貢がせて、ハニー!

わこ

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79.前半戦!

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「ダメだ。シングルにしろ」
「一人部屋だと二万くらい料金高くなるんですよ」
「差額くらい俺が出してやる。なんなら全額振り込んでやる」
「なんのために俺バイトしてたんだか分らなくなるじゃないですか。とにかく相部屋で申し込むんで。最初から部屋のタイプは決めてたし」
「ダメだ」
「なにが」
「不純だ」
「どこが。宿舎は男女別ですよ」
「知ってる。だが相部屋は六人まで入れる」
「ええ」
「風呂トイレは共同だ」
「そうです。いかにも合宿って感じで楽しそうでしょ?」
「何が楽しそうだよ、ふざけんじゃねえ。同室のケダモノどもは寄ってたかってお前のカラダをいいように扱うに決まってる」
「どんな妄想してんですか」
「なんて淫らな……」
「あんただよそれ」

 などとモメたのは五月に教習所の申し込みをした直前。そういう訳で俺の合宿生活は寂しい個室利用になった。
 大人数の相部屋だと同室の子と仲良くなれて友達もたくさんできやすいって色んな情報に載っていたのに。なんとも淫らなおじさんのせいでこの一週間ちょっと孤独だ。個室用の宿泊施設は教習所の敷地内からやや離れているから不便だし。


「赤川くーん。バス来るよー」
「あ、うん。行く行く」

 学科の教本から顔を上げ、ベンチから荷物を持ちながら立った。個室用の宿舎へ一緒に戻るのは隣の部屋の子。黒崎くん。
 たまたま同じ入校日でたまたま同じ大学二年生でたまたま部屋も隣同士で、なんと地元まで隣県同士。相部屋の連中が賑やかで楽しそうなのに紛れてどことなく肩身の狭い者同士でもあるから、行きと帰りとあとはご飯とかで一緒に行動するようになるのもごくごく自然な流れだった。
 男子寮までは車で十分くらい。一時間に一本、教習所と宿泊所とを往復する送迎バスが出ている。それに二人で乗り込んだ。ご飯は教習所の食堂で食ってきた。
 ここの合宿所の最大メリットはご飯がめちゃくちゃウマいことだと思う。満腹状態の教習生たちがわらわら乗り込んできた大型のバスはブオンッと低い音を立てて発車した。

 本格的なド田舎なのかと思っていたがそこまででもなかった。教習所は国道沿いで、近辺には買い物のできる場所もチラホラ。便利な立地とは言えないだろうが生活に困るほどでもない。瀬名さんにそそのかされてここを決めたけど結果的には正解だったと思う。癪だが。

「黒崎くんも明日修検?」
「うん、そう。めっちゃ緊張する。赤川くんはすごい気合入ってるよね」

 晩飯の最中も含めて俺がずっと手放さずにいる学科教本を見ながら黒崎くんはそう言った。

「……何がなんでも延長できなくて」
「後ろの予定ギッシリ?」
「いや、暇っちゃ暇なんだけど……」

 卒業予定日に迎えに来ようとしているサラリーマンの彼氏がいるもので。
 なんて言えるはずもない。大学の後期日程開始日にかなりの余裕を持たせて申し込んだのにはなんの意味があったのだか。あの男のおかげで切羽詰まってる。

 無料貸し出しの教習所のチャリとか自分の足を使うとなると地味に長く感じる道のりも車だとあっという間。宿泊所に到着すると教習生がまたわらわらと降りていく。その列に俺達も交じった。
 宿泊施設、とは言っても至って普通の居住棟だ。家具付きのウィークリーマンションみたいな感じで住み心地は快適の一言。
 さっきの空き時間中に相部屋利用の学生の人と話していた時、人数が多いせいで朝のトイレ渋滞と洗面所渋滞は避けられないというのを聞いた。相部屋は相部屋で楽しいそうではあるものの個室にして結果的に正解だったと思う。癪だが。

 男子寮一階のロビーは共同スペースにもなっていて、漫画とか雑誌とか色々置いてあってフリーWi-Fiスポットもあって誰が喜ぶんだか分からないような謎のデカい絵画も飾ってあるが無料でお茶とコーヒーが飲める。その横には自動販売機もある。夜中にうっかりお腹が減ってきてもカップ麺の自販機まで完備されているからなんの心配もない。心強い。全部で八種類。バター醤油が人気。
 改めて考えてみても快適としか言いようがない。ハメられて申し込んだここはほぼ百パー正解だった。そもそもあの大人のことだからなんの下調べもせずに実家からの距離が近いというだけで教習所のゴリ押しはしないだろう。さらに言うなら素晴らしいのは宿泊施設のみならず、指導教官も受付対応のお姉さんも親切な人たちばっかりだ。

