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初夏の涼風の章

鈴蘭の芳香

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「うふふふふふふふふ、あはは、『鈴蘭』のレリーチェ、いざ、参ります!」

 そうレリーチェが優雅に不気味に笑いながら宣言した瞬間、そのほっそりとした姿はほとんど消えるような速度でこちらに突っ込んできた。
 そのレリーチェの捻くれた短剣を受け止めたのは、ベルグラード男爵の冷気の魔杖だ。

「申し訳ないがね、君の相手は私がさせてもらうよ」
「老いぼれさま、貴方に用はございませんのよ?」
「いや何、君の戦闘スタイルは見たところうちの妻によく似ている――つまり私がもっとも戦い慣れたスタイルなのでね。とはいえ、君とうちの妻では体型という意味のスタイルはぜんぜん違うのだが」
「うふふふふふふふふふふふ。それで! うまいことを言った! つもり! ですの?!」

 ぎぃん! という硬いものどうしがぶつかる音が響く。

 それを合図にレリーチェの配下か仲間かはわからないが、武器を持った連中がこちらに襲いかかろうとしていた。
 それを、男爵の部下たちが食い止めてくれている。
「あなた方は早くお逃げ下さい! 連中の目的はおそらく、マギシェン侯爵家の方でしょう! さぁ急いで!」
「わ、わかりました! 女性を優先して逃がすんだ、足の早いものは邸の護衛たちを呼んでくるように!」
 それに真っ先に反応したのは、意外なことにテオドルだった。彼は呆然としているウルリカとアリアを不安げに見やりながらも、使用人たちに指示を出している。

「僕たちは戦えるから残るよ、行こうユウハ」
「えぇユイハ兄さん、行きましょう」
 刀を構えたユイハと、魔力で作り出した大鎌を携えたユウハは男爵の部下たちを援護するために向かう。

「ユイハ、ユウハ……!」
 思わずユイハとユウハの方へ向かおうとするメルを、優しく力強い腕がひきとめる。ジルセウスだ。
「メル、君はエヴェリアを守るんだよ。それから侯爵夫人とウルリカ嬢もだ。いいね?」
「………そう、だね、ジル」
 メルはエヴェリアを抱きかかえ直しながら、ジルセウスに背中を押されるようにウルリカ達のもとへ走った。


「ウルリカ様!」
「……っ、あ、あぁ、メルか、その、何か当家の厄介事に君と君の連れを巻き込んでいるようですまない」
「そんなの今はどうだって良いんです、狙われているのはきっとウルリカ様たちですし、早く逃げないと……!」
「そう、なんだけど、母上が……」

 アリア侯爵夫人はほとんど座り込んで、うつろな瞳でなにかをつぶやき続けているようだった。
「あぁ、レリーチェ、そうね貴女が私をヴィクトリアのもとへ連れて行ってくれるのね? 私初めてあなたを見たときから、貴女をまるでおとぎ話の『死を告げる御使い』のようだと思っていましたのよ。きっと本当に貴女はおとぎ話から抜け出た御使いなのね、そうなのね、レリーチェあなたは」
「……ずっと、この調子なんだ。静かな場所に連れて行かないと……ねぇメル、母さまの左肩を支えてくれる? ボクは右肩支えるから」
 ウルリカの瞳からは、不安げでありながらもなんとか自分が母を守らなければいけないという強い意志が伝わってくる。
「……はい、大丈夫です。私こう見えてもそれなりに力持ちですよ。銀月騎士学院に通ってたんですから」
「心強いね、じゃ……母さま、行きますよ」


 
「うふふふふふふ! お待ちあそばせぇ、ウルリカ様ぁああああああああああ?!」
「なっ!」
「えっ?!」
「いかん!」

 ふいに、花のような香りがした。
 風を背後から感じる。
 振り返ると、疾風を纏ったレリーチェが――刃を手に突っ込んでくる!

 反射的にメルはウルリカたちをかばう体勢に入る。
 だが――
 ウルリカは、メルよりも前に出たのだ。


 鮮血と、悲鳴と、咆哮があがった。



「うっ……っぅ……」
 レリーチェの刃は、ウルリカの命をとるには至らない傷だった。だが、凶刃は彼女の脇腹あたりを確実にえぐった。
 ――血が流れる。
 刃にも血がべったりとついていた。

「ふ、うふふふふふふふふふ、手に入れた、とうとう、手に入れたましたわ! 双鍵の紋章に連なる血を!」
 そして、刃を捧げ持ち、彼女は何らかの呪文を唱え始める。
「いかん、それは物体転送の呪文だ! 止めろ!」
 魔法にも詳しいらしい男爵が疾走しながら警告の声をあげる。

「……!」

 メルは反射的に、レリーチェに肩から体当たりをした。少しだけでいい、少しだけ、時間が稼げればいい。
 レリーチェはそのままメルともつれ合うように転倒し、血のついたねじくれた短剣を取り落とす。

「ぐぅ……この小娘っ……」


「そこまでだよ『鈴蘭』とやら」

 涼やかな声と、冷たい刃の光が起き上がろうとするレリーチェを押えつける。この声は、ジルセウスだ。
「メル、よく頑張ってくれたね」
「ジル……」
 大好きな恋人の優しい声が、メルの心にしみてくる。
 もう大丈夫なのだ。
 ジルが来てくれた。

 そんなメルの思考を中断させたのは、レリーチェの狂った笑いだった。


「ふ、ふ、ふ、うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……私もここまでのようですわね……ふふ、では、さようならごきげんよう皆様。……いと高きところで見守る優しき我らの神よ、いまあなたのもとへと参ります……!」
 


「……毒か」
「口内に毒を仕込んであるようだ。私の関わる事件には多いよ」
 男爵がため息混じりで教えてくれる。
 ジルセウスはまだ地面に転がっているメルに手を伸ばしてくれた。
「……メル、立てるかい。エヴェリアも無事?」
「大丈夫です、その、多分」
 ジルセウスの手は、とても温かくてたくましい。
 その手に支えられて立ち上がって、メルはおもわず驚きの声をだしそうになる。


 メルの視線の先には白がいた。

 白は、何の表情もこもっていない顔で、レリーチェだった存在をただただ、じっとみつめていたのだった。


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