蛙の王女様―醜女が本当の愛を見つけるまで―

深石千尋

文字の大きさ
9 / 31
第ニ章 王都

月下の庭園(1)

 翌朝、シグルンは温かな日差しと鳥の鳴き声で目が覚めた。身じろぎすると、長椅子ソファーの上で伸びをする。
 疲れが溜まっていたのだろう、どうやら昨晩は到着してすぐに眠ってしまったようだった。


 シグルンは天井を仰ぎながら頭を掻いた。


 一体誰がどんな風にしたらあんなところに絵を描けるのだろうか。
 だだっ広く高い天井には美しく荘厳な絵画の世界が広がっていた。
 蜻蛉とんぼを思わせる薄く透明な羽を生やした女性たちが、人々を天に向かって導いている絵だ。


 そう言えば、とシグルンは思う。


 この世界には精霊信仰というものがあった。魔法は精霊の加護によって発動するが、魔法は誰でも使えるようなものではない。極々限られた一部の人間の間でしか使えなかった。
 シグルンもそうだが、田舎へ行けば行くほど魔法使いは稀少な存在だ。火を起こすという簡単な魔法でさえ驚かれるほど。
 魔法使いは都市部や近親婚で血統を守ってきた王侯貴族に特に多かった。
 田舎者にとって教会や信仰などといったものは、結婚するときと死んだときぐらいのものだろう。


 シグルンは上体を起こすと、目を瞬いて昨夜ゆうべとは打って変わって全貌を現した部屋を見た。
 あの後ゲオルグと別れ、侍女に案内された部屋だ。


 壁や柱には花柄や蔦模様などの意匠が凝らされ、設えられた家具や調度品の多くに流麗なシルエットが施されていた。しかもよく見れば、部屋は一部屋ではなく、奥の方にも何部屋か続いている。
 シグルンの住む田舎では、薄板ベニヤの上にその辺の芝生を乗せただけの簡素な造りの家が当たり前だった。二人家族だったが部屋も一部屋だ。だが、暖を取り雨風を凌ぐには十分な代物だ。それだけにシグルンは、与えられたこの部屋を無用の長物だと感じてしまった。


「奥様」


 ふいに背後から女声した。シグルンの肩がびくりと跳ねる。


 いつの間に人が立っていたのか。
 昨夜は気にも留めなかったが、恐らくは同じ侍女だろう。シグルンは長椅子から若い侍女の顔をしげしげと見た。
 侍女は癖のあるふわふわの榛色はしばみいろの髪を一つに束ね、可愛らしい顔立ちを能面のように微動だにさせずに、まるで人形のようにシグルンを見返していた。
 それに第一なぜ奥様と呼ばれたのか、未婚のシグルンには全く見当もつかなかった。
 今更だが枕元に置いてあるヴェールは被った方が良いだろうか。シグルンはヴェールに手をかけた。


「奥様、今ヴェールは必要ありません。部屋を出る際に被っていただくように、との仰せですので、部屋にいる間はご自由にお過ごしください」


 侍女は綺麗に腰を折ると言った。
 だが、奥様と言われるのには違和感がある。


「申し遅れました。私は奥様のお世話係をしますヨハンナと申します。何なりとお申し付けください。では早速ですが、本日のお召し替えはこちらでよろしいでしょうか」


 シグルンが訝しげにしているのに気付いたのか、侍女はヨハンナと淡々と自己紹介した。
 いや、そういうことを聞きたいわけではないが。
 シグルンの困惑を知ってか知らずか、ヨハンナは挨拶もそこそこにドレスを見せてくる。


「黒……」


 シグルンは納得して小さく呟いた。
 ヨハンナの差し出したドレスが真っ黒に染められていたからだ。
 シグルンが普段身に纏う粗末なスカートより光沢がかってずっと品があったが、それは紛れもなく喪服だった。
 昨日に限らず、今後も未亡人のなりで過ごせと言うのか。
 不意に、シグルンは子どもの頃、仮面を付けて友達と遊んでいたことを思い出した。友人たちは震えて逃げ出したが、こんな醜い顔を見てさぞや怖がらせたに違いない。シグルンは未だにあのときの後悔の念が拭えなかった。
 今後も顔を隠して過ごすことに躊躇いを覚える。


「奥様、毎日黒ばかりでも飽きられましょうから、同じ黒でもこのように袖が長く口の広いドレスや、こちらの繊細な金のレースをあつらえたドレスなどはいかがでしょうか」
「いえいえ、良いです。このドレスで良いです。これを着ましょう」


