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3. 冗談だって言ってくれ
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週に二回くらいの頻度でプリンを貢がれるようになった。いまのところ飽きは来ない。毎回見事に種類が全部違うから。
おかげで俺の一週間はケーキとプリンの割合過多だ。あの男はしつこくケーキやらプリンやらを厳選してくるが、俺は俺で凝りもせずにその贈り物を受け取っていた。
「河川敷。あるじゃないですか、そこに」
「ああ」
「あの辺りを最近よく走ってます」
「若いな。体動かすのが好きなのか?」
「いえ、特に」
「好きでもねえ事をわざわざやるのかお前は」
「あんたのせいですよ」
ケーキ過多。プリン過多。俺が甘党であることは間違いなく見抜かれている。
とは言えこうも毎晩のように甘い物を食い続けていれば自分の健康が気になってくる。将来的にでっぷり腹の出た無残なオッサンにはなりたくない。
ベランダの仕切り越し。若干の恨みを込めて瀬名さんにその事実を告げた。そうすれば他人事のようにクスクス笑って返される。
面白がりやがって。誰のせいだと思っているんだ。
「俺このままいくと確実に太るんですけど」
「女みてえなこと言ってやがる」
「いや、ほんとに。冗談じゃなくて」
太りやすい体質ではないけどいくらなんでも食いすぎている。ならば食わなきゃいいだけの話。しかし捨てるのはもったいないし、持ってきたこの人にもなんか悪いし。嫌なら食わなきゃいいじゃねえかって、瀬名さんもそういう意地悪な事は言ってこない。
仕方のない事だ。甘いものを食う状況が向こうからやって来るからやむを得ず走り始めた。
けれども走らなければならない原因を作っているこの人は、悪びれる様子が全然ない。
「甘いもんじゃなけりゃいいか?」
「良くないです。何もいりません」
「無欲な奴だ」
「人並みに欲はありますよ。瀬名さんが普通とはちょっとズレてるんです」
実際はちょっとなんてもんじゃない。この人はかなりの変人だ。
年下の男からズレてるなどと指摘された今だって、気を悪くさせるどころか楽しそうに笑い飛ばす頭のおかしい社会人だ。
「じゃあ食い物以外なら何が好きだ」
「教えません」
「お前はさっぱり俺に懐かねえな」
「そういう言い方やめてください」
その辺の犬猫とは違う。何をされたって懐くものか。
人がどれだけ口調や言葉に呆れと憤慨を織り交ぜたって瀬名さんは一向に黙ろうとしない。なあ、と短く呼び掛けられた。見えもしないのに視線だけはついつい右に向けている。
「この前な、会社帰りに良さそうな時計を見つけた」
「いりませんからね。ていうか前にもくれたじゃないですか腕時計」
「あれをお前がつけているのを見たことがない。気に入らなかったんだろ?」
「別にそういう訳じゃ……」
迂闊にも歯切れが悪くなる。この人もそれ以上は何も言わなかった。
ここに引っ越してきてから少し経った頃、瀬名さんから腕時計をもらった。どんな流れであの話になったのだったか、スマホがあるから腕時計をつける習慣が俺にはないと、そんな内容の言葉を交わした数日後のことだった。
玄関先でそれを手渡された時点では、箱の中身がなんであるのかは当然に分からない。中身がなんであれいらないと言って突き返すのはいつもの事。それを受け取れと言って押し返されるのもやっぱりいつもの事だった。
最終的には俺が根負けしたのだっていつもの事で、ところがそれを受け取ったすぐ後、思わず眉間に力が入った。包装を解いて箱の中身を知ってしまったその瞬間。綺麗な包みに守られていたシンプルなシルエットの腕時計には、なんだか物凄く見覚えがあった。
俺は時計に詳しくない。ファッションとかはよく分からない。けれどその時計は知っていた。
ちょうどその前日のことだ。大学の同期がスマホを見ながら熱心にペラペラと話していて、隣にいた俺も画面上のウェブページを見せられた。
なんとかってブランドの、限定モデルだとかいうそれ。決して安価ではない腕時計だ。それを瀬名さんは俺に贈った。
「……つけられませんよ。あんな高価な物」
「言うほど高くもない」
「あなたの金銭感覚はおかしい。あれは学生がつけていいようなもんじゃないです」
