蛙の王女様―醜女が本当の愛を見つけるまで―

深石千尋

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第四章 精霊と呪い

本当の愛(2)*イラストあり

 シグルンは瞼の裏に温かさを感じて目を覚ました。
 寝台ベッドの脇の机にお気に入りの題名タイトルや読みかけの本が積み上げられているのを見て、ここが自分の家だと気付いた。
 鎧戸からは温かな日差しが降り注ぎ、窓際にはゾーイが活けたのだろう、質素な花瓶に黄色の花が挿さっている。
 

「目覚めたのかい?」
「……あれ? お母さん……やだ、私……」


 まるで長い夢でも見ていたようだ。
 当たり前の日常を前に、シグルンはつい王都に行っていたことが嘘のように感じられ、自分の頰を抓ってしまった。 



 (痛い。夢じゃない……)



「お前は帰ってきてから丸五日も眠ったままだったんだよ」
「ええ!?」


 シグルンが驚いて飛び起きるのと同じくらいに、扉から人が入ってきた。
 別れたはずのゲオルグとヨハンナだった。
 ゲオルグは顔を綻ばせ、ヨハンナがやや後ろで頭を下げてくる。


「シグルン様、お目覚めになられましたか?」
「え! ゲオルグさんにヨハンナも!?」
「ええ、シグルン様が心配な余り、目が覚めるまではここに置いてくれとゾーイ様に頼んだら、炊事洗濯家事をする代わりに何とか置いてもらえましてね。……専らヨハンナが働いてくれてますが」


 ゲオルグが乾いた笑い声を上げると、ゾーイが後ろから働けと杖で小突いてきた。
 滑稽だが微笑ましい光景にシグルンはくすりと笑う。


「ご心配をおかけしてごめんなさい。私、何だか不思議な夢を延々と見ていたわ」


 シグルンは夢にしては妙に、そして鮮明に夢の内容を覚えていた。
 本当の母の美しさも、父の狂った愛も、ゾーイの優しさも、全て本物のように見えたのだ。


「夢じゃないよ」


 するとゾーイはシグルンの疑問を否定するように言った。


「夢……じゃ、ない?」
「そうさ。あれはお前の母の遺した指輪の魔法さ。いつかお前が呪いに打ち勝つ日が来たときに、あのとき何があったのか、真実を教えるために」
「呪いに打ち勝つ……?」
「さすがの私にも呪いを破る特別な魔法は知らんさね。答えはすでにお前の中にあるんだから、呪いを解くのもお前自身なんだよ」
「こ、答え……?」


 相変わらずゾーイとの会話は疑問ばかりが浮かんでしょうがない。
 シグルンは首を捻りながらゲオルグとゾーイを見れば、二人とも同様に両手を上げて降参の仕草ポーズをしている。
 ゾーイは呆れて大きく嘆息した。頭をぼりぼり掻くと、まどろっこしいねと乱暴にシグルンを手を引っ張った。
 扉の外に強引に押し出され、いつか見たときと全く同じように、ゾーイは手を振って扉と鎧戸を閉めてしまった。


「……ちょ、お、お母さん!」


 シグルンは上擦った声でゾーイを非難するが、扉は開かなかった。
 そればかりか急に肩を叩かれて、心臓が縮み上がる。


「シグルン」
「きゃ! え……っ!」


 シグルンは考えるよりも先に、声のする方向に身体を反転させられた。
 声の主を知って驚愕する。


「ア、アレク!」
「また会えたね」


 呼び声ははここにいるはずもないアレクの声だった。
 太陽のように燦然と輝く金色こんじきの髪とサファイアの瞳が、憂いを帯びて揺らめいていた。
 アレクは今にも泣き出しそうなほど悲しい顔をしているというのに、シグルンはそんな姿もまた美しいと思ってしまう。
 シグルンは一瞬夢幻かと思って目を擦った。
 しかし、何度目を擦ってもアレクの姿は消えない。
 シグルンが今最も会いたい人物が、確かに目の前にいたのだ。


「お願い! 顔を見ないで!」
「どうして?」


 シグルンはアレクが本物だと分かった途端、慌てて俯いて顔を隠した。今更遅いだろうが。目元に朱色が散る。
 だが、アレクの両手がそれを阻み、くいとシグルンの顔を持ち上げた。


