってことなのかしら」
「ここまで変わっちまった奴ってのも珍しいとは思うけどな」
 濡れた手で額の汗を拭い、アラグは肩を竦めた。
「シルカは変わったよ。此処にいるのは冷酷で無愛想な灰燼の魔術師じゃない」
 ふっと口の端に笑みを浮かべて、続ける。
「人と目を合わせて会話してくれる、気さくで人間らしい男だ」
「…………」
 僕は無言で掌に掬った湯を顔に叩き付けた。
 ほんのり香る、硫黄の匂い。
 これが魔物のいる山に行く探索の旅でなかったら、もっと心の底から温泉を満喫できたのにな、と思う。
 アラグはざばっと立ち上がった。
「久々に会った仲間同士、積もる話もあるだろ。俺は一足先に部屋に戻るから、ゆっくりしていけよ」
 そのまま前を隠そうともせずに、湯を蹴って僕たちの傍から去っていった。
 ねえ、と僕に身を寄せてシャオレンは言った。
「せっかくこうして久しぶりに会ったんだし、お話しましょ。貴方が冒険者をやめてからどんな生活をしていたのか、アタシとっても興味あるわ」
「……別に、大した暮らしはしてないよ」
 僕は空に目を向けて、語り始めた。
 たまには、こうしてじっくり身の上話を語り合うのも悪くはないものだ。
 そうして、僕とシャオレンはのぼせて頭が痛くなるまで、五年間の空白を埋めるように思い出話をし続けたのだった。
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