No morals

わこ

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第二部

62.崩壊劇Ⅵ

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「何かありました?」
「あ?」
「元気ないように見えるので」
「……気のせいだろ」

 ここの店は今日も賑やかだ。前回と同じ場所でテーブルを囲みながら手にしたグラスを口元で傾けた。
 中身は酒。ではなく、ウーロン茶。そりゃそうだ。あの時の謝罪に来たのだから。

「この前の詫びだからな。遠慮なんかすんじゃねえぞ。もっとどんどん好きなの頼め」
「はあ……。そう言われると俺マジで際限ないですけど」
「いいって。昨日金入ったし」

 作業場の短期バイトだったがまあまあ金払いは良かった。似たような労働でもピンキリではあるが今回はいい稼ぎになっただろう。途端にこうやって出ていくわけだが。
 根本にお品書きを放って寄越し、小皿の上に箸を伸ばした。さっさと追加しろと俺が急かせば困ったように笑われる。
 お品書きに少々目を走らせてから通りかかった店員を呼び止めた根本。注文を連ねるその様子は確かに、本人の言う通り際限がない。

「……お前はまだまだ育ちそうだな」
「あ、分かります? 実はいまだにちょっとだけ身長伸びてるんですよ。ミリ単位ですけど」
「もういいだろ」

 これ以上縦に伸びられるとこっちの首が痛くなる。
 将来有望な医学部の学生。女にも好かれそうな今時の風貌。しっかりした体つきと高い身長。加えてこの懐っこい性格。

 今も昔もイイ男と言われる要素はパターン化している。その典型パターンのうちの一つに間違いなく該当している奴だ。
 わざわざ時間を作らせてしまったが、もしやかえって悪いことをしたか。こいつこそ彼女の一人くらいいたとしてもなんら不思議ではない。

「……やっぱなんかありました?」

 紛れもない勝ち組の男が、日雇い労働者を気づかって聞いてくる。心配そうな顔までさせてしまった。詫びのつもりだったというのにこれでは誘った意味が分からない。

「なんもねえよ。お前はずいぶんといい男に育ったんもんだなって」
「飲んでないのに酔いました? あなたそんなこと言う人じゃなかったでしょ」
「正直な感想だ。受け取っとけよ」

 そうこうしているうちに皿が運ばれてくる。いつきでも仕事が早い。遠慮せずに食えと言う俺の言葉にうなずいた根本はいいペースで食べ進めていく。
 俺も適当に箸を伸ばした。本当ならばこうもスッキリしない心境ではないはずだったのに。あの野郎が依然として機嫌を悪くさせているから。

 先日の度重なる寸止めの末、それでも最終的には部屋に泊まった。いつもと同じように一つのベッドに入り、いつもと同じように背を向けて寝る俺を後ろから抱きしめてきたあいつ。それは全く普段通りだが、竜崎は終始無言だった。
 翌朝になってもそれは続いた。ガキっぽく拗ねる竜崎を罵っても大した反応はなかった。そうして三日経った今でも相変わらずどことなく機嫌が悪い。

 ケンカなんてしょっちゅうだけれどこんな事態は初めてだから、どうしていいのか対処に困る。拗ねた野郎の機嫌を元に戻すには。いつも余裕綽々のあいつが今回に限ってはどうにもしつこい。

「先輩……?」
「……ああ。うん?」
「…………」

 暇さえあればあのバカの事を考えている。それに気づくたびうんざりさせられる。

「……あの……俺の勘違いならそれでいいんですけど……」
「なんだよ……?」

 窺うような様子で切り出され、しかしどことなく歯切れは悪い。不審に首を傾げると、止まることのなかった箸を置いて真っ直ぐ俺を見てきた。

「……竜崎さんですか?」
「……は?」
「竜崎さんと何かありました?」
「…………あ?」

 目がぱちくりする。何を言われたか一瞬分からない。

「なに……え……?」

 どうして根本の口から、竜崎の名前が。
 ぱちぱちと不自然にまばたきを繰り返し、目を逸らそうにも逸らせない。

「違ってたらごめんなさい。先輩にしては分かりやすく落ち込んでるんでよっぽど大事なことなのかなと」
「ちょっと、待て……」
「……やっぱ覚えてないですよね?」
「は……?」