「ずいぶんと謙虚だな」
謙虚かどうかの問題じゃない。零した溜め息は瀬名さんにも聞こえたはずだ。
「ああいうのは一番困ります」
「時計も一つくらいは持っておけ」
「だからそういう話じゃなくてですね……あんた分かってて言ってんだろ」
「さあな」
すっとぼけた声にイラッとくる。イラッとしてから、落ち込むみたいに冷静になった。
見返りも何も求められない。プレゼントを受け取る以外の強要は一切してこない。そこまでちゃんと分かっているのに、俺は素直にこの人の親切を受け入れたことがない。
使える金があるなら他で使えばいい。俺なんかに構ってないで女の人でも食事に誘えばいい。瀬名さんみたいな人が相手なら誰だって喜んでついていくだろう。それをわざわざ、こんな、男の、ただのガキに。
視線はいつの間にか下がっていた。ベランダの手すりに乗せた自分の手をぼんやり見つめる。音にならないような溜め息を一回だけ吐ききる間に、それとなく話題を変えた。
「……無粋なこと聞きますけど、瀬名さんってきっとそこそこ金持ってますよね。なんでこんな安いマンション住んでるんですか」
「会社から近い」
「そんな理由で?」
「そんなもんだろ」
そんなもんなのか。この人の謎は深まるばかりだ。
「引っ越さないんですか?」
「そこまで邪険にするなよ」
「そういうつもりでは……」
ありません、と言いそうになり、ここでこれを言い改めるのはおかしな事だと途中で気づいた。俺が不自然に言葉を止めると瀬名さんが代わりに喋ってくれる。
「引っ越そうかと考えた事もあったが、少なくともあと四年はここにいるだろうな」
「……どうして?」
「お前が隣に越してきたから」
当たり前のように、サラリと言われた。言われた俺はぐっと押し黙った。
こういう不意打ち。こういうのも良くある。この人がいつもこうだから、こっちのペースがいちいち乱れる。
「留年しろよ。そうすりゃもっと長くいられる」
「何言ってんですか……」
「ダメか?」
「ダメです。当然でしょ。こっちは単位落とさないように必死なんですから」
できるだけ平静を装って、なんでもないような振りをして返す。内心では動揺している。心臓が少しうるさい。
すぐ近くにいる瀬名さんの表情を想像した。柔らかな目でとても静かに、俺を見る瀬名さんが思い浮かんだ。咄嗟に右手を握り締めている。仕切りがなかったら俺は死んでる。
固く詰めていた息を少しずつゆっくり吐きだし、隣に聞こえてしまわないようにそっと深呼吸をした。
「なあ、遥希」
「……はい」
ハルキって、この人はためらいもなく俺をそう呼ぶ。呼ばれる度に戸惑って、喉の奥がヒクリと張りつく。
何を言われるのかと緊張しながら構えていれば、この人はいつものように静かな声で囁いた。
「一目惚れだった」
せき止められる。呼吸が、強制的に。
誰がとか、誰にとか、全部省いて端的にそれだけ。十分だ。誰がも、誰にも、そんなことは言われなくてもちゃんと分かる。分かるしかないから動揺させられて、右手を握り締めたまま視線をそっと足下に落とした。
「……ふざけないでください」
「本気だ」
その答えだけはほんのちょっと、いつもよりも言葉が強かった。
「……男ですよ。俺」
「見りゃ分かる」
「あなたは男が……好きなんですか」
「過去に付き合ってきたのは全部女だった」
この人は何も隠さない。だったら女にいけばいい。わざわざ俺を選ぶ意味が分からない。
「……やっぱからかってますか。俺のこと」
「違う」
「冗談ばっか」
「冗談だったらこうはなってねえよ」
こう、とは。俺がその意味を理解するよりも早く、この人の静かな声はもう一つだけ言葉を落とした。
「お前に惚れてる」
「…………」
握った右手が少し震える。その後は沈黙が流れた。
珍しく瀬名さんが黙っている。今はどんな顔しているだろう。考えかけて途中でやめた。ここでそれを想像するのは、多分すごくマズいと思う。
「もう……寝ます。明日の朝、バイトあるんで」
「ん。おやすみ」
「……おやすみなさい」
逃げる事を許された。呆気ない程あっさりとした返事だ。至っていつも通りのそれに不覚にも安堵させられ、部屋の中へと一人戻った。
カラカラと窓を閉め、その窓を背にして床の上へとへたり込む。膝を抱えた。バカみたいだ。