「はいオッケー、正解。次ね。緊急自動車が近づいてきたときは……どした赤川くん?」
「え?」
「ほーっとしちゃって。電池切れた?」
「あ、いや……はは。ちょっと疲れたかも」
「んーじゃあ今日はもう部屋戻ろっか。検定日に寝坊とか笑えないし」
「うん。ごめん」
「いいよ、俺も実はちょっと眠いし」

 黒崎くんもスゲエいい人。学科の問題を五問ずつ順番に出し合って明日に備えていたが、俺の集中が切れてきたことにより二人でロビーを後にした。
 俺たちの部屋は二階。個室利用者はおとなしい人が多いのか騒音トラブルの類も今のところ皆無。朝までぐっすり安眠できる。
 部屋の前でお休みと手を振ってそこで黒崎くんと別れた。ひとまずはシャワーを浴びていつでも寝られる状態に。ベッドに腰掛けてしまえばついつい寝そべりたくなってきて、寝そべってしまえば今度はウトウトと。ちゃんと布団にもぐって寝ようと頭では思うがめんどくさい。ダラっとして、しかしその時、ブーッブーッと低い音。
 顔を上げた。サイドテーブルのスマホだ。手を伸ばして表示を見れば瀬名さん。ベッドでゴロッとしたまま応じた。

「はい」
『ずっと声が聞きたかったハニー』
「昨日も喋ったでしょダーリン」

 開口一番頭がおかしい。ふっと向こうで笑ったのが聞こえた。
 毎晩飽きずにかけてくる。出発前には瀬名さんが死ぬ妄想ばかり頭の中を駆け巡っていたがこの人は毎日元気そうだ。

「ごはん食べた?」
『鮭焼いた』
「焦げた?」
『おいおい馬鹿にすんなよ。端っこがちょっと真っ黒になっただけだ』
「焦げてんじゃん」

 相変らず台所では不器用。

『お前はどうだ』
「順調です。脅迫もされてますからね」
『だから言っただろ、そのくらいの方が身が入るもんなんだよ。明日は修検だよな?』
「なんでそこまで俺の日程把握してんの」
『頑張ってる恋人を応援するからには日程を把握しておく義務がある』
「ないよ」

 脅迫感に拍車がかかっている。ストーカーなのかこの男は。
 明日の修了検定をパスして仮免をもらえればいよいよ後半戦だ。瀬名さんによるいかがわしい第二段階ではなくちゃんとした路上教習を受けられる。

『いま部屋か?』
「ええ」
『そうか。じゃあ愛してるって言え』
「なんで」
『愛してる』
「ああ……うん。はい」
『お前も言え』
「なんで」

 いかがわしい路上教習の教官役を勝手に買って出たこの男は俺を卒業させる気がない。日々何がしかのミッションを課してくる。今もまた微妙な要求をされて、ゴロンと体を天井に向けながらダラッとしたままその声を聞いた。

『こっちは寂しくて死にそうだ』
「俺も思ったより友達できなくて寂しいです」
『そういうときはな、大好きな恋人を心から想って愛してるって言うといい』
「なんで」
『さん、はい』
「掛け声みたいにしても言いませんよ」

 腹立つな。

『愛してるくらい別にいいだろ。聞かせろよ』
「そんなもん聞かなくたって死にやしませんよ」
『いや、死ぬ』
「死にません」
『うっ……』
「この大根役者」

 うちの大学の演劇サークルの魂アツめな団員達が見たら袋叩きにすると思う。ダチの中の一人がそこのメンバーでその役割は主に大道具だが裏方まで全員そろってアツい。

「もう切りますよ。あなたのせいで検定落とせないのでさっさと寝て明日に備えないと」
『愛してる』
「はいはい」
『さん、はい』
「言わねえよ」

 この人に付き合っていたら朝になりそう。瀬名さんは社畜戦隊の人だけど俺は寝ないとダメなタイプだ。明日の仮免に万全の態勢で臨むためには一分一秒でも長く寝てコンディションを整えなければ。

