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第四章 精霊と呪い
恋煩い(2)
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ソルヴィはこれでも女性に人気がある自覚はあったが、自分の好いた女も同じように好いてくれているとは思っていなかった。
見てくれだけならともかく、シグルンには自分の弱さを見せてしまったのだ。こんな頼りない男など嫌いだと言われてしまったら、どうすることもできない。
むしろソルヴィには自信がなかった。
だが、同時に、生まれて初めて心動かした女性を絶対に失いたくないとも思っていた。
ソルヴィは生まれてこの方、一生恋とは無縁だと思って生きてきたが、ある日突然あっさりと落ちてしまった。
おかげでソルヴィの気持ちは、もう引き返せないところまで進んでいる。
「こんばんは、アレク。待たせてないかしら?」
ふいに、ソルヴィは声をかけられた。
ソルヴィはすぐに、それが自分が待ち侘びていた人物だと知る。
「やぁ……! こんばんは、シグルン。そんなことは気にしなくて良いんだよ。私は夜いつもここにいるから。それより今日は姿を見せてくれるんだね」
ソルヴィはシグルンが会いに来てくれて、ひどく安心した。顔を綻ばせ心底嬉しい気持ちを表しながら、歩を進めてシグルンと距離を詰める。
今日のシグルンは声だけではない、姿を見せてくれるようだった。
だが、意地悪なことに、帽子とヴェールで顔を隠している。
そして、ソルヴィは一瞬暗いせいだと思ったが、シグルンが夜に紛れてしまいそうなほど真っ黒なドレスに身を包んでいるのを認めた。
「顔は見せてくれないの?」
「ダメ」
「ふーん、まぁ良いけど、ところで君は結婚してたの? 喪服に見えるけど」
ソルヴィは不満気に首を傾げた。
黒装束と言えば、普通は未亡人が着るものだろう。
まぁ、再婚できると考えればそう悩む必要もないだろうが、ソルヴィはムッとした気持ちになった。
シグルンの喪服姿は、すでに他の男のものだったという事実を見せ付けているようだ。
静かにヤキモキしているソルヴィを知ってか知らずか、シグルンは慌てて否定した。
「ち、違うわ。訳あってこの姿で過ごしてるだけなの。別に誰かと結婚してたとか、未亡人だとかじゃないわ」
「ふーん……」
シグルンはなぜ王宮で未亡人の姿で過ごしているのだろうか。
ソルヴィにはすぐ理解できそうになかった。
しかし、本人が違うというのだからそうなのだろう。
いや、多分そう信じたいからだろうが。
ソルヴィは思っていたより嫉妬深い自分に驚きつつ、安堵の笑みを浮かべた。
「あの……アレク、私、」
ソルヴィがまだ思案の中にいると、シグルンはおずおずと話しかけてきた。
ヴェールの向こうは何も見えないが、聞き入るように見つめる。
「王宮を出ていかなきゃならないみたいなの」
突然シグルンの口から出たのは、別れの言葉だった。
ソルヴィは頭を殴られたような衝撃を食らい、思わずふらつきそうになった足を堪える。
「どうして? 少し前に来たばかりだろう?」
「…………詳しいことは何も話せないの。だから残念だけど、夜のおしゃべりは今日でおしまい」
「私は君ともっと話がしたい」
「私もせっかくアレクに会えたもの。もっとお話したいわ」
「なら、事情を教えてくれないか? 私なら何とかできるかもしれない」
何かを隠していると感じ取ったソルヴィは、シグルンに城に留まるよう言い募った。
せっかく会ったばかりだというのに、なぜ何も始まらない前から終わらせなければならないのか。
ソルヴィは納得できなかった。
ソルヴィの胸がつきつきと痛み始め、頭の中も動揺と焦りでぐるぐると回っている。
