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第二章 オフセット印刷VS異種族
第13話 騎士とノッポ
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◆
翌日、再びエックホーフ邸前。
16時を過ぎて、間もなく日が沈もうという頃だった。
絢理とオルトの目の下には厚い雲のような隈ができていた。絢理は疲れから、オルトはサービス用の魔法陣を夜通し書いていたためだ。
御者台を降りながら、絢理は昨夜の顛末をオルトに聞かせていた。
「まさか僕が執筆に追われている間、そんな事がね」
眉間に皺を寄せ、奪還した魔導書を開くオルト。絢理の言葉を疑っている訳でもあるまいが、彼が魔導書に注ぐ視線は眉唾のそれである。
「そんなに凄い魔導書とは思えないんだけど……」
「どんな内容なんです?」
「これ一冊で一つの魔法になってるみたいだね」
本をぱらぱらと捲りながら言うオルトだが、その言葉に緊張感はない。
「50ページで一つの? 複雑に構成された魔法という事ですか?」
「そうなんだけど、効果は大したことないみたいだ。その人の持つ潜在能力を引き出すとか、そういう類のものかな」
「ドーピングみたいな?」
「どーぴんぐが何かは分からないけど――と」
パタンと本を閉じる。進行方向に目を向けると、昨日にオルトの往訪を断ったメイドが立っていた。
「ようこそ、お越しくださいました」
メイドが慇懃に礼をする。
「お客様方をご案内する前に、退去されるお方がいらっしゃいます。恐れ入りますが、どうぞ道をお譲りくださいませ」
「――先客?」
彼女の言葉に促されるようにして男が一人、門の向こうから姿を現した。
精悍な顔つきをした三十代後半と思しき男である。筋骨隆々とした体躯は、彼が戦士なのだと容易に想像させる。
華美なだけではない、上質な衣服を身に纏っている。
関節の要所に革製の甲を装着しており、軽装ながら戦うことを前提とした格好である。
男の襟口には、魔法陣を印章としたバッジが輝いていた。
「見送りに付き合わせたな」
男が事務的な固い口調で、メイドへと労をねぎらう。
「いえ、仕事ですので」
「怪我でもしたのかね?」
指摘を受けたメイドが、包帯を巻いた手をサッと引っ込める。
「お恥ずかしい限りです、炊事の際に切ってしまいまして……」
男は懐から小さな瓶を取り出し、メイドに差し出した。
「使うといい。化膿を防ぐ薬だ」
「いえそんな、騎士様からいただくなどと……」
「私の心づけなど、受け取れないかね」
無骨な顔に似合わぬ、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。
メイドもそう言われては断る術を持たなかった。
「……ありがとうございます」
メイドに薬を手渡した男が、こちらを一瞥する。
すると何かに気づいたように、目を眇めてその正体を見極めるような視線となる。
彼の関心はどうやらオルトに向けられているが、当の本人は気まずそうに目を背けていた。
男が数歩をこちらへと歩み寄りながら、誰何を問う。
「貴兄、ハウンドマン将軍の……?」
オルトが観念したように小さく嘆息し、八方美人用の気持ちの悪い笑みを返した。
「ええ。ご無沙汰しております騎士・オーヴァン。いつも父がお世話になっております」
「はは、お世話になっているのは私の方だよ」
相好を崩して、オルトの肩を叩くオーヴァン。オルトの華奢な肩では壊れてしまうのではないかというほど、彼の手は大きかった。
知り合いのようだが、絢理には訳が分からない。
「どうだね、貴兄もそろそろ騎士になられるのかね?」
「はあ、いやそれはその――」
「そのヒョロ兄さんが騎士になんてなれるわけないでしょうに」
ぼそりと呟いた声が、どうやらオーヴァンにも聞こえてしまったようだ。
絢理の方へと視線を転じて、不思議そうな眼をオルトへ向け直す。
「そちらは?」
「ええと――」
咄嗟の返答に窮していると、助けの手は意外なところから差し伸べられた。
「オルト・ハウンドマン!」
鈴なりの、しかし厳しさを伴った叫声は門の向こうから放たれていた。
絢理が視線を転じれば、そこには予想通りの顔があった。
昨夜散々世話になった金髪碧眼美少女が、両手を腰に当ててこちらに剣呑なまなざしを向けている。
「いつまで私を待たせる気です! 疾く、こちらへ来なさい!」
タビタ・エックホーフ。
やはり彼女がそうだったのだ。
オルトは微苦笑を浮かべながら、オーヴァンに軽く頭を下げた。
「すみません、すぐに伺わなくてはならなくて、こちらで」
騎士・オーヴァンもまた気勢をそがれ、別段、こちらを止める言葉も持たなかった。
「そのようだね。お転婆なお嬢様によろしく伝えてくれたまえ」
そう言ってオーヴァンはエックホーフ邸の外へと、オルトと絢理はタビタの待つ邸内へと、それぞれ足を向けた。
数歩分を離れたところで不意に、オーヴァンが振り返ることもなく言葉を空に投げた。
「ハウンドマン将軍は、貴兄のことを随分と心配なされていたよ」
絢理の耳にしっかりと届いた低音の声が、オルトに届いていないはずがない。
しかし彼は足を止めることなく、その言葉を霧散させた。
だいぶ苦い顔をしていたが、それは果たして背後のオーヴァンへ向けてのものか、前方のタビタへ向けてのものか――
「両方ですね」