「ほんとに切りますからね。サバ焼く時は焦がさないように気を付けてください」
『分かった。愛してる。さん、はい』
「おやすみ」

 切った。ちなみにホッケの開きは一昨日すでに焦がし済みだ。鮭の切り身も端っこが丸焦げになったようだし、調理限定で不器用な男の手にかかればサバの文化干しも焦がされる運命にあるだろう。
 変なところでしょうもない人との通話を終えたスマホをベッドに放った。しかしそこでまたしても、ブーッブーッと低い音。
 チラリとスマホに目を向ける。瀬名さん。暇なのかこのサラリーマンは。

「……なに」
『寂しくて心臓が痛い。死ぬかもしれない』
「バカなの?」
『うぅッ……』
「もういいよ大根は引っ込んでろよ」

 下手な芝居を聞かせるためにわざわざまたかけてきたのか。

「心臓痛い人はさっさと寝た方がいいですよ。おやすみなさい」
『たった一秒で言える言葉すらお前は俺に寄越さねえってのか』
「なんすかそのねちっこい言い方」
『さん、はい』
「今サンハイのタイミングだった?」

 かなり強引な手法で来た。瀬名さんはまたおかしそうに笑った。
 非常に暇そうな大人に思えるが実際のこの人は暇なことの方が稀だ。そういうふうには見せないけれど仕事はいつも山積みっぽいし、時間の配分が器用なだけであって決して暇を持て余している訳じゃない。
 俺を構う時間をこの人は作る。今は続けて二度もかけてきた。その一言を言わせたいがために。

「なに。どうしたの急に」
『クマ雄とウソ子がイチャついてるのがなんとなく目に入ってな』
「あぁ、それは分かる。そいつらのイチャつきっぷりたまにイラッと来るんですよね。引き離してみたら?」
『可哀想だろ』

 あの二匹は基本的に毎晩隣同士に並んでいるのだが、時々瀬名さんがクマ雄の膝にウソ子を寝そべらせて遊んでいる。ウソ子にギューッとクマ雄を抱きつかせるバージョンなど遊び方は様々。膝枕やらハグやらぬいぐるみで遊ぶ三十代社会人男性を直視していいのかは未だに分からない。
 今現在のあの二匹がどんな状態かは知らないが、ピッタリくっついているのは確か。イラッとくるけど引き離すのはちょっと。それも分かる。なんかジットリ恨まれそうだ。

『お前がひと言愛してると言えば済む』
「クマ雄とウソ子見なきゃいいのでは」
『遥希だと思って抱いて寝てるから無理だ』
「何やってんだよ三十三歳」

 とうとうぬいぐるみを抱き始めたか。

 末期の男を放っておくのもあれだから女子みたいにタラタラ話す。鮭の切り身は全部で三枚用意してあるからあと二回チャレンジできるとか、オムレツ作りの腕がこの前の初成功時点より七ポイントくらい向上したとか。教習生には思った以上にヤンキーが多かったものの、話してみると案外みんな気さくで昨日はチョコとクッキーのお裾分けをしてくれたのがいたとか。おいしかったとか。
 俺の教習は順調で、瀬名さんの食生活も無事のようだが、何日も顔を見ていない。
 この人は声だけを毎晩聞かせに来る。ベランダの間仕切り越しに、話していたあの頃みたいだ。

『思ったより長ぇな二週間』
「……そうですね」
『会いたい』
「うん……俺も」

 本当に毎日一緒にいるからちょっとでも離れると違和感がある。あともう少し。半分くらい。明日は絶対に合格しないと。

『遥希』
「はい?」
『愛してる』
「……うん」
『ん?』
「……俺も」
『ああ。つまり?』
「…………」

 どうせ向こうで笑ってるんだろうな。人の悪い笑みなのに、なぜか優しくて、やわらかいようにも見える。そのせいで全部この人の、望むまま、思い通りに。

「……愛してます」

 こんなことを、電話なんかで。電話でも、あるだけよかった。声だけでもちゃんと伝わる。
 しかし、みるみる込み上げてくる。言ってみてから若干後悔。周りに誰がいる訳でもないのに、どうにも耐え切れず片腕で顔面を覆った。