「困ったことがあるなら、私が力になろう。私を信じてくれ、シグルン」
「……アレクッ!」
ソルヴィは努めて冷静に話したつもりだが、シグルンはその場から逃げようとした。
慌てたのか、ドレスの裾を踏んでよろめいてしまったシグルンを、ソルヴィはすかさず抱き留める。
ソルヴィの掌にシグルンの温もりが伝わってきた。
少し力を入れれば折れてしまいそうな細腕。ちょうど良く柔らかく引き締まった腰。
どんな令嬢と手を合わせても何も感じなかったソルヴィだったが、シグルンと身体を触れ合わせて初めて感動に心が震えた。
お互い吐息が打つかりそうな距離に、ソルヴィは興奮し、逃れようとするシグルンを捕らえたまま唾を飲み込む。
このまま顔を見て、口付けしてしまいたくなる衝動に駆られる。
「アレク……離してっ! お願いだから!」
「離したら君は逃げるだろう? そうしたらもう二度と会えない気がする……」
ソルヴィはシグルンを抱き締める腕に力を込めたまま、頭を振った。
シグルンは未だに逃げようとするが、胸に抱き寄せ強引にシグルンの帽子を取り払った。
そして、いよいよヴェールに手をかけたとき————
無数の白い蝶がどこからともなく暗闇から現れた。
きらきらと魔法の残滓を撒きながら、ソルヴィとシグルンを包み込む。
「これは、昨日の蝶か?」
ソルヴィは蝶の出現に驚いて、一瞬だが気を取られてしまった。
だがシグルンはソルヴィの力が緩んだ一瞬の隙を逃さずに、ソルヴィの胸を押し返す。
「行くな、シグルン!」
ソルヴィはするりと抜けたシグルンに手を慌てて伸ばした。
よろよろと駆け出したシグルンを捕まえるのは、思いの外簡単だ。
再び抱き締めると、ソルヴィはシグルンのヴェールを取り払った。
(——こ、これは……!!!!)
ソルヴィは瞬きを忘れて、息を呑んだ。
シグルンの姿は月光に晒されて、遂にソルヴィの目に飛び込んできた。
月明かりに照らされ銀色に輝く艶々とした長い髪。闇色だが静かに美しく佇む黒曜石の双眸。すっと通った鼻梁。果実のように瑞々しく膨らんだ赤い唇。さらにシグルンは透き通るような白い肌をしており、儚い美しさを纏っていた。
しかし、何より特徴的なのは尖った耳で、まるでこの世のものとは思えない美しさを物語っているかのようだった。
ソルヴィは王宮や教会の絵画に描かれた精霊を思い浮かべた。
精霊とシグルンの姿を重ね合わせて見ているような錯覚に陥る。
(何て美しいんだ!!!!)
「……シグルン……」
ソルヴィは喜びに絶叫しそうになったのを抑えて、シグルンに優しく話しかけた。
だが、シグルンは目を閉じて震えてしまった。
自分でさえ正体を明かしていないというのに、ソルヴィは卑怯にも無理矢理シグルンの顔を暴いてしまったのだ。
気持ちを抑えられなかったと言えば言い訳だが、シグルンを泣かせて良い理由にはならなかった。
ソルヴィは罪悪感に駆られつつ、優しく手を伸ばしたが、シグルンに振り払われてしまう。
怒って当然だ。
ソルヴィは大切な人を傷付けてしまったことに後悔し、愚かにも拒絶されたことに自分まで傷付いてしまった。
そして、シグルンはほろほろと泣き始めた。
————同時に、白い蝶は消えていき、まるで幻であったかのようにシグルンの姿が変わっていった。
銀色の髪は艶を失った白髪に変わり、目や口元には深い皺が刻み込まれる。小さく細長い鼻も大きなかぎ鼻に変わり、まるで魔女ような、老女のような姿に変わったのだ。シグルンの尖った耳だけを残して跡形もなく。
ソルヴィは状況が飲み込めずに困惑した。
あの美しいシグルンは一体どこへ消えてしまったのか。なぜ老婆のような姿に?
ソルヴィは戸惑い、シグルンに上手い言葉が見つけられないでいた。
謝るべきか? 励ますべきか? それとも疑問を口にすべきか?
