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190.物好き野郎のランチボックス
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新学期一日目を終えたその足でスーパーに突撃してきた。パエリアをリトライだ。ミニピザも用意した。
三種類作ったミニピザは、瀬名さんが帰ってきてから一緒に焼いた。キノコたっぷり和風のピザと、なんちゃってマルゲリータと、みんな大好きコーンマヨ。
「うまい」
「よかった」
「このキノコのやつとか最高だろ」
「俺もこれが一番上出来だったと思います」
「パエリアなんかプロ級だ」
「明らか言いすぎですけど何よりです」
先日の無念はこれで晴らせた。俺の恥ずかしい勘違いのせいでゴミ袋行きにさせてしまった可哀想な食材たちもきちんと成仏してくれた事を願う。
「これからも俺のために毎晩料理作ってくれるか?」
「うん、作るよ。作んねえとアンタ死ぬから」
「不摂生してて良かった」
「良くねえよ。ダメですからね、一人でもちゃんと食わなきゃ」
フライパンを殺さずに自分で一通りできる焼く系料理はオムレツのみ。調理器具の生存は確保できても、それ以外の料理となると最終形態がなぜかおかしい。
焦げたり溶けたり粉々になったり。木っ端みじんになって原型が分からなかったり。
そんな程度ならまだ可愛いもので、カレーなんて青くなったことがある。俺がキッチンから離れたほんの三分の間に果たして何が起きたのか。緑とか黄色ならまだ分かるけど、何をどうすれば茶色だったものが青色に。
ただし野菜を刻むのはプロだから、異様なまでに均等な具材が浮かんだスープくらいなら辛うじて作れる。ジャガイモだと高確率で溶けて消えるが、にんじんレンコン玉ねぎ辺りだと死なずにスープの中を泳いでる。
人間なら野菜と卵食ってりゃとりあえず死なない。栄養補助食よりもずいぶんと食事っぽくなる。
しかし結局のところこの人は、食に興味がないのだろう。三食しっかり食って育った俺とは正反対の男だ。
「食生活を大事にしないとせっかく体鍛えてたってプラマイゼロになりますよ」
「今は食ってる」
「今はでしょ。昼メシもロクに食わずにいたなんて」
「わざわざ会社の外出るのが面倒だった」
「まったくもう……」
「社食行ってもどうせ人で溢れかえってるからな」
「……ん?」
ミニピザがミニなのをいいことに一口でモゴッといったところ、不意に聞こえてきたその発言。動きが止まり、そして眉をひそめた。
「…………ちょっと……待って」
「うん?」
「……社食あるの?」
「ある」
「ある?」
「メニューも多い」
「メニューも多い……?」
オウム返しが止まらない。メニューの多い社食とは一体。
瀬名さんの勤め先には、どうやら社員食堂があるらしい。
三秒固まる。呆然とした。
まただ。なんだよ。またこれだ。またこのパターンだ。初耳だそんなの。なんだ社食って。あるのかよ。
「あったんだ……」
社員食堂。あるのか。そうか。当然か。
何せ天下のM.A.Mだ。あるだろうよ。そりゃそうだ。あんなに大きな企業なのだから、その手の設備や福利厚生が整っていても不思議ではない。
現にそこの社員である瀬名さんは、有難みも何もない様子でさも当たり前のような顔をしている。
「社内に二ヵ所あって片方は一般開放されてる。美味いって評判だから気になるならお前も行ってみればいい」
「いや、それは……」
「従業員に比べりゃ割高でも外で食うよりはお得感あると思う」
彼氏の勤務先の社食ゴハンがどんな感じか気になっているのとは違くて。
「……そうなんだ……」
「ああ」
「……社食、あるんですね……」