 直感的に、何をとは聞けなかった。ただ固まって根本を見ている。その根本は至って平然と。

「俺のだから」
「……あ?」
「竜崎さんが俺にそう言ったんです」
「……は?」
「こいつは俺のだから一晩中お前に預けとく訳にはいかないって」
「…………ッあ゛!?」
「摘認定されちゃったかな……」

 俺の素っ頓狂な声は店内の賑わいにかき消された上に根本も特に気にせずスルー。俺の反応を見て否定と捉えたか、それとも肯定と捉えたか、再び箸を皿の上に伸ばしてウサギみたいにスティック状のニンジンを頬張っていた。

「愛されてますね。竜崎さんすげえ大事そうに先輩のこと抱えてましたもん」
「おま……なに言っ……は?」

 言葉にならない。何言ってんだこいつ。のほほんとニンジン食ってる割には草食感が全然ない。

「さすがの先輩もあれじゃホダされるか……。雰囲気変わったなって思いましたけど、竜崎さんに会って納得しました」
「…………」

 今度はキュウリを食い出した。ポリポリポリポリ平気でかじっている根本の顔をハラハラして見る。

「ちょ……っと待て。少し落ち着け」
「俺は落ち着いてますが」
「分かってる、俺が落ち着くからお前も待て。とりあえずそれ食ってしばらく黙ってろ。お前さっきからなんか変だ」

 これ以上喋らせておくといいことがない。絶対に面倒な方向に傾く。
 気づかれないように深呼吸をして、キュウリを食い尽くすのを待った。

「根本、なあいいか。俺は別にあいつとは……」
「はい。分かってます。付き合ってるんですよね?」
「そうじゃねえっ!」
「え、違うんですか?」
「……いや……その……なんだ……」

 どもってどうする。ここで押し切らなかったら大変なことに。
 いやそもそも、こいつは普通の顔をして言っているが。

「…………俺もあいつも男だぞ」

 そうだ。俺達は男同士だ。一般的にはあり得ない。
 本来的な反論をしてしまって、当たり前の言葉に落ち込んだ。

「……自分で言ったくせに暗くなるのやめてください。別にいいじゃないですか男の人でも。俺の周りにだってちらほらいますよ。男同士でくっ付いたりイロイロしてる奴ら」

 知るかそんなこと。

「……お前のダチがどうだかは知らねえが俺にそんなシュミはない」
「ああ、じゃあ竜崎さん限定なんですね」
「はあッ?」

 さっきから驚愕の叫びしか出ていない。根本も引こうとはしなかった。
 言葉にならない。驚きとパニックと心なしか裏切られたような虚しい感情で口をパクパク開け閉めしているとサーモンをつまみながらクスッと笑われた。

「先輩カオ真っ赤」
「っ……!」

 こいつは、こんな奴だったろうか。

「お前な……ッ」
「分かってますよ、先輩の性対象くらい。高校生にして女性関係ハデでしたもん」
「…………」

 勢いづいてテーブルに手をついたはいいが、からかうように投げつけられて途端にグッと詰まることに。

「いつでしたっけ。学校の帰りに街歩いてて先輩にいきなり掴みかかってきたお姉さんとかいましたよね。あれは驚いたな」
「…………」
「生で修羅場見たのはあの時が初めてです」

 なにも言えねえ。それがどの女だったかは覚えていないがそんなような面倒な出来事があったという記憶はなんとなく残っている。
 根本はニコニコと笑顔を絶やさない。俺はとても笑っていられる気分ではない。

「高校時代に自分が周りからなんて言われてたか覚えてるでしょう?」
「…………」
「ちょっとした話でも盛りに盛られてあれこれバカみたいに捏造されて、散々悪い噂色々流されても全然気にもしなかったじゃないですか。いくらなんでも冷めすぎだろって実は俺ずっと思ってました」
「別に……面倒だっただけだよ。いちいち相手してんのが」
「ですよね?」
「……何が言いたい」