バイトがあるのは嘘じゃない。明日の大学の講義が午後からで、それまでは時間があるから短時間のシフトを組んである。
嘘はついていない。嘘をつかずにすんで良かった。口実があって助かった。
ベッドの中に潜り込んでも、きっとすぐには眠れないけど。
おかげで俺の一週間はケーキとプリンの割合過多だ。あの男はしつこくケーキやらプリンやらを厳選してくるが、俺は俺で凝りもせずにその贈り物を受け取っていた。
「河川敷。あるじゃないですか、そこに」
「ああ」
「あの辺りを最近よく走ってます」
「若いな。体動かすのが好きなのか?」
「いえ、特に」
「好きでもねえ事をわざわざやるのかお前は」
「あんたのせいですよ」
ケーキ過多。プリン過多。俺が甘党であることは間違いなく見抜かれている。
とは言えこうも毎晩のように甘い物を食い続けていれば自分の健康が気になってくる。将来的にでっぷり腹の出た無残なオッサンにはなりたくない。
ベランダの仕切り越し。若干の恨みを込めて瀬名さんにその事実を告げた。そうすれば他人事のようにクスクス笑って返される。
面白がりやがって。誰のせいだと思っているんだ。
「俺このままいくと確実に太るんですけど」
「女みてえなこと言ってやがる」
「いや、ほんとに。冗談じゃなくて」
太りやすい体質ではないけどいくらなんでも食いすぎている。ならば食わなきゃいいだけの話。しかし捨てるのはもったいないし、持ってきたこの人にもなんか悪いし。嫌なら食わなきゃいいじゃねえかって、瀬名さんもそういう意地悪な事は言ってこない。
仕方のない事だ。甘いものを食う状況が向こうからやって来るからやむを得ず走り始めた。
けれども走らなければならない原因を作っているこの人は、悪びれる様子が全然ない。
「甘いもんじゃなけりゃいいか?」
「良くないです。何もいりません」
「無欲な奴だ」
「人並みに欲はありますよ。瀬名さんが普通とはちょっとズレてるんです」
実際はちょっとなんてもんじゃない。この人はかなりの変人だ。
年下の男からズレてるなどと指摘された今だって、気を悪くさせるどころか楽しそうに笑い飛ばす頭のおかしい社会人だ。
「じゃあ食い物以外なら何が好きだ」
「教えません」
「お前はさっぱり俺に懐かねえな」
「そういう言い方やめてください」
その辺の犬猫とは違う。何をされたって懐くものか。
人がどれだけ口調や言葉に呆れと憤慨を織り交ぜたって瀬名さんは一向に黙ろうとしない。なあ、と短く呼び掛けられた。見えもしないのに視線だけはついつい右に向けている。
「この前な、会社帰りに良さそうな時計を見つけた」
「いりませんからね。ていうか前にもくれたじゃないですか腕時計」
「あれをお前がつけているのを見たことがない。気に入らなかったんだろ?」
「別にそういう訳じゃ……」
迂闊にも歯切れが悪くなる。この人もそれ以上は何も言わなかった。
ここに引っ越してきてから少し経った頃、瀬名さんから腕時計をもらった。どんな流れであの話になったのだったか、スマホがあるから腕時計をつける習慣が俺にはないと、そんな内容の言葉を交わした数日後のことだった。
玄関先でそれを手渡された時点では、箱の中身がなんであるのかは当然に分からない。中身がなんであれいらないと言って突き返すのはいつもの事。それを受け取れと言って押し返されるのもやっぱりいつもの事だった。
最終的には俺が根負けしたのだっていつもの事で、ところがそれを受け取ったすぐ後、思わず眉間に力が入った。包装を解いて箱の中身を知ってしまったその瞬間。綺麗な包みに守られていたシンプルなシルエットの腕時計には、なんだか物凄く見覚えがあった。
俺は時計に詳しくない。ファッションとかはよく分からない。けれどその時計は知っていた。
ちょうどその前日のことだ。大学の同期がスマホを見ながら熱心にペラペラと話していて、隣にいた俺も画面上のウェブページを見せられた。
なんとかってブランドの、限定モデルだとかいうそれ。決して安価ではない腕時計だ。それを瀬名さんは俺に贈った。
「……つけられませんよ。あんな高価な物」
「言うほど高くもない」
「あなたの金銭感覚はおかしい。あれは学生がつけていいようなもんじゃないです」
「ずいぶんと謙虚だな」
謙虚かどうかの問題じゃない。零した溜め息は瀬名さんにも聞こえたはずだ。
「ああいうのは一番困ります」
「時計も一つくらいは持っておけ」
