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それからの日々はめまぐるしく過ぎていき、プレスリリースの日になった。午前から会場に入り、画面に出すスライドの準備や招待客のリストの確認などで忙しく時間は過ぎていく。
「お疲れさま。準備はどう?」
「あ、お疲れさまです。今の所は問題なく進んでます」
一通り確認を終えたところで藤沢が会場に入ってきた。入り口には宮川と村田の他に営業の姿も何人か見えて、いよいよだと実感が湧いてくる。
「一応僕も招待客の方には挨拶していくつもりだから、何か困ったことがあったら呼んでね」
「ありがとうございます。そうならないようにするのが私の仕事ですけどね」
二人で笑い合うと藤沢はそのまま入り口の方へ戻っていってしまった。時間を確認するとそろそろ招待客の受付が始まる時間だ。亜美はジャケットのポケットに名刺入れを入れて受付へ向かった。社内から営業部の若い子や総務部の女の子を何人か借りて受付をお願いしているので問題はないと思うけれど、広報としても挨拶をしていかなければならない。
会場の入り口を確認していると宮川の姿が見えて一応声をかけておこうかと近づくと、そこには一人の女性の姿があった。
「久しぶり。まさかアルカトラズで働いてると思わなかったわ」
「あ~、そういえば、特に次の就職先言わずに辞めていったっけ」」
宮川と親しそうに話しているのは黒髪ロングでパンツスーツがよく似合う女性だった。前髪は綺麗に切りそろえられていて、大人しそうに見えるけれど、大きな瞳と唇に引かれた真っ赤なルージュがいかにもデキる女を演出していた。
もし前の会社の知り合いなら挨拶ぐらいはしておいた方が良いだろうかと亜美は話しかけようとした。
「でも元気そうで良かった。辞める前、すごく落ち込んでたって聞いたから」
「それは……」
「ごめんごめん、私が結婚は無理って振ったからだよね。あの時はお互い若かったし」
その会話を聞いて亜美は足を止めた。二人は亜美が近くにいることに気付いていないようだ。でも、話を聞いていれば分かる。宮川と話している女性は、以前宮川が結婚を考えたことがあると言っていた女性だ。
「昔の話はいいだろ。それで、なんでお前がいるんだよ」
「招待があったからよ。今システム系雑誌の編集やってるの」
女性は宮川に名刺を渡した。形だけの名刺交換をして宮川もふーんと頷いている。
「よかったら今度ご飯でもどう? 色々話も聞きたいし」
「……まぁ、それぐらいなら」
その言葉を聞いて亜美は会場の中へ戻ってしまった。本当ならあのまま二人の会話が終わってから挨拶をするのが自分の仕事のはずだ。招待客ならなおさらだ。でもそんな気分にはなれなくて、登壇者の控え室の方へ向かう。
胸が痛い。まさかこんなところで宮川の元カノに会うなんて思っていなかった。宮川が結婚を考えていた女性は同性から見ても憧れる、綺麗でハキハキとして仕事が出来そうな女性だ。そもそも宮川と付き合っているわけでもないのにどうしてこんなに胸が痛くなるのかわからない。
「なんで、こんな勝手に傷ついてるんだろ……」
何故なのか、その理由はもうとっくに分かっている。でも自分だけがこんなに宮川の事が気になっているなんて認めたくなくて意地を張っているだけだ。
胸を抑えながら大きく深呼吸をする。今は仕事に集中しなければいけない。
「あ、お前ここにいたのか。もう受付始まってるだろ。さっさと受付に行けよ」
そう思っていると控え室に宮川が入ってきた。今まさに考えていた人物が現れて、落ち着こうと思っていたのに、そうもいかなくなってしまう。
宮川の手には先ほどの女性からもらった名刺がある。
「ごめん、すぐ行くね、今日はよろしく」
「え、あ、おい!」
宮川の顔を見ることができなくて、亜美はそれだけを言うと控え室を出て行った。宮川呼び止められていたけれど、亜美は顔を叩くと仕事モードに切り替えて招待客の対応に専念するのだった。
プレスリリースは滞りなく終わり、その後のパーティもなんとか広報としての仕事をこなすことが出来た。後処理で招待客へのお礼のメールや会場からの請求書の処理などをしていると連日の残業になってしまった。
「お先に失礼しまーす」
「お疲れさまです」
同僚が一人、また一人と帰って行く。亜美は招待客リストを眺めながらお礼と質問の回答のメールを作成していた。時刻は既に二十一時になっていた。そろそろ夕ご飯でも買いに行こうかと財布とセキュリティカードを持った。このビルは二十時以降の出入りにはセキュリティカードが必要だからだ。
「お疲れ」
「お、お疲れさまです……」
エレベーターホールに行くとそこには帰り支度をした宮川の姿があった。
あの日以降、亜美は宮川と顔を合わせるのも気まずくてわざと会わないようにしていた。プレスリリースのお疲れさま会でもするかというメールにも「後処理が忙しいから無理」とだけ返して伸ばしていた。