 屈託のない懐っこい笑顔。さっきまではそう思っていた。しかし今はそれとは異なり、確信を得たかのような笑みを見せつけてくる。

「どうでもいいことに対してはとことん冷たいのがあなたです。それが竜崎さんの話になったら急にこんな必死になってる。つまりそれだけ本気ってことでしょ?」
「…………」

 なぜ。

「……ッ意味が分かんねえ!」
「自分じゃ気づけないことってありますよ。先輩も竜崎さんが大事なんですね」
「何言ってんだっ」
「事実です」

 にこやかな断言。笑顔なのに妙な迫力があるため言い返して勝てる自信がない。むしろより深みに嵌めこまれそう。
 どうやら俺は間違っていた。外見が逞しくなっただけではない。あの頃には見当たらなかったタチの悪さを、こいつは身に付けてしまったようだ。

「なんで隠そうとするんです?」
「隠すだろ普通っ、相手男だぞッ」
「はい。認めましたね」
「!!」

 切り返し呟かれてはっとした。慌てて口を閉じてももう遅い。

「柔らかくなっただけじゃなくてちょっと流されやすくなりました?」
「…………」

 根本がヤリ手になったのか、俺がバカになったのか。できれば後者は避けたいところだが現実はきっとその両方だ。
 負けた。これはもう降参だ。根本は確信して疑わない。重くなってきた頭を手で支えて項垂れた。

「……どこでそんな性格ヒネくれた」
「元からこんなもんですよ。先輩が気づかなかっただけで」
「…………」

 チラリと視線を上げる。ビール片手にから揚げに食いつく根本。
 かつての後輩からここまで追い詰められるなど誰が想像できただろう。意気消沈も甚だしいが、根本の胃袋も達者な口もまだまだ満足はしていない。

「で。何があったんです?」
「しつけえよ……。この話は忘れろ」
「そうはいきませんって。先輩がそんな顔してんの初めて見ましたよ」

 箸を動かす手は休めることなく、世間話でもする勢いで精神的に圧力を加えてくる。
 あっけらかんとしたこの態度。しばらくぶりに会った知り合いの男が男とそういう仲になっていたら普通はこう、なんと言うのか。

「……もっと違う反応があるだろ」
「現在の世の中でまかり通ってる常識だけ見て生きてる奴なんかまともな医者にはなれません」
「立派になったな……」
「おかげさまで」
「……引かねえのか」

 普通は、ヒく。もっと言うならきっとドン引く。
 男同士がどうこうなるなんて、生き物としても社会的に見ても、正しいことなど一つもない。

「だから自分で言ったことに落ち込まないでくださいよ。世間がどうかは知らないし興味もないですけど少なくとも俺は気になりません。男と女の区別なんてそうたいしたもんじゃない」
「大違いだろ。まともな医者目指してんじゃねえのかお前」

 追い詰められ、からかわれ、挙句の果てには慰められる。最悪だ。先輩とは呼ばれていても先輩らしい言動の一つもしてやらなかったのは事実だがこれで俺の立場は陥落。一体どうしてこんなことに。
 腹を立てるだけの気力もないし根本に怒っても仕方がない。後輩の前で元々あってないようなプライドがズタボロになった。

「一人で悩んでるくらいなら全部吐いて楽になってください」
「刑事かよ。尋問でも受けてる気分だな」
「医学部生なのでどっちかって言うと問診……? まだまだ医者の卵ですらありませんが」
「…………」

