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第3巻
第4話 花屋の女
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十一月の、少し暖かい夜。
女性が花束を持って入ってきた。
「あの、これ……カウンターに置いてもいいですか」
「もちろんです」
花束は白いスイートピーとグリーンのユーカリ。清潔な香りがした。
「花屋をやっています。今日の売れ残りで。捨てるのがもったいなくて」
「バーに持ってきたんですか」
「……なんとなく。ここが好きで、来るついでに」
渓というラベルの常連だった。でも名前を聞いたことがなかった。
「お名前、聞いていいですか」
「七海です。田所七海」
「田所さん、何回か来てくださっていますよね」
「四回目です。カウントしてました」
渇望を見た。
——ここを、自分の場所にしたい。
「どうぞ。いつものを作りますか」
「……いつもって覚えてるんですか」
「白ワインのシュプリッツァーでしたよね」
七海は少し嬉しそうな顔をした。
「そうです。それを」
花束をカウンターの端に置くと、バーが少し変わった。香りが広がって、空間に軽さが出た。
「花があると、雰囲気が変わりますね」とルーカスが言うと、「それが仕事なので」と七海が返した。
「花屋は何年ですか」
「三年。独立して二年」
「好きな仕事ですか」
「好きです。でも、お客さんが来ない日は怖い」
「経営の怖さですか」
「そうです。今日みたいに残ったとき、明日ちゃんと売れるかなって思って」
グラスを飲みながら、七海は話した。
花を仕入れて、束ねて、売る。それだけのことが、毎日違う。今日仕入れた花が好きか嫌いかで、気分が変わる。好きな花が入ってきた朝は、早起きが苦にならない。
「花に好き嫌いがあるんですか」
「あります。今日のスイートピーは好き。でも先週のカーネーションは苦手で」
「なぜカーネーションが苦手ですか」
「……お葬式に使うからだと思ってた。でも最近、それが思い込みだって気づいた。カーネーションは元々、愛情の花なので」
「思い込みが外れると、違って見えますか」
「見えます。でも、まだ少し苦手」
「慣れるといいですね」
「慣れるかな」と七海は少し笑った。
「一つ聞いていいですか」とルーカスが言った。
「どうぞ」
「花屋に来るお客さんは、どんな渇望を持っていますか」
「渇望、ですか」
「花を買う理由、というか。何を求めて来ると思いますか」
七海はしばらく考えた。
「……誰かに気持ちを伝えたい人が多いですね。言葉では難しいことを、花で言おうとする」
「それは美しい仕事ですね」
「そうかもしれない。言葉を使わないで、気持ちを届ける」
「あなたの仕事と私の仕事は、逆ですね」
「逆?」
「私は言葉で、気持ちに触れようとする。あなたは花で、言葉を届けようとする」
七海は少し目を細めた。
「……おもしろい言い方ですね」
「そう思いますか」
「思います。なんか、仕事が少し好きになった気がする」
「それは良かった」
七海は白ワインを飲み干した。
「花、また持ってきてもいいですか」
「ぜひ。このバーに合う花を選んでもらえると嬉しいです」
「考えます」と七海は言って、帰り際に花束を指さした。
「それ、置いていっていいですか。飾ってもらえると」
「ありがとうございます」
七海が帰った後、ルーカスはスイートピーの花束をカウンターの小瓶に挿した。
白い花。
バーに、少し春の先取りのような空気が漂った。
毎週来るようになるかもしれない——そう思った。
女性が花束を持って入ってきた。
「あの、これ……カウンターに置いてもいいですか」
「もちろんです」
花束は白いスイートピーとグリーンのユーカリ。清潔な香りがした。
「花屋をやっています。今日の売れ残りで。捨てるのがもったいなくて」
「バーに持ってきたんですか」
「……なんとなく。ここが好きで、来るついでに」
渓というラベルの常連だった。でも名前を聞いたことがなかった。
「お名前、聞いていいですか」
「七海です。田所七海」
「田所さん、何回か来てくださっていますよね」
「四回目です。カウントしてました」
渇望を見た。
——ここを、自分の場所にしたい。
「どうぞ。いつものを作りますか」
「……いつもって覚えてるんですか」
「白ワインのシュプリッツァーでしたよね」
七海は少し嬉しそうな顔をした。
「そうです。それを」
花束をカウンターの端に置くと、バーが少し変わった。香りが広がって、空間に軽さが出た。
「花があると、雰囲気が変わりますね」とルーカスが言うと、「それが仕事なので」と七海が返した。
「花屋は何年ですか」
「三年。独立して二年」
「好きな仕事ですか」
「好きです。でも、お客さんが来ない日は怖い」
「経営の怖さですか」
「そうです。今日みたいに残ったとき、明日ちゃんと売れるかなって思って」
グラスを飲みながら、七海は話した。
花を仕入れて、束ねて、売る。それだけのことが、毎日違う。今日仕入れた花が好きか嫌いかで、気分が変わる。好きな花が入ってきた朝は、早起きが苦にならない。
「花に好き嫌いがあるんですか」
「あります。今日のスイートピーは好き。でも先週のカーネーションは苦手で」
「なぜカーネーションが苦手ですか」
「……お葬式に使うからだと思ってた。でも最近、それが思い込みだって気づいた。カーネーションは元々、愛情の花なので」
「思い込みが外れると、違って見えますか」
「見えます。でも、まだ少し苦手」
「慣れるといいですね」
「慣れるかな」と七海は少し笑った。
「一つ聞いていいですか」とルーカスが言った。
「どうぞ」
「花屋に来るお客さんは、どんな渇望を持っていますか」
「渇望、ですか」
「花を買う理由、というか。何を求めて来ると思いますか」
七海はしばらく考えた。
「……誰かに気持ちを伝えたい人が多いですね。言葉では難しいことを、花で言おうとする」
「それは美しい仕事ですね」
「そうかもしれない。言葉を使わないで、気持ちを届ける」
「あなたの仕事と私の仕事は、逆ですね」
「逆?」
「私は言葉で、気持ちに触れようとする。あなたは花で、言葉を届けようとする」
七海は少し目を細めた。
「……おもしろい言い方ですね」
「そう思いますか」
「思います。なんか、仕事が少し好きになった気がする」
「それは良かった」
七海は白ワインを飲み干した。
「花、また持ってきてもいいですか」
「ぜひ。このバーに合う花を選んでもらえると嬉しいです」
「考えます」と七海は言って、帰り際に花束を指さした。
「それ、置いていっていいですか。飾ってもらえると」
「ありがとうございます」
七海が帰った後、ルーカスはスイートピーの花束をカウンターの小瓶に挿した。
白い花。
バーに、少し春の先取りのような空気が漂った。
毎週来るようになるかもしれない——そう思った。
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