そして、ソルヴィは今度こそ逃げ出したシグルンを止めることができなかった。
これ以上シグルンを傷付けることはできない。
どんな言葉をかけたとしても、きっとシグルンの涙は止まらないだろう。
ソルヴィはシグルンが小庭の入り口に立った男に駆け寄っていくのを見た。
ソルヴィは見知った人影に驚きで目を見開く。
シグルンが肩を預けていたのは王宮魔法使いで近衛騎士団長でもあるゲオルグ・ヤンセンだったのだから。
ソルヴィが驚きや疑問の目をゲオルグに向ければ、ゲオルグもそれに気付く。
ゲオルグはソルヴィを拒むように首を振った。
突如、ソルヴィは全てを悟り、はっとした。
見てくれだけならともかく、シグルンには自分の弱さを見せてしまったのだ。こんな頼りない男など嫌いだと言われてしまったら、どうすることもできない。
むしろソルヴィには自信がなかった。
だが、同時に、生まれて初めて心動かした女性を絶対に失いたくないとも思っていた。
ソルヴィは生まれてこの方、一生恋とは無縁だと思って生きてきたが、ある日突然あっさりと落ちてしまった。
おかげでソルヴィの気持ちは、もう引き返せないところまで進んでいる。
「こんばんは、アレク。待たせてないかしら?」
ふいに、ソルヴィは声をかけられた。
ソルヴィはすぐに、それが自分が待ち侘びていた人物だと知る。
「やぁ……! こんばんは、シグルン。そんなことは気にしなくて良いんだよ。私は夜いつもここにいるから。それより今日は姿を見せてくれるんだね」
ソルヴィはシグルンが会いに来てくれて、ひどく安心した。顔を綻ばせ心底嬉しい気持ちを表しながら、歩を進めてシグルンと距離を詰める。
今日のシグルンは声だけではない、姿を見せてくれるようだった。
だが、意地悪なことに、帽子とヴェールで顔を隠している。
そして、ソルヴィは一瞬暗いせいだと思ったが、シグルンが夜に紛れてしまいそうなほど真っ黒なドレスに身を包んでいるのを認めた。
「顔は見せてくれないの?」
「ダメ」
「ふーん、まぁ良いけど、ところで君は結婚してたの? 喪服に見えるけど」
ソルヴィは不満気に首を傾げた。
黒装束と言えば、普通は未亡人が着るものだろう。
まぁ、再婚できると考えればそう悩む必要もないだろうが、ソルヴィはムッとした気持ちになった。
シグルンの喪服姿は、すでに他の男のものだったという事実を見せ付けているようだ。
静かにヤキモキしているソルヴィを知ってか知らずか、シグルンは慌てて否定した。
「ち、違うわ。訳あってこの姿で過ごしてるだけなの。別に誰かと結婚してたとか、未亡人だとかじゃないわ」
「ふーん……」
シグルンはなぜ王宮で未亡人の姿で過ごしているのだろうか。
ソルヴィにはすぐ理解できそうになかった。
しかし、本人が違うというのだからそうなのだろう。
いや、多分そう信じたいからだろうが。
ソルヴィは思っていたより嫉妬深い自分に驚きつつ、安堵の笑みを浮かべた。
「あの……アレク、私、」
ソルヴィがまだ思案の中にいると、シグルンはおずおずと話しかけてきた。
ヴェールの向こうは何も見えないが、聞き入るように見つめる。
「王宮を出ていかなきゃならないみたいなの」
突然シグルンの口から出たのは、別れの言葉だった。
ソルヴィは頭を殴られたような衝撃を食らい、思わずふらつきそうになった足を堪える。
「どうして? 少し前に来たばかりだろう?」
「…………詳しいことは何も話せないの。だから残念だけど、夜のおしゃべりは今日でおしまい」
「私は君ともっと話がしたい」
「私もせっかくアレクに会えたもの。もっとお話したいわ」
「なら、事情を教えてくれないか? 私なら何とかできるかもしれない」
何かを隠していると感じ取ったソルヴィは、シグルンに城に留まるよう言い募った。
せっかく会ったばかりだというのに、なぜ何も始まらない前から終わらせなければならないのか。
ソルヴィは納得できなかった。
ソルヴィの胸がつきつきと痛み始め、頭の中も動揺と焦りでぐるぐると回っている。
「困ったことがあるなら、私が力になろう。私を信じてくれ、シグルン」
「……アレクッ!」
ソルヴィは努めて冷静に話したつもりだが、シグルンはその場から逃げようとした。