「結構忙しいみたいだな」
「まぁ……」
あの後、元カノと食事に行ったのか。口を開けば聞いてしまいそうになり、亜美は宮川の問いかけに最低限の返事だけをしていた。早くエレベーターが来れば良いのに、そう願うが三十五階にあるこのフロアにはなかなかやってこない。
「そういやいつ飲みにいく? 俺は今は忙しくないからいつでも」
「ちょっと……しばらくは無理、かな」
幸いなのはプレスリリースが終われば宮川とのミーティングはほぼ無くなることぐらいだ。
「お前、なんか最近変だな」
「そんなことないよ」
わざと宮川を見ないようにエレベーターのモニターを見つめる。チン、と音がなり扉が開いた。ガラス張りになっている壁から見える夜景はとても綺麗だ。
「乗らないのか?」
「あ、ちょっと忘れ物。ごめん、先に行って」
足を踏み込んでしまえばそのまま密室の空間になってしまう。それを思った亜美はそこから足を動かせないでいた。曖昧に笑えば宮川は「わかった」とエレベーターに乗る。
「っ……! ちょっ……」
そのまま見送るつもりだった。なのに、横を通った宮川に手を引かれて、亜美はそのままエレベーターに乗ってしまった。宮川が目的階を押すと、エレベーターは下がっていく。
「やっぱり変だろ。なんで俺のこと避けてるんだ」
「避けてなんて……!」
そのまま亜美は宮川に手を引かれ抱き締められてしまった。抵抗しようとしても腰に回されて手が話してくれそうにない。
「プレスリリースの日から変だ。何かあったのか?」
「何もないってば……」
「ホントに……?」
宮川の熱っぽい吐息が耳にかかる。
「ほんと……んっ……」
そのまま宮川に唇を塞がれる。舌を絡め取られる早急なキスに亜美は宮川の肩を叩く。
「あっ、人が乗ってくるかも……」
「はぁ……これ、一階まで直通だから平気、ん……」
愛撫される度に何を考えていたか分からなくなる。そもそもなぜ宮川にキスをされているのか。こういう関係じゃないはずなのに。そして頭の中を過ぎるのは宮川の元カノだ。
「や、やめてっ!」
ハッとして宮川から離れる。身体は求められて嬉しく思っているのに心がついていかない。何もかもがはっきりしなくてモヤがかかったままだ。
「今野……?」
「ごめん……。やっぱりダメだよ。私たち、こういう関係じゃない方がいいと思う」
すうっと身体に重力がかかる。エレベーターの中のモニターが「1」と表示されて扉が開いた。
「お試し、ダメだったね。でも同期としてはこれからもよろしくね」
「今野……!」
精一杯の笑顔でそう微笑むと亜美は走ってビルを飛び出していった。
「お疲れさま。準備はどう?」
「あ、お疲れさまです。今の所は問題なく進んでます」
一通り確認を終えたところで藤沢が会場に入ってきた。入り口には宮川と村田の他に営業の姿も何人か見えて、いよいよだと実感が湧いてくる。
「一応僕も招待客の方には挨拶していくつもりだから、何か困ったことがあったら呼んでね」
「ありがとうございます。そうならないようにするのが私の仕事ですけどね」
二人で笑い合うと藤沢はそのまま入り口の方へ戻っていってしまった。時間を確認するとそろそろ招待客の受付が始まる時間だ。亜美はジャケットのポケットに名刺入れを入れて受付へ向かった。社内から営業部の若い子や総務部の女の子を何人か借りて受付をお願いしているので問題はないと思うけれど、広報としても挨拶をしていかなければならない。
会場の入り口を確認していると宮川の姿が見えて一応声をかけておこうかと近づくと、そこには一人の女性の姿があった。
「久しぶり。まさかアルカトラズで働いてると思わなかったわ」
「あ~、そういえば、特に次の就職先言わずに辞めていったっけ」」
宮川と親しそうに話しているのは黒髪ロングでパンツスーツがよく似合う女性だった。前髪は綺麗に切りそろえられていて、大人しそうに見えるけれど、大きな瞳と唇に引かれた真っ赤なルージュがいかにもデキる女を演出していた。
もし前の会社の知り合いなら挨拶ぐらいはしておいた方が良いだろうかと亜美は話しかけようとした。
「でも元気そうで良かった。辞める前、すごく落ち込んでたって聞いたから」
「それは……」
「ごめんごめん、私が結婚は無理って振ったからだよね。あの時はお互い若かったし」
その会話を聞いて亜美は足を止めた。二人は亜美が近くにいることに気付いていないようだ。でも、話を聞いていれば分かる。宮川と話している女性は、以前宮川が結婚を考えたことがあると言っていた女性だ。
「昔の話はいいだろ。それで、なんでお前がいるんだよ」
「招待があったからよ。今システム系雑誌の編集やってるの」
女性は宮川に名刺を渡した。形だけの名刺交換をして宮川もふーんと頷いている。
「よかったら今度ご飯でもどう? 色々話も聞きたいし」
「……まぁ、それぐらいなら」