ただの社食じゃない。評判のいい社食だ。社食があっても大して美味しくなかったりメニューが少なくて飽きたりするのが定番となるような悲しい社会で、瀬名さんの勤め先にある食堂は美味しくてバリエーションも豊富。どうせ栄養面も完璧なのだろう。
なんてことだ。今さらこれを知るなんて。できれば最初に知りたかった。
俺が徐々に視線を下げると、瀬名さんも何かに気づいたようだ。スプーンを持っている手を止めた。
「……すまん」
「え?」
「毎日弁当作るのはやっぱ負担がデカかったか」
「え、いえいえ。そんな事ないですけど」
「ごめんな。作る側の手間を考えてなかった」
「いえホント用意するのは全然大丈夫なんですが……」
気づいたらしき点はピントが思いきりズレていた。
社食あるなら弁当作りたくねえなとか思っているのとも全然違くて。
「……社食のゴハン、美味しいんでしょう?」
「ああ。俺の周りでも好評だ」
「そっか……じゃあすげえ恥ずかしいです」
「あ?」
「だって俺、毎日あんな貧相な弁当を……」
とても恥ずかしい。知らなかったとは言え恥ずかしい。美味しいものがすぐ近くに沢山あるのに、俺の庶民的な弁当なんかを毎朝明るく渡していた。
庶民派弁当が入ったランチバッグを毎朝持たされていた社会人はしかし、今さらながら羞恥心に苛まれる俺を見て怪訝な顔を見せてきた。
「あれのどこが貧相なんだ。周りの奴らにいつ見せびらかしても必ずいいなって言われるぞ」
「まだ見せびらかしてんのッ!?」
やめてくれ頼むから。一割くらいは残り物だし八割は前もって作っておいて冷凍してあるストックのおかずだ。朝やるのは卵を焼くくらいだ。
安いだけで味気ないとか、無料なだけで不味いとか、そういう一昔前の社員食堂とはきっと訳が違うはず。従業員からも好評という事は、大層ご立派で素敵なランチが出てくるに違いない。その上メニューまで多いともなれば文句なんか一個もないだろう。
大変だ。もっと考えるべきだった。美味しい社食が食える会社の従業員である社会人男性に、つまんねえ弁当を渡し続けていた。
「なんか……すみません」
「なんでだよ。恋人に弁当作ってもらえるのがどんだけ嬉しいかお前は分かってねえ」
「大げさな……」
「大げさなもんか。毎日違うおかず入ってんのだってスゲエだろ」
「優良企業の社食の豊富なメニューにはとても太刀打ちできません……」
「打ち勝つまでもねえ。遥希のメシ以上に優れた料理はこの世に一つも存在しない」
瀬名さんの特殊フィルターが半端ない威力を発揮している。コロッケと偽ってタワシを出してもこの勢いなら美味しく平らげそうだ。
「いつもありがとう。本当に助かってる」
「……明日からも俺の弁当で平気?」
「お前のじゃなきゃ嫌だ。負担じゃねえなら」
「負担は一個もないですけど……」
負担になるほどのおかずは作っていないし、瀬名さんの弁当を用意するついでに自分の分も持参できるから昼飯代がかなり浮く。たとえそれで物足りなくても、学食で一番安いかけうどんでも食っておけばちょうどよくなる。
ほぼ節約のことしか考えていなかった。ダメだ。今度からもうちょっとちゃんとした弁当作ろう。二条さんに教えてもらった冷めてもサクサクのフライのやり方を今からもっと究めよう。
「てか……なんで今まで社食行かなかったの?」
「入社してしばらくは使ってた」
「どうして使わなくなったんですか……?」
「トレー持って長い行列に並ぶあの時間が俺には無理だった」
「あなたらしいですね」
この人こういう所ある。
外に食いに行く時間を省けるのが社食活用の利点の一つ。にもかかわらず混雑に紛れて順番待ちをする時間的損失が無駄であるとスッパリ判断したのだろう。
そんな時間があるなら仕事したい。この大人ならばそうとでも考えそうだ。
「俺も学食が混むのは見慣れてますけど社食も似たような感じなんですか?」
「会社の勤務形態とかにもよるんだろうがウチの場合は大体混んでる。便利ではあっても利用時間が決まってんだから仕方ねえ。昼にはどうしても人が集中する」