「だからそういう話じゃなくてですね……あんた分かってて言ってんだろ」
「さあな」
すっとぼけた声にイラッとくる。イラッとしてから、落ち込むみたいに冷静になった。
見返りも何も求められない。プレゼントを受け取る以外の強要は一切してこない。そこまでちゃんと分かっているのに、俺は素直にこの人の親切を受け入れたことがない。
使える金があるなら他で使えばいい。俺なんかに構ってないで女の人でも食事に誘えばいい。瀬名さんみたいな人が相手なら誰だって喜んでついていくだろう。それをわざわざ、こんな、男の、ただのガキに。
視線はいつの間にか下がっていた。ベランダの手すりに乗せた自分の手をぼんやり見つめる。音にならないような溜め息を一回だけ吐ききる間に、それとなく話題を変えた。
「……無粋なこと聞きますけど、瀬名さんってきっとそこそこ金持ってますよね。なんでこんな安いマンション住んでるんですか」
「会社から近い」
「そんな理由で?」
「そんなもんだろ」
そんなもんなのか。この人の謎は深まるばかりだ。
「引っ越さないんですか?」
「そこまで邪険にするなよ」
「そういうつもりでは……」
ありません、と言いそうになり、ここでこれを言い改めるのはおかしな事だと途中で気づいた。俺が不自然に言葉を止めると瀬名さんが代わりに喋ってくれる。
「引っ越そうかと考えた事もあったが、少なくともあと四年はここにいるだろうな」
「……どうして?」
「お前が隣に越してきたから」
当たり前のように、サラリと言われた。言われた俺はぐっと押し黙った。
こういう不意打ち。こういうのも良くある。この人がいつもこうだから、こっちのペースがいちいち乱れる。
「留年しろよ。そうすりゃもっと長くいられる」
「何言ってんですか……」
「ダメか?」
「ダメです。当然でしょ。こっちは単位落とさないように必死なんですから」
できるだけ平静を装って、なんでもないような振りをして返す。内心では動揺している。心臓が少しうるさい。
すぐ近くにいる瀬名さんの表情を想像した。柔らかな目でとても静かに、俺を見る瀬名さんが思い浮かんだ。咄嗟に右手を握り締めている。仕切りがなかったら俺は死んでる。
固く詰めていた息を少しずつゆっくり吐きだし、隣に聞こえてしまわないようにそっと深呼吸をした。
「なあ、遥希」
「……はい」
ハルキって、この人はためらいもなく俺をそう呼ぶ。呼ばれる度に戸惑って、喉の奥がヒクリと張りつく。
何を言われるのかと緊張しながら構えていれば、この人はいつものように静かな声で囁いた。
「一目惚れだった」
せき止められる。呼吸が、強制的に。
誰がとか、誰にとか、全部省いて端的にそれだけ。十分だ。誰がも、誰にも、そんなことは言われなくてもちゃんと分かる。分かるしかないから動揺させられて、右手を握り締めたまま視線をそっと足下に落とした。
「……ふざけないでください」
「本気だ」
その答えだけはほんのちょっと、いつもよりも言葉が強かった。
「……男ですよ。俺」
「見りゃ分かる」
「あなたは男が……好きなんですか」
「過去に付き合ってきたのは全部女だった」
この人は何も隠さない。だったら女にいけばいい。わざわざ俺を選ぶ意味が分からない。
「……やっぱからかってますか。俺のこと」
「違う」
「冗談ばっか」
「冗談だったらこうはなってねえよ」
こう、とは。俺がその意味を理解するよりも早く、この人の静かな声はもう一つだけ言葉を落とした。
「お前に惚れてる」
「…………」
握った右手が少し震える。その後は沈黙が流れた。
珍しく瀬名さんが黙っている。今はどんな顔しているだろう。考えかけて途中でやめた。ここでそれを想像するのは、多分すごくマズいと思う。
「もう……寝ます。明日の朝、バイトあるんで」
「ん。おやすみ」
「……おやすみなさい」
逃げる事を許された。呆気ない程あっさりとした返事だ。至っていつも通りのそれに不覚にも安堵させられ、部屋の中へと一人戻った。
カラカラと窓を閉め、その窓を背にして床の上へとへたり込む。膝を抱えた。バカみたいだ。
バイトがあるのは嘘じゃない。明日の大学の講義が午後からで、それまでは時間があるから短時間のシフトを組んである。
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