その言葉を聞いて亜美は会場の中へ戻ってしまった。本当ならあのまま二人の会話が終わってから挨拶をするのが自分の仕事のはずだ。招待客ならなおさらだ。でもそんな気分にはなれなくて、登壇者の控え室の方へ向かう。
胸が痛い。まさかこんなところで宮川の元カノに会うなんて思っていなかった。宮川が結婚を考えていた女性は同性から見ても憧れる、綺麗でハキハキとして仕事が出来そうな女性だ。そもそも宮川と付き合っているわけでもないのにどうしてこんなに胸が痛くなるのかわからない。
「なんで、こんな勝手に傷ついてるんだろ……」
何故なのか、その理由はもうとっくに分かっている。でも自分だけがこんなに宮川の事が気になっているなんて認めたくなくて意地を張っているだけだ。
胸を抑えながら大きく深呼吸をする。今は仕事に集中しなければいけない。
「あ、お前ここにいたのか。もう受付始まってるだろ。さっさと受付に行けよ」
そう思っていると控え室に宮川が入ってきた。今まさに考えていた人物が現れて、落ち着こうと思っていたのに、そうもいかなくなってしまう。
宮川の手には先ほどの女性からもらった名刺がある。
「ごめん、すぐ行くね、今日はよろしく」
「え、あ、おい!」
宮川の顔を見ることができなくて、亜美はそれだけを言うと控え室を出て行った。宮川呼び止められていたけれど、亜美は顔を叩くと仕事モードに切り替えて招待客の対応に専念するのだった。
プレスリリースは滞りなく終わり、その後のパーティもなんとか広報としての仕事をこなすことが出来た。後処理で招待客へのお礼のメールや会場からの請求書の処理などをしていると連日の残業になってしまった。
「お先に失礼しまーす」
「お疲れさまです」
同僚が一人、また一人と帰って行く。亜美は招待客リストを眺めながらお礼と質問の回答のメールを作成していた。時刻は既に二十一時になっていた。そろそろ夕ご飯でも買いに行こうかと財布とセキュリティカードを持った。このビルは二十時以降の出入りにはセキュリティカードが必要だからだ。
「お疲れ」
「お、お疲れさまです……」
エレベーターホールに行くとそこには帰り支度をした宮川の姿があった。
あの日以降、亜美は宮川と顔を合わせるのも気まずくてわざと会わないようにしていた。プレスリリースのお疲れさま会でもするかというメールにも「後処理が忙しいから無理」とだけ返して伸ばしていた。
「結構忙しいみたいだな」
「まぁ……」
あの後、元カノと食事に行ったのか。口を開けば聞いてしまいそうになり、亜美は宮川の問いかけに最低限の返事だけをしていた。早くエレベーターが来れば良いのに、そう願うが三十五階にあるこのフロアにはなかなかやってこない。
「そういやいつ飲みにいく? 俺は今は忙しくないからいつでも」
「ちょっと……しばらくは無理、かな」
幸いなのはプレスリリースが終われば宮川とのミーティングはほぼ無くなることぐらいだ。
「お前、なんか最近変だな」
「そんなことないよ」
わざと宮川を見ないようにエレベーターのモニターを見つめる。チン、と音がなり扉が開いた。ガラス張りになっている壁から見える夜景はとても綺麗だ。
「乗らないのか?」
「あ、ちょっと忘れ物。ごめん、先に行って」
足を踏み込んでしまえばそのまま密室の空間になってしまう。それを思った亜美はそこから足を動かせないでいた。曖昧に笑えば宮川は「わかった」とエレベーターに乗る。
「っ……! ちょっ……」
そのまま見送るつもりだった。なのに、横を通った宮川に手を引かれて、亜美はそのままエレベーターに乗ってしまった。宮川が目的階を押すと、エレベーターは下がっていく。
「やっぱり変だろ。なんで俺のこと避けてるんだ」
「避けてなんて……!」
そのまま亜美は宮川に手を引かれ抱き締められてしまった。抵抗しようとしても腰に回されて手が話してくれそうにない。
「プレスリリースの日から変だ。何かあったのか?」
「何もないってば……」
「ホントに……?」
宮川の熱っぽい吐息が耳にかかる。
「ほんと……んっ……」
そのまま宮川に唇を塞がれる。舌を絡め取られる早急なキスに亜美は宮川の肩を叩く。
「あっ、人が乗ってくるかも……」
「はぁ……これ、一階まで直通だから平気、ん……」
愛撫される度に何を考えていたか分からなくなる。そもそもなぜ宮川にキスをされているのか。こういう関係じゃないはずなのに。そして頭の中を過ぎるのは宮川の元カノだ。
「や、やめてっ!」
ハッとして宮川から離れる。身体は求められて嬉しく思っているのに心がついていかない。何もかもがはっきりしなくてモヤがかかったままだ。
「今野……?」
「ごめん……。やっぱりダメだよ。私たち、こういう関係じゃない方がいいと思う」
すうっと身体に重力がかかる。エレベーターの中のモニターが「1」と表示されて扉が開いた。
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