ぼそりと呟いた絢理の言葉は、それこそ誰の耳に届くことなく空に溶けた。
<続>
翌日、再びエックホーフ邸前。
16時を過ぎて、間もなく日が沈もうという頃だった。
絢理とオルトの目の下には厚い雲のような隈ができていた。絢理は疲れから、オルトはサービス用の魔法陣を夜通し書いていたためだ。
御者台を降りながら、絢理は昨夜の顛末をオルトに聞かせていた。
「まさか僕が執筆に追われている間、そんな事がね」
眉間に皺を寄せ、奪還した魔導書を開くオルト。絢理の言葉を疑っている訳でもあるまいが、彼が魔導書に注ぐ視線は眉唾のそれである。
「そんなに凄い魔導書とは思えないんだけど……」
「どんな内容なんです?」
「これ一冊で一つの魔法になってるみたいだね」
本をぱらぱらと捲りながら言うオルトだが、その言葉に緊張感はない。
「50ページで一つの? 複雑に構成された魔法という事ですか?」
「そうなんだけど、効果は大したことないみたいだ。その人の持つ潜在能力を引き出すとか、そういう類のものかな」
「ドーピングみたいな?」
「どーぴんぐが何かは分からないけど――と」
パタンと本を閉じる。進行方向に目を向けると、昨日にオルトの往訪を断ったメイドが立っていた。
「ようこそ、お越しくださいました」
メイドが慇懃に礼をする。
「お客様方をご案内する前に、退去されるお方がいらっしゃいます。恐れ入りますが、どうぞ道をお譲りくださいませ」
「――先客?」
彼女の言葉に促されるようにして男が一人、門の向こうから姿を現した。
精悍な顔つきをした三十代後半と思しき男である。筋骨隆々とした体躯は、彼が戦士なのだと容易に想像させる。
華美なだけではない、上質な衣服を身に纏っている。
関節の要所に革製の甲を装着しており、軽装ながら戦うことを前提とした格好である。
男の襟口には、魔法陣を印章としたバッジが輝いていた。
「見送りに付き合わせたな」
男が事務的な固い口調で、メイドへと労をねぎらう。
「いえ、仕事ですので」
「怪我でもしたのかね?」
指摘を受けたメイドが、包帯を巻いた手をサッと引っ込める。
「お恥ずかしい限りです、炊事の際に切ってしまいまして……」
男は懐から小さな瓶を取り出し、メイドに差し出した。
「使うといい。化膿を防ぐ薬だ」
「いえそんな、騎士様からいただくなどと……」
「私の心づけなど、受け取れないかね」
無骨な顔に似合わぬ、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。
メイドもそう言われては断る術を持たなかった。
「……ありがとうございます」
メイドに薬を手渡した男が、こちらを一瞥する。
すると何かに気づいたように、目を眇めてその正体を見極めるような視線となる。
彼の関心はどうやらオルトに向けられているが、当の本人は気まずそうに目を背けていた。
男が数歩をこちらへと歩み寄りながら、誰何を問う。
「貴兄、ハウンドマン将軍の……?」
オルトが観念したように小さく嘆息し、八方美人用の気持ちの悪い笑みを返した。
「ええ。ご無沙汰しております騎士・オーヴァン。いつも父がお世話になっております」
「はは、お世話になっているのは私の方だよ」
相好を崩して、オルトの肩を叩くオーヴァン。オルトの華奢な肩では壊れてしまうのではないかというほど、彼の手は大きかった。
知り合いのようだが、絢理には訳が分からない。
「どうだね、貴兄もそろそろ騎士になられるのかね?」
「はあ、いやそれはその――」
「そのヒョロ兄さんが騎士になんてなれるわけないでしょうに」
ぼそりと呟いた声が、どうやらオーヴァンにも聞こえてしまったようだ。
絢理の方へと視線を転じて、不思議そうな眼をオルトへ向け直す。
「そちらは?」
「ええと――」
咄嗟の返答に窮していると、助けの手は意外なところから差し伸べられた。
「オルト・ハウンドマン!」
鈴なりの、しかし厳しさを伴った叫声は門の向こうから放たれていた。
絢理が視線を転じれば、そこには予想通りの顔があった。
昨夜散々世話になった金髪碧眼美少女が、両手を腰に当ててこちらに剣呑なまなざしを向けている。
「いつまで私を待たせる気です! 疾く、こちらへ来なさい!」
タビタ・エックホーフ。
やはり彼女がそうだったのだ。
オルトは微苦笑を浮かべながら、オーヴァンに軽く頭を下げた。
「すみません、すぐに伺わなくてはならなくて、こちらで」
騎士・オーヴァンもまた気勢をそがれ、別段、こちらを止める言葉も持たなかった。
「そのようだね。お転婆なお嬢様によろしく伝えてくれたまえ」
そう言ってオーヴァンはエックホーフ邸の外へと、オルトと絢理はタビタの待つ邸内へと、それぞれ足を向けた。
数歩分を離れたところで不意に、オーヴァンが振り返ることもなく言葉を空に投げた。
「ハウンドマン将軍は、貴兄のことを随分と心配なされていたよ」
絢理の耳にしっかりと届いた低音の声が、オルトに届いていないはずがない。
しかし彼は足を止めることなく、その言葉を霧散させた。
だいぶ苦い顔をしていたが、それは果たして背後のオーヴァンへ向けてのものか、前方のタビタへ向けてのものか――
「両方ですね」
ぼそりと呟いた絢理の言葉は、それこそ誰の耳に届くことなく空に溶けた。
<続>
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