慌てたのか、ドレスの裾を踏んでよろめいてしまったシグルンを、ソルヴィはすかさず抱き留める。
ソルヴィの掌にシグルンの温もりが伝わってきた。
少し力を入れれば折れてしまいそうな細腕。ちょうど良く柔らかく引き締まった腰。
どんな令嬢と手を合わせても何も感じなかったソルヴィだったが、シグルンと身体を触れ合わせて初めて感動に心が震えた。
お互い吐息が打つかりそうな距離に、ソルヴィは興奮し、逃れようとするシグルンを捕らえたまま唾を飲み込む。
このまま顔を見て、口付けしてしまいたくなる衝動に駆られる。
「アレク……離してっ! お願いだから!」
「離したら君は逃げるだろう? そうしたらもう二度と会えない気がする……」
ソルヴィはシグルンを抱き締める腕に力を込めたまま、頭を振った。
シグルンは未だに逃げようとするが、胸に抱き寄せ強引にシグルンの帽子を取り払った。
そして、いよいよヴェールに手をかけたとき————
無数の白い蝶がどこからともなく暗闇から現れた。
きらきらと魔法の残滓を撒きながら、ソルヴィとシグルンを包み込む。
「これは、昨日の蝶か?」
ソルヴィは蝶の出現に驚いて、一瞬だが気を取られてしまった。
だがシグルンはソルヴィの力が緩んだ一瞬の隙を逃さずに、ソルヴィの胸を押し返す。
「行くな、シグルン!」
ソルヴィはするりと抜けたシグルンに手を慌てて伸ばした。
よろよろと駆け出したシグルンを捕まえるのは、思いの外簡単だ。
再び抱き締めると、ソルヴィはシグルンのヴェールを取り払った。
(——こ、これは……!!!!)
ソルヴィは瞬きを忘れて、息を呑んだ。
シグルンの姿は月光に晒されて、遂にソルヴィの目に飛び込んできた。
月明かりに照らされ銀色に輝く艶々とした長い髪。闇色だが静かに美しく佇む黒曜石の双眸。すっと通った鼻梁。果実のように瑞々しく膨らんだ赤い唇。さらにシグルンは透き通るような白い肌をしており、儚い美しさを纏っていた。
しかし、何より特徴的なのは尖った耳で、まるでこの世のものとは思えない美しさを物語っているかのようだった。
ソルヴィは王宮や教会の絵画に描かれた精霊を思い浮かべた。
精霊とシグルンの姿を重ね合わせて見ているような錯覚に陥る。
(何て美しいんだ!!!!)
「……シグルン……」
ソルヴィは喜びに絶叫しそうになったのを抑えて、シグルンに優しく話しかけた。
だが、シグルンは目を閉じて震えてしまった。
自分でさえ正体を明かしていないというのに、ソルヴィは卑怯にも無理矢理シグルンの顔を暴いてしまったのだ。
気持ちを抑えられなかったと言えば言い訳だが、シグルンを泣かせて良い理由にはならなかった。
ソルヴィは罪悪感に駆られつつ、優しく手を伸ばしたが、シグルンに振り払われてしまう。
怒って当然だ。
ソルヴィは大切な人を傷付けてしまったことに後悔し、愚かにも拒絶されたことに自分まで傷付いてしまった。
そして、シグルンはほろほろと泣き始めた。
————同時に、白い蝶は消えていき、まるで幻であったかのようにシグルンの姿が変わっていった。
銀色の髪は艶を失った白髪に変わり、目や口元には深い皺が刻み込まれる。小さく細長い鼻も大きなかぎ鼻に変わり、まるで魔女ような、老女のような姿に変わったのだ。シグルンの尖った耳だけを残して跡形もなく。
ソルヴィは状況が飲み込めずに困惑した。
あの美しいシグルンは一体どこへ消えてしまったのか。なぜ老婆のような姿に?
ソルヴィは戸惑い、シグルンに上手い言葉が見つけられないでいた。
謝るべきか? 励ますべきか? それとも疑問を口にすべきか?
そして、ソルヴィは今度こそ逃げ出したシグルンを止めることができなかった。
これ以上シグルンを傷付けることはできない。
どんな言葉をかけたとしても、きっとシグルンの涙は止まらないだろう。
ソルヴィはシグルンが小庭の入り口に立った男に駆け寄っていくのを見た。
ソルヴィは見知った人影に驚きで目を見開く。
シグルンが肩を預けていたのは王宮魔法使いで近衛騎士団長でもあるゲオルグ・ヤンセンだったのだから。
ソルヴィが驚きや疑問の目をゲオルグに向ければ、ゲオルグもそれに気付く。
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