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第三章:夕日が沈む

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「僕はあの時からずっとあなたに恋してました。それは今も変わりません。むしろあの時よりずっと好きです。あなたが吉原屋の最高位花魁なんて関係なしに、その笑顔もその声もこの手の温もりも。もちろんいけずなところも」

 そう言うと八助さんは片手を私の頬へ伸ばした。言葉は無く見つめ合い繋がる二人の双眸。そしてそれに引き寄せられるように彼の顔が私の方へ近づき始めた。この後、何が起こるのかは分かる。鼻先が触れそうな程に近づく私と八助さん。
 だが私はそれが触れ合う前に彼の首に腕を回し抱き付いた。

「そないな事言うてもらえるなんて嬉しいなぁ。わっちも――やで」

 明確な言葉は口に出来なかった。それに加え私は避けた。お客の男にはなんの躊躇いもなく自らするのに、私は避けた。その真実に彼の顔の横で私は秘かに眉を顰める。
 そして私は少しでも早くこんな自分から彼を遠ざけようと言葉の後、すぐに離れた。

「ありがとうございます」

 彼の言葉の余韻を残すようにゆっくりと離れた私たちは互いの目を見つめると同時に気恥ずかしさから笑いを零した。そして一緒に前を向くと先にそうしようと思ったが動かなかった私の手を八助さんは握ってくれた。私はそんな彼に答えるように肩に寄り掛かる。でも握り合ったその手を見る事は出来なかった。
 それからは残りの時間をその状態のままゆったりと過ごした。

「それじゃあまた」
「ほなな」

 そして八助さんとその日の別れを交わした私は鍵を閉めるといつも通り部屋へと戻ろうとした。
 だが戸を開けたそこには人が一人立っていた。私を待っていたんだろう動じる事のない視線が私を貫く。
 そこに立っていたのは、吉川秋生だった。

「話はお前の部屋で聞く。それまで待ってろ」

 秋生はそれだけを言い残すと踵を返し吉原屋へ。私は少し間その場で立ち尽くしてしまい秋生の姿が消えてから我に返ると足を動かし始めた。
 そして部屋に戻り着付けを終えた後に化粧をしていると襖の磨れる音が聞こえ言葉通り秋生が部屋の中へ。
 私はそんな彼を一瞥すると鏡に顔を戻した。

「いつからだ?」
「知らへん。忘れてもうた」
「あの場所以外でも会ってるのか?」
「いや、あの場所だけやで」

 私は怒っている訳ではないが自分は悪くないと主張するように淡々と答えた。

「他に知ってる奴は?」
「いーひん。今はもうな」

 その言葉に何かを感じた訳じゃないと思うが秋生は沈黙を挟んだ。

「もう奴に会うな」

 微かな沈黙の後に聞こえたその言葉に私は化粧の手を止め彼の方へ顔を向けた。

「別に仕事もちゃんとしてるさかいええやろう」
「駄目だ」
「他の子たちはええのに?」
「行燈部屋のことか。――第一にあいつらの相手は客だ。だがお前のは違う。第二にお前とあいつらは違う。もしがあればお前の場合はこの妓楼の大損失になる。故に許されん」
「そないな事――」
「お前の意見は聞いてない。話は終わりだ」

 そう言うと秋生は踵を返したが襖の前で立ち止まると少し顔を振り向かせた。

「しばらく仕事以外でこの部屋から出るな。あの場所も封鎖する。それと馬鹿な事は考えるな。どの道ここからは逃げられん」

 私の声など聞く気もなく言うだけ言うと秋生は部屋を出て行った。強めに閉められた襖の音が部屋に響くとその後を続き私の嘆息が追う。夕顔として最高級花魁となり得た物は確かにある。でもそれにより失ったものも確かにあった。心を寄せる人に触れる事も口付けを交わす事も出来ず、そして今度は会うことすら取り上げられた。もし私がただの遊女なら変わってたんだろうか。そんな事を考えながらも私は残りの化粧を仕上げた。
 こうなってしまってはもう私に残された彼との繋がりは手紙だけ。私はこの事をどう伝えようかと考えつつも、次の日に届くはずだった彼からの手紙を楽しみにしていた。
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