「それなら瀬名さんは普段どこでメシ食ってんです?」
「営業終わる頃の食堂で。人がはけてきた辺りを見計らって」
「一人だけ弁当持って……?」
「社員専用の方は持ち込みオッケーだから同じような奴チラホラいるぞ」
「そうなの?」
「昼時以外にもスペースは開放されてるからな。無料ドリンクの種類も多いしみんなカフェテリア代わりに使ってる」
「そうなんだ……」
「あと食堂だと置き菓子も豊富だ」
「いいな」
「ミニフィナンシェが人気高い」
いいな。
「食堂以外にも無料のお菓子とか飲み物とかって置いてあるんですか?」
「各フロアにある。ちょっとした物なら」
いいな。
「ちゃんとした会社だとやっぱ福利厚生もしっかりしてるんですね」
「使わねえとその分損ではあるが」
「じゃあ瀬名さんめちゃくちゃ損してんじゃん」
「水お茶コーヒーは普通に助かる。それに食堂とフリースペースには冷蔵庫が置いてあってな、そこに入ってるヨーグルトと柚子シャーベットが入社当初から死ぬほど好きでたぶん俺が従業員イチ食ってる」
「瀬名さんにもそういうのあるんだ」
「あの二つは絶対になくならないでほしい」
好き嫌いの激しい男が言うのだから相当に美味しいのだろう。どうかなくなりませんように。
「去年遥希が作ってくれたブルーベリーシェイクとシャーベットにはとても敵わねえけどな」
「いいよそういうの。思い出したように取って付けてくれなくて」
「照れんなよ、可愛いなマイスイート」
「それもういい加減やめません? パターンももう同じのしか出てこねえじゃん」
「お前は順応が早すぎるぞベイビー」
「ベイビー?」
「これは俺もちょっと言いたくなかった」
この男にも恥が残っていたのか。
過剰な言語コミュニケーションに数日間晒されてきた甲斐があってか、俺にもだいぶ耐性がついてきた。
スイートでもシュガーでもハニーでもなんでもいい。好かれているのはもう知っている。
瀬名さんがハートとかスイートとか言いたくなる相手は俺で、キスしたいのも俺だし、抱きたいのも俺だし、昼飯は社食の美味しいゴハンよりも俺の弁当がいいらしい。
ならば作ろう。昼も夜も。物好きな大人の男のために。
***
「じゃあな。ダチにオムレツ見せびらかしていいぞ」
「見せびらかしません。あなたも俺の弁当見せびらかさないでください」
「見せびらかす。いいだろって自慢してくる」
「やめろ」
マンションの前をしばらく二人で歩き、十字路に差し掛かったところでそう言って手を振りながら別れた。
さっきのこと。家を出てくる少し前。
恋人に弁当を作ってもらえるのがどれだけ嬉しいか俺に知らしめるべく、瀬名さんは出勤前からキッチンに立ってオムレツを作った。
昼の弁当用だからいつもより大分しっかり目の焼き具合。玉子焼きはできねえくせしてなんでこれだけ完璧なのかは瀬名さん七不思議のひとつだけれど、タッパーに詰めたそれを堂々と渡してきた。
全体的に黄色だがいろどりもある。グリーンのシリコンカップに仕切られた中にはミニトマトも三個入っていた。ヘタは三つとも取ってある。食中毒対策までバッチリ。
瀬名さんのと自分の弁当を俺もいつも通り用意していたから、狭いキッチンを半分取られて正直なところ今朝は邪魔だった。
けれどオムレツだけプロフェッショナルな瀬名さんが俺にくれた単品弁当は、さすがと言うべきか冷めても絶品。しっかり焼いてあるのにふんわりしていた。見た目からしてフワッとしているのが分かった。冷めた状態で感じる塩味も、おそらくは計算済みだっただろう。
夕べ瀬名さんの言っていた意味が、俺にもちょっとだけ分かったかもしれない。
黄色と緑と赤の弁当。タッパーのふたを開けたその時、これを食うのはもったいないようにも思えた。
瀬名さんがくれた初めてのオムレツ弁当に、スマホをかざしたのは絶対に秘密だ。
