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第五章:遊女と私

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「大井勝蔵。お前の客から身請けの話が来た。まだ正式には返事をしないが断る理由はない。準備しておけ」

 それは八助さんとの関係が終わってから突然の事だった。秋生に呼び出されたかと思うと彼は淡々とそう告げた。

「そないな! わっちの意見は?」
「ない。あっちがそれ相応の金を出せばお前を渡す。それだけだ。もう戻っていいぞ」

 そんなの納得できるはずはなかったが彼にとって私の納得など眼中にすらないのだろう。そう言うとすぐに手元の仕事に顔を落とした。
 結局、私は何かを言い返すことも無く(というかどうせ無駄に終わるだけ)部屋へと戻った。

         * * * * *

 お客のいない部屋で窓際に腰掛けた私は煙管を片手に秋生から身請けの話を言い渡された時の事を思い出しながら月夜の吉原遊郭を眺めていた。
 八助さんとの別れに泪を枯らしても泣き続けたあの日から三日。もう私の中に流せる泪は一滴も残っておらず、悲しみの暴虐によって傷だらけだった。立ち直れたというにはまだほど遠いが今の私は悲嘆にくれている場合じゃない。
 私は明日、身請けされるのだから。
 そして今夜は私にとってこの吉原遊郭で過ごす最後の日。私は遊郭の夜景色《よげしき》を眺めながらいつの間にか想い出に耽っていた。あまり思い出したいものは無いが朝顔姐さんやひさ、妹分たちを。そしてもちろん八助さんの事も。数少ない想い出越しに夜景色をただ無心で眺めていた。
 すると突然、下の方から飛んできた何かが部屋の中へと投げ込まれた。私の脚の上を飛び越えたそれは部屋の中腹へ。まるで本能がそうさせたように私は最初、その何かに視線を吸い込まれたがすぐにその何かが飛んできた方――下を見下ろした。
 満月の月明りを浴びそこには人影がひとつ。その姿に私は目を瞠った。

「八助はん?」

 彼は何も言わず少しの間じっと私を見上げると視線を外しどこかへ歩いて行ってしまった。その姿と行動に戸惑いながらも私は部屋に投げ込まれた何かへ顔を戻しそれを手に取ろうと近づいた。小さく丸いそれは紙だった。だが一体何だろうと未だ頭上には疑問符が浮かぶ。そんな疑問を頭に乗せながらも私はそれを拾い上げてみた。
 見た目よりは少し重く硬いそれを解いてみると中には石。それだけじゃ何も分からなかったけどその紙の方を広げてみると頭の疑問はすっかり消え去った。

『あの場所に来てください』

 一言それだけが書かれた紙。
 正直、私は迷った。今更会っても何も変わらない。むしろ更に辛さが増すだけかもしれない。もし口頭で言われてたら断っていたかもしれない。
 でも紙越しに伝えられたそれを断るという事は無視してしまうという事。それでもいいのかも、なんて事も頭を過ったがそれを行動に移すにはまだ私も彼に会いたいと切望していた。空腹の人が目の前の食べ物を我慢できないように私も意思よりも先に足が動き始める。
 そしてこっそりと部屋を出て下へと下りあの場所へ。
 そこには(また木塀を乗り越えたんだろう)八助さんの姿があった。

「夕顔さん。急にすみません」

 私の姿を見ると彼はそう言いながらこちらへ歩み寄った。

「でも僕やっぱり忘れられなくて。もし夕顔さんが僕に気持ちが無かったら何も出来なかったかもしれないけど、あなたの想いを知ってしまったから無理でした。片想いも辛いけどそれよりも互いに想い合ってるのに一緒に居られない方が僕には辛くて……」

 その気持ちは痛い程に分かる。でも同時に私はやっぱり想いを伝えてしまったのは間違いだったんじゃないかと頭の隅で思ってしまった。

「そらわっちもおなじ。そやけどどうにもできひん。――わっちは明日ここを出るさかい吉原屋から大門までの最後の晴れ姿、ちゃんと見てな」
「えっ? 明日?」
「そや。明日」

 顔を逸らし動揺した様子の八助さん。もうそろそろ別れよう。その姿を見つめながら私はそう思った。これ以上一緒にいたらより一層離れるのが辛くなる。もし触れられでもしたら余計――。
 すると八助さんは顔をこちらに向け目と目を合わせると一気に近づき、私の手を取り両手で包み込んだ。その感覚に心の中で溜息を零した私。

「愛してます」

 追い討ちを掛けるように言われた言葉。

「八助はん――」
「逃げましょう」

 私はその言葉がすぐには理解できなかった。彼が何を言ってるのか全く分からなかった。
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