「……ねえ、やめてよ。なんでこんなとこでこんな恥ずかしくなんなきゃなんないのしかも一人で」
『可愛いなお前は』
「最低だよアンタ」

 笑っているのが今度こそはっきり分かって恥ずかしさは倍増した。なんやかんや喚き、羞恥心をごまかし、しばらくしてようやく電話を切った。
 また明日かける。そう言ったのは瀬名さんだった。そのはずなのだが、そこから数分でまたしても鳴りやがったスマホ。

「何もうしつこい」
『電話切ったらまた聞きたくなった』
「エンドレスじゃん」
『今度は録音する。さん、はい』
「言わねえよ」

 そんなもん録音させてたまるか。

「切りますからね」
『待った。一つ言い忘れてた』
「……なに」
『明日の検定頑張れよ』

 言い返す準備をしていた口がピタッとそこで止まった。いくらか開いたまま、そのまま少々固まって、ふわっと落ちてきたやわらかいものを飲み込むように、静かに返す。

「……うん。がんばります」
『さん、はい』
「言わねえっつってんだろ」

 一瞬ジーンときたのを返せ。
 通話をブチ切り、スマホを右手に持ったままその腕をポスっとシーツに埋める。いろいろと癪だが頑張ろう。頑張れって言われた。もちろんだ。だってあんたが迎えに来るんだろ。
 なんて思っていたらまたかかってきた。さすがにうるさい。いくらなんでも今のやつで終わりでいいだろうよ。きりが良かった。
 どうせ出たってサンハイ言われるだけだからしばしシカト。けれど鳴り止まず。しつこくずっとブーブー鳴ってる。

「…………」

 うるっせえな。

「っ何度もしつけえよ、愛してるに決まってんだろ……ッ!!」

 ほとんど叫ぶようにして出た。一回ぶちまけるとおさまらず、スマホ越しに言い立ててやる。

「愛してます。あなただけです。これで満足ですか、満足ですよね。録音でもなんでも勝手にしろよもう。そんなしつこくかけてこなくたって惚れちまったもんは取り消せねえしバカみてえに愛してます。だから一緒にいるんじゃないですか。アンタだってよく知ってんだろ」
『…………』
「会えなくて寂しいのが自分だけだとは思うなよ。俺だっていろいろ我慢してるんです」
『…………』
「……ちょっと。だんまりですか。恥ずかしいからなんか言ってくださいよ」
『…………』

 なんで黙ってんだこの野郎。

「……せなさ」
『あー……うん。ありがとうハルくん。嬉しいよ。俺も愛してる』
「…………」

 今度は俺が黙り込む番。顔面からはサッと血の気が引いた。
 瀬名さん、じゃない。違う。違った。間違えた。声が全然違う。バッと飛び起き、スマホに目を落とす。画面。表示。浩太。

「…………」

 死にたい。

『ってかハルくんなに。彼女さんにいつもそんな感じなの?』
「…………」
『いくら年上のお姉さんっつってもさぁ、もうちょっと素直な言い方してあげなよ。そんなんだから録音されちゃうんだって』
「…………」
『もっとこう、優しくさ。愛してるよ、会えなくて寂しい。って感じに』
「…………」
『聞いてる?』
「……切っていいか」
『心配しなくても今のは男同士の秘密にしておいてやるよ、大丈夫』

 嘘だろ、こいつ絶対言いふらすだろ。
 詰んだ気分で天井を見上げた。夏季休業明けの大学にものすごく行きたくない。笑い者なんて冗談じゃない。
 こいつの興味を逸らすには、動じていないフリを貫き通して一刻も早く通話を切るしかない。

「なんの用だ」
『うわ、冷たっ。愛してるって怒鳴った次にはそのテンション?』
「やめろ」
『今ハルくん教習行ってんでしょ? 合宿生活でヒマしてるかなあって。思って電話してみたら予想外の愛の告白された』
「やめろ」
『教習は順調?』
「順調。切るぞ」
『なに焦ってんのもうカワイイな。愛してるよっ』
「やめろッ!」

 最悪だ。なんでよりにもよってコイツが。一番聞かれちゃまずい奴に一番聞かれたらまずい事を聞かれた。
 案の定電話越しに聞こえてくる声はわくわくしている。おそらくは満面の笑みを浮かべ、好奇心満々といったその様子。明るく爽やかに、しかしゲスに、死亡気味の俺を問い詰めてきた。

『それで? 何を我慢してるって? 親友の浩太くんに話してみな』
「…………」

 スマホを叩き割りたくなった。明日の修検はちょっと不安になった。
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