一緒にいた浩太たちに何やってんのと聞かれてすかさず、作ってもらった羨ましいだろって自慢したのも絶対に秘密だ。
三種類作ったミニピザは、瀬名さんが帰ってきてから一緒に焼いた。キノコたっぷり和風のピザと、なんちゃってマルゲリータと、みんな大好きコーンマヨ。
「うまい」
「よかった」
「このキノコのやつとか最高だろ」
「俺もこれが一番上出来だったと思います」
「パエリアなんかプロ級だ」
「明らか言いすぎですけど何よりです」
先日の無念はこれで晴らせた。俺の恥ずかしい勘違いのせいでゴミ袋行きにさせてしまった可哀想な食材たちもきちんと成仏してくれた事を願う。
「これからも俺のために毎晩料理作ってくれるか?」
「うん、作るよ。作んねえとアンタ死ぬから」
「不摂生してて良かった」
「良くねえよ。ダメですからね、一人でもちゃんと食わなきゃ」
フライパンを殺さずに自分で一通りできる焼く系料理はオムレツのみ。調理器具の生存は確保できても、それ以外の料理となると最終形態がなぜかおかしい。
焦げたり溶けたり粉々になったり。木っ端みじんになって原型が分からなかったり。
そんな程度ならまだ可愛いもので、カレーなんて青くなったことがある。俺がキッチンから離れたほんの三分の間に果たして何が起きたのか。緑とか黄色ならまだ分かるけど、何をどうすれば茶色だったものが青色に。
ただし野菜を刻むのはプロだから、異様なまでに均等な具材が浮かんだスープくらいなら辛うじて作れる。ジャガイモだと高確率で溶けて消えるが、にんじんレンコン玉ねぎ辺りだと死なずにスープの中を泳いでる。
人間なら野菜と卵食ってりゃとりあえず死なない。栄養補助食よりもずいぶんと食事っぽくなる。
しかし結局のところこの人は、食に興味がないのだろう。三食しっかり食って育った俺とは正反対の男だ。
「食生活を大事にしないとせっかく体鍛えてたってプラマイゼロになりますよ」
「今は食ってる」
「今はでしょ。昼メシもロクに食わずにいたなんて」
「わざわざ会社の外出るのが面倒だった」
「まったくもう……」
「社食行ってもどうせ人で溢れかえってるからな」
「……ん?」
ミニピザがミニなのをいいことに一口でモゴッといったところ、不意に聞こえてきたその発言。動きが止まり、そして眉をひそめた。
「…………ちょっと……待って」
「うん?」
「……社食あるの?」
「ある」
「ある?」
「メニューも多い」
「メニューも多い……?」
オウム返しが止まらない。メニューの多い社食とは一体。
瀬名さんの勤め先には、どうやら社員食堂があるらしい。
三秒固まる。呆然とした。
まただ。なんだよ。またこれだ。またこのパターンだ。初耳だそんなの。なんだ社食って。あるのかよ。
「あったんだ……」
社員食堂。あるのか。そうか。当然か。
何せ天下のM.A.Mだ。あるだろうよ。そりゃそうだ。あんなに大きな企業なのだから、その手の設備や福利厚生が整っていても不思議ではない。
現にそこの社員である瀬名さんは、有難みも何もない様子でさも当たり前のような顔をしている。
「社内に二ヵ所あって片方は一般開放されてる。美味いって評判だから気になるならお前も行ってみればいい」
「いや、それは……」
「従業員に比べりゃ割高でも外で食うよりはお得感あると思う」
彼氏の勤務先の社食ゴハンがどんな感じか気になっているのとは違くて。
「……そうなんだ……」
「ああ」
「……社食、あるんですね……」
ただの社食じゃない。評判のいい社食だ。社食があっても大して美味しくなかったりメニューが少なくて飽きたりするのが定番となるような悲しい社会で、瀬名さんの勤め先にある食堂は美味しくてバリエーションも豊富。どうせ栄養面も完璧なのだろう。
なんてことだ。今さらこれを知るなんて。できれば最初に知りたかった。