 なんだか面倒になってきた。こいつに格好つけても意味はない。促すような目が俺を見ている。

「ケンカでも?」
「いや……別に……」

 それとなく腕を組んで言葉を濁しつつ逃げようとするも、問診中の根本は患者を逃がさない。

「それじゃ答えになってませんよ。会ってないんですか?」
「毎晩顔は合わせてるけど……」
「けど? ちゃんと話もしてます?」
「…………」
 
 こいつの実家は内科と言っていなかったか。カウンセラーにでもなりたいのか。それとも心療内科なのか。
 何がなんでも吐かせるつもりだ。やっぱこれ尋問じゃねえか。心の中を見透かされそうな、温厚でいて鋭いその目から逃れ、組ませていた右腕をいくらか上げて重さしか感じない頭を押さえた。

「……ケンカって訳じゃねえよ。……たぶん」

 言い合いになることなんてしょっちゅうだ。キレて喚くのにももう慣れた。普段とは何が違うのかと言えば、竜崎の機嫌が悪い。それだけだ。

「……かかってきた電話に俺が出るのも、こうやってお前と飲みに来るのも、あいつにとっちゃ全部が気に食わねえことなんだよ」

 あんなふうに機嫌を損ねるあいつを見たのは初めてだと思う。何が嫌で何が気に食わないのか。女と二人で会ってくると言っている訳じゃないのに。

「勝手に拗ねやがってあのバカ……」

 何度も寸止めを食らわせたのは酷だったろうとは思うけど。あいつが拗ねているのはきっとそれじゃない。お預けならば、今までだって散々。

「先輩……」

 気づけば結局グチっている。後輩相手に不甲斐ないがそれももう今更だろう。
 しかし遠慮がちに声をかけてきたこいつは、一瞬でパッと遠慮を失くした。

「ノロケですか?」
「ぁあ゛ッ!?」 

 なんか言いやがった。からかうふうでもなく、素の表情でそれを聞かれて声を張り上げた。

「何をどう考えればそうなるんだッ!?」
「いや、どう考えてもノロケですからそれ。竜崎さんヤキモチやいてるだけじゃないですか。分かりやすいラブコメひけらかしちゃってもう」
「はあッ……?」
「先輩が幸せそうで何よりです」
「おまっ……」

 こいつ。

「独占欲とかヤキモチとかは行き過ぎたらそりゃ問題でしょうけど誰にだって多少はありますよ。程々ってくらいだったら大事にされてる証拠じゃないですか。それとも一方的に責められでもしました?」
「それは……」

 一方的な責めが始まらないようにあいつは部屋を出ていった。そして自分を落ち着けてから、ちゃんとそばに戻ってきた。

「…………」
「……なるほど。だいぶ愛されていらっしゃるようで」
「ッ……!!」

 拳をテーブルに叩き付けそうになり、実際にはできずに不発に終わった。徐々に力も抜けていく。最後は脱力感に襲われた。
 独占欲。愛されている。そんな話は聞きたくない。

「大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃねえよ、お前のせいで」

 ジトッと恨みがましく睨んでも今のこいつは怯みもしない。すっかり意気消沈した俺を前に、根本は思い出したように付け足した。

「あ、もしかして先輩……今晩ここで会うの俺だって竜崎さんに言いました?」
「あ? ああ……言ったな。それがなんだよ」

 あーあ。といったような顔をされた。

「ただでさえ敵認定されたのに火に油って感じでしょうね」
「は?」
「先輩ニブイって言われません?」

 つい先日あいつに言われた。これまでの人生を振り返っても鈍感と言われた記憶は一個もない。眉間を寄せるも、こいつは苦笑気味だ。

「竜崎さんが心配するのも仕方ありません。先輩が思ってるほど世の中はノーマルな男ばっかじゃないんですよ。特にあなたは美人だし」
「男に美人もクソもあるかよ。バカにすんのもいい加減にしろ」
「そういうところも不安要素なんでしょうね……」

 とうとう薄笑いで返された。

「……俺が悪いみてえな言い方だな」
「部外者の俺からはなんとも言えませんけどまあ……どちらかと言うと先輩が。おそらく」
「…………」

 悪いと言いたいらしい。ああそうかよ。俺が悪いのかよ。そうかよ、悪かったな。
 数年ぶりに再会した後輩からものの見事に裏切られた。
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