蛙の王女様―醜女が本当の愛を見つけるまで―

深石千尋

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第四章 精霊と呪い

拒絶(1)

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 次にシグルンが目覚めたとき、辺りはすでに真っ暗だった。


 眼前にはぼんやりと明かりで照らされた、柔らかな織物ファブリックが広がっている。
 シグルンは目をぱちぱちと瞬かせ、今自分の置かれている状況を理解しようとした。
 シグルンはいつもの固い長椅子ソファーと違い、沈み込むような、包み込むような柔らかな天蓋付き寝台ベッドの上に横たわっている。
 いつの間に眠ってしまったのだろうか。
 今日の出来事がすっぽり記憶から抜け落ちていた。


「奥様、目が覚めましたか?」


 シグルンが身体を起こしたのと同じタイミングで、ヨハンナが声をかけてきた。
 ヨハンナはいつも起床すると、良い具合に話しかけてくるのだ。
 そこで初めて、ここが自分に与えられた王宮の部屋だと認識した。
 ベッドの横では、背もたれに身体を預けて、横に揺れながら微睡まどろんでいるゲオルグもいる。


「あら? 私……いつの間に寝て?」
「ヤンセン様が気を失った奥様を連れてこられました。暴漢に襲われたと聞きました」


 ヨハンナの言葉にシグルンはようやく記憶を取り戻した。
 そうだ、言われてみれば確かにそうだ。
 今日はフロスティーと一緒に庭仕事をしていたら、貧民街スラムに住む姪の治療を頼まれたのだった。そこで突然襲われて、ゲオルグに助けられたところまでをはっきり思い出す。


「そういえばそうだわ。私、アークレイリの街に行ったのよ」
「奥様、身体はもう平気なのですか?」
「ええ、しっかり休めたと思うし、怪我もない……と思うわ」


 身体のあちこちを目で確認する限り、アニタに踏まれた足以外でどこか痛いところはなさそうだった。
 ヨハンナは苦笑するシグルンに眉を顰める。


「ヤンセン様から奥様は教会へ移ると伺いました。行かれる際は私もお供いたしますので」
「え……?」


 ヨハンナは驚いて不思議そうな顔をしたシグルンに、自分は本来ゲオルグの召使いであることを付け加えた。
 ヨハンナは相変わらず愛想笑いもせず難しい顔をしていたが、ヨハンナはヨハンナなりに心配をしていてくれたということだろう。しかも教会まで一緒に来てくれることになるなんて。


「心配をかけてごめんなさい」
「いいえ」


 謝罪するとヨハンナは素っ気なく首を振った。
 ヨハンナはすぐにお茶の準備に取り掛かる。
 夜の静かな室内に茶器の音が妙に大きく響き、うつらうつらしていたゲオルグががくりとよろめいて覚醒した。


「あ! は!? すみません……うっかり寝てしまいましたな」
「あ、あの……今日は助けていただきありがとうございました」


 シグルンは一瞬面食らったが、慌てて感謝を伝えた。
 ゲオルグがいなければ今頃どうなっていたか分からない。


「いえいえ、当然のことをしたまで。むしろ私がしっかりお守りしなければならないのに、お側にいられず申し訳ありません」
「そんな……!」


 シグルンは困って眉根を寄せた。
 悪いのは襲った犯人であって、ゲオルグが責任を感じる必要はないのに。


「追跡魔法によると、シグルン様を襲った男はベーヴェルシュタム公爵家の屋敷に向かったようです。恐らく、犯人は公爵の子飼いの者かと」
「ベーヴェルシュタム公爵……!?」


 ベーヴェルシュタム公爵の名にシグルンはショックを受けた。
 舞踏会でアニタに足を踏み付けられたのは記憶に新しい。
 もしかしてあのとき、アニタの手を引いていた男こそがベーヴェルシュタム公爵だったのでは? シグルンは記憶の糸を手繰り寄せながら考えた。
 細かい人相までは覚えていないが、シグルンとアニタとのやり取りを見ていながら、ひどく冷たい人物だったと思う。まさか故郷ラップラントの領主が、領民を殺そうとした犯人だったなんて。
 震えるシグルンにゲオルグは神妙な顔で頷いた。


「少し前に言いましたように、ここも決して安全な場所ではありません。今は出入り口に侵入防止の結界を張っていますが、それはあくまで一時凌ぎに過ぎません。用が済み次第、夜明けを待たずに教会へ移動します。良いですね?」
「え、用? はい、よろしくお願いします…………」


 シグルンは『用』という言葉に引っかかりを覚えて首を捻ったが、すぐさまあっと大声を上げて寝台ベッドから飛び出した。
 そうだ。今夜はアレクと会う約束をしていたのだった。
 王宮を離れることになるのは悲しいが、何も告げずに会えなくなるのはもっと悲しい。一刻も早くアレクに伝えなければならない。
 シグルンは自分でも熱を感じるくらいに顔を真っ赤にさせて言った。


「今は時間はどれくらいですか? 人を待たせてるんです! 早く行かないと」
「ええと……日没から大体三刻ほどでしょうか」
「良かったわ! じゃ、今は真夜中になったぐらいの時間ですね。ゲオルグさん、早く行きましょう!」
「お茶です」


 ゲオルグを急き立てるシグルンに、横からヨハンナが顔を出した。
 真顔でお茶を突き出してくる。


「え? お茶は後でも……」
「奥様はずっと眠っておられましたら、何かお口にしませんと。少し落ち着かれては?」


 ヨハンナは立ち上がったシグルンを、有無を言わさずテーブルに促した。
 どさくさに紛れて軽食を出されたので、シグルンは食べるより他ないようだ。
 ヨハンナは表立って口にはしないが、よく世話を焼いてくれようとした。
 どうしてこう焦っているときにと疑問は抱いたが、どうせ逆らえまい。


「ヨハンナも……ありがとう」


 シグルンは肩を窄め、改めてヨハンナに礼を言った。
 ヨハンナは照れた様子もなく頭を下げて、シグルンの礼を受け入れただけだ。
 やはりヨハンナはどこか養母のゾーイと似ていた。


 シグルンは早くアレクに会いたい気持ちを抑えながら、お茶と食事に手を伸ばつつも、心が妙に温かくなる感じがした。

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