俺が徐々に視線を下げると、瀬名さんも何かに気づいたようだ。スプーンを持っている手を止めた。
「……すまん」
「え?」
「毎日弁当作るのはやっぱ負担がデカかったか」
「え、いえいえ。そんな事ないですけど」
「ごめんな。作る側の手間を考えてなかった」
「いえホント用意するのは全然大丈夫なんですが……」
気づいたらしき点はピントが思いきりズレていた。
社食あるなら弁当作りたくねえなとか思っているのとも全然違くて。
「……社食のゴハン、美味しいんでしょう?」
「ああ。俺の周りでも好評だ」
「そっか……じゃあすげえ恥ずかしいです」
「あ?」
「だって俺、毎日あんな貧相な弁当を……」
とても恥ずかしい。知らなかったとは言え恥ずかしい。美味しいものがすぐ近くに沢山あるのに、俺の庶民的な弁当なんかを毎朝明るく渡していた。
庶民派弁当が入ったランチバッグを毎朝持たされていた社会人はしかし、今さらながら羞恥心に苛まれる俺を見て怪訝な顔を見せてきた。
「あれのどこが貧相なんだ。周りの奴らにいつ見せびらかしても必ずいいなって言われるぞ」
「まだ見せびらかしてんのッ!?」
やめてくれ頼むから。一割くらいは残り物だし八割は前もって作っておいて冷凍してあるストックのおかずだ。朝やるのは卵を焼くくらいだ。
安いだけで味気ないとか、無料なだけで不味いとか、そういう一昔前の社員食堂とはきっと訳が違うはず。従業員からも好評という事は、大層ご立派で素敵なランチが出てくるに違いない。その上メニューまで多いともなれば文句なんか一個もないだろう。
大変だ。もっと考えるべきだった。美味しい社食が食える会社の従業員である社会人男性に、つまんねえ弁当を渡し続けていた。
「なんか……すみません」
「なんでだよ。恋人に弁当作ってもらえるのがどんだけ嬉しいかお前は分かってねえ」
「大げさな……」
「大げさなもんか。毎日違うおかず入ってんのだってスゲエだろ」
「優良企業の社食の豊富なメニューにはとても太刀打ちできません……」
「打ち勝つまでもねえ。遥希のメシ以上に優れた料理はこの世に一つも存在しない」
瀬名さんの特殊フィルターが半端ない威力を発揮している。コロッケと偽ってタワシを出してもこの勢いなら美味しく平らげそうだ。
「いつもありがとう。本当に助かってる」
「……明日からも俺の弁当で平気?」
「お前のじゃなきゃ嫌だ。負担じゃねえなら」
「負担は一個もないですけど……」
負担になるほどのおかずは作っていないし、瀬名さんの弁当を用意するついでに自分の分も持参できるから昼飯代がかなり浮く。たとえそれで物足りなくても、学食で一番安いかけうどんでも食っておけばちょうどよくなる。
ほぼ節約のことしか考えていなかった。ダメだ。今度からもうちょっとちゃんとした弁当作ろう。二条さんに教えてもらった冷めてもサクサクのフライのやり方を今からもっと究めよう。
「てか……なんで今まで社食行かなかったの?」
「入社してしばらくは使ってた」
「どうして使わなくなったんですか……?」
「トレー持って長い行列に並ぶあの時間が俺には無理だった」
「あなたらしいですね」
この人こういう所ある。
外に食いに行く時間を省けるのが社食活用の利点の一つ。にもかかわらず混雑に紛れて順番待ちをする時間的損失が無駄であるとスッパリ判断したのだろう。
そんな時間があるなら仕事したい。この大人ならばそうとでも考えそうだ。
「俺も学食が混むのは見慣れてますけど社食も似たような感じなんですか?」
「会社の勤務形態とかにもよるんだろうがウチの場合は大体混んでる。便利ではあっても利用時間が決まってんだから仕方ねえ。昼にはどうしても人が集中する」
「それなら瀬名さんは普段どこでメシ食ってんです?」
「営業終わる頃の食堂で。人がはけてきた辺りを見計らって」
「一人だけ弁当持って……?」
「社員専用の方は持ち込みオッケーだから同じような奴チラホラいるぞ」