 押し黙ったシグルンを察してか、ヨハンナは他の黒いドレスもどうかと聞いてきた。
 シグルンは慌てて首を振る。


「ご親切にどうもありがとう、ヨハンナさん」
「ヨハンナで結構です、奥様」


 シグルンは苦笑しながら頭を下げたが、ヨハンナはぴしゃりと返した。
 何だか取っつきにくい人だと、シグルンは感じる。


「では、お召し替えの後にお部屋まで朝餉をお持ちいたします。ですが、昨夜はそのままお休みされてしまいましたので、まずは湯浴みと、それからお召し替えのお手伝いをさせていただきます」
「お、おおっ手伝いですか!?」


 シグルンはギョッとして両手を前に突き出した。
 田舎と王都ではこんなにも暮らしぶりが違うというのか。身支度など子どもでもできるのが常識だ。
 だが、ヨハンナは事も無げに左様でございますと答えると、シグルンの腰に手を伸ばし、スルスルと服を脱がせていく。
 ヨハンナはちゃんと説明してくれる辺り親切なようだが、有無を言わさない圧力を持った感じはゾーイと同族かもしれなかった。


「じじじ、自分でできますから!」
「いいえ、これが私の仕事ですから、奥様は大人しく身を任せてください。第一、長椅子でお休みになられるところといい、奥様は少し変わったところがおありのようですが、私も仕事を奪われましたら、街に住む幼い兄弟姉妹が路頭に迷ってしまいます」


 シグルンは吃った。長椅子で寝てしまったのはこの部屋の居心地が悪かったせいだが、シグルンはバツが悪そうに目を逸らした。
 シグルンは困ったことがあるとどうしたら良いか分からず、よく吃ってしまった。長年家に引き篭もっていた所為で、    少々対人技術コミュニケーションが苦手なのだ。ある意味後遺症と言えるかもしれない。
 第一、生活がかかっていると言われたら何も言えないではないか。
 もしシグルンがゾーイなら、もっとはっきり嫌と言えたかもしれないが。
 はたから見てどちらの立場が上か分からないやり取りの末、シグルンは不承不承頷いた。




****
 シグルンはある意味修行とも言えた苦行を終え、簡素な喪服に身を包んでいた。
 朝食を終えると、給事だけでなくヨハンナも部屋を出ていく。



『部屋にいる間はご自由にお過ごしください』



 ヨハンナはそう言っていたが、シグルンは早速手持ち無沙汰になった。
 ヨハンナは眉を顰めたが、彼女の話によると、普通貴族の女性というものは、刺繍や編み物をしたり、茶会や夜会に興じて日々過ごすらしい。
 シグルンはなんてつまらない毎日だろうと思った。ここでの暮らしよりも毎日畑を耕し、花を育て、薬草を摘み、薬学の勉強をするラップラントでの暮らしの方がよっぽど充実していたではないか。


 シグルンはやれやれと首を竦め、とりあえず今後について考えてみた。時間はたっぷりあるのだ。


 『婚約の儀』と『聖なる矢』によってシグルンは今ここにいる。
 だが、今後も未亡人で過ごすよう言ってくる辺り、聖女である以上無碍にはできないが、歓迎もできない。案外王宮側もこの先の対応は考えあぐねているのかもしれない。
 シグルンの容姿さえ良ければ諸手を挙げて迎えたことだろうが。人間とはつくづく外見で物事を判断する生き物だなと、シグルンはそう思った。


 だが一方で、シグルンにとっては逆に好都合だとも思った。
 どこぞの貴族の未亡人というのは余計な肩書きだが、正体が明かされないなら、シグルンはただの老女にしか見えないだろう。
 その方が動きやすいし、何よりシグルンは、ラップラントの村人たちが目の色を変えて決起したように、いつ城や都中の人々が自分に憎悪の目を向けてくるのか恐ろしかった。だからこれで良いのだ。
 いや、これで本当に良いとするならば、ゾーイはなぜ自分を王都にやったのだろうか。


 シグルンは余計に頭を悩ませた。
感想 3

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜

丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。 与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。 専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、 失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。 そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、 セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。 「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」 彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、 彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。 嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、 広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、 独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。 栄養と愛情を取り戻したセレナは、 誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、 社交界で注目される存在となる。 一方、セレナを失った伯爵家は、 彼女の能力なしでは立ち行かず、 ゆっくりと没落していくのだった――。 虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。

「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します

スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」 眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。 隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。 エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。 しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。 彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。 「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」 裏切りへのカウントダウンが今、始まる。 スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。