「……わ、私の顔、醜いでしょう?」


 シグルンはいつの間にか涙が出ていた。
 声は震えて今にも消えそうだ。


「シグルンはちっとも醜くなんかないよ」


 決死の覚悟で言った言葉なのに、アレクはいとも簡単にそれを否定した。
 涙で視界がぼやける中、ふいにアレクの金の睫毛が眼前に迫り、シグルンは硬直する。


「アッ! アレク! 何を……?」


 アレクはシグルンの涙をキスで拭っていた。
 アレクは金魚のように口をパクパクさせているシグルンに笑みを漏らす。
 その姿はまるで天使のようだった。


「シグルン、名乗るのが遅くなったが、私の名前はソルヴィ・アレクサンデル・グヴズムンドゥルだ。アレクは愛称だから、このままアレクと呼んでくれて構わない」
「え!? ソルヴィ……グヴズムンドゥルって王太子殿下だったの!?」
「アレクだよ」
「いや、でも……」
「王太子であることを隠していたのは申し訳ない。だが、私は以前も今も、君の前ではただのアレクだ」
「……アレク……」


 アレクーーソルヴィはシグルンの瞳を覗き込むように言った。
 ソルヴィの濃い青色の瞳にシグルンが映る。
 銀色に艶めく髪。黒曜石の双眸。すらりと伸びた鼻梁に形の良い唇。尖った耳の、本当の母親であるフレイヤそっくりの美貌のシグルンがなぜかそこにいた。
 ソルヴィの瞳に映るシグルンは困惑の表情を浮かべている。


 突然どこからどもなく無数の白い蝶が二人の間を舞い上がった。
 ソルヴィは蝶に目もくれずに、ただ一点シグルンを見つめながら言う。


「シグルン、よく聞いて。君は醜くなんかない。君はとても美しいよ」
「……アレク」
「私は君を愛している。聖女としてではなく、シグルンという一人の女性として。どうか君も私と同じように、一人の男として私を見てほしいと願う」


 シグルンは形の良い唇から紡がれる愛の言葉に心震えた。
 止まっていた涙が再び零れた。


「シグルン、泣かないで」
「違うの……これは、嬉しくて」


 シグルンの手は震えていた。
 吐息すら感動で震える。
 ソルヴィは震えるシグルンの手に大きな手を重ね合わせると、もう片方の手でシグルンの腰を引き寄せた。
 優しげな仕草でソルヴィの胸に抱かれる。
 不思議なことにシグルンの震えは止まり、頰が薔薇色に染まった。


「私も嬉しいよ、シグルン。君が聖女であることはずっと後に知ったことだけど、私の放った聖なる矢は初めから君を選んでいたんだね」
「あの矢はアレクの矢だったのね」
「そうだ、精霊が私の元に君を導いたのだ思う」
「じゃあ……私は……」



(……アレクに会うために王都に行ったのね)



  シグルンはようやく全てを悟った。
 全てはアレクに会うための試練だったのだと。
 シグルンは自分の顔を何度も触って確かめる。
 パサパサの白髪は櫛通り滑らかな銀髪だし、顔の大部分を占めていた大きなかぎ鼻も今はもうなかった。
 尖った耳だけを残して。


「君はまるで精霊のようだ。本当に美しい……」


 ソルヴィは優しげにシグルンの耳朶に触れ囁いた。
 シグルンはこそばゆくなって身を捩らせるが、ソルヴィの厚い胸板からは逃れられそうにもない。
 ソルヴィの胸にこてんと額を当て、恥ずかしさに顔を隠す。


「わ、私……私も、アレクは綺麗な人だと思うわ」
「男が綺麗などと褒められてもちっとも嬉しくはないよ」
「で! でも、本当のことよ」


 ソルヴィはシグルンの頭の上でくすくす笑った。
 そして、ゆっくりシグルンのおとがいを掬うように持ち上げる。


「シグルン、私は君を愛している。君は? 君は私をどう思っている?」


 ソルヴィはとても綺麗ですね、格好良いですねなどという賛辞が聞きたいのではない。
 鈍感なシグルンでもそれは分かった。
 シグルンは顔を真っ赤に蒸気させ、恥ずかしさに悩ましげに顔を歪めた。
 こんなときでもアレクは表情一つ崩さず、余裕そうに神々しい微笑みをたたえたまま、じっとシグルンを見つめている。


「……私もアレクを愛しています」


 シグルンは絞り出すように言った。
 心臓はもう壊れんばかりに激しく鳴っている。
 こうして改めて愛を口すると、シグルンはもうソルヴィとは離れ難い気持ちになった。


「ずっとアレクと一緒にいたい」
「私もだよ、私の女神の秘密よ。もう絶対に離さない」
 

 シグルンの目にソルヴィの美しく端正な顔が近付いた。
 そっと触れるか触れないかの優しい口付けが落ちる。


 視界の隅にいた白い蝶は、相変わらず二人の間を舞っていた。


 まるで二人の愛を祝福するように。


 この日を境にシグルンの呪いは解き放たれた。




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