「そうなの?」
「昼時以外にもスペースは開放されてるからな。無料ドリンクの種類も多いしみんなカフェテリア代わりに使ってる」
「そうなんだ……」
「あと食堂だと置き菓子も豊富だ」
「いいな」
「ミニフィナンシェが人気高い」
いいな。
「食堂以外にも無料のお菓子とか飲み物とかって置いてあるんですか?」
「各フロアにある。ちょっとした物なら」
いいな。
「ちゃんとした会社だとやっぱ福利厚生もしっかりしてるんですね」
「使わねえとその分損ではあるが」
「じゃあ瀬名さんめちゃくちゃ損してんじゃん」
「水お茶コーヒーは普通に助かる。それに食堂とフリースペースには冷蔵庫が置いてあってな、そこに入ってるヨーグルトと柚子シャーベットが入社当初から死ぬほど好きでたぶん俺が従業員イチ食ってる」
「瀬名さんにもそういうのあるんだ」
「あの二つは絶対になくならないでほしい」
好き嫌いの激しい男が言うのだから相当に美味しいのだろう。どうかなくなりませんように。
「去年遥希が作ってくれたブルーベリーシェイクとシャーベットにはとても敵わねえけどな」
「いいよそういうの。思い出したように取って付けてくれなくて」
「照れんなよ、可愛いなマイスイート」
「それもういい加減やめません? パターンももう同じのしか出てこねえじゃん」
「お前は順応が早すぎるぞベイビー」
「ベイビー?」
「これは俺もちょっと言いたくなかった」
この男にも恥が残っていたのか。
過剰な言語コミュニケーションに数日間晒されてきた甲斐があってか、俺にもだいぶ耐性がついてきた。
スイートでもシュガーでもハニーでもなんでもいい。好かれているのはもう知っている。
瀬名さんがハートとかスイートとか言いたくなる相手は俺で、キスしたいのも俺だし、抱きたいのも俺だし、昼飯は社食の美味しいゴハンよりも俺の弁当がいいらしい。
ならば作ろう。昼も夜も。物好きな大人の男のために。
***
「じゃあな。ダチにオムレツ見せびらかしていいぞ」
「見せびらかしません。あなたも俺の弁当見せびらかさないでください」
「見せびらかす。いいだろって自慢してくる」
「やめろ」
マンションの前をしばらく二人で歩き、十字路に差し掛かったところでそう言って手を振りながら別れた。
さっきのこと。家を出てくる少し前。
恋人に弁当を作ってもらえるのがどれだけ嬉しいか俺に知らしめるべく、瀬名さんは出勤前からキッチンに立ってオムレツを作った。
昼の弁当用だからいつもより大分しっかり目の焼き具合。玉子焼きはできねえくせしてなんでこれだけ完璧なのかは瀬名さん七不思議のひとつだけれど、タッパーに詰めたそれを堂々と渡してきた。
全体的に黄色だがいろどりもある。グリーンのシリコンカップに仕切られた中にはミニトマトも三個入っていた。ヘタは三つとも取ってある。食中毒対策までバッチリ。
瀬名さんのと自分の弁当を俺もいつも通り用意していたから、狭いキッチンを半分取られて正直なところ今朝は邪魔だった。
けれどオムレツだけプロフェッショナルな瀬名さんが俺にくれた単品弁当は、さすがと言うべきか冷めても絶品。しっかり焼いてあるのにふんわりしていた。見た目からしてフワッとしているのが分かった。冷めた状態で感じる塩味も、おそらくは計算済みだっただろう。
夕べ瀬名さんの言っていた意味が、俺にもちょっとだけ分かったかもしれない。
黄色と緑と赤の弁当。タッパーのふたを開けたその時、これを食うのはもったいないようにも思えた。
瀬名さんがくれた初めてのオムレツ弁当に、スマホをかざしたのは絶対に秘密だ。
一緒にいた浩太たちに何やってんのと聞かれてすかさず、作ってもらった羨ましいだろって自慢したのも絶